39.「焚き火を囲んで」
「陽を遡ること十度と少し前だったかしら。私は世界を揺るがした異変を察知して現地へと赴くことにした。異変の発生源がこのネルバ大森林付近であることは分かったから地下水脈を渡って、ガラティアの湖に辿り着いた。貴方たちに出会えたのは本当に偶然だったのよ」
夕食を終え、一同が焚き火を囲んで一息ついたところで食後のハーブティーを啜りながらアダルティーは地底湖に現れるまでの経緯を簡潔に述べた。
パチパチと焚き火の薪が数本割れて、小さな炎が咳き込んだみたいに火の粉が舞い上がる。彼女のある言葉に薪を持ったまま固まる鱗の代わり、ベルマーが黙って枝を投げ入れると炎は安堵したように再び膨らみ始める。
「…世界の異変、それがこのあたりで?」
装備を外したベルマーが静かに口を開く。焚き火の音に交じって聞こえたせいか彼と対になって座る鱗には薄っすらとしか聞き取れなかった。
「ええ。常に魔力感知でとらえていた龍黒の気配が異変と共に消えた。それがこの辺りだったのだけれど…やっぱり間違いないわね。彼女のマナも僅かに残っているから」
緑光の眼が周囲を見回し、それが空へと向いた辺りで「彼女、天の魔術を使ったようね。珍しい」と独り言を呟く。その視線を追ってベルマーも空色の瞳で天を見上げるが諦めたように首を振るう。その様子を見て「エルフと人では視える世界が違うのよ」と子どもをからかうようにアダルティーは笑った。
「拠点を見るに、貴方たち此処に長く滞在していたのよね。何か知らないかしら?」
表情は笑いながらもアダルティーは確信を帯びた眼差しで若槻鱗を見つめる。鱗は咄嗟にベルマーへと視線を移すが大きく膨らんだ炎に阻まれて、視線を交わすことすらできない。もう腹をくくるしかないようだ。
「私と先生が出会ったのが十四日前。あの草原で上空から現れた龍黒から私を救ってくれたのが始まりでした。」
アダルティーの感じた世界の異変。発生源はネルバ大森林近辺。近くには龍黒。それだけあれば自ずと異変の原因は見えてくる。
「ベルマー先生。アダルティーさん。」
世界の異変。主観では分からない客観的な違和感。落ちた雫は波紋となって水面を揺らすが雫自体は沈んでいくだけで何も気づかない。自分が生み出した波紋など知る由もなく、ただ元から世界が揺れているものとして面白く映るだけ。
「大事な話があります。」
混乱を避けるため、とベルマーに言わずにいたことを打ち明けるだけ。ただ機会が来たから話す。内容は複雑怪奇だけれど、こういう時は最初の言葉で印象が決まる。
「その世界の異変が訪れた日に…私が異世界からやってきたんです」
鱗の緊張が伝わったのか。胸元で眠っていたアキがパチリと目を開く。
「マ〜ちゃん。ふぅ~ して」
耳元に優しく息を吹きかけると、アキの身体は幼女から少女へと成長して再び母の胸元で眠りにつく。ホッと安堵するのも束の間、誰からも反応がないことを不思議に思って顔を上げるとアダルティーが、美女が絶対にしてはいけないような表情で固まっていた。
・
万物を想像し創造する「神」という存在が二つの選択肢を前にした。
〝集〟をもとめた「一」の世界。〝孤〟をもとめた「二」の世界。
そのどちらの世界を選ぶのか。「神」は思い悩んだ末に「一」の世界——【若槻鱗】がいた世界を選んだ。
ところが「神」は自らの力を見誤っていた。選ばなかったはずの「二」の世界は「神」の想像によって誕生していた。想像と創造。その密度の違いは言葉の上でも明らか。思い描きの域を出ない「二」の世界は薄れ、消滅する運命にあった。
そこへ気まぐれな神が手を差し伸べた。
「一」と「二」。表裏関係にある両世界の狭間、世界境界に住む〝真実〟の名を冠した神。両世界の繋がりを強め、「二」の世界を維持し、自らの領域を広げるために彼は「一」の世界で死んだ若槻鱗という人間を「二」の世界に送った―――。
…もう、ずいぶん昔にあった出来事だと思いながらも鱗は真実の神から聞いた言葉をそのまま伝えることにした。
「真実の神…聞いたことのない名ね。でも、その神様の気まぐれで私たちの世界は生き長らえている、ということで間違いはないのかしら」
「はい。私も詳しくは分かりませんが世界に濃い色を落として彩りを深めるのだとか」
「なるほど合点がいったわ。・・・それにしても世界を一枚絵に例えるだなんて素敵ね。その神様、一体どんな方なのかしら」
「イケメン英国風紳士、身体は七福神恵比寿」「イケメン?エイコク?エビス?」
「赤い瞳に、金髪。彫りの深い、勇ましい顔つきに筋肉質な四肢」「まあ♪」
「そしてプックリと膨らんだ腹」「マア…」
大きくお腹を張って見せるとアダルティーは可憐に笑った。
「ねえ。一つ聞きたいのだけどコチラの世界に来た人は他にもいるの?」
「それは…」
ガラティア洞窟からの帰り道。彼女から聞いた龍と大神の争いにかかわったという「とある人」。それを聞いた鱗の脳裏によぎったのは世界境界で真実の神に尋ねた言葉。
————『人間を送ったことは?』
「一人だけいる、と真実の神は言っていました。既に天寿を全うした、とも。だから、その人がアダルティーさんの話していた「とある人」に当たるのかは分かりません」
ただの憶測でこの世界の歴史を歪ませるわけにもいかず、語気を強めて答えるとアダルティーは「そう…」と少し寂しそうな様子を見せる。
その顔が妙に切なくて、なんだか罪悪感が芽生えてくる。彼女が「とある人」に抱いていた理想だとか希望だとか。そういったものを貶してしまった気がして、一言謝ろうと彼女のもとにすり寄ると美女の意地悪い微笑が見えた。
「ありがとう。気にしてないわよ」
微笑に気を取られている間に美女は鱗の耳元に唇を近づけ、柔風のように囁く。堪らず身体をよじると彼女は新しいおもちゃを見つけたみたいに鱗の耳元を攻め始める。
「それで♪貴方の魔法についてだけど、あれは一体何なのかしら」
遊び飽きたのか。フッと耳に息を吹きかけて離れると彼女は真剣な面持ちになって鱗と向き合う。ピンッと跳ねた銀の睫毛から眩い瞳がコチラを覗いている。
「これは私に与えられた力。真実の神から渡された「かえる」力です」
地面に寝かせたアキの髪を撫でながら自身の力とアキについてアダルティーにも打ち明けることにした。
思いがけず発動した「かえる」力によって火からアキを生み出したこと。
生み出したアキの存命には鱗自身のマナか天地両大神のマナが必要で定期的にマナを供給する必要があること。供給されたマナに応じて姿を変えられること。魔術を行使する際、地の大神からはマナを借り受けられるが天の大神からはマナが得られないこと。そして水に触れたがらないことなど詳細を全て話した。
「分からない力ほど末恐ろしいものはないわね」
思いのほか淡々とした感想を述べると彼女は初めてアキを魔力感知で視たときの様子を教えてくれた。
「芯に地の母様のマナ。それを囲う天の母様のマナ。そして、それらを覆う謎の力がアキちゃんの身体を形成していたわ。さっきまでは弱々しかったけれど今ではそれなりに…って感じ。貴方の力がアキちゃんを形作っているのは間違いないわね。だけど…」
「だけど?」
「火を人に変えるのか。火に生命を与えるのか。これには大きな違いがあるわよね。あなたの…その「かえる力」。その名称から今は前者の火を人にする方に力が働いていると仮定しましょう。でも、やっぱりアキちゃんが「火」であることに変わりはない。彼女が水に触れたがらないというのは「火」という本質ゆえの行動ね。そうなると、アキちゃんという「火」は何を燃やして存在を保っているのかしら?」
いつの間にか手に取った薪を鱗に見せつけ、その先端をゆっくりと火に近づける。
「マナ、ですね」「そうね」薪の先端が黒ずみ、やがて橙が波を打つ。
「「火」という魔法の原点を知っているかしら」
首を振ると残念そうな目つきで彼女はベルマーに視線を送る。
「「火」の魔法はね。元々、龍の息吹を模したものだったの」
「龍の息吹を…」あの地龍が放った薄紅と黒の炎が蘇る。
世界に満ちる天地の大神のマナを無条件で奪い収束・放出する龍の息吹。かつて地龍との戦いでベルマーは地龍の息吹を凌いでいたが本家の龍が相手となればそうともいかない。力が大きく減衰した地龍と違い、本来の龍には魔眼もある。たとえ、その魔眼の力を抜きにしたとしても「龍が息を呑んだだけで死を覚悟するものだ」とベルマーは語っていた。
「貴方、魔力感知はできる?」
再び首を振る。ガラティア洞窟へ向かう少し前からベルマーに教わっていたが、どうしても目にマナを通す感覚が不快で馴染めず会得できずにいた。
「そう。それなら口で説明するわね」
アダルティーの瞳の緑光が僅かに輝きを増して燃える薪を見つめる。
「天地の母様のマナを糧に放つ龍の息吹。これを模した「火」の魔法は術者の手を離れても薪や枯葉といった水気が少ない植物に引火すれば燃え続ける。肉眼だと植物に宿る地の母様のマナを燃やしているだけに見えるけど、魔力感知で視ると風――天の母様のマナも僅かに燃やしている。つまり「火」が独立して存在するためには天地二つのマナが必要というわけね」
「なるほど。だから、アキにも天地二つのマナが必要な訳ですね」
地の大神のマナだけではアキが存命できない理由が判明したところで鱗はアダルティーに尋ねた。
「アキは、どうして天の大神のマナを借り受けられないのでしょうか」
自分の身の上も、「かえる力」のことも、アキの事も。その全てを話したのは相談の意味もあった。知っているからこそ解せる事象があり学んだからこそ生き延びた今がある。
「それは…アキちゃんが龍と似た行いをしているからでしょうね」
「え…龍?」
「どうして私がこんな話をしたのか分かる?」
戸惑う鱗には何も答えることが出来ずアダルティーは話を続ける。
「アキちゃんはね。龍の息吹が人の形を成して生きているようなものなのよ。今はまだ拙いけれど、いざとなれば世界に満ちるマナを奪って、すべての木々を、生き物を、大地を燃やし尽くすかもしれない。」
「そ、そんなこと…!」
勢い余って鱗が立ち上がると、それをなだめるように静かにアダルティーも立ち上がる。
「アキちゃんはしない。貴方もさせない。だけど天の大神にはそれを裏付ける信頼がない」
彼女の言葉がやけに鼓膜を揺らして、意識が言葉の方へと吸い込まれる。それがマナ供給の疲労のせいだと気づいた時には足がぐらついて仰向けに倒れそうになる。
「だから——」
銀の束が煌めく。
焚き火の赤と橙と黄色が反射した彼女の髪は分かっていても美しい。
柔らかな指が鱗の手を握り、背中を支えて、身を寄せる。
そして、暗夜の黒と橙を映した緑の瞳が一心に鱗を見つめていた。
美人な彼女は笑っても、怒っても、おかしな顔をしていても様になる。
だけど、やっぱり真剣な表情の彼女が一番美しいのだと鱗は分からせられてしまう。
「だからね、ウロコ——」
やや低めの囁くような美声が止めを刺しにくる。
「———私と一緒に旅でもしましょうよ」




