46.「夜明け」
珍しく、だいぶ早くに目が醒めた。
なるべく音を立てぬよう静かにベッドから起き上がり、窓から降りる垂れ幕をめくって顔を出す。空には漆黒、まばらに白粒。大都アスカテーラは未だ眠りについており、夜明けを告げる老婆も夢の中。陽が現れる気配は皆無。ただ二度寝を決めようにも既に頭は冴えてしまっている。
「…書くか」
目を凝らし、暗闇を手で探りながら卓上に置かれたスラガ照明を手に取る。
「地よ。夜陰に小さな憩いを―—『地との夜更かし』」
小さく呪文を唱え、指先に発現させた火を注意深く灯心に移す。
暗い一室に小さな揺らめきが生まれ、ぼんやりとした明かりが浮かび広がっていく。
照明を元の位置に戻し、リュックから木板と昨日ネルバ職人から買った〝ケズリ〟を一枚手に取る。
ネルバ木を鉋付けする際に出るケズリ。ワカツキに預けた教本のネルバ紙と違って強度は落ちるが値は安く、ベルマーが教本を書く前の軽い書き留めとして好んで使う。ここしばらくは書き溜めることも忘れていたが、折角の機会と思い立ってベルマーは筆を執ることにした。
「まずは…」
羽ペンの先を備え付きのナイフで整えながら何から書き出すべきか思案する。
簡単な書き留めといっても最終的には地元ガルドーに還元する知恵。生半可なことは書けないと思い立ち、まずは普段通りにアスカテーラの文化―—建築様式の変化から書き始めることにした。
(長屋から戸建てに…巨大なネルバ木を輪切りにすることで運搬の費用を―—)
(◎イゾルテは自分の布で割る―——)
(生活必需品は、原料の流通で価値が大きく上下するため原料の保持数は―—―—)
(スラガ鉱石を加工した照明器具や窓の普及―——)
(ガラティア洞窟―—地の大神のスペルマ――—血の大神―—血の化身)
(世界の異変―—龍黒―—ワカツキウロコ―—「かえる」力―——アキ)
(もう一つの世界―——真実の‥)
「そうじゃない」
そこまで書いたところで思わず筆に力が入ってしまい、ペン先が歪む。
紙面にインクが微量飛び散り、ケズリに穴が空いたと肝を冷やすが素材が良質だったのが幸いして事なきを得る。
「なにやってるんだろう」天井を仰いで溜め息交じりに悪態をつく。再び筆を執ろうと紙面に向き合っても手は進まず、思い出してしまったことに思考が奪われる。
‥地底湖でワカツキが地の大神の使いを殺めたと聞いた。
「地の大神のスペルマ」とアダルティーは呼んでいたがベルマーも話に伝え聞いたことがあるだけで実物を見たことはない。
地の大神の使い――意志を持った水のような存在から父には「水の使い」だと教わっていた。全てを透かす水面の如く、それは全ての罪を見通す存在。それが現れたのならば自己に誤りがあると悟り、生き改めるのだと。
…ただ、それを逆説的に捉えた怠惰な父は「水の使いが来てないから俺の生き方に間違いはない」と今日まで不真面目な生を送っているわけで。母からは「あの人、騎士に生まれてなければろくでなしになっていたでしょうから」といわれる始末である。
『 ―――私…何にも知らないんです。 』
何も知らないことは罪なのか。
地底湖からの帰路の合間、その疑問に耽念していた。
ベルマーも同じ立場であれば水の使いを倒していた。
マユーの実の危険性を知らず。訳も分からず襲われたら反撃もする。
他の者でも同じ間違いを犯す可能性は大いにあったはずなのに、なぜ大神はワカツキを特別視するのか。
『 その、世界の異変が訪れた日に…私が異世界からやってきたんです。 』
ワカツキウロコは、この世界の者ではない。
ゆえに少女は龍黒も文字も魔術も何も知らず。
ゆえに大神は彼女を特別視し、過剰に反応を示した。
大神からすれば、世界に異常を感じさせるほどの存在が現れ、マユーの種を埋めるという禁忌を犯したのだから「外敵」と判断するのも分かる。
天の大神は貸し与えるマナを制限することで力を抑制した。
地の大神は彼女の存在を敵視するように水の使いを送り、そして御使いとして地龍を解き放った。
各々の大神に差異はあれど、ワカツキウロコは世界の敵として誤認されたのである。
『 わかってると思うけど…貴方、今朝から顔色が悪いわよ 』
『 うっげ。なんだよ、その顔。普段からパッとしないけど今日は特に酷いよ。ベル』
大都に向かう前、小川で顔を洗ったときから分かっている。
我ながら酷い顔をしていると水面に写る自分の顔を見て笑ったくらいだ。あの二人の前では上手く取り繕えていたけれど炎の少女には全て見抜かれていた。
『 だからね、ウロコ———私と一緒に旅でもしましょうよ 』
終わりが来た、と感じた。
無邪気に遊んでいた時間が母親の呼び声一つで終わってしまう感覚。
「また明日。ベル」と家路につくアンを見送りながら小さくなった陽を見上げたときに抱く寂しさを青年は思い出す。
〝ずっと一緒にはいられない〟
初めから分かっていたことだった。彼女らが自生できるように地盤を築くだけ。
そのための剣術。そのための魔術。そのための日々。
『 ずっといてよ 』
麦わら帽子で蓋をしたアキの泣き姿を見たとき胸が張り裂けそうだった。
「泣かせてしまった」「悪いことをしてしまった」とワカツキに話しながらも胸の内では別の感情が湧きあがっていたのだ…。
「 ―————〝老婆の棺〟開店だよ———— 」
気がつけば夜明けを告げる老婆の声が響き渡り、大都アスカテーラが朝を迎えていた。隣部屋から足音。真上からベッドが軋む音。階下からは勢いよく扉を開ける音。
ベルマーも急いで照明の明かりを吹き消し、羽ペンとインクを元に戻して、書きかけのケズリは後半部分を千切って丸めてリュックに放り込む。垂れ幕を上げて窓から街を見下ろすと大衆井戸には多くの人の姿があり、仕方なく部屋に置かれた桶に水魔術で水を入れ、顔を洗ってから急いで身支度を整えて宿屋を後にする。
「「―——まってやした。ベルマーの兄貴」」
息を切らしながら鍛冶屋に到着すると威勢のいい兄弟子と若弟子に出迎えられた。二人とも直接話したことはないが兄弟子の方は何度か顔を見たことがある。
「アンは?」
「…すいやせん。ちょっと前までは起きれていたんですが」
小さく答えた兄弟子の視線を辿ると修理された装備の横で壁にもたれて眠るアンの姿があった。
「最近、徹夜続きでしたから…」後ろで若弟子が小言を漏らし、兄弟子が強めの肘打ちを決める。それから何やら叱りつけていたようだが、もう二人の言葉は聞こえない。
「ありがとう、アン。ごめんよ、アン」
眠る相棒の手を優しく握って、ありったけの感謝と謝罪を送る。
目にかかった赤髪を指で整えると目蓋の下に薄いクマが浮かんでいた。
「なにも見えてなかったんだな…」
親友に無茶をさせた。自分の我が儘で大事な人を酷使させてしまった。
自分の感情ばかりに囚われて、大事なものが何も見えていなかった。
「シャンとしろよ…ベル」
顔を上げると夢うつつに騎士を叱咤するアンの姿があった。
トロンとした目でベルマーを見ると満足げな笑みを浮かべて鍛冶師は再び眠りにつく。
「いってくるよ、アン。もう終わりの時間だ。ケジメをつけないとね。騎士として…彼女らの先生として」
大都を照らす朝日を見上げ、青年騎士は決意を固めた。




