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「――フツリ様は、何もするな、と」
カイが呟く。
エルダーは黙って続きを促した。バンザが止めないところを見ると、これもまたフツリの意向らしい。
カイは善良で、素直で、裏表がなく、何より「普通」の青年のように見える。
だからフツリに選ばれた。
アキレアを箱に詰めてグレフィリアに送った父親は、王弟であったというのに「死んだ」というが、アキレアの兄たちは無事なのだから、どちらもフツリが動いたのは間違いない。
彼女の庇護下に入った「王子」は、今やただのフツリの兵となったのだろう。
「治癒士が兵舎に来ていることを伝えたら、何もせずにただ静観していてほしい、と。その通りにしようと思ったけど――最初にロムを治癒したあたりからどんどん周りが影響されていような気がして怖くなった。それで」
「私の側に常にいたのね。自主的に」
カイは力なく頷く。
彼が元「王子」だったなど、この雰囲気では嘘のように感じる。けれど、身に染み着いた警戒心や、カンは失っていないらしい。そして、上の者に対する絶対的な忠誠心も。
カイは自主的にエルダーを見張っているつもりだったようだが、間違いなくフツリが仕向けている。
「――ほら、俺はあの人に黙ってるって言ったろ」
バンザがにやりと笑う。
ここで何度も「約束を破ったんでしょう」と責めたのは心外だったらしい。
「俺は可愛い子との約束は絶対に破らないって。本当本当」
「その適当さがあなたのよくわからないところね」
「酷いな。俺、叱られたんだぞ。しかもグレフィリア行きの馬車の中で」
「あらまあ、可哀想に、逃げ場のない中で大変でしたわね。お慰めしましょうか?」
「ありがたい申し出だが、怖いからやめておくよ」
バンザは早々に会話を切り上げて、皮肉な笑みを浮かべて口を閉ざした。
エルダーは目を合わせようとしないカイに向き合う。
バンザが連れてきたという事は、見るに耐えない状態ではないと思うのだが、カイはエルダーを見ようとしない。
「全て報告していたの?」
「……グレフィリアに向かうまでのことは」
「そう。では、あなたを治癒したことも言っていたのね。それでも、何もするなと仰っていたの?」
「うん」
「本当に?」
「嘘はつかない!」
バッと顔を上げたカイは、やはりエルダーを見て動揺した。ようやく気づく。
「ああ……髪を気にしているのね。罪人みたい?」
エルダーが言うと、カイは肩を強ばらせた。彼の目には処刑前の罪人に見えるらしい。これに近い姿を見たことがあるのだろう。父親かもしれない。
「そういえば、あなた、私を庇ってくれたわね。どうして?」
監視をしていたつもりならば、ゼラを前にして「エルダーは何も悪くない」とは言えないはずだ。嘘をつかないのなら。
カイは言い淀んだが、穏やかに黙って待つエルダーをちらりとみると、口を開いた。
「最初に治癒をする姿を見たときに、なんて綺麗なんだろうって思ったし、同じくらい怖かった。フツリ様は過度な心配はいらないと言っていたけど」
「あら、そうなの?」
「……うん、人を害する娘ではないって」
フツリは正しい。エルダーは笑う。確かに、人を自分の為に害することはないし、そう言っておけばカイは安心しただろう。あの人は本当に人を使うのがうまい。
「ただ、手段を選ばないところがあるから、無用な刺激をするな、とも言われてた。とにかくエルダーの好きにさせろ、と」
「寛大ね」
「それだけじゃないよ」
嫌味が伝わらなくて残念だが、カイは真剣だった。
「それから……もし誰かに害されそうなときは、どうか守ってやってほしい、と頼まれてたんだ――誰にも害されないことを祈るしかないって、心配そうに言ってた」
エルダーはカイの顔をまじまじと見る。
守る?
何を言っているのかと思ったが、カイは本気で言っていた。
「あの人に会ったときに、わかった。フツリ様が言っていたのは、彼なんだって。エルダーはあの人を怒らせたんだろ?」
「……ええ、そうね」
エルダーは優しく頷く。
なんて恐ろしく素直なのだろう。
カイとフツリの間でどんな話が広がったのかはわからないが、フツリはゼラからエルダーを守れ、とカイに植え付けていたらしい。
エルダーの命を守れ、と。
「エルダー、ごめん。まさか、治癒士にとって癒すことが倒れるほど負担になるとは思っていなかった、本当にごめん」
真摯に謝るカイに、エルダーはにっこりと笑って「なぜ謝るの?」と聞き返す。
「私は私で好きで動いていたし、あなたはフツリ様の言いつけ通りにしていたのなら、謝ることは何もないわ」
「でも――でも、もう少し早く止めるべきだったし、そうすれば……牢、にも、いなくてすんだ」
「ふふ、優しいのね。でも、無理よ。あなたにには止められない。フツリ様にもそう言われてるでしょうけど……フツリ様は私がこうなっていることには何か仰ってた?」
「いや、何も……ただ、じっと考え込んでいらっしゃるようだった」
「そう」
「――カイ、エルダーが元気なことはわかっただろう。お前は先に出て兵舎に戻っていろ」
バンザに言われると、カイは弾かれたように立ち上がった。そうしてエルダーにもう一度「ごめん」と言い、部屋を出る。
鍵のかかっていない扉を眺めてから、バンザを見た。
「酷いわ、バンザ様」
エルダーはかごに手を伸ばし、レモンケーキを一つ手にする。
「もう少し、カイとお喋りをしたかったのに」
「あれ以上は駄目だ。本当になめらかに話を聞き出すんだなあ、君は」
バンザはエルダーをじっとりと見ていた。
どうやら、カイはエルダーの反応を見るための生け贄だったらしい。




