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『エルダー。ようやく体調が万全になり、会えると聞きました。あなたのローブを返せることが何よりも嬉しい。手紙もこれで最後。もうすぐ顔を見ることができるのね、嬉しい。本当よ。とっても嬉しい。私たちも近くで待機されることが許さたわ。迎えに行くから、一緒にフツリ様の塔に帰りましょうね。 イトセ』
可愛らしい文字が踊る手紙は、確かに今まで以上に心が弾んでいるのが見て取れた。
どうやら処刑ではないらしい。
渡された服も上等なもので、真っ白であるところを見れば誰に会わされるのかもわかった。
服を着替え、一年でようやく肩まで伸びた髪をどうにか整える。エルダーはローブを広げて、ダンスをするようにくるりと回った。
懐かしい。
一年間、これが向こう側に預けられていたことも知らなかった。わかりやすい「人質」のサインだが、イトセにはそういう側面があることを伏せて伝えていたのだろうし、彼女はエルダーが突然倒れて休養に入った、ということを信じている。
あの状況を見ていたロムやフェーネからは、他の者に正しく伝わっているはずだ。エルダーが兵に手を出したあげく、心像の使いすぎで死にかけた、と。
くるりと回り終えたエルダーは、ローブをぎゅっと抱きしめた。
さあ、オーディルーを出るチャンスだ。
「入るぞ」
よく知った声に、エルダーはゆっくりと頭を下げて待った。入ってきたバンザが、頭を下げているエルダーに向かって声をかける。
「……準備はできたようだな」
「ええ。お迎えありがとうございます」
「それで行くのか」
「これが治癒士の正装ですので」
エルダーは頭を上げる。
きっちりと前を閉じたローブに、深く被ったフード。顔を見せないし、相手の顔も見ないと主張するためのそれに、エルダーは指で触れる。
「これであなた方も少しは安心なさるでしょう? 手枷はどうなさりますか? 足枷だけになさいます?」
「どちらも必要ない」
「まあ」
エルダーはくすくすと笑う。
バンザの足下が身じろぐ様子だけが見えた。
「行くぞ」
はい、と静かに返事をして、エルダーはバンザの後に続いた。
湿った狭い石段を登り、狭い通路に出た後はいくつもの分岐を選択し、曲がる。ぐるぐると同じ場所を歩かされているような奇妙な心地になりながら出たのは、小さな部屋の中だった。
そこに、着飾った兵が数人。
エルダーが出てくると緊張が走り、そしてその姿を見て不気味そうに身を引いた。
グレフィリアでは聖なる者の象徴の姿だというのに、顔を隠したこの姿は、オーディルーでは奇異に見えるらしい。それでも、顔を見ないと何もできないと知っているのか、どこか安堵したようにそれぞれの足下が動いた。
エルダーの前には変わらずバンザが歩き、エルダーを囲むように兵が連れ立つ。
誰ともすれ違わずに広く長い廊下を歩かされたその先に、仰々しい美しい装飾の細い扉があった。
「俺たちは向こうの部屋で待つ」
バンザが少し離れた扉を示す。
控えの部屋らしい。
イトセの手紙によれば、そこに全員が揃っているはずだ。
「一緒に来て下さらないの?」
「人払いを厳命されてるからな。一人で行ってもらう――失礼のないように」
いくつもの足音が離れていき、清廉な廊下がしんと静まる。
そっと扉に触れると、扉はエルダーを招くように軽々と開いた。
眩しい。
エルダーの足下が煌々と日の光で輝いている。
フードを被っていなければ、目がくらんで立っていられなかっただろう。
「入れ」
聞き覚えのある声がした方向に、エルダーは丁寧に頭を下げた。
「ソト様……その節は助けていただき、ありがとうございました」
「私の意志ではない。こちらへ」
灰色の布をまとった呪与士が、盾になるようにエルダーの前を歩く。彼女がすっと屈んだ。エルダーもそれに続く。
「陛下、連れて参りました」
「ありがとう、ソト」
エルダーは伏せたまま、その柔和な声に耳を傾ける。
ここが玉座でなければ、その声の主が女王陛下だとは思わなかっただろう。
威厳よりも穏やかで、抑圧よりも包容力があり、荘厳と言うよりも慈愛に溢れている。
「ソト、離れていてくれるかしら」
「……申し訳ありませんが、それはできかねます、陛下」
「嫌だわ。あなたにいてほしくないのよ。困ったわね」
「それでもお側におります」
「では、なにもしないと約束してくれるかしら」
「……」
「聞き分けてくれてありがとう」
ふふ、と穏やかに笑ったその声に、ソトはゆっくりと立ち上がり、その声の元へと向かった。
「――お待たせしたわね。グレフィリアの治癒士、エルダー。さあ、顔を上げて」
優しさで包むような声に導かれるように顔を上げると、眩しい光のせいか、椅子のシルエットしか見えなかった。
「そこからでは眩しいでしょう。近くにいらっしゃい」
「……失礼します、女王陛下」
エルダーは立ち上がると、玉座のある階段の前で再び膝を折ろうとした。が、止められる。
「気にしないで、もっとこちらへ」
「ですが」
「私、年だから声を張るのは疲れるの。近くでお話ししましょう」
エルダーはちらりとソトを伺おうとしたが、玉座の斜め後ろに控えるようにいる灰色の足下しか見えない。
「大丈夫。お前を傷つけたりしないわ。話したいだけなのよ」
本心であるとわかるのは、どうしてだろう。
エルダーは逆らいがたい引力のようなものに引き寄せられるように階段を上がり、玉座の目の前に立った。
フードを取る。
はらりとこぼれた短い銀の髪を、女王陛下と呼ばれる老女は慈しむように見上げた。
皺の刻まれた顔に、垂れた目元。
フツリによく似た面差し。
けれど、その瞳は自信に満ち溢れた聡い「王」の瞳だった。




