47.「真剣勝負」
「マーちゃん」
珍しくアキに朝を越された…と思えば燃え尽きそうな焚き火が微かに息を潜めているだけで辺りは真っ暗。空を見上げても陽は現れる気配すらなく小さな星々が微かに煌めくばかりである。
「なあに?トイレ?」
「・・・トイレってなあに?」
寝ぼけた頭で尋ねると幼女アキはキョトンとした顔で首をかしげる。
…そうだ。うちの子はトイレしないんだった。
「マーちゃん。きょうは はやくおきよ」
「どうしたの急に‥?」
早起きにもかかわらず流暢に言葉を発するアキ。初めは暗くて気づかなかったが目を凝らして顔を見てみると神妙な面持ちをしていた。
これから来る何かを予期しているような不思議な雰囲気…少し怖くなって僅かに視線を逸らすと手に温かい感触が伝わる。
「ベルちゃんが かえってくるよ」
念を押すように鱗の手を握るアキ。決意ある力強さと微かな震えが伝わり、二度アキの顔を見ると幼女は急いで顔を伏せてしまう。
「分かった。でもアダルティーさんが寝てるから静かにね」
「なぜ?」と尋ねることもなく起き上がると、ゆっくり身体を伸ばして体内の血を巡らせる。大きく息を吸うと朝の澄んだ空気とは違った冷たさが身体を伝い、身と心を引き締めてくれる。
「今日が最後の…」
言いたくなかった言葉が零れそうになって必死に口を抑える。
考えなくていい。考えちゃだめだ。
余計なことに思考を割かぬよう身体を動かし、身支度を整えるとアキと共に森の方へと歩き出す。地龍が薙ぎ倒したネルバの巨木。一日の始まりを神々に祈る、いつもの場所へ…。
「―——そう。彼、決心がついたのね」
二人の気配が遠くなった後、銀髪のエルフは閉じていた目蓋を開けて夜空に囁く。起き上がり、耳に付いた草を軽く払い落として外套を整えると大神の御子は久しぶりに母への挨拶を送る。
「ちょっと早いけれど、おはよう母様。」
夜空を漂う白雲の塊がほころぶように風に流れて、薄れていく。
風が草木を駆け巡る中、草原で膨らむ小さな蕾が笑ったように花を咲かせた。
「それと、良き夢をママ」
遠く。はるか遠く。天地の境で眠る母に向けた言葉。
言葉は風に乗り、草原を駆ける。
想いは風に運ばれて、天の母のもとへと昇っていく。
言葉が想いが届くことを切に願って銀の麗人は天地に祈りを捧げる。
そして、まもなく夜が明けた。
〇
「おかえりなさい、先生」「ただいま」
現れた陽が膨らみを持ち始めた頃。
森から戻ると鎧を纏った騎士が若槻鱗の帰りを待っていた。
壊れた鎧は完璧以上に修繕され、騎士の一部たる貫禄をみせる。
いつもの麦わら帽子はリュックと一緒に近くの木陰に。荷物で大きく膨らんだリュックを見ると初めて出会ったときの記憶が蘇ってくる。
「先生。私、準備はできています」
リュックから視線を戻して騎士の目を注視する。空色の綺麗な瞳。この世界で初めて魅了された空の美しさが思い出される。
「わかった」
それだけ答えると騎士を先頭に二人は無言のまま草原の中央へと向かう。
辺りには地龍に吹き飛ばされた木片が散乱しており、槍のように突き立ったネルバの若木を苗床に名もなき草花が小さく芽吹く。
そんな何気ない自然の変化に鱗は不思議と胸が痛んだ。
「悔いのないようにね」
通りすがりに鱗を励ますアダルティー。その足元には彼女の外套を握りながら鱗を見つめる幼女アキの姿があり、小さく絞り出すように一言「がんばれ」と言ってくれた。
「ワカツキ。剣を抜いて」
振り返ると右腕に円盾。左手に剣を手にした騎士が待っていた。
快晴の下、眩い陽の光を浴びながら立つ騎士。その背後に広がる果て見えぬ青空と騎士の姿に思わず息が止まり、視線が釘付けとなる。
キュッと目蓋に力が入り、こめかみが痙攣する感覚。まるで自分の体が写真機になったようだった。
「俺は剣と盾。君は剣と魔術を使っての勝負―—真剣勝負だ」
黙ってうなずき、騎士から借りた剣を構える。
先日同様、やや重めの手応え。緊張のせいだろうか。気持ちを静めるために深呼吸をすると向こうからも微かに吐息が聞こえた。
「構えて」
二つの剣先を合わせる。互いの剣が重なると一時だけ磁力を帯びたような引力を感じて、剣が離れなくなる。時が止まったように固まる両者。こうして繋がっていると不思議と相手の息遣いまでもが剣を通して伝わってくる。
静かで、深くて、整った呼吸。
それが彼の決意を示した波動にも感じて、鱗も覚悟を決めた。
「いきます」「いくよ」
磁力を、迷いを引き離し、距離を取って両者は剣を構える。
例の如く騎士は右半身を引いた右手に盾、左に剣の攻め寄りの型。
未熟な剣士は剣を握る者が最初に構える基本にして地盤の型。
「様になったね」
大敵した騎士から余談が零れ、硬い笑みで応えると「失礼」と小さく謝罪。わずかに緩んだ頬を再び張り詰める。
「…天の大神よ―—」
視線は常に相手の目。空色の瞳を注視したまま最大階級である天の大神の魔術を唱え始めると騎士は一瞬身を強張らせて即座に距離を詰める。
瞳の空が揺らいだ。急いだためか重心がやや前のめりになっている。
「(来た)」
マナの流れを可視化できる魔力感知で視られている以上、大神から借り受けるマナの流れを視れば魔術を行使するか否かは一目で分かる。
地の魔術ならば大地から、天の魔術ならば空から。それぞれのマナが可視化できるため詠唱しただけのハッタリは本来成立しない。
されど天は遠く尊きもの。
天からのマナは供給が遅く、魔術の行使までに時間が掛かるため詠唱から魔術の発現までに間が生じる。
その間を猶予ととるか。隙とみるか。いずれにせよ思考は挟まる。
もしかしたら…と、相手に思わせるだけで良い。
この行動に脅威を感じたのならば、騎士は動くと鱗は信じていた。
『———私と一緒に旅でもしましょうよ』
・・・若槻鱗は、その素性と自らの犯した罪によって大神からの信頼を失った。
火の化身であるアキは、自らが「火」の魔法である特質上、天地のマナを備えなければ存在を保てない。
ゆえにアダルティーは鱗たちと行動を共にすることを提案してくれた。大神の御子であるエルフと生活を共にすれば大神からの信頼を築けると見込んでのことだったのだろう。
その信頼が、どれほどの期間で築かれるのかは誰にも分からない。
何年も先のことかもしれないし、今日か明日にだって築かれるかもしれない。
まさに神のみぞ知るといったところだろう。
いずれにせよベルマーが大都へ向かっている合間にワカツキウロコはエルフと日々を過ごした。
それは紛れもない事実。しかして手段を示しただけでは騎士は動かない。
弱者が握る剣は真価を発揮せず、強者が握る剣は価値すら抱かせる。
実力に見合った手段があって初めて結果が見え、結果を予感するからこそ脅威は生まれる。
〈若槻鱗の膨大なマナ総量〉
アキへのマナ供給を普段から見てきたベルマーだから知っていること。
初めての『ふぅ~』を見た青年の顔に好奇心と驚きが浮かんだことを鱗は鮮明に覚えている。
『―—アキちゃんは龍の息吹が人の形を成して生きているようなものなのよ』
さらにアダルティーが伝えた大神視点のアキ。生きた「火」とも呼ぶべき彼女を長時間存命させていたことで鱗のマナ総量に更に箔がついた。
膨大なマナ総量。それに適した魔術階級。
その未来を真に予感していたからこそ騎士は脅威を抱き、一歩踏み出した。
『―—いや、ワカツキはちゃんと頑張っている。体力はないけど筋は悪くないし、鍛錬次第でワカツキは絶対に強くなる』
師弟の絆。師が弟子に懸けた期待。
これは、それらを試すような下劣な行いだろう。
邪道、恩知らず…大いに結構。
こうでもしなければ未熟な魔剣士に活路は見出せない。正攻法で勝てると勇むほどの慢心はなく、生半可な手段で乱せるほどの相手ではない。
師として、騎士として、人として仰ぐからこそ全霊で臨む。
体力も知力も拙い技術も薄っぺらい経験も共に過ごした日々も。その全てをかき集めなければ、この気高き騎士に立ち向かうことはできないのだから…。
・
「図られたか」
思わず踏み出した一歩。
踏まされた一歩が相手の策と知った騎士は笑った。無論、塵ほどの情も表には出さず。切り離した心の内だけで黄色い感情を完結させる。
相手の詠唱は罠。こちらを誘って確実に反撃を加える算段だったのだろう。
とはいえ攻めの口火を切ったことに変わりはない。
そのまま構わず騎士は真っすぐに距離を詰める。
ただし嘘には嘘を。相手より五歩手前のところで騎士は両脇を締めて下げていた右腕を前面に。肩・肘・拳で不可視の三角を刻み、一気に突進する。
左手に剣。右手に盾。右半身を引いた攻め気の構え。守りよりも攻め志向というのは互いに周知のこと。ゆえに「攻めなら剣」という先入観が相手にはある。
「(盾も立派な武器なんだよ)」
円盾による突撃。大盾ではないため威力と攻撃範囲は若干劣るが相手の動向を見ながら接近・追撃・反撃にも応じられるため汎用性が高い。
「抜け目ないな…」
こちらの踏み込みに合わせて剣を振りかぶっていた相手から愚痴が零れる。
「お互い様」と相槌を打ちそうになるのを堪え、衝撃に備えて少し体を捻ると接触に合わせて一気に盾を押し出す。
「―——っゃ」
小さな悲鳴。軽い身体は容易に吹き飛び、二人の距離が再び大きく開く。
やや空振り気味な感触からして咄嗟に身を引いて威力を殺したのだろう。剣士は力強く立ち上がり、再びこちらの目を見つめる。アダルティーの差し金か…以前と違って、こちらの剣ではなく目を見てくるようになった。
「天よ。未熟な私に仮初の力を―——『天の御手』」
詠唱を終えると剣を地面に突き刺し、相手が振りかぶる。
母娘そろって何かを投げつけるつもりか。盾を顔寄りに構えながら注意深く接近する最中「…なにを?」と一抹の不安がよぎり足を止める。
「大空よ。迷える私に天を翔ける自由を―——『大空の下で共に』」
新たな詠唱と共に鋭い軌道を描いた何かが投擲される。
魔術の重ね掛け。そして、日に一度の大空の魔術。
勝負を仕掛けてきた、と騎士は投擲物を注視し的確に盾で弾き飛ばす。
投擲されたのは、落ちていたネルバ木の木片…?
「か、身体が―———!?」
木片を弾き飛ばした直後、唐突な浮遊感に身体の自由が奪われる。
自分の意思とは関係なしに内臓が揺れて、奇妙な気持ち悪さが込み上げてくる感覚。
足が地面を離れ、視界が浮上していくと遂には相手を見下ろすほどの高さに浮き上がっていた。
「自分ではなく、相手に…!」
彼女の最初の魔術。天を翔ける浮遊の風魔術。
その対象を相手に変えることで、身体の自由を奪う対人戦用の魔術に仕上げた。
限られた天の大神のマナを工夫と発想のみで、かくも巧みに扱うとは…実に見事。
「せんせ―———!!!」
魔術が解かれ、身体が落下すると力強い一声と共に弟子の剣撃が迫る。




