38.「はじまり、って何ですか?」
体力の回復を待って鱗たちは本来の目的であった地底湖の調査を再開することにした。依頼に書かれていたガラティア洞窟の異常。その大元である怪物はアダルティーの魔法によって消滅しまったようだが、残された手がかりから少しでも情報を持ち帰るべく一同は地底湖周辺を念入りに調査することにした。
結果、被害者となった冒険者たちの遺体は骨すら見つからず古い布切れや破損した武具といった遺留品だけが発見された。その中には冒険者「彼」の遺留品もあり、洞窟にあった痕跡からベルマーが推理した通りにスラガ鉱石が大量に入ったリュックが発見された。
「私が持つわ」重量があるため置いていくことも考えたがベルマーの推測を聞いたアダルティーが気を利かせてリュックを持ち帰ってくれることになった。
〝異常〟の大元である怪物の正体こそ掴めなかったが、ひとまず元凶を取り払ったとのことでベルマーは調査の終了を告げた。
「先行は俺が。ワカツキとアキちゃんは俺の後ろ。それからアダルティーさんは後方をお願いします。」
行きは下り。帰りは上り。「彼」の痕跡を辿りながらきた行きと違って、帰りは入口へと一直線のはずなのだが行きよりも時間の経過が遅く感じられる。
疲れているせいかベルマーも口数が少なく、鱗にも話せるだけの余裕はない。
しばらく妙な沈黙が続くと、アダルティーが一人囁くように口を開いた。
「かつて龍と地の大神が争った時代があったの。」
頭を撫でるような柔らかな声。
元の声質が良いためか頭にスッと届く彼女の声に鱗の絡み合った意識が紐解かれ、次の彼女の言葉に傾注する。腕の中で眠っていたアキもパチリと目を開くと、何か期待するような笑みを浮かべて鱗を見つめた。
「大罪を犯した其は大神の洗礼を受けた。
地は、その魂を九つに分け。天は、その繁栄に赦しを強いた。
九つに分かたれた魂は後の龍族となり、子を成す龍にはタメシの儀が求められた。
タメシに敗した龍は|天に近づくことを禁ずる《・・・・・・・・・・・》として翼を天に捧げられる。
人族の多くは、ここで地龍が生まれたと認識する人が多いけれど本当は少し違う。初めは翼を失った龍も他の生き物と同じように大地で暮らしていた。
けれど、地の母様がそれを許さなかった。
地は天からめぐるもの全てを欲する。雨や陽の光といった【天より落ちるものを余すことなく受け止める】地の母様の性質によって翼を失った龍は天から落ちたものとして地に取り込まれた。
これが地龍の成り立ち。地龍の存在に激昂した龍たちは地の大神に戦いを挑んだ。「龍」としての誇りを取り戻すために。」
序章終了。時の語り手は呼吸の一音を以って舞台に一時幕を下ろす。
いつの間にか彼女の話に没頭していた観客二人。そのうちの一人は反射するように語り手に問いを投げかけていた。語りたがりな独り言に相槌を打つ‥かつての世界で染み付いた無駄な処世術である。
「…犯した大罪って、一体なんなのですか?」
語り手は首を横に振るうと細い銀の髪束が揺れて星のように煌めいた。
「それは母様が生まれてすぐのことだったから…私には分からないわ。母様たちなら分かるかもしれないけれど」
母様と母様たち。エルフという種族について予めベルマーから聞いていなければ混乱していたことだろう。
「母様たち、というのは天地両大神のことででしょうか」
「ああ、ごめんなさい。分かりづらかったわね」
確認のために尋ねるとアダルティーは慣れた様子で補足する。
「肉体的な親である母とエルフという種としての母。
ここでいう「母様たち」とは第一世代であるエルフの始祖とその生みの親でもある天地両大神のこと。貴方たち人間は自らを孕んだ女性を「母」と呼ぶけれど、私たちにとっての「母」とはママであり母様たちを差す。要するに私たちには三人の母がいるということね」
「ママママ、マ・マ…ママがいっぱいなんだね!」
「ふふ、そうよ。良いでしょう?」
抱いていたアキが純朴な反応を見せるとアダルティーはニコリと笑みを浮かべる。
「アダるんのママは どこにいるの?」
「‥‥あだるん?」
唐突な呼び名に美女はキョトンとした顔を浮かべて首をかしげる。
先程のベルマーの畏まった敬語から察するにエルフという種族は人族にとって敬愛すべき存在。愛称で呼ばれたことなど今までなかったのかもしれない。
「うん!あだるてぃ?…だから「アダるん」!かわいいでしょ〜?」
ニコニコえっへんなアキの笑顔を前に美女は思わず口元を手で覆い隠す。
「…ごめんなさい。その子、持って帰ってもいいかしら?」
「ダメです」「そう…残念」
後方のアダルティーが距離を詰め、鱗は自然と歩みを緩める。
そして共に並んで小さく笑いあうと暗い道中に微かな光が灯り始めた気がした。
「それで龍と大神の戦いは…どう決着がついたのですか?」
今度は意欲的に尋ねると時の語り手は静かに顔を伏せる。
迷っている様子なのか自信のない表情を浮かべながらも、やはりその顔は美しく。いくらでも待ち続けられる気がした。
やがて深い呼吸が場の空気を一心させると語り手は一言。
「とある人が止めた、としか言いようがないわね」
「…とある人」「マ〜ちゃん?」
思わず足が止まると腕の中のアキが心配そうに鱗を見つめる。
「私にもね。あれが誰だったのかは分からない。だけど、あの人のお陰で龍は顎を、大神は矛を納めたのだと私は思ってる。真実は、あの場にいたママにしか分からない。だけど、そうであったら素敵だなと…私は思うわ。」
遠い空の、そのまた遠くにある星を眺めるような目でアダルティーは天を見上げる。鱗の目には垂れ伸びた鍾乳洞しか映らないが悠久を生けるエルフの瞳は当時の状況を事細かに映しているようにもみえた。
「…これは地の母様の力を引き継いだものなのだけど、エルフは記憶を失わないの。命が芽生えた瞬間から現在に至る全てを記憶する。
私のはじまりは――〝誰か〟の遠い背中に手を伸ばすママ。
顔も名前も声も分からない其の人が振り返って、何かを伝えるとママは生まれる前の私を抱いて泣いていた。どうして、泣いていたのか。何が悲しかったのか。言葉は聞こえなかったけれどママの感情がマナと共に流れ込んで来て…そうして私は生まれた。エルフには珍しく、私だけ泣いて生まれてきたそうよ。」
昔話を終えて美しき語り手は可憐な笑みを浮かべると、ゆっくりと前方を指し示す。
出口と思われた指先には何も見えない薄暗闇。ヒュウっと布をなぞったような音が聞こえると木々の匂いを帯びた風が鱗の鼻を撫でる。
「外だ」
小川を遡り、山道を登って見下ろした早朝の景色が嘘のように辺りには暗がりが広がっていた。夜の寒さに震え踊る草木が静かな夜に細やかな賑わいをもたらす様は妙な健気さが感じられる。
「真っ暗だね / まっくらだね〜」
声が重なり、見下ろし、見上げて、クスクスと二人で笑いあう。
少しの間、アキを下ろして体を伸ばすとアキも鱗を真似て「グ~ン」と声を上げて伸びをする。
「マ―ちゃん あそこ、ピカピカしてるね〜」
アキの指さす方へと視線を伸ばすとネルバ大森林を超えた一帯に薄明かりが見えた。色々あって忘れていたが冒険者集会所の所長から頼まれた依頼は明日の陽が縮むまで。今日のところは夕食を食べて、しっかり体を休めたいところである。
「マ〜ちゃん ちゅかれた~」
万歳しながら足元に歩み寄るアキを抱き上げる。
ちょっとだけ軽い。疲労とは別に体のマナが足りなくなってきたのだろう。
「そういえば貴方たち。たしか集会所の依頼で来ていたのよね」
「ええ。「ガラティア洞窟に異常発生」とのことで集会所の所長直々にベルマーさんに依頼を頼まれたそうです。」
「そう。ついに彼女が動いたのね」
所長のことを告げるとアダルティーは意味深に呟き、少し曇った表情を見せる。
話題に知り合いが出てきた反応にしては妙な深刻さがある顔で妙に印象的であった。
「ところで、どうしてアダルティーさんは地底湖に現れたのですか?」
ずっと気になっていたことを鱗が尋ねると抱いたアキから小さな寝息が上がる。
アダルティーと鱗は顔を見合わせ、互いに立てた人差し指を口元に当てる。
「貴方たちの拠点に戻ったら話してあげるわ」
それから元来た山道を下り、小川の流れに沿って大森林へ。
倒れた大木。折れた木々。舞い散った若葉。
ひっくり返った地面。砕け散った岩。
地龍戦の残骸が見えると一同は大草原の方へと進路を曲げる。
・・・マユーの件が発覚してからベルマーは一度も目を合わせてくれない。
彼の興味を惹く話題であっても口を開くことはなく、意識さえも向けられない。
そうした彼の行動が意図的だと知るからこそ鱗の方からは何も言い出せずにいた。
あの優しい空色の瞳が恋しい―――と。
そう望むことが無責任なことだと流石の鱗も自覚はしていた。




