57.「風と歩めば」
「龍の焔そのもの…?」
アダルティーと顔を合わせても彼女は首を横に振るだけ。試しに鱗も魔力感知でアキを視るが何もわからない。ただ一つ言えることは魔力感知に優れたアダルティーにも視えないものが「風」には見えているということ。これは「火」を嫌う「風」の性質によるものだろうか。
「それって、どんな風に見えているの?」
「そうですねぇ…本来「火」とは赤々と燃ゆるものですが、その中に異物が交じっているような感覚です。」
「かんかく…」疲弊した頭をフル回転させる。
「感覚」ということは彼女もアダルティー式の魔力感知が可能なのか。鱗が気を失っている間に彼女はアダルティーの衣服を真似て服を作り出した。それだけのことを容易くやってのけてしまうのかもしれない。
「色で言うと?」鱗の魔力感知ではマナの「色」を判別することしかできない。
自らのマナを世界に浸すことで世界に満ちるマナを視るアダルティー式の魔力感知。
その視界は閉じた目蓋の裏から始まり、自らのマナを知覚し世界に浸すと、視界は暗い水底を覗いたものへと変わる。
水底といっても別段怖くはない。慣れてしまえば果てしない星の海を眺めているような不思議な気分となってくる。
そうして眺めているうちに「赤」「緑」「蒼」と色が浮かぶことで初めてマナを感知できたといえる。
「薄紅と黒でしょうか」
「薄紅と…黒」
…その光景は今でも覚えている。
まだ師となる前の騎士ベルマーが水の防壁で二つに割いた地龍の焔。猛々しき薄紅と禍々しい黒の二つの焔。地龍の脅威に怯えることしかできなかった鱗は威風堂々たる騎士の後ろ姿を崇め、「火」の化身たるアキは焔の魅力に憑りつかれた。地龍の焔に触れたことで右手を焼かれたアキ。初めての「あつい」に苦しむアキを抱きしめるだけで何も出来なかった無力な自分の姿は今でも思い出せる…。
「あの地龍の焔だ」
アキを焼いた地龍の焔。「火」を焼く焔はアキを蝕んでいるようにも見えた。
結局、あの状況からアキがどうやって助かったのかを若槻鱗は知らない。ベルマーとの修行の日々で当時のことをアキに尋ねてみたこともあったが「しらない」と当人は全く覚えていない様子だった。
「アダルティーさん。龍の焔と「火」の魔法が混ざりあう、というのはありえますか?」
あの時に触れた地龍の焔がアキに混ざっているとしたら「風」の指摘にも説明がつく。
『 上手く隠しているようですが、あれは龍の息吹を宿した龍の焔そのもの… 』
「風」の視点から生きた「火」という未知数なアキに龍の焔の因子が紛れていたとあれば、その行動には納得できる。
龍の息吹とは世界に満ちる天地のマナを無条件に奪い、放出するもの。同じく天地のマナを扱う魔術の奇蹟も天地の大神との関係性を礎としたことで成り立つものだ。
魔術を習ったからこそ分かる龍族の異質さ。掟破りな龍族の強さに大神が恐れを抱くのも今ならよく分かる。
「—――ええ。十分にありえるわ」
御使いの地龍との戦いでアキの身に起きたことを詳細に伝えると、アダルティーは納得した様子で鱗の考えを肯定する。
傍で聞いていた「風」も不服そうな様子であったが「マスターが仰るのならば…」と鱗の言葉を信じてくれた。
「…ですが、アレが脅威であることは変わりません」
「うん。それは分かってる。だから貴方にお願いがあるの。」
この旅の最初の試練とも呼べる「風」との戦い。元より何の保証もない旅だけれど、この旅の目的は鱗の贖罪とアキの生存を大神に願うもの。この試練は旅の過酷さを再認識するものだったと言える。
「私に、私たちの旅について来てくれないかな」
この申し出が利己的で、我が儘で、卑怯だと追及されても否定はしない。その果てに若槻鱗が天の大神に見放されたとしても構いはしない。
「よろしいのですか…」「うん。貴方がいいの。」
…ただ彼女との出会いが「運命」だと思われた。
恩師ベルマー=ガルディアンとの出会いが「世界」を示し、アダルティーとの出会いが輝ける「未来」を指すならば。「風」との出会いはまさしく「運命」。何か大きなものを覆す〝可能性〟を抱かせるものだった。
「そして貴方の目で見極めてほしい。貴方の母にとってのアキが、私が…どういう存在なのかを」
蒼の瞳を見つめながら手を差し出すと「風」は震えるように鱗の手を取って、自らの頬に当てた。
「分かりました。マスター」
手のひらに触れた温もりと手の甲に触れる柔らかな白髪。
凛とした彼女が少女のように微笑む姿に不思議と鱗はアキの姿を重ねていた。
「貴方の名前を聞いてもいい?」
「いえ…私に決まった呼び名はありません。マスターに名付けて頂ければ…」
「そっか」経緯はどうあれ彼女も鱗の「かえる」力によって生まれ変わった存在。いつまでも「風」呼びでは少し可哀そうだ。
「風…天の吐息…」
世界歴伝「世界創生」において天の大神は我が子のために吐息と陽と雫を以て世界をマナで満たした。
天の吐息から生まれた「風」。「かえる」力によって生まれ変わった「風」。どちらも息が掛かっているのならば…。
「イブキ…って、どうかなぁ」
そう口にしたところで「龍の息吹」という単語を思い出し、内心「しまった」と後悔する。
龍の息吹を恐れたからこそ天はアキを嫌っているというのに、その忌むべき名を与えるというのは不敬極まりない。
「ごめん!やっぱり—――」言い改めようとしたところで鱗は彼女に抱きしめられていた。
「うれしい…嬉しいです。マスター」
耳元で静かに弾む声。「やっぱりやめた」などと言い出せる雰囲気ではなかったため「風」——イブキの思うまま鱗は彼女に抱かれることにした。
「いっか…」事態が穏便に収まったことで打ち払った疲労が睡魔の軍勢を引き連れて鱗に襲い掛かる。
『 祈りは届くものだよ、ワカツキ。誰だって生まれるときには産声を上げる。それを聞いた誰かが情を注いで生まれた命を育む。「生まれたい」と叫び願ったあの瞬間が今ここに君や俺を立たせている。声を上げて、願うことが生きるということなんだよ 』
眠りに落ちる間際、なぜだか初めて魔術を習ったときに聞いたベルマーの言葉を思い出す。
声を上げて、願うこと。それが生きるということ。
その言葉のおかげで若槻鱗は魔法を唱えられた。世界の広さを知って、より深く知りたいと思えた。
「先生。この世界で「生きる」って…大変なことなんですね」
夢うつつに呟くと「そうかもね」と照れくさそうに蟀谷を搔く麦わら帽子を被った青年の声が聞こえた気がした。




