49.「輝ける道」
勝負から時は過ぎ、陽が縮んだ夕刻半ば。ガルドーに帰るベルマーを三人で見送る。
円盾が付いた大きなリュック。一本の剣。半袖に短パン。大きな麦わら帽子…当たり前に見ていた彼の衣服や所持品に不思議と視線が集まる。
一番目立つのは、やはり麦わら帽子だろうか。
「ずっといてよ」と泣いたアキが作ったシワが未だ僅かに残っている…。
「それじゃあ俺はガルドーに帰るよ。「君たちが自生できるように地盤を築く」なんて言ったけれど俺が教えられたことは本当に基本的な部分だけ。これからは君たち自身の力で成長していくんだ」
「ベルぢゃ~ん」滝のような涙を流す少女アキ。
その小さな両肩に手を添えながらアダルティーは静かに笑みを浮かべていた。
「ワカツキ」
名前を呼ばれて無意識に視線が下りていたことに気づく。
あの涙を見てしまってから青年の顔が直視できない。もう一度、彼の顔を見てしまったら押さえようのない何かが込み上げてくる気がして、怖い。
息を吸って「いつも通り」と自分に暗示をかける。いったい「いつ」の「いつも」なのか。その答えを正さぬうちに【若槻鱗】は何気なく顔を上げると、
「君は…楽しかったかい?」
そこには照れくさそうに尋ねる麦わら青年の姿があった。
はにかんだ年下らしい表情。一抹の不安を押し殺した声色。そのモドカシサを隠すように背中で握られた手。そんな彼を見た途端に【若槻鱗】の仮面は容易く剥がれ落ちた。
『 むしろ、その心に真なれと私は望む 』
いつかの神が残した言葉が呪文の如く脳をよぎる。
言葉は祈り。祈りは願い。願いは呪い。
塞き止める心の閂は折れ、溢れ出る感情に飲まれたまま若槻鱗は師に言葉を返す。
「…そんなの、ズルいですよ。先生」
一気に涙が溢れ出て、雨に降られたみたいに視界が埋め尽くされる。ボロボロと足元に落ちる雫が驚くほどの大粒で可笑しくて笑いそうになる。
いっそ笑えてしまえたら良かったのだ。
そうすれば彼にあんな顔をさせずに済んだのに。
泣いている顔なんて一番見られたくなかったのに。
…初めての剣術指南で騎士としての彼の「怖さ」に触れた。
あの日、木陰で隠れて泣くまで必死に平静を装い続けたのは何のためだ。
魔術戦を経たアキとベルマーの様子から「別れ」を。
青年騎士の吐露から「本心」を。託された柄から「激励」を。
それら「全て」を飲み込んで最後まで格好つけようとしていたのは何のためか。
『 鍛錬次第でワカツキは絶対に強くなる。 』
騎士としての彼の「怖さ」を知ると同時に彼の「優しさ」を知った。
文字も知識も魔術も剣術も…その全てを必死に学び、鍛えたのは彼の優しさに報いるため。いつしか期待へと変わった彼の想いへの答えが、あの真剣勝負であった。
「わたしも、楽しかったに…決まってるじゃないですか…」
ぜんぶ、全部。彼を困らせたくない一心だった。
優しい彼のことだから、きっと目の前で泣いたら困らせてしまうから。
だから、ここまで耐えてきたのに。さいごの最後に堪えきれなくなってしまった。
「ご、ごめん」
曇った視界の外で青年の足が幾度も雑草を踏み鳴らす。
少し経って「コホン」と背後で誰かが咳払いすると青年は静止。意を決したような深呼吸ののち此方に一歩踏み込むと、視界の端で迷うように宙をぶらつく手先が映る。
「す、すみませ――」何かを伝えようとしているのか。急いでシャツで涙を拭って目を開くと…彼に抱きしめられていた。
「身体、丈夫になったね」「鍛え、られ、ました、から」
慣れない抱擁。迷いに迷った大きな両手がピタリと背に貼り付く。
慣れない抱擁。身が縮こまって体に力が入る。
「…地底湖のとき。守ってあげられなくてごめん」
「修行の甲斐あって、生き残れましたよ」
しょげた両腕から力みが抜ける。励ます形で手のひらを腰辺りに添える。
「…うん。ほんとうに、本当によく頑張ったね。ワカツキ」
両腕に力が籠る。…添えた手のひらがヒラリと揺れ落ちる。
「ほんとズルいなぁ…このイケメン」「…イケイケ?」
互いに小さく笑いあって、一方が思い出したように再び泣き出す。
「先生―—。」
伝えなくてはいけない。
青年は、龍黒の魔眼から守ってくれた。
騎士は、御使いの地龍から守ってくれた。
二度も命を救ってくれた上に彼は生きる知識と力を与えてくれた。
素性も分からない者のために騎士という責務を放って、時間をかけて育ててくれた。
いつも気にかけてくれた。期待までしてくれていた。
「私も、私たちも先生と同じ気持ちです。」
ベルマー=ガルディアンと出会えたからこそ若槻鱗はここに在る。
彼には感謝し尽くせないほどの、それこそ一生分の恩がある。
師として、人として。生涯、若槻鱗は彼のことを尊敬し仰ぎ続けるだろう。
「ベルマーさんが先生で本当に良かった。この世界で一番最初に出会えた人が貴方で本当に良かった。」
思いの丈は述べた。
名残り惜しくも彼の腕から離れ、真正面に彼を見据える。
「…あだしも いっじょにずる!」
以心伝心。師への最後の言葉を前に乙女アキが走り寄って鱗の隣に並ぶ。
「わかった。それじゃあ、一緒に」
気持ちは晴れた。迷いはない。憂いもない。
僅かに緋色をなぞった空の下、二人の弟子は師への礼を述べる。
「 あ り が と う ご ざ い ま し た!! 」
授業を終えた生徒よろしく。一音一音をハキハキと。バカみたいに大きな声で。
そして最後に三人で笑い合って、師ベルマー=ガルディアンに別れを告げた。
「——アダルティーさん。二人のこと、どうかよろしくお願いします」
「ええ。任せなさい。エルフとして。繋ぐ者として。この子たちの未来を守ってみせるわ」
余裕たっぷりの笑みを浮かべるアダルティー。緑光の瞳には我が子を見送るような母性の色が浮かび、若き騎士と彼が向かう帰路を色鮮やかに映し出す。
「これからどちらに向かわれるのですか?」
「そうねぇ。特には決めていないけれどアスカテーラ以外の所ね」
「なぜ?」
「これからアスカテーラが大変なことになるからよ」
大きく目を見開くベルマーに構わずアダルティーは忠告を続ける。
「彼女…アスカテーラのエルフがね。おそらく発情期に入るのよ。私とは世代が違うから細かには分からないけれど予感がある。この間、アスカテーラに行ったときに彼女のマナを感じたけれど――正直、かなりムンムンしてたわ。そのうち性の獣がアスカテーラを跋扈することになるでしょう。いずれ貴方にも要請が来ると思うから、その時は相応の覚悟をしておきなさい」
「…承知しました」
謎の忠告を聞き、苦笑いを浮かべるベルマー。そんな彼を満足げな笑みで見守るアダルティーだったが不意に切なげな表情を浮かべて妙なことを尋ねた。
「ねえ。子どもは元気にしてる?」
「ハハハ。俺に妻はいないですよ。親父か祖父と勘違いしてません?」
「‥‥あら、ごめんなさい。間違えたわ」
乾いた笑い声を上げるベルマーに固い笑みを浮かべて謝るアダルティー。
僅かな静寂ののちアダルティーが流れるように彼を引き寄せると何かを耳打ちする。「リュウビャク」という言葉だけは僅かに聞き取れたが、それ以外には鱗には何も聞き取れなかった。
「それじゃあ、また会おう。ワカツキ、アキちゃん。もしガルドーに寄ることになったら村総出で歓迎するよ」
アダルティーに会釈をするとベルマーは「またね」と旅立っていった。
大きかった背中が徐々に小さくなっていく。
『 仕事が終わったら~! 絶対に来るから~! 』
揺蕩う彼の背を淡く思い描き、打ち消す。もう心配されるほど弱くはない。
「マーちゃん。アダるんがまってるよ」
「大丈夫。ちゃんと分かっているから」
旅立ったベルマーを背に鱗は銀の麗人と向かい合う。
風になびく銀線。その一つ一つが陽を弾く様に神々しさを抱くはずなのに鱗の意識は緑光の瞳にのみ惹きつけられる。
「答えは出たのかしら?」「はい。」
『 だからね、ウロコ——私と一緒に旅でもしましょうよ 』
異世界からの放浪者でありながら罪を犯したために地の怒りを買った若槻鱗。
生きた龍の息吹として天に恐れられた「火」の化身アキ。
あの晩、アダルティーが出した提案とは二人と大神との関係を取り持つこと。
関係性を重んじる大神の性格上、その大神の御子にあたるエルフ族が大神に与える影響は大きく、大神との関係性が如実に表れる魔術においても其れは証明されている。
そんな彼女と行動を共にすることで大神との信頼回復を図る。
いわば「お子さんと私たちは仲が良いですよ」と大神に主張し続ける旅となる。
勿論、それが「いつまで」かは分からない。数十年続ければできるかもしれない。死ぬまで続けてもできないかもしれない。それでも、この世界で鱗とアキが生きていくためには大神との関係修復は必須となる。
「身勝手かもしれないけれど私達はこの世界で生きていきたい。そのためにも…この世界のことをもっと知っていきたいんです。たとえ旅を経て罪を拭えなかったとしても、神様に赦してもらえなかったとしても…この世界を好きで在りたい。それでも良ければ私たちと付き合って下さい。」
風が躍るように吹く。
初めて鱗を魅了した世界が「それでいいんだね?」と投げかけてくるようで奇妙な緊張が走る。
「この世界を好きに…」
流れ星の如く煌めく銀髪を耳に掛けながら言葉を繰り返すと銀の麗人は地を見下ろし、空を見上げた。そして柔らかな声色で一言。
【 励みなさい。異世界の人。 】
澄んだ瞳。神秘的な雰囲気を纏って大神の御子は微笑む。
今までの彼女とは違う別の何かが憑りついたような空気。演技というには異質な彼女の変化に一時驚くも「もう…ずっと待ってたんだから!」と抱擁ついでに尻を揉まれたため違和感は一気に吹き飛んでしまった。
「さあ行きましょう。この世界の全てを貴方たちに見せてあげるわ!」
アダルティーに左手を引かれ、走り出す。先頭を駆けるアダルティーの姿は希望に満ちた少女のように可憐で美しく、行く先に広がる道が輝かしいものに見えた。
「いくよ、アキ!」「うん! マ~ちゃん!」
右手でアキの手を握り、三人は新たな旅路へ。
師と出会い、師と共に過ごした草原を後に世界を知る旅が今始まる。




