55.「風吹く頃にアナタは■を吹き込む」
見えない風に、いかにして勝つか。
船長は嵐を乗り越え、英雄は風車に立ち向かい、民草は風への恐怖から神に祈り願う。時に試練であり壁であり脅威である風。ただ「風」そのものに勝ったという逸話を聞いた覚えはない。
「天の吐息、」
ベルマーが語った世界歴伝〝世界創生〟にて世界を満たした天の大神の吐息。この世界を流れる「風」の一端を統べる存在。
あの「風」が天の大神に属するものということは、つまり…。
「私の魔術が使えない可能性がある」
異世界からの放浪者。禁忌の果実マユーを埋めた罪人、若槻鱗。その忠告として襲ってきた地の大神の目であるスライムをアキの手を借りて倒したことで御使いの地龍が現れた。
『 地の大神よ。我に天上へと渡る水柱を——『地の大神の潮騒』 』
そもそも彼の地龍は、どのようにして「御使い」と判断されたのか。
若槻鱗と再会する少し前、冒険者集会所・所長コウウラと別れたベルマーが魔術を発現した瞬間である。
地の大神のマナを介した魔術の質が普段よりも低いことから師ベルマーは対敵した地龍を御使いと呼んだ。この世界の人間と大神との関係性から「魔術が使えない」という自体には陥らなかったものの平時より僅かに魔術の質が落ちたという。…ならば、この世界の人間ではない若槻鱗は魔術が使えなくなるだろう。
「まぁ「風」を相手に風魔術を使ったところで意味もないだろうけど…」
元より鱗の魔術は状況を有利にするか危機を回避するための手段。便利であっても相手を倒す決定打にはなりえない。
ましてや相手は「風」そのもの。風魔術しか使えない鱗にとっては天敵とも呼べる。
「アダルティーさん。確認なのですが、あの「風」はエルフ族にとっての兄や姉のような存在なのですか?」
エルフの始祖誕生によって両大神はよりを戻すと天は吐息と陽と雫を、地は彩りと恵みと温もりを以て世界を愛で満たした。エルフの始祖が最初で、天の吐息たる「風」は次。そのあとにアダルティーを含むエルフの子孫らが生まれたとすれば先程のアダルティーの反応にも納得がいく。
『 ウロコ。あらかじめ伝えておくけれど…私には期待しないで頂戴 』
魔術の例曰く、大神とは関係性を重んじるもの。その子孫らであるエルフ族も序列は気にするということか…。
「ええ、概ね合っているわ。私にアレの相手はできない。それに、あの風の狙いはきっと…」
「アキ、なんですね」
生きた「火」。生きた龍の息吹。それが天の大神から見た火の化身アキ。その事実が変わることはない。
「逃げましょう。見えない相手に勝つなんて無理です。…逃げおおせる算段も今のところ思い浮かびませんが」
「それは—――本当に?」
逃亡を提案すると、その真意を読んだように緑光の瞳がコチラを見つめる。
手段がないわけではない。ただ確実性がない。鱗の手段はバケツで川水をすくい上げるようなもの。しかもそれが良い方向に運ぶとも限らない。
「アダルティーさんが「火」の魔法について教えてくれたときに言ってましたよね。術者の手を離れた「火」は天地のマナを燃やしているって…だからアキの炎で「風」を消耗できれば少しは逃げる時間を稼げるかな、と」
「・・ああ、それは良い選択かもしれないわね。時間を稼ぐ分には」
「何が言いたいんです?」
意外そうな顔で含みのある言い方をするアダルティーに思わず尖った声で尋ねてしまう。
たしかに鱗の案では問題の保留は出来ても解決はできない。未来の変数に期待して先延ばしにしたところでアキを狙う「風」の意志は曲げられない。
「見えない。言葉も通じない。私もアダルティーさんにも解決できない。だからって…あの「風」をアキに消させるわけにもいかないじゃないですか」
知らずにスライムを退治してしまったあの時とは訳が違う。
今のアキがあの「風」をどうにかしてしまった時点で、この旅は意義を無くしてしまう。元より大神の信頼を得るという途方もない旅だとしても、自らの手でその可能性を手折ってしまうのは嫌だ。
『 ——たとえ旅を経て罪を拭えなかったとしても、神様に赦してもらえなかったとしても…この世界を好きで在りたい。 』
あの言葉を嘘にはしたくない。師と別れたあの夕暮れの決意を諦めてしまいたくないのだ。
「ウロコ。貴方の言う通り私には解決できない。だけど貴方にしか出来ない選択肢が一つだけあるわ」
「そんなの、あるわけが…」
思い出しなさいと試すような視線が鱗を焦らせる最中、アダルティーは脇に抱えていたアキの小さなお尻を指でつつく。
「おろしてぇ?アダるん?」
未だ事情を把握できていないアキが涙目で見上げると、アダルティーはニコリと笑みを浮かべてみせた。
・
「もお~!!おこった~!!!」
両手に火球を構えながら雪原へと駆け出す少女アキ。「風」の脅威を伝える際、これまでの強風や霰を例にして伝えたところ怒りの吐き出し口を見つけたように躍起になって、アキは見えない「風」へと飛び出していった。
「ウロコ。私は直接手を貸すことはできないけれど命に代えても貴方たちは守るわ。…それが彼との約束だから」
鱗をお姫様抱っこしながら真剣な顔つきで騎士との約束を口にするアダルティー。
「格好良い」と口走りそうになるのを堪えつつ「風」の動きに意識を集中させる。
「…視えた」
鱗の視界に「緑」と「赤」。それからぼやけた「蒼」が映る。アダルティーの魔力感知ほどの精度ではないが、これなら二人の補助に専念できる。
「本当に恐ろしい才能だわ」魔力感知に意識を費やす中、ポツリと呟くアダルティーの声が聞こえた気がした。
「アダルティーさん!お願いします」「任せて。舌を噛むんじゃないわよ」
アダルティーは「風」と直接戦うことはできない。
だからこそ彼女には支援に徹してもらう事にした。逃亡でも退治でもない第三の選択肢のために。
「えい!えい!」
アキが小さめの火球2発を軽く放って「風」を牽制する。
アキから見えるのは「風」が去った後に舞う粉雪だけ。肉眼では「風」の細かな動向を見ることはできない。
「風」は天の息吹。世界に満ちるマナを視る魔力感知ならば、その動きを捉えることができる。
「右に避けた!」流れる蒼の動きをアキに伝達する。
「風」はアキの火球を避ける動きを視せた。どうやら鱗の推測通り天地のマナを燃やす「火」の性質は、あの「風」にも通じるようだ。
「あそこね」緑光の眼——視覚による魔力感知で「風」の動きを詳細に捉えるとアダルティーは魔術を発現。アキへの目印として細い土柱を二本生成する。
「アキ!あそこに大火球!その次に魔術を!」
「う~…んっ!!!」
二柱の目印に向けてアキが的確に大火球を放つと即座に魔術を行使する。
「ちのかみさま、ぴかぴかのほのおをください——『大地の赤光』」
地底湖での戦い、ベルマーとの魔術戦。どちらも鱗が知らないアキだけの戦い。
地の大神の異常な愛によって、多量のマナを与えられることで制御できなかったアキの魔術は、いま確かな形となって発現する。
「…キレイ…」感嘆の声が零れる。
天へと打ち出されたアキの魔術は空中で大きく弾けると、赤き光を散らす雨となって雪原へと降り注いだ。花火なんてアキは知らないだろうから…とベルマーの水魔術が弾ける様子を伝えた上での魔術行使だったが、鱗の想定以上の役割をアキは果たしてくれた。
「お願いします!アダルティーさん!」
滞留する火の粉を散らしながら直進する大火球で正面から左右の退路を、次いで打ち上げた花火で天上への退路を塞いだ。「火」を避ける性質上「風」に残された道は後退するのみ…。
「先輩♪ 雪遊び、しましょう♪」
鱗を抱えながらアダルティーは勢いよく雪原に足先を沈めると、それを一気に蹴り上げる。かつて木刀を振るった風圧で鱗の頬を切ったアダルティーの身体能力。その蹴り上げの一つで雪原に亀裂を刻み、破裂音と共に多量の雪を天へと巻き上げる。
…そう、彼の麗人は蹴りの一つで雪煙の壁を築いたのである。
「じゃあ、ウロコ。あとは頑張ってね」
そう言い残すとアダルティーは抱えていた鱗を「風」の方へと放り投げた。
「いってらっしゃい、ウロコ―――」
この作戦最大の山場は若槻鱗に託された。
見えない敵にどう対抗するか。逃げず、戦わず、先延ばしだけに留まらない最適解。
アダルティーが提示した第三の選択肢とは、若槻鱗の「かえる」力による体の付与。「火」から意図せず生まれたアキと同じく「風」に体を与えることで意思疎通を図ろうというもの。
大神の信頼を得るという途方もない旅。その最初の試練にふさわしい回答であった、といえる。
「すぅ—―」
ただ確証はない。アキの誕生は鱗が意図せずに行ったこと。だから、あの日と同じような行動を繰り返して祈るほかない。
「すぅ—―――――――――」
最初の、たった一人の夜を思い出せ。
擦り合わせた木の匂い、手のマメ、折れた枝と心‥‥寒くて、心細くて、誰もいないところで泣けたあの安堵を思い出せ。
可能な限り息を吸って、マナを知覚。魔力感知で捉えた濃い蒼に向かって鱗は『ふぅ~』と息を吐き出した。
変われ、変われ、変われ…と、あの夜の必死さを思い出しながら鱗はマナを吹き込む。
「・・・うっ」
アキの魔力供給で身体の力が抜けていく虚脱感。自身のマナを一気に消費したことで鱗は結末を目にすることなく意識を失ってしまう。
〝 しょうがない人ですね 〟
ひゅるり、と鳴いた風からそのような空耳が聞こえた気がした。




