40.「炎の少女」
「…こんなものかな」
ワカツキに貸した剣の調整を終えた頃、ふと夜空を見上げると陽が浮き出し始めていた。三人を起こさないよう静かに立ち上がり、新たに薪を組み立ててベルマーは火の魔術を発現させる。昨晩は入浴する間もなかったため近くの小川で水を汲むついでに下流に降りて身を清めていく。
夜を流れた川の冷たさで眠気を覚ましたところで灰色が差した空を見上げる。
「もうじき陽が現れる」
逸るように言葉が出る。いつしか自分と灰の空を重ねていることに嫌気が差し始め、深く息を吐いて二人を起こしに拠点へと戻る。
倒れた若木の幹から漏れた木油の香り。散った枝葉から漂う青臭さ。
未だ色褪せぬ地龍の傷跡を道中眺めていると、ひっくり返った岩に貼り付いた緑の粒々に目が止まる。パラパラとまばらに開いた芽。その中で一際大きく芽吹いた薄緑の双葉が妙に視線を惹きつける。
「―――先生? おはようございます」「…おはよう。ワカツキ」
どれだけ没頭していたのか。声を掛けられるまで彼女の気配に気づかなかった。
焦げ茶色の綺麗な髪。地底湖での戦闘を経てもなお綻び一つない上等な衣服と革装備。捲った袖から覗く腕には僅かながらの筋力がつき、手のタコも育ち始めた。不慣れであったはずの剣も今では体の一部になりつつある。
「アキちゃんもおはよう」目を擦るアキに声を掛ける。
「おはよ~」と、いつもの眠たげな挨拶が返ってくると思ったら今日は寝起きが良いのか「おはようベルちゃん」と、こちらを見上げて挨拶する。まっすぐな黄金の瞳。心を見透かしたようなアダルティーの瞳に似た雰囲気を感じ取って思わず視線を外してしまう。
「天の大神。地の大神。両大神の祝福のもとに生ける私達の今日を見守りください」
大神への祈りを捧げ終えると、いつものようにワカツキは準備運動を済ませて貸した剣を持って的当てへ。残ったベルマーとアキは早朝の瞑想へと移る。
「それじゃあ目を閉じて。呼吸を深く、ゆっくりと…」
呼吸からマナを整え、精神の安定を図る瞑想。脱力し、気を緩やかにしながらも意識は常に身体の中に。流れる血をマナに見立て、それらが体内で流れるのを知覚する。
これは精神統一も兼ねているが、その本質は自分という器を把握することにある。
魔術を行使する際の「大神のマナを借り受ける」とは自身の身体に神々のマナを上乗せするということ。例えるなら肉体の許容を超えた水瓶を渡されるようなもので、それを御す力によって水瓶の行く末は変わる。
揺らげば水はこぼれ、焦れば水瓶を落とし、力めば瓶にヒビが入る。
どれほどの揺らぎで水がこぼれ、どれほどの力で掴むのか…そういった程度を把握すれば正しく水瓶を導くことができる。
「――――もう おしまい?」
終了の合図をすると涼やかな表情でアキは目を開く。
昨日の戦いを経た影響か。今日の彼女の瞑想は一層洗練されたものに感じられた。
「アキちゃん。今日は俺と魔術の訓練をしようか」
そう提案すると少女アキは静かに頷き、そのまま互いに一言も発さないまま森を抜けて草原へと向かう。パガン…パガン…と木片を断つ音が遠のいてゆき、風に紛れて聞こえなくなったところで不意に少女から手を握られた。
「ベルちゃん。〝あつい〟の…ダメ、だよ?」
見上げることも、歩みを止めることもなく少女は言葉を吐き出すと返事を待たずに草原へと走り出す。赤みを帯びた黒髪が揺れる。少女の視線は前だけを見据えている。
「いくよ。————せんせ」
振り返り、こちらに向かい合う少女。
脇を締めながら震えた握りこぶしを構える姿は勇ましくも、やはり愛らしい。
『 ベルちゃん…ちょっとこわい 』
…元々、些細な変化に気づく勘の良さを持ち合わせていたアキ。ワカツキにも悟られなかった隠し事を一番最初に感じ取ったのは目の前に待ち構える炎の少女アキであったのだ。
「ちのかみさま。あたしにだいちのちからをください———「地の紅」
「天よ。我が身に吐息たる風を———『天との別れ』」
…きっと、この子を泣かせることになる。
少女の泣き姿を鮮明に思い浮かべながらベルマーは天へと祈りを捧げた。




