100:穏やかな牢獄
「暇なもんか。俺は忙しいのよ?」
そう言いながらも、バンザは席に着く。
彼はエルダーの食事が終わるまで、こうして目の前に座っているのだ。エルダーとお喋りに興じてくれる。
あれから七ヶ月。
エルダーが目を覚ましたのは、倒れてから三ヶ月後のことだった。それだけの月日が経っていると聞かされたときには「まさか」と思ったが、身体がぴくりとも動かないほどに衰弱しているのを感じて納得した。そこからさらに三ヶ月、呪与士が交互にエルダーの様子を見ては呪いを施し、ようやく一ヶ月前にそれも必要なくなり、晴れてこうして牢に閉じこめられる運びとなった。
「痛みはどうだ?」
「平気。全て綺麗に呪ってくれたのね。あの人たち、仮面をしているのは残念だったけど……ソト様はお元気にしているの?」
意識が戻ってからソトは一度も見ていないが、他の呪与士の言うことには、彼女が最初の一日で「持ちこたえる」ことができるところまでエルダーを助けてくれたことは聞けた。というか、代わる代わる来る彼らが毎度のごとく「ソト様に感謝を」と言って出て行くのだ。
バンザは笑う。
「お元気だよ」
「ならよかった」
「……エルダー」
「なに?」
「治癒の力は使おうとしなかったのか」
不思議そうに聞かれ、エルダーは何を言っているのかと軽く首を傾げた。
「いや、髪を気にしていないだろ」
「ああ」
呪いに邪魔だったという理由でばっさり切られた髪を触る。肩につかないほどに短くされたので寝癖が酷い。寝たきりの人間が腰まで髪があったら邪魔なのは仕方ないだろう。
「使おうとしてないわ。短いと楽よ。髪なんていつでも戻せるし――大体、大人しくしているようにここに閉じこめられていると思っているのだけど?」
「使ってみな」
「今?」
エルダーが本気かと聞き返すと、バンザはにやりと笑った。仕方なく、パンを皿に置いて目を伏せて「使える」状態にしようとゆっくりと息を吸い込んだ。
「!」
――使えない。
七ヶ月ぶりだからではない。
自分の中にあったものがまるで空っぽになったように、使うための準備すらする事ができない状態になっていた。
「どうして……」
「ここは使えないんだと。だから君はここにいる。こんなところで悪いな」
「どうして使えないの?」
疑問を投げかけると、バンザは何故か面食らった顔でエルダーを見て呟いた。
「君は――治癒士でいないときはずいぶん純粋な子なんだな」
何を言っているのか、と思ったが、真剣に言っているので「しばらく使っていないせいかしら」と嫌味で返すと、バンザは目を細めて笑った。
「彼らから離れているからじゃないか?」
「どういう意味かしら」
見上げるように睨むと、バンザは真面目な顔でテーブルの上で腕を組む。
「そのままの意味だよ。彼らの側にいるのは、君にとって相当気を張るような状態なんだろう。常に戦闘準備をしているようなものだ。本当の君はこっちじゃないか?」
本当。
本当とはなんだろう。
エルダーは考えてみようとしたが、自分の輪郭がぼやけてよくわからない。けれど、今バンザがエルダーと誰を重ねているのはよくわかった。
腹立たしい。
ロムと同じように、イトセと似通う部分があるとでも言いたいのだろうか。
「……まあ。ふふ、騙されているわね、バンザ様。私があなた方の不在中に何をしたのかお忘れ?」
「覚えてるさ。後始末が大変だったんだぞ」
バンザはようやく言えると言わんばかりに、大きなため息とともに苦情を吐き出した。
「君があいつらに治癒とやらをしてやったせいで、しばらくは怪我が絶えなくてな。七ヶ月経ってようやく落ち着いたんだ。小さな怪我でも、治癒してもらおうと考えることをたった一週間で植え付けた君は凄いとしか言いようがない。あいつらには相応の警戒心があったはずなのになあ?」
「あら……もう元に戻ってしまったの」
「戻したさ。そりゃあもう大変だった。どうして国のために働いている自分たちは戦地でなければ治癒してもらえないのか、と言い出す奴もいたぞ。呪与士を兵舎にも置いてくれてもいいんじゃないか、だと。そもそも兵舎では怪我などしなかったって言うのに。たった一週間だぞ? どうにか矯正した」
「ふふ。何をしたのかしら」
「別に、普通のことだよ」
「大変でしたわね」
「君のせいでな――何がしたかった」
「鬱憤晴らしを」
エルダーはにこりと笑うと、穏やかに続けた。
「王女様と殿下が近づいていくのに耐えきれなかったの。彼女が来た途端、誰も彼もが彼女を優先する。だって彼女は素晴らしいものね。わかるわ、とても可愛い人。ねえ――ご存じかしら、殿下は自分のものが大人しくしていないのがお嫌いよ。だから好き勝手にして苛つかせようと思ったの。怒りだけにも貰えたら嬉しいでしょう?」
バンザはエルダーの中に偽りがないか探ろうとしたようだが、あっさりと諦めた。
「成功したか?」
「ええ」
「アキレアから聞いた。死んでも良いと口走っていた、と」
「そうね。それも最大の嫌がらせだから」
違う。とても幸せだったから、そこで閉じてもいいと思っただけだ。
「……今は?」
「生きているもの。何も思わない。他の誰かを寄越してくれたら、別の話ができるかもしれないけれど?」
「考えておこう」
「そう言ってもう一ヶ月よ」
「俺では不満か?」
「いいえ?」
「愛しの殿下がどうしているのか、君は一度も聞いてこないな」
今まで黙っていておいて、今更聞くのか。
エルダーはゆったりとした動作で首を傾げた。
バンザはその反応だけで満足したらしく、席を立つ。
「よし、食べたな。ではまた昼に」
「楽しみで楽しみで待ちきれないわね」
「誰かに、何か伝言は?」
毎回聞かれる台詞に、毎回同じ返事をする。
「ないわ」
困ったような笑みを浮かべて、バンザは牢を出た。
重々しい鍵をいくつかかけて、最後にノックをしてからどこかへ行くバンザの足音に耳を澄ませる。数秒して、不自然なほどぱたりと聞こえなくなった。
結局、どうしてここで心像が使えないのかは答えてもらえなかった。
「食えない人ね」
エルダーは一人、ふんふんと鼻歌を歌いながら小さな窓を見上げるのだった。




