58.「テキ」
「—――なんで?そんなのおかしいよ!」
雪崩を免れた小さな林へと移動し、眠り続けるアキに急いでマナ供給を終えた後のこと。イブキと共に旅をすることになった件を伝えると、ツンとした目つきでアキはイブキを一瞥し、混乱した様子で鱗に訴えた。
「待って!アキ…話を…聞いて…」
揺らいだアキの目。伝え方を誤ったと後悔しても既に遅く、混乱したアキは林の奥へと駆け出していた。鱗も後を追いかけようとするが起き抜けにマナ供給をしたせいで身体が思うように動かず転倒しかけてしまう。
「マスター…!」
咄嗟にイブキが手を貸してくれたが今回は其れが悪い方に傾いたようで「ありがとう」と彼女を見上げて礼を述べる姿をアキに見られてしまっていた。「ごめん」とも「違う」とも言えない言葉が漏れ出して、それがモニャモニャとした曖昧な言い訳にも聞こえ見えて…アキは泣き出しそうな目をして林の奥へと消えた。
「間が悪い」なんて簡単に言えるけれど、ただそれ以上にアキは鱗を見ていることに気づくべきだったと猛省する。
「バカか…私は」
もう豆粒ほどに小さくなり始めた陽を見上げながら若槻鱗は溜め息とも付かないままならぬ吐息を空へと吹き出す。自分の頬を叩く力も出ないことに小さな苛立ちさえ抱いた…。
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「アキちゃんは私に任せて。ウロコは休んでいなさい。…お願いするわよ」
ウロコを「風」—――イブキに任せてアキを探しに向かう。…アキちゃんからすればウロコ本人に見つけて貰いたいのだろうけど、あの状態のウロコを動かすわけにもいかない。日中に目覚められたのが奇跡と呼べるほど今のワカツキウロコはマナが枯渇している。感情の抑圧が外れると無理をしてしまうのは母娘共通のものなのか。彼女らの不器用な親子関係が羨ましく思える。
「どこかしら」
魔力感知は使わない。今の彼女に必要なのは「時間」だろうから。焦らずに勘だけでアキを探す。幸いにも、ここはネルバ大森林から地続きに伸びただけの小さな林。見つからない、ということはないだろう。
「…〝そんなのおかしい〟…か」
似た状況。同じ言葉。否応なく自然と幼き日の出来事を思い返してしまう。状況が飲み込めずに走り出したアキを止められなかったのは彼女の姿が昔の自分に重なったせいか。ともかく、あの逃走がアキにとって「必要なこと」に思えてしまった。
「時間があるだけでも…良かったのかもしれないわね」
生死を、母を賭けて戦った相手が突然旅の同行者になるなど…今のアキの精神で受け止めきれるはずがない。
自らを燃やし尽くしてまで抗った相手を愛する母が認め、更には共に旅をすると言われたら…彼女にはどうすることもできないのだ。
「みいつけた」
木陰で泣きじゃくる小さな焔を見つけ、一歩離れた地面に両膝をつく。
箱に収まるような小山座り。組んだ細腕に面を伏せながら幼女アキは「アダるん…」と小さく私を呼んだ。
「マ~ちゃんは?」
「疲れて休んでるわ。あの子、目覚めてすぐ貴方にマナをあげたから…お隣、座ってもいいかしら」
黙って頷くアキに倣って小山座りで隣に座ると、アキは身を守るように腕を組み直した。僅かばかりの静寂が過ぎて何かお話をしようかと思案していると、不意にアキが顔を上げて力ない声で尋ねる。
「あたし…もういらない?」
いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ、そんなのいやだ。
心の内で強く反発しながらも吐き出された言葉。その黄金の瞳から大粒の涙が溢れた瞬間、私は彼女を抱き寄せていた。
「そんなこと…絶対にウロコの前で言わないで頂戴。きっと誰よりも悲しむはずだから。この世界で誰よりも貴方は彼女に愛されているのだから。そんなこと言っちゃダメ」
「うん…ゔん…ごめん」
かつてのウロコはマナ供給をするたびに動けなくなっていたと聞いた。マユーの実によって回復できたとしてもそうなったウロコを彼女は見続けてきた。…ずっと負い目を感じてきたのだろう。マナを送る度に疲弊する母を見て、純粋無垢に浸れるほど彼女は子どもではない。
「—――あたし マ~ちゃんにわらってほしかったの」
じっと抱きしめていると胸の内でアキが独り言のように告白する。
「あたしがいっぱいがんばって あたしがつよくなって あたしがいつかマ~ちゃんに『ふぅ~』してあげたかった —――あたしがマ~ちゃんを「げんき」にしたかったのに…」
吐き出された告白は再燃した嫉妬に阻まれて言葉を詰まらせる。
感情のまま吐き出せば楽だろうに彼女は自らの嫉妬を溜め込んで、抗っていた。
「げんきにしたい、か」
母からの自立が、母との平等が、母と共に生きることが「火」の少女が願ったもの。
…ただ単に彼女は母に与えられる存在になりたかったのだ。
「私もね。母には「げんき」でいて欲しかったの」
思わず少女のような口調になってしまい自分でも驚く。当時の感情のまま話し出してしまったせいだろう。
「私の母は未来を…明日を生きることを止めてしまったの。本当に大切な思い出を忘れてしまいたくなくて…母はずっと過去に生きている。お話しすることはできても…こうして触れ合うことはもうできない」
「アダるんよりも おもいでがたいせつだったの?」
「‥‥分からないわ。こわくて聞けなかったもの」
「じゃあ シンイキでママのところについたらさ。きいてみようよ」
「え」
「ひとりだとコワくても あたしもマ~ちゃんも、…いるよ」
嬉しさと意地でも「風」と言わない頑固さに思わず笑ってしまうと「なんでわらうの!」とアキは頬を膨らませた。
「アダるんは…テキと仲良くできる?」
そこでイブキのことを思い出したアキが憂いた表情で尋ねる。ウロコにベルマーと私と…これまでは好きな(自分で言うのも気恥ずかしいが)者と行動を共にするのが当たり前だったアキからすれば、これから先「嫌なもの」と行動を共にするのが思いやられるのだろう。
「そうねぇ、難しいけれど上手くやる事はできるわ」
「うまくやる?…おりょうりってこと?」
「ふふふ。そうかも…食べにくいもの、嫌いなものだって上手に料理すれば美味しく食べられるわ」
面白い表現だと笑いながら答えると少しだけアキの表情が和らぐ。
「…プンプンしててもニコニコしてないとダメ?」
「そんなことないわ。笑いたい時に笑って、怒りたい時に怒って、泣きたい時に泣く。そうやって吐き出せるときに心を発散させないと冷え固まって生きるのが退屈になっちゃうもの」
「でも、ときどきアダるんはモヤモヤしてるけどニコニコしてるよね」
「‥‥大人だからね」思わぬ指摘に意表を突かれ、一時言葉が詰まってしまう。
「ふ~ん。じゃあ、あたしはずっとこのままでいいや!」
「そうよ。貴方は強い子なのだから…そのまま頑張りなさい」




