42.「報告」
「予定通りに来ていただけて何よりです。ベルマー=ガルディアン。お久しぶりですね。エルフ、アダルティー様」
集会所の戸を開くと妖しき淑女が笑みを浮かべながら来訪者を待ち構えていた。
縫い痕すら見えない蒼の上衣と純白の下衣。
スラリとした身体。乳白色の透き通った肌。凛とした目鼻口。左目の泣き黒子。
言葉を唱える前の息遣いですら耳をくすぐるほどの魅力的な声。
一礼すると流麗な薄紫の滝が下り、頭を上げるとそれが再び昇る。
その美しさに気を取られているうちに片手をフリフリさせる淑女——冒険者集会所・所長コウウラの姿があった。
「無事に地龍を還されたのですね」
「はい。何とか…」
おかしなことに彼女と言葉を交わすと全ての悩み事を忘れてしまいそうになる。人を惹きつける才、魅力、蠱惑‥と様々な言葉が浮かんでは消えてゆき結局のところ「不思議」に落ち着いてしまう。
「では話は私の部屋で伺いましょうか。なぜか今日は誰もいないので広間でも良いのですが…」
彼女の言うとおり、まだ陽が出ている間だというのに所内には人の気配が全く感じられない。辺りを見回しても受付嬢の一人さえ現れず、まるで全ての人間が霧になってしまったように所内は静まり返っている。
普段であれば来訪者を真っ先に迎えるはずの受付卓は酷く無機質で、冒険者たちの賑わい場となっている中央広間の大机や椅子は生気を失ったように暗い。所内各所に掛けられたスラガ照明の火明かりですら靄がかかったように感じられた。
「どうぞ。何もない部屋ですが」
中央広間から階段を上り、最奥にある「所長室」と名が刻まれた扉に案内される。別室の取っ手や床の擦り減り具合と見比べると、この一室だけ異様に劣化がなく新品同様。人の出入りが極端に少ないことが窺える。
「お邪魔するわ」
「失礼しま…」部屋に入った直後、その異様な風景に足が止まる。部屋自体は広く、細かなところにまで掃除が行き届いた清潔な部屋。所長室というだけあって部屋の中央には応接用の高級そうな机と椅子が配置されており、窓際には応接用の机より僅かに位を下げた(といっても田舎騎士からすれば上等な)執務用の机と椅子が置かれている。
そしてベルマーの目を最も惹きつけたのは、その背にある窓。
薄く加工したスラガ鉱石を当てはめたスラガ窓。そこから差す陽の光によって窓辺の執務机に黄金の光が降り注ぎ、乱反射した光が部屋全体を黄色に染め上げる。
「嗚呼、きっと彼の淑女があの執務机に座すだけでも見栄えの良い景色が見える事だろう」と、不意に思い浮かべた風景に感嘆の吐息を零すほど…しかし、ベルマーの歩みを止めたのは窓辺の造形美に気を取られていたからではない。
「…何もない」
気がつけば応接椅子に腰掛けて部屋の中を見渡していた。
白い壁。茶の床。陽が差す黄色。黒塗りの机と椅子。そのほかには何もなく重要物をしまうような棚も、夜を明かすスラガ照明も、彩りを生み出す花の一輪すらも見当たらない。美しくズレた偽物。型にはまった不気味。まさしく「所長室」という名に縛られた無駄のない部屋だ。
「無駄なものは置かない主義なので」
香る何かを捉えると同時にお盆を抱えたコウウラがフワリと横から現れる。
お盆には人数分のカップとポット。それと木皿に入った見慣れない焼き菓子‥これは大都の出店でも見たことのない品だ。
「相変わらず怖いわね。私が来ることも分かってたみたいじゃない」
「いえ。そんな予感がしただけですよ」
親しそうに言葉を交わしながら「いただくわ」とアダルティーは焼き菓子に手を伸ばして一口。食べカスが零れないよう上品に手皿を構えながらも、その表情は年頃の乙女よりも柔らかにほころんでいた。
「いただきます」
彼女を真似て何気なしに焼き菓子を口へと放る。カリッとやや硬い食感から始まり、唾液でふやけてホロホロと崩れていくと何とも香ばしい乳の香りと甘みが口の中で広がっていく。
「美味しい」もう一口‥と手を伸ばすと机の反対側で両手を揉みながらニコリと笑うコウウラと目が合った。
「ああ、お気になさらず。そんなに喜んでいただけて…ええ。大変満足ですよ」
細めた目、長い睫毛、左目の泣き黒子、流麗な薄紫の髪、交差する細指…と徐々に視線を逸らして取り繕うようにカップを手に取り、一息つく。
…子ども扱いされる年齢でもあるまいに。
「おいしっ」花のような香りを放つ飲み物に思わず言葉が漏れると同じく飲み物に口をつけていたアダルティーが噴き出しかけていた。
「———さて、それでは依頼の報告を聞かせていただきましょうか」
コホン、と演技がかった咳払いをして髪を耳に掛けながら所長コウウラはベルマーを見据える。柔らかく底が見えない。彼女の纏う不思議な雰囲気は変わらず室内の空気だけが少しだけ引き締まったものとなる。
「まず、ガラティア洞窟で最初に見つかったものですが「スラガ鉱石の採掘」に来ていた冒険者の痕跡を発見しました。恐らく年齢は俺より少し下ぐらい。冒険者としての歴は浅く、装備は布装備と腰部にナイフ。足跡から見るにガラティア洞窟に来るのは初めてだったと推測されます。」
変わらず美味しそうに焼き菓子を頬張り、飲み物を口にするアダルティーを横目に報告を続ける。
「…それと、出来高制の依頼を受けていた可能性もあるかと」
洞窟で発見した大量のスラガ鉱石が入ったリュック——冒険者の遺留品に視線を移し、それから指摘するように所長を見つめる。夜空のように果ての見えない瞳。アダルティーが彼女を怖がるのも何となく分かる気がした。
「なるほど、マルスさんが秘密裏に出した依頼ですね。受けたのは…たしかガルーラの、」
「この冒険者に心当たりが?」
つい尋ねると「いえ、こちらの話です」と謝って、報告の続きを促す。
何か重要なことを言いかけていた気もするが仕事を優先して話を続ける。
「多量のスラガ鉱石を求め、彼は地底湖に辿り着いた。ところが、そこであの異常の原因と出会った。俺たちも応戦したのですが力及ばず…危機に陥ったところアダルティーさんに命を救われたのですが———」
記憶に新しい地底湖で遭遇した怪物。
3ロットほどの体長。バラついた手足。皮膜のある長い尾。
爛れた鱗。忌まわしい大牙。邪悪な赤黒い眼。そして血濡れの翼。
地底湖で対峙した怪物について話を進めるとコウウラは少しだけ難しい表情を浮かべた。
「翼———つまり、地龍ではないのですね?」
一人ご満喫中のアダルティーからコウウラが焼き菓子の木皿を遠ざけると、ようやく彼女も話題に参加し始める。
「ええ。違うわ。魔力感知で確かに地の母様のマナを感じたけれど…あれほど異様な地龍は今まで見たことがないわね」
「ベルマー様。実際に戦った貴方から見て、アレはどのように映りましたか」
「…大神への「怒り」に満ちていたと思われます。「コロシテヤル」「カミヲユルサナイ」——あれは何かへの怨みや復讐で動いている生物でした」
呪いの言葉は間違いなくカミに向けたもの。二つの大神。天地の母たる両大神に。
「怒り、ですか」
それからコウウラはカップの飲み物を見つめると「ごもっとも…といえば確かに間違いはありませんね」と一人何かを悟ったように一口すする。
「集会所はアレの正体を知っているのですか」
言葉の真意が分からず問い詰めると淑女は「ああ、美味しい」なんて自分の淹れた飲み物への感想を悠長に語る。こちらの気を逆撫でしているのかと憤りを感じ始めたところで彼女は訳の分からない言葉で切り返してきた。
「地龍の亡骸がどうなるか知っていますか。ベルマー=ガルディアン」
「…それは、地の大神の元に還るのでは」
あの大草原で葬った地龍の光景がよみがえる。御使いであった地龍が大地に飲み込まれる様は、異様でありながらも元の大地に還るという面においては自然な現象。人と龍という種族によって地に還る方法が異なるだけだと特に何も疑問を抱かなかったが。
「その通り、地龍の亡骸は地の大神の元に還ります。では、その後はどうなるのでしょう」
「すみません。質問の意図が分かりません」
次の命に生まれ変わる。
木となり大地の一部となる。天へと昇り、風となって世界を巡る。
…死生観を問われたところで、そんなものは人それぞれだ。
「いじわるね。貴方のそういうところ嫌いだわ」
今の問答で何かを察したのか。アダルティーの目つきが僅かに鋭さを増す。
「先に導くことも時には必要なのですよ。エルフ、アダルティー」
視線を物ともせずに淑女がニコニコと笑みを浮かべると隣のアダルティーは「うげえぇ」と苦いものでも食べたような声を上げた。
「あの怪物と地龍が関係しているということですか。しかも集会所はそれを知って…」
話の流れ。異常。コウウラの態度。地龍のくだりで何かを察したアダルティー…。
田舎騎士とて一介の騎士。理解できないほど腑抜けではない。
ただ、それゆえに目の前のコウウラという人物が末恐ろしいものに感じられた。
なにせ初めから——ベルマーに依頼を出す以前から彼女は怪物の存在を知っていたのだから。
「否定はしません。ですが他の集会所からも数件ほど異様な生物と出会ったという報告は受けていました。ただ…いずれも明確な証拠や証言はなく情報に対する信用というものが無かったのです。」
「…まんまと俺は利用されたというわけですか」
「いいえ。ベルマー=ガルディアンという人柄を私が買ったのですよ。利用などと自分を低く見積もらないでください。それに貴方の…ついでにアダルティー様のおかげでアレの正体を掴むことができたのですから」
そう言って、いつの間にか立ち上がっていたコウウラは窓辺に立つと窓上に括られていた二本の布束のうち、片方の紐をほどいてスラガ窓を半分閉ざしてしまう。「あ、眩しかっただけですよ」なんて台詞を吐きながらも彼女は席には戻らず、窓辺に立ったまま話を始める。
「ベルマー様が出会った怪物——地龍に似た体を持ちながらも血濡れた翼を有する生物。その発端は地の大神が取り込んだ龍の亡骸にあると私は考えております。
【コロシテヤル】【カミヲユルサナイ】いずれも炎を目にした地龍にも見られる言動ですが地龍とは天に翼を捧げた存在…翼を持つ地龍はいません。
しかし、エルフ族より伝えられた世界歴伝から考察しても天地の両大神に怨みを持つのは龍族以外には考えにくい。
怪物は地龍に非ず、されど龍には関するもの。
ゆえに私が立てた推測は―――龍の骸に宿る大神へ怨み。大神への黒い感情が積み重なったモノが意志を成し、地の大神の力を奪っているのではないか——というものです。」
半分だけ陽が差し込んだ部屋。窓辺に立つコウウラの身体は光と影に二分され、どちらも美しく淑女を彩る。それが偶然の遊び心なのか狙った演出なのか。誰にも分からない。
「そんなこと、ありえないわ」
「なぜ?貴方はアレから「地の大神」のマナを感じたのでしょう?」
受け入れがたい、と絞り出したアダルティーの言葉を淑女は淡々と否定する。
「アレと呼ぶのも、そろそろ疲れてきましたね。血濡れた翼にかこつけて…分かりやすく「血の化身」と呼ぶことにしましょうか。地の大神から力を奪った「龍の怨恨」については———「血の大神」とでも呼ぶことにしましょう。地から血に…なんて、我ながら陳腐な発想でしたかね」
楽し気に名称をつけると淑女は取り上げた焼き菓子を美味しそうに咀嚼する。彼女の意図が分からず視線を伸ばすと「全部食べたりしませんからね」とニコリと笑いながら彼女は残った焼き菓子をベルマーに差し出した。




