王子様系女子に他人のラブレターを預けたら勘違いされた
「はい回収しますね。放課後職員室に取りに来てください」
「ちっ。今朝買ったばかりなのに……」
受験を控えた三年生の先輩が、学生鞄から数冊の漫画を抜き出して、僕に預ける。
苦々しい顔をされても気にしてはいけない。
僕――古賀虎次郎は受け取った漫画を透明の袋で包んでから、青い籠の隅っこに置いた。
「はい次の人お願いします」
気持ちいい秋晴れの朝、やや肌寒い風と陽気な日光がぶつかり合う爽やかな空気の中で、校門は渋滞が起こっていた。
石造りの垣根の奥に、男女に分かれた行列が見える。
そのうち、男子の列は僕がいる方に続いている。
みんなあまりいい表情をしていない。
並ぶ理由が抜き打ちの所持品検査だからだ。
僕の高校では不定期に風紀委員主導による鞄のチェックが行われている。
男女それぞれに担当がついて、違反物や危ないものがあれば即没収。放課後まで職員室に隔離しておく。
僕は風紀委員として鞄をチェックする側で立っている。治安の悪い学校じゃないので、危ないものは出てこないけれど、不意打ちだからか細々と引っかかる生徒は少なくなかった。
「……」
「抵抗したら長引くよ」
次にやってきたのは同級生。何やら渋っているけれど、顔見知りでも容赦はしない。
やがて諦めたのか、それとも後ろからの「早くしろよ」という視線に屈したのか、彼は鞄のチャックを引くと、名残惜しそうにトイプードルを持ち上げた。
……子犬?
「ちくしょう、抜き打ちとは予想外だった」
「いや僕も予想外だよ。ばれなかったら犬連れてくるの? なんで?」
「今朝買ったばかりなのに!」
「それで全部片付くと思うなよ! 行きがけにペットを買うな!」
検査がなかったとして一日中鞄の中に入れておくつもりだったんだろうか。
「まあいいや没収、いやでもリードもないのにどう留めたらいいんだこれ」
「私が預かっておこう。女子の手は足りているからね」
悩んでいると、横から凛とした声が挟まった。
背の高いセミロングの女子が、僕の懐から子犬を抱き上げてにこりとした。
「龍湖さん」
「なかなかかわいい子だね。持ってくるのはともかく、飼いたい気持ちはわかるよ」
龍湖晴香さん。
僕と同じ風紀委員でクラスメイトでもある。
長いまつげに切れ長の目と、ぴんと張る整った鼻立ち、肩にかかる濡れ羽色の髪。身長は男の僕より優れて、一七五センチくらいある。大きな胸が制服を膨らませ、スカートから伸びる足はエネルギッシュに引き締まっている。
そこに朗らかな笑顔が加わって、男女ともに、特に同性から人気の高い王子様系の女子だ。
運動も得意なら勉強も得意、先生の覚えもいい優等生中の優等生。
今日の所持品検査の女子担当でもある。
「ありがとう。そっちはスムーズみたいだね」
「そうだね、自主的に開いてくれる子が多くて助かるよ」
女子の列に目をやると、男子と比べて列の消化がずっと早い。
龍湖さんの人徳のおかげで、快く検査に協力する人ばかりらしい。
ただし、人混みはむしろ男子よりひどい。龍湖さんを眺めたがる女子がたくさんいるせいだ。
「ぁひぃっ……晴香様今日もかっこいい……」
「来年の委員長に決まったんだってね。まー当然だけど」
「あっ、こっち見てくれた! 貢納した甲斐があったわ!」
アイドルかな?
というか違反物預けるのを貢納って……龍湖さんのために持ってきたの?
「ケージの代わりになるものが職員室にあればいいけど、段ボールでも平気かな? おっと、よしよし、急に明るいところに出してごめんよ」
没収したトイプードルは龍湖さんの胸で軽く暴れている。
逃げるほどじゃないけれど、前脚が彼女のおっぱいを何度も押して小刻みに揺らしているのが目に入ってしまった。
タプタプタプタプ、分厚い制服越しでもわかるくらい弾んでいる。
うおっ、ほんとスタイルいいなあ……。
「ほら古賀君、ぼーっとしていないで、後がつかえているよ」
「あっはい申し訳ありません!」
「なんで敬語? 同じ委員会の仲じゃないか」
首をかしげる龍湖さん。をタプタプ揺らす犬。
羨ましいと一瞬でも思ったことに罪悪感が湧く。
落ち着け落ち着け、検査を片付けてしまえばこの犬畜生を彼女から剥がせる。深呼吸した僕は一層気合を入れて次の生徒に向き合った。
僕は龍湖さんに憧れて風紀委員に入った。
普段から男女分け隔てなく接してくれ、普通ならほとんど関わらないような僕にも優しく話かけてくれる性格に惚れ込んだんだ。
正直、もっと親密な関係になれないかという下心込みで近づいた。
あわよくば付き合っちゃったり、とも期待した。
結果のほどは、まあ顔を合わせる機会は増えたとはいえ、それ以上の進展はない。委員会の外でも中でも龍湖さんの態度は一緒だ。秋晴れくらいからっとしていて、湿り気がないんだ。
端的に言えば勘違い男なんだけど、後悔はしていない。風紀委員の活動も割かし性に合っている。
「いやあ、男子がいると頼りになるね。荷物運びが楽ちんさ」
没収品の籠を抱えながら、龍湖さんが委員会室の扉を開ける。
「いやいや、龍湖さんの方が重いの持ってたよね」
「同級生と言えども、風紀委員としては先輩だからね、後輩任せにはしないよ。ああ、男のプライドがあったかい? それは気が利かなくてすまない」
僕の難癖に、彼女はくすくす笑った。
それから六つの木箱を机に並べ、籠も置く。
「さあ分別しようか。今回はちょっと多めだね」
集めた違反品は職員室で保管する。けれども雑多に置いたままだと持ち主たちが回収しづらいので、学年ごとにまとめておくのも風紀委員の仕事だ。
持ち主の名前と学年はメモしてあるので、一つずつ確認しながら三つの箱に入れていく。男子用・女子用で合計六種類に整理される。
ちなみに問題の子犬は先生が用意してくれたリードに繋いだ。今は机の脚を柱代わりに結んでいる。
こいつの世話は職員室の先生に任せよう。幸い吠えたりはしない。
「見てくれ古賀君、タバコとライターだ」
「うわ、勇気あるなあ」
「見てくれ古賀君、大きなカメラだ」
「確か写真部みたいに許可取らないとダメなんだよね」
「見てくれ古賀君、ケーキだ。しかもホール丸ごと」
「何しに学校来てるの?」
「あ、私宛てらしい。感謝状が添えてある」
「貢納かよ!」
龍湖さんはたびたび自分の成果を僕に見せてくる。
獲物を持ってくる猫みたいだ。
「君の方は面白い奴はないのかい?」
「うーん、犬のインパクトが強すぎてなあ……」
掘り出し物目当てで検査したわけでもなし、没収した物に関してはそこまで興味がない。
それでもとりあえず探してみると、ふと一通の手紙が指に当たった。
「ん?」
拾ってみる。今時珍しい、きちんと封筒に入った手紙だ。
大きさは両手に収まるくらいだけど、中身は多そう。
ハートのシールで封をしているうえに「一人で読んでください」と表に綴ってあった。まさか、ラブレター?
なんだか古風だ。
没収品に含めた記憶がないけれど、間違って入っちゃったのか。
「そうだ、龍湖さ――いやごめん、何でもないや」
龍湖さんに見せようとして、途中で止まった。さすがに失礼かな。
学年が不明なので、ひとまず後回しにしておこう。
「目新しいのはないかな。終わらせちゃおう」
「そっか」
そこからは彼女も黙って作業していた。時間はあっという間に過ぎて、みるみるうちに籠の中は片付いていった。
整理は完了!
あとは職員室に運ぶだけだ。
「私がやるよ、古賀君は先に教室に戻ってくれ。往復すれば一人でもいける」
龍湖さんは男子三つぶんの木箱を重ねて持った。
「僕も手伝……」
と、後回しにしていたラブレターの存在を思い出した。
このまま持っておくわけにはいかないか。どこでもいいから突っ込んでしまえ。
「待って龍湖さん、これを!」
僕は彼女にラブレターを差し出した。
くるっと振り向いた彼女は、にわかに固まった。
切れ長の目をこれでもかと丸くして、桜色の唇が半開きになってしまった。
荷物を抱えたまま指をわななかせる。
「あれ、どうしたの」
不審がって尋ねても、なかなか反応がない。
「龍湖さん?」
「みなまで言うな!」
「うわあびっくりした!」
かと思えば、いきなり大声を出すものだからついのけぞった。
「わかっている。私も鈍くはない。君の気持ちは言わなくても伝わっているし、目を逸らすつもりはないよ」
「う、うん?」
「自惚れじゃないが私は人気がある方だ。告白だって君が初めてでもない」
「あの、ちょっと」
「だけどこのタイミングは予想していなかったよ。一旦これを置くとしようか、落としてしまっては申し訳が立たないからね」
龍湖さんは箱を机に戻してから、慎重に僕の手のラブレターを抜いた。
その顔は妙に赤らんでいる。
「君は真面目だね。文にしてくれた人は片手で足りるほどしかいないよ。それだけ本気、ってことでいいのかな」
没収品に本気も何もないような。
どうしたことだ、会話がずれている。
「そうか、君も私をそういうふうに見ていたのか。恋愛には関心を向けないタイプかとばかり……人は見かけによらないね」
やっぱりおかしい。恋愛なんて一度も話題にしていないのに。
忘れ物のラブレターを渡しただけでそんなに動揺する?
――あ、ラブレターを渡したのか僕。
考え直してみて、背筋が冷えた。
もしかして。
もしかして、僕の告白だと勘違いされてないか!?
「待つんだ龍湖さん! 誤解だ!」
慌てて訂正しようとすると。
「そんな言葉で自分の心を否定しちゃいけない! 恋は誰でもする資格があるし、清い交際なら風紀委員とて禁止はしない」
なぜか彼女に怒られてしまった。
違うんだよ、最高に不健全なんだよ! だってそれ他人のだもん!
「ぜひ読ませてもらってもいいかな!」
「ダメダメダメッ! 開けないで!」
せっかく封をしてあるのに、勝手に没収物をいじったら不祥事だ。
龍湖さんはすぐにぴんときたようで、大きく頷いた。
「恥ずかしいから後で呼んでくれってことだね、心得たよ!」
「察しがいいのに察しが悪い! 違うんだってば!」
ええい、彼女が照れてるせいで僕まで顔が熱くなってきた。
ラブレターを奪い返そうにも、読む気満々の彼女に胸ポケットに収められてしまった。
ただでさえ膨らんでいる上着がますます厚みを増す。
非常にまずい!
「きっかけを聞いてもいいかな。いつ頃から?」
「違うんだよ、それはそこにあったやつで、その」
「隣にいる人が大切な人ってことかい!?」
「すごい! 好意的に解釈してくれるのに僕を追い詰めてくる!」
龍湖さんの脳内ではもうすっかり僕の恋心が完成しているようだ。
あるっちゃあるけども! 一目ぼれしたけども!
「とにかく熟読してから返事をさせてもらうよ。すまないが放課後もう一度集まろう!」
彼女はなぜか箱を残して踵を返した。
逃がすか! 僕はとっさに彼女の二の腕を掴んだ。
「ひゃあ!」
意外とかわいい声を漏らして傾く龍湖さん。
握った腕の細さに驚いて頭の中が真っ白になりかけた。長袖だとわからないけどすごい華奢だ!
「じょ、情熱的だね!」
くそっ、強引だったか? 彼女はさらに照れてしまった。
舞い上がっている今の状態じゃ落ち着いて説明は無理かもしれない。細かいことはさておいて、まずはラブレターを回収することに狙いを絞った方がいい気がしてきた。
力づくで奪還しよう。あの胸ポケットから誰かの愛の結晶を!
「龍湖さん、一生のお願いだ。そこから動かないで、あと目をつぶって!」
いきなりおっぱいに手をやって変態だと思われたらいやだ。
「!」
龍湖さんは何かを決心したように頷いた。
「積極的なんだね。風紀委員として、そういう迫り方はどうかと思わないでもないが……君の勇気を無下にするのは忍びない。うん、恥をかかせたらかわいそうだ」
はい? と困惑していると、彼女は姿勢を正した。
制服の乱れを手早く直して、髪もちょっとかき分ける。
「私の背が高いからやりにくいかな。悪いけれど背伸びしてもらうよ」
くっとあごを引いて、唇はわずかに前へ。
そして長まつげの下に目を隠し、じっと僕を待った。
露になった耳たぶは茹でられたってくらい真っ赤だ。
鳥肌が立った。
キス待ちされてる―――!?
目をつぶれってそういうアレじゃないよ! 僕にそんな度胸ないよ!
というかオッケーなの!? 懐が深すぎるよ龍湖さん!
すれ違いにすれ違いが重なってとんでもないことになっちゃった。後が怖い……けど、チャンスだ。ラブレターを取ってしまおう。
「来てくれ、古賀君!」
「う、うん!」
石像のように動かない龍湖さんの胸元に、慎重に手を伸ばす。
そーっと、絶対に触れちゃいけない。胸ポケットだけつまんで一気に引く。
静かに、でも素早く、集中力が求められる。首尾よくラブレターの上の部分を捉えた。中指の腹と人差し指の爪で折らないように挟むと、覚悟を決めて抜く――。
「……?」
その瞬間、待ちわびたのか開眼した龍湖さんが僕の右手を見た。
おっぱいに向けられた僕の右手を。
「それはさすがに早いだろぉっ!」
「ぐへっ!」
瞬く間に沸騰した彼女によって僕は床に突き倒された。
その拍子に、持っていたラブレターが宙へ。
お互いの上を飛んだ封筒は、なんと机の椅子に繋いでいた子犬の口へダイブ。鋭い歯が膨らみを潰した。あろうことかそいつは、食えもしないのにぺろぺろ舐め始めた。
乾いた紙に染みができる。僕だけでなく龍湖さんも狼狽した。
「いけないよ、返すんだ。それは古賀君の大切な思いが詰まっているんだから! ああ、だいぶふやけてしまった。中身は無事だろうか……」
子犬から取り戻したそれを、彼女は急いで開いた。
中をつぶさに見る。
見る。
真実を知る。
呆然とする彼女を、頭を打って動けない僕は下から見守るしかなかった。
「恥ずかしい……穴があったら入りたい気分だ。おや、箱があるじゃないか」
「違反物にならないでよ。僕もごめん、最初から具体的に言っておけば」
「いや、私を傷つけまいとしてくれたんだろ? 古賀君が悔やむ必要はないさ。すべては私の早とちりが原因なんだからね」
誤解が解けたあと、僕も龍湖さんもしばらくうなだれていた。
秋晴れもなんのその、委員会室は暗いというかじめじめしている。
体は縮こまっているけど内心は悶えまくりだ。
分別が終わっていてよかった。このムードで仕事を続けるのはあまりにもつらい。犬畜生だけが平然としていてむかつく。
「では、あれは君のではないんだね」
「うん」
「つまり、君が私に恋をしているわけではないんだね」
どきりとした。
すぐには頷けない。半ば諦めているものの、憧れとは別のものはあるんだ。
思わず逃げの手を打った。
「そうだとしても、どうせ振られるから気まずいだけだよ」
「私がいつノーを突きつけたっけ」
龍湖さんが声のトーンを落とした。
「断るつもりならさっきみたいな事態にはなるまい」
「え」
「私も鈍くはない。君の気持ちは言わなくても伝わっているし、目を逸らすつもりはないよ」
笑顔が咲いた。
少し照れくさそうに、でも晴れやかに。
開いた口が塞がらない僕へ両手のひらを差し出す。
「私も君を気に入っているよ。君に迷惑をかけた悪い私を没収してもらいたいな!」