51.「旅って、どこまでが旅ですか?」
早朝に起こった【スライム変身事件】によって自らの姿を変えられることに気づいた鱗。未だ謎の多い「かえる」力を知るべく、アキやアダルティーの姿になろうとしたところでアダルティーに止められてしまう。
「ウロコ。「その姿になること」自体が母様たちの機嫌を損ねるかもしれないから止めておきなさい」
浅はかだった、と反省するほかない。
既に大神からの信頼を失いかけている者が愛しき娘らの姿に化けたのならば…それは大神を煽る行為と捉えられてしまう。
「——アダルティーさん。これから何処に向かうのですか?」
恩師ベルマー=ガルディアンと別れた翌日。当てもなく道を突き進むアダルティーに旅の目的地を尋ねる。
現在地はネルバ大森林を流れる小川を更に下った地点。御使いの地龍に荒らされた区域を通り過ぎ、その足先は下流の先に連なる山脈へと向かっていた。
「この先にあるギャレイプ山の麓に古い洞窟があるの。そこを抜ければ近道になるから――」
「ギャレイプ山…?」
「そう。彼——ベルマーが龍白と戦ったとされる山なんだけど…その様子だと彼、何も教えてくれなかったのね」
「もうっ」と軽く頬を膨らませ、溜め息をつくアダルティー。
思い返せば、彼がその異名を受けた経緯を鱗は何も知らない。
『 〝龍殺し〟って言った方が早いかな 』
初めて出会った彼が名乗った〝龍殺し〟の異名。その時の彼の悲しげな表情は今でも鮮明に思い出せる。
「先生は、どうやって「龍殺し」になったのですか?」
「大まかにいえば、彼が龍白を討ったことで〝白銀〟から賜った名とされているわ。
龍殺し。龍を堕とした男、ベルマー=ガルディアン。…それだけ人が龍を討ったというのは奇跡にも近いことだったのよ」
現在、王都アスカテーラを治めているヴァルマン家当主〝白銀〟。その英雄譚は物語として語り継がれるほど有名なものらしくベルマーの憧れの存在だという。
「リュウビャク…?」ベルマーと別れる直前、アダルティーがそのような言葉を耳打ちしていたことを鱗は思い出す。
「龍白は龍黒の姉なの。龍黒のことは勿論知っているわよね?」
「・・・はい」
忘れたくとも忘れられない。
この世界に降り立った若槻鱗に本当の恐怖を植え付けた存在、龍黒。
鋭き歯牙。捻り立つ二本の大角。天を覆う巨大な翼。星々に満ちた空を閉じ込めたような鱗を持つ黒き龍…。
「おそろしい龍でした」
「そうね。でも、彼女もそうなりたくてなったわけじゃない…それだけは覚えておいて頂戴。」
寂しげな目で訴えかけるアダルティー。緑光の眼に秘めるのは擁護する優しさと否定しきれない僅かな共感。
…鱗と同じように彼女にも龍黒に対する恐れはあるのだ。
「全ての龍の頂点に立ち、龍族を治める龍帝。その龍帝の娘に当たるのが龍白と龍黒。
姉の龍白は龍でありながら広い視野を持ち、エルフ族である私にも積極的に交流を求める子。その白い鱗は雪よりも白く、陽に照らされながら天を翔ける姿は如何なる財宝も無価値に戻す。魅る者の価値観を変えるという由来から再帰の龍とも呼ばれているわ。」
「龍族が交流…人とも交流するのですか?」
「そう望んではいるのだけど…彼女、人との交流が苦手なのよね。そもそも人族の多くは龍を恐れているから…緊張してしまうのでしょうね」
「先生は、本当に龍白を討ったんでしょうか?」
人との交流を望んだ龍。話を聞いている限りでは「龍白=悪い龍」とは到底思えない。
ましてや、あのベルマーだ。大英雄白銀への憧れと同じくらいに彼の青年は龍という存在に夢を見ている。
「まさか!昔からよくあるのよ。名もなき騎士が龍を倒した、なんて御伽噺。龍からすれば人と戯れているだけで飽きたから帰っただけ。ああいう流言めいたものは誇張されたものが大半なのよ。…まあ「白銀と龍」の御話は本当だけれど。」
「…最後のそれ。先生が聞いたら喜びますよ」
ガラティア洞窟で彼女に命を救われてから流れるようにベルマーと別れてしまったが、本当は彼にもアダルティーに尋ねたいことが沢山あったのではないかと考えてしまうことがある。
大神の御子エルフ、アダルティー。地の大神の性質を引き継いだ彼女らは記憶を失わないという。
まさに歴史の生き証人とも呼べる存在。あの勤勉なベルマーであれば歴史・魔術・剣術・知識…と様々な方面から質問攻めにしたい存在ともいえる。
「それで。妹の龍黒だけれど彼女は龍族の中でも稀有な存在なの。
「タメシ」の儀を経た龍の子は期せずして魔眼を発現する。通例では両親の魔眼を引き継ぐはずなのだけど稀に先祖の魔眼を発現する個体もいる。俗に先祖返りと呼ばれるもので当龍ですら制御できないほどの強力な魔眼とされているわ。」
「じゃあ龍黒も…」
その先祖返りなのか、と尋ねる前にアダルティーは首を振って答える。
「彼女の魔眼は先祖返りよりも更に深いもの。過去、両大神との戦いで九つに分かたれた龍の祖——龍の起源とも呼ぶべき存在が有していたとされる眼。龍帝の妻である龍妃曰く【神殺し】と呼ばれる魔眼だそうよ」
「神殺し…」
龍の起源。龍族の犯した大罪に繋がる存在が有していたとされる魔眼。
神を殺す。その言葉に鱗は地底湖に現れた怪物の言葉を重ねていた。
『カミヲユルサナイ』
大小異なる手足。爛れた体表。血濡れた翼を持つ血の化身。
これまで地の大神に吸収された龍の亡骸に宿る怨念が意志を宿し、地の大神の力を奪いつつある存在——血の大神。
その意志が形となって地底湖に現れた血の化身は大神への恨みの言葉を吐き出していた。
「…「見たものを殺す」とされる【神殺し】は自制が効かない。
一度は龍妃によって潰された彼女の魔眼も体の成長と共に光を取り戻してしまった。魔眼に引っ張られたのか。それとも龍族の頂点に立つ龍帝の血なのか。以降、誰も彼女の魔眼を傷つけることはできず【神殺し】は彼女自身にも破壊できない代物になってしまった。…そんな妹の龍黒を憂いた龍白は魔力感知に優れた私を探し出して協力を求めてきたの。」
「あれ、元々「魔力感知」って…」
ベルマーも使っていた魔力感知。世界に満ちるマナを視る技術で元々は龍族からエルフ族に伝わったものだと彼から聞いたことがある。
「ええ、そうよ。自らに流れるマナを魔力と呼んだ龍族が発祥の魔力感知はエルフへと伝わり、そして人間へと伝わった。ただ伝わった技術というのは得てして進化することもある。長い時が経ったけれど私は魔力感知を体感的に行えるようになったのよ。」
眼ではなく、体感的な魔力感知。つまり現在の龍黒は…。
「そう。彼女、基本的には眼を閉じて魔力感知で世界を視ながら生活しているの。肉体の反射として稀に開いてしまうこともあるらしいけれどね」
「・・・・へえ」
その言葉に何か引っ掛かりを感じたところで、今まで道草を食っていたアキが唐突にアダルティーに尋ねる。
「ねえ、アダるん!これからどこにいくの?」
「この先にある大きな御山の下にある洞窟よ。そこを抜ければ近道になるの…」
アキの問いに答えるようにアダルティーは前方の山を指し示し、旅の目的地を口にする。
「これから目指すのは神域。私の母が眠っている場所。この世界を流れる全ての水が辿り着く素敵な場所よ。」




