56.「起きたら知らない淑女に攫われてました…え、なんで?」
「生まれ変わった気分」という言葉を聞いた。
あのときの事は不思議と覚えている。
あの高い山には度々捕まることがあり、そのとき偶然「人がいた」というのが珍しかったせいもあるのだろう。あれが本当に「人」だったのかと問われれば怪しいところだが、あの言葉だけは確かに本物だった。
「嗚呼。生まれ変わった気分だ—―――」
・・あの日、雪に立つ君は何を為したのか。
疑問を抱えたままワタシは山脈から押し出され、再び飽くなき世界へと流れていった。
高原を越え、荒れ地を通り過ぎ、森へと流れ込んで…それから運よく街へと流れ着くも此度は真夜中。街は寝静まり、誰の声も聞こえはしない。夜は退屈で嫌いだ。目蓋を閉じるだけで夜を越えれる者々が羨ましく思える。
〝 生まれ変わった気分 〟
夜闇の寂しさから再びあの言葉が浮かび上がる。あの言葉はワタシの何かを打ったのだろう。吹けば飛ぶような軽いワタシだけれど、打たれて響く何かをワタシは知らぬうちに抱いたのだ。
なんだろう。なんだろう。なんだろう。なんだろう…考えても答えは見つからない。
この答えが見つかったときにワタシは…否、ワタシも「生まれ変わった気分」になれるのかもしれない。
期待のある想像を浮かべて夜の寂しさを紛らわす。ようやく天の母が御姿を現す頃になると、ワタシは再び世界を渡る旅へと押し出される。ほんの僅か老婆らしき声が流れ聞こえ、ワタシは喜びと無念の両方を抱く。
…あと少し遅ければ、その暖かさに触れられたかもしれないのに。
そう願ったところで叶うことはない。早いも遅いも全ては天の母の溜め息一つ。何なら子どもが「ふぅ~」と吐いた息だけでもワタシの運命は左右されてしまうだろう。
運命、運命、運命‥‥「運命」という言葉を繰り返し思い浮かべる。その言葉を呟く者は大概が険しそうな顔をしていたけれど、今のワタシに顔があれば一体どんな表情になっているだろうか。巨大な木々の合間を通り抜けると細い川を通り過ぎる。…当然、水面には何も映らなかった。
〝 ワタシの旅は、いつ終わるのだろう 〟
延々と続く問いへの答えはない。世界がある限りワタシは在り続ける。帰る場所も母の温もりも得ぬままワタシは霧散して何も考えぬ空気と化すだろう。いっそのこと、そうなってしまった方が楽なのかもしれない。
終わりなき旅の意義。満たされぬ寂しさ。世界を渡るだけのワタシは、その日——運命の刻を迎えることとなる。
■
目が覚めると青空が広がっていた。深く息を吸って目覚めを促すと、マナ供給の疲労感が睡魔となって襲い掛かる。手足は宙ぶらりんになっていて力が入らない。アダルティーが介抱してくれているのか…頭を傾けると、そこには見たこともない淑女の顔があった。
「だ‥‥れ?」
尋ねると白く柔らかな長髪がフワリと揺れて、蒼の瞳がコチラを覗き込む。
きめ細やかな肌に凛とした目鼻立ち。キリリとした目は陽にかかる雲のように垂れ下がった目尻のまつ毛によって柔らかさが生まれ、瞳の蒼は空の純粋な青さだけを掬いとった宝石のようだった。
「目覚めたのですね。マスター」
安堵の笑みを零す美しき淑女。鱗の背と腿を抱える両腕に僅かな振動が伝わり、身を振るわせると気を引き締めるように淑女は凛とした表情へと戻る。
「目覚めて早々申し訳ないですが今は少し立て込んでおります。まだこの身体に慣れてないため時間が掛かりましたが、即刻あの忌まわしき焔を排除しますので暫く—―――」
「・・・今すぐ下ろして」
マスター、身体…気になる言葉がいくつかあったが、そんなことは今どうでもいい。
下を見て、ようやく鱗は現状を理解する。遠く離れた大地に刻まれた大きな亀裂の数々。雪崩に覆われていた地上の一部は元の大地が剥き出しとなり、大きな焦げ跡が刻まれていた。
「—――――ウロコ」
覚悟を決めたような目つきで上空の鱗を見上げるアダルティー。その懐にいた幼女姿のアキは顔も上げられないほどマナを消費してしまったのか。ぐったりとした様子で動く気配がない。
「ですが…!」「おろして」
何かを訴えかける蒼の瞳を見つめて命令すると「…わかりました」と彼女は渋々上空から地上へと降下し始める。
「ウロコ!」
アダルティーが駆け寄ってくる。目覚めた鱗と目が合うと僅かに表情を綻ばせて懐のアキへと何かを語りかけていた。
「アダルティーさん!アキは…!」
地上に降り立つと同時に彼女の腕から逃れるように雪原へと転がり落ち、急いでアダルティーの下へと駆け寄る。
「無事よ。身体のマナを一気に使ったから反動がきたのね。今は疲れて眠っているわ」
「そうか…よか、った…」
アキの安否を確認したところで身体の力が一気に抜けて、その場にへたり込んでしまう。
「それでね、ウロコ。…彼女のことだけれど」
「…そうでしたね」
ウロコとの再会を経てもアダルティーは彼女への警戒を解かない。アダルティーに倣って鱗も何とか立ち上がり、深呼吸して気合いを入れ直す。気を失ってから、どれほどの時間が経ったのかは分からない。ただ雪原に残った戦いの跡から見ても相当厳しいものだったのだろう。
「アダルティーさんは少し離れた位置にいて下さい。…いつでもアキを連れて逃げられるように」
いざとなれば鱗は見捨てても構わない、という意図で耳打ちするとアダルティーは嫌々ながらも頷いてくれた。
「あなたは…さっきの「風」で良いんだよね」
「はい、マスター!」小さくなったアキを睨みつける淑女は鱗が問いかけると、パッと顔を輝かせて元気よく返事をする。
先程まではお姫様だっこされていたため気づかなかったが、この白髪の淑女…かなりの長身である。
鱗の頭一つ分、アダルティーよりも若干大きい…といったところか。
服装はワンピースに似た白ドレスでアダルティーの衣服同様マナで編まれた衣服を身に着けている。
「・・・どうしてアキを狙うの?」
かなりの疲労が溜まっていたせいか駆け引きもないまま単刀直入に尋ねる。聞きたいことは山ほどあるが目下の問題を解決しないことには何も始まらない。
「どのような手段でアレが生まれたのかは知りませんが、天地を脅かす火種は今のうちに排除しなければなりません」
「それは…アキが「火」だから——」
やはり、だ。アダルティーの推測通りに天の大神はアキを危険視している。
天地のマナを喰らう龍の息吹と、それを元に創られた「火」。大神との関係性を基盤とした魔術の例と同じくアキは天から嫌われている。その化身とも呼ぶべき「風」ですらアキに対しては敵意剥き出しの状態。…ここまでくると、なぜ地の大神がアキを溺愛してくれるのか分からなくなってくる。
「いいえ。アレはただの「火」ではありません。上手く隠しているようですが、あれは龍の息吹を宿した龍の焔そのもの—――そんなものを何故、そこのエルフとマスターは擁護するのです?」
「・・・へ?」疲れた身体に追い打ちを掛けるような「風」の指摘。そんなはずは…と否定したくても思考が全く巡らない。あげく助けを乞うようにアダルティーの方へと振り返ると、彼女も信じられないといった顔で懐のアキに視線を落としていた。




