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転生ですか?…すみません ウチそういうの結構です   作者: ODN(オーディン)
第一章 
9/46

8.「起きたら知らない子がいました…え、こわ」

□□□□苦しい。


まどろみの中。正体不明の重圧が若槻鱗の身体を襲った。

不可視の膜と地面に挟まれて圧迫される感覚。真空パックに詰められた布団が想像される。

当然の如く、身体は動かない。

金縛りとも違う不自由さは運動回路に支障をきたした機械のよう。電源はついても何も出来ない。目蓋も開かない。呼吸をしているのが不思議に感じられるほど身体は衰弱を極めていた。

およそ明晰夢でも見ているように意識は明確。只々、力が出ない。しかして、その意識さえも徐々に削られるような感覚がある。

「脱力」という言葉が一番ふさわしいのだろうか。

固まりかけのセメントを思い浮かべる。外気と陽気に当てられ徐々に渇いていく灰色の泥。自由を失う泥と自身の身体を重ねる。この苦しみと共に肉体の意識すらも掻き消えてしまうのではないか、と泡のような危機感が浮かんでは苦痛を伴って弾けてゆく。

頭痛がする。吐き気が込み上げる。

神経が逆立つ。骨が軋む。

眼球が揺れる。脳が踊る。

呼吸も不安定で上手く息を吸えているのかも分からない。空っぽの空気が喉を通るだけで生きている心地が全くしない。

『夢ならば覚めてくれ』

願った鱗の両目に昔の記憶が映る。

小さいころ風呂場でやった〝潜水遊び〟の記憶だ。

湯船に(おけ)を浮かべ、鼻をつまみながら背から湯の中へと沈む。

鼓膜が水に浸され、淀んだ音だけが聴覚を埋め尽くす。

そうして目を開けば水面には照明の暖色が浮かぶ。それを太陽に見立ててしまえば、そこには疑似的な水世界が創造(そうぞう)される。

ただの入浴が特別なものへと変わる。特別な儀式(ぎしき)が始まる。

ドクン、ドクン、ドクン。高鳴る鼓動が世界を揺らす。

「海や川の生物たちもこんな風に自分の鼓動を聞いているのかな‥」と妄想を膨らませるうちに酸素不足で限界が迫る。

そこで桶の出番だ。

鼻から空気を吹き出しながら水面に浮かべた裏向きの桶を傾けないように水中へ引っ張り込み、桶の底を覗くように顔を近づける。ぷはっ、と水世界に限られた空気が供給される。水面から顔を出す魚みたく懸命に空気を吸い込み、湿った呼吸音が桶の中に反響する。そうして鼓動が僅かに平静を取り戻したところで再び大きく息を吸って水世界へと戻る。

それが繰り返されること精々3、4度。

桶の酸素が薄れ、息を吸っても肺が満たされなくなる。

吸えども満たされない空の空気。酸欠に身体は震え、鼓動は大きく高鳴る。

死が近づく。死に近づく。

失ったものへと近づいて、追いかけて…だけど届くことはない。

「———あたたかい」

泡沫の記憶が割れて見えない温もりが体を包む。

不思議と苦しみが和らいで圧迫感から解放されていく。悪い夢がほどけて再び鱗を深い眠りへと戻していく…。


                ○


「 ————、———。 」

何かが身体に触れた。

初めは指先でつつくように、次に服を引っ張るように。

それから緩く抱きしめるようになり、最後は密着して力の限り強く揺さぶる。力加減が分からない子供のような揺さぶり方…。

「 おきて! おきてよ! 」

ずっと昔。どこかで聞いたような声が耳に入り込む。

どういう状況で、どこの誰が発したものかは分からないが小うるさく身体を揺さぶる何かに奇妙な哀愁を抱いた。

「…だあれ?」

そして目覚めると胸の上に小さな少女がいた。

小さな手足に大きな頭。少しムチリとした肉質。頬なんかが特に魅力的で何の理由もなく触りたくなるようなモチモチの魅惑。

髪はども特有の(つや)があって天使の輪が陽の光を必要以上に反射している。

髪の長さは後ろ髪が肩にギリギリ掛かる程度でミディアムとショートの中間ぐらい。髪色は素の黒に赤を被せたような色で毛先がほんのりと黄色い。黒に赤に黄…薪と火を連想させるが、少女のそれは真っ赤な「火」というよりも容易く跳ね除けてしまえそうな「火の粉」のよう。年齢でいえば小学校入りたてといったところで、まだまだ危うさを秘めた幼さを残している。

「あたしはね~!」

「…あ、可愛い」

触りたい、撫でたい、でたいの三拍子が揃った魅の嬰児(えいじ)に活発な声が上乗せされたことで鱗の心の壁が容易く一掃される。つたない言葉遣いと元気な声には癒しの効果が含まれているのか。不思議と胸がソワソワしてしまう。

「ママのこどもだよ!」

「ハハハ…残念だったね、お嬢ちゃん。私は処女なんだ」

言ったそばから悲しくなる。それに言ったところで意味は分からないだろう。

‥処女受胎という概念があれば別だけれども。

「しょうじょう?」

「賞状じゃなくて処女ね」

処女で貰える賞状とはいかがなものか。高校時代最後の卒業式の場面を思い浮かべる。ゴム製の巨大マットと整列された大量のパイプ椅子。桜を模した花飾りと紅白の帯で彩られた体育館。舞台に掲げられた日の丸と格式の高そうな演説台。「——代表、若槻鱗」という具合に司会者に名前を呼ばれ、赤い絨毯が敷かれた花道を通って登壇する。演説台に立つ御偉い人に一礼したところで「表彰状——若槻鱗殿。貴殿は御年に至るまで不貞を働かず、自らの純潔を守り抜き…」などと口添えがあり、角が立った高級そうな紙が手渡される。…名誉も糞もない。

「とにかく私はママじゃないよ。私は若槻鱗」

「ワカチュキ…ウロロ?」「わ・か・つ・き う・ろ・こ」

「う~、ムズシイ‥」

(むずか)しい、か」

この子は見た目よりも更に幼いのかもしれない、と推察しながらも鱗の手は無意識に少女の方へと向かう。

「ママはママだよ」

「それは…ちょっと」

伸ばした手を掴み、プクリと頬を膨らませる少女を見つめる。

まつ毛の一本一本が濃く、毛髪と同じように毛先には赤と黄を帯びている。

潤いのある眼は瞳孔・虹彩に至る目の細部までよく見える。瞳孔の黒から薄い赤が奔った黄の虹彩。潤んだ黄金の瞳が涙でウルウルと揺れ始める。

―——やばい、泣くかも…。

身じろいだ鱗の心配を他所(よそ)に突然少女はニッパリと晴れるような笑顔を浮かべる。

「じゃ・あぁ~…「マ~ちゃん」でいいんじゃない?」

「マーちゃん?」

「うん!!」

お元気よく返事をする少女。

それから凄いことをやり遂げたと言わんばかりに鼻の下を指でスリスリしながら「えへへ」と少女は笑う。よっぽど言葉の響きが気に入ったのか「マ~ちゃん♪ マ~ちゃん♪」と身体を揺らしながら繰り返すと「かぁ~いいでしょう?」なんて自慢気に言うものだから鱗は返す言葉に迷ってしまう。

「それで・・・良いです」

鼻血が出そうになるほどの可愛さにもだえながら少女の頭を撫でる。

きゃっきゃっ、と嬉しそうに笑う少女に和みながらも撫で尽くした鱗は少女の頭から手を放そうとする。

それに対して「ん~ん!」と少女が不満そうな声を上げると頭から離れそうになる鱗の手を黒電話をとるように自分の頬へと持っていき、頬ずりをし始めるのであった。

「可愛いかよ…」

そこで再び鱗のまぶたが重くなり始める。

少女と密着しているからか異様に身体がポカポカしており、朝の涼しげな風も相まって心地よく二度寝できそうな気分であった。

「あ、まって! まだねむらないで! マ~ちゃん!」

右頬に当てていた鱗の手を要らない玩具みたく雑に放って少女は鱗の頬に両手をあてる。

「まだぁ、何かぁるのぉ?」

フガフガと籠った声で尋ねると少女は少しだけ顔を近づけて目を伏せる。それから何かを言い淀むように、迷うように、言葉を探すように身体をモジモジさせ始めると、

「・・・ねぇ、マ~ちゃん」

活発な声から一変。少女から乙女を帯びた声音が発せられる。

囁き声に似た音の籠り具合に少しだけ色っぽさを感じて鱗は身体をビクつかせる。

次の言葉を定めた少女は息を吸い込み、予想不可能な少女を前に鱗は息を止める。

風に揺れる木の葉も、山から流れゆく小川も、小鳥の鳴き声も何も聞こえない。

鱗の全意識が少女の小さな口から発せられる言葉に吸い込まれていく。

「『ふぅ~』って、して?」

「・・・ハイ?」

気の抜けた声を上げる鱗。ニコニコと屈託のない笑みを浮かべる少女。

「二」の世界で苦難の一日目を乗り越えた翌日。

二日目から早々に始まったのは〝若槻鱗の娘〟を名乗る謎の少女との出会いであった。

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