59.「嫌うことは悪いことですか?」
「なぜマスターはアレを生んだのですか?」
睡眠に勝る食欲に従い、マナの補給も兼ねて昼食時に作ったミュート肉の燻製を貪っていると神妙な面持ちのイブキが尋ねてきた。
「それは…」
必死だったから、と答える他ない。当時は「かえる」力のことを何も知らず無我夢中で火を起こした。偶然アキが生まれたのであって鱗の意思でアキを生んだというわけではない。
「—――なるほど。自身の力に気づかぬまま…意図せず生んでしまったというわけですね。」
「かえる」力のついでに鱗の出身や旅の目的についてもイブキには共有しておくことにした。これから一緒に旅をするわけだから隠し事をする必要はない。それに彼女の立場であれば正直に話すことで何かが分かるかもしれない…と、そんな淡い期待もあった。
「二つの世界。真実の神。そして「かえる」力…吐息一つでマナに器を与える力は母にもありません。…たしかに天地の神々に危険視される理由はありますね」
知識を深め、魔術を磨き、誰かに話すほど異質さを増す「かえる」力。望んだのは若槻鱗自身だけど、この力を与えた真実の神の意図が分からなくなってくる。…いや、そもそも彼の英国力士に「意図」などあったのか。自分の世界を広げたいがために鱗を「二」の世界に送り込んだ男だ。その先のことを考え、見据えるような紳士とは到底思えない。
「それでも、なぜか天の大神にはマナを貸して貰えるんだけどね」
龍を恐れるからこそアキへの信頼を持たぬ天の大神が、「かえる」力を持つ若槻鱗にはマナを貸し与える。…今にして思えば不思議な形式だが、地の大神との縁を持つアキに間接的にマナを与えられる鱗に僅かな可能性を与えたのか。はたまたアキの起源が薪を燃やした「火」だからこそ与えられた細やかな温情というべきか。…現状は上手いように解釈する他ない。
「‥‥母様は気まぐれですから」
やがて陽が完全に縮み、山から吹き下ろす寒風に身を震わせ始めた頃。眠ったアキを抱いたアダルティーが帰ってきた。
「アダルティーさん。すみませんでした。私のせいで…」
「大丈夫よ。いっぱいお話して疲れちゃっただけだから…でも、言葉には気を付けなさいね。ウロコ」
少し赤らんだアキの目蓋を見て、鱗は親指の爪を人差し指に強く押し込む。痛みと共に自身の愚かな行動を忘れぬように。
「ご飯は済ませたようだし…少しお話をしましょうか」
夜に溶けいるような静かな声。「今は悔やむ時ではない」と諭されている気がして鱗は即座に気持ちを切り替えて、力強く頷く。
「先輩…イブキもそれで良いかしら」
「ええ、構いませんよ。エルフの子、アダルティー」
アキを寝かせてたアダルティーが火を起こすと一同は焚き火を囲んで向かい合う。イブキは「風」の性質ゆえか火から少し離れた場所に正座していた。
「イブキ。あなたは天の母様の御使いなの?」
「いえ、私がアレを襲ったのは私の意志によるもの。私の行動に母は関与していません」
地の大神の意志によって送り込まれた地龍のように既に彼女が天の大神によって仕向けられたものであったら、人の姿になったことで更なる御使いが送り込まれることをアダルティーは危惧したのだろう。
「いつからイブキは私たちを、アキを見ていたの?」
「‥‥すみません、マスター。実は一度大きなマナを浴びたせいか当時の記憶が混濁してまして…」
「大きなマナ?」
「はい。世界を揺るがすマナの波動、と言いますか…」
「ウロコの到来、でしょうね。私が感じたものと同じだと思うわ」
世界の異変。「一」の世界から「二」の世界へと降り立った際に生じた波。
実体を持たない「風」の記憶を混濁させるほどとは、一体どれほどの衝撃だったのだろうか。
「(そういえば先生は何も言わなかったな…)」
…あの時、鱗から最も近くにいたはずのベルマーは世界の異変については何も言及しなかった。世界に落ちた一滴から奔った波紋。あまりに距離が近くて雫の中にベルマーも入ってしまったのか。…真相は再び師と会わなければ分からない。
「——とにかく私が覚えているのは洞窟から出てきたマスターを見た時です」
「ガラティアの洞窟からの帰り道ね」
洞窟からの帰り道、ということは彼女は「血の化身」については何も知らないのだろうか。
龍の亡骸を取り込んだことで目醒めた龍の怨念の集積——血の大神。
天地両大神への恨みに満ちた存在であり、地の大神の力を奪って血の化身という怪物を生む存在。
地底湖で出会った怪物と冒険者集会所・所長コウウラから伝え聞いた血の大神について話すと、彼女は暫く地面を見つめ、それから僅かに眉を釣り上げた。
「言われなければ気づかない、といった所でしょうか。土地にもよると思いますが何かが紛れているような感覚は僅かに…」
そこで言葉が途切れると、イブキは眠っているアキへと視線を移すと「アレの方が分かるかもしれませんが…」と苦いものを噛んだような顔をして小言を漏らす。
「アレじゃなくて「アキ」って名前で呼んであげてほしい。イブキが嫌う理由も分かるけど…イブキが誰かに「アレ」とか言われたら私は怒るよ」
少し子ども染みた言い方をしてしまったか、と内心焦りながら焚き火に視線を移すと僅かに地面を擦る音が聞こえた。
鱗の力で肉体を得たとはいえ本来イブキは天の大神に属するもの。これまでは妙な親近感から砕けた言葉で話していたが今ので我慢の限界が来てしまったか…。
「ごめんなさ…」恐る恐る視線を向けると、どうしたことか彼女は先程と同じく正座したままだった。しかし、よく目を凝らせば地面が僅かに擦れており、こちらに近づいたようにも感じられるが…単に座る位置を変えただけだったようだ。
「ぷっ…」
全容を見ていたであろうアダルティーが小さく噴き出し、ムッと頬を膨らませて睨むと「あら、ごめんなさいね」と何故かイブキに向かって謝っていた。
「そんなに「嫌い」なら寧ろ貴方が納得するまで見ていたら良いんじゃないかしら。アキちゃんも貴方には思うところがあるようだし…」
そういって悪戯顔で眠ったアキの頬を指でなぞると途端にアダルティーは柔らかな表情となって慈しむようにアキを見つめる。
陽が縮むまでの間に二人が何を話したのかは分からない。ただアキを見つめる彼女の眼が我が子を見守るような愛おしさを帯びているのは確かだった。
「無理に好きになれとは言わないよ。好き嫌いは誰にだってあるから、それは生まれ持った貴方の大事な個性だから、それを曲げて欲しいなんていわない。…ただ、それでも「知ろう」という興味だけは持っていてほしい。魔法としての「火」ではなく「アキ」という一人の女の子を、さ」
「努力、シテミマス」
カタコト言葉で承諾するイブキを笑いながら不意に空を見上げると夜空に輝く星が一つ。いつもはか細く光る白い点々が今夜は一際輝いているようにも見えた。




