3.「はあ…異世界の?」
もう一度だけ生きてほしい、と男は願った。
金色の髪。柘榴石の瞳。彫り深い顔。筋骨隆々たる四肢。
そして全てのcalを腹に納めた謎の男、真実の神。
そんな彼から打ち明けられた真実を前に若槻鱗は狼狽えた。
「もう一回?」
追い打ちをかけられた気分だった。
清々とした気持ちに降りかかった善意ある絶望。第二の人生などと聞こえは良いがゲームの残機が増えるのとはわけが違う。
「それって、転生ですか?」
無言を嫌って適当に質問を唱えると男は「まあ、そんなところだ」と濁すように答えた。それが鱗の表情を見た上での反応なのか。だとしたら他人に悟られるまでに感情が面に現れているのも珍しい‥などと他人事のように自己分析する。
齢二十余りの人生だったけれど「楽しい」と思えた時間など瞬きの程度。
たとえ、それ以上生きていたとしても残っていたのは苦しい道だけ。瞬きの「楽しい」に勝る情動や刺激はもう得られない…それを知ってなお二度目の人生を得たいかと言われれば答えは勿論「NO」だ。
「すみませんウチそういうの結構で―———」
いつもの訪問販売を断るていで早口に答えようとすると男は大きな手を振りかざして鱗の言葉を制した。
「待て。時間はいくらでもある。決断するのは私の話を聞いてからでも遅くはないだろう?」
「…わかりました」
こういう類の話は聞いてしまったが最期…という気もするが、柘榴の瞳に気圧されて鱗は渋々男の話に耳を傾けることにした。
「げほんっ」と濃い痰の絡まった咳払いが響き、それから絵巻物を読むように男は語り始める。
「———表があれば裏がある。表裏一体というよりも是は〝可能性〟の裏返し。
いつ、いかなる存在においても「もしも」という可能性は示され、観測されている。
お前も、私も、世界を創った「神」でさえも…。
かつて「神」は二つの世界を前にして悩んだ。
〝集〟を求めた世界/〝孤〟を求めた世界。そのどちらを創るべきか、と。
のちに「一」/「二」と呼ばれる両世界だが最終的に「神」が選んだのは「一」の世界。つまり、お前が元いた世界となる」
「…神様でも迷うのか」
心の声が漏れてしまい鱗は取り繕うように質問を投じる。
「えっと。ところで此処は何なのですか。私のいた世界とは違うのですか?」
「ここは「世界境界」と呼ばれる私の領域だ。「一」と「二」の両世界を繋ぐ鎖のような役割を果たしている」
「・・・ん?「神」って奴は悩んだ末に「一」の世界を選んだんですよね?
それなのに「一」と「二」を繋ぐ場所って、どういうことですか?」
「たしかに。「神」が選んだのは「一」の世界——〝集〟を求めた世界だ。選ばれなかった「二」の世界が存在することは本来有り得ない。」
「しかしな。鱗よ」と男は静かに話を続けた。
「あの「神」が悩んだという時点で既に「二」の世界は「神」の想像の中で思い描かれていた。…賢き鱗よ。これが何を意味しているのか分かるか?」
想像し創造する力を持つ「神」は悩んだ末に「一」の世界を創り上げた。
ところが「神」の想像の内では「二」の世界の構想もあり、それも創造されてしまっていた…?
「未練がましい…ですね」「ああ、全くな」
創造と想像の境。現実とIFの中間。〝可能性〟の裏返し。
「一」と「二」の狭間。それがこの世界境界…。
「———さて。以上を踏まえた上で現在「二」の世界は重大な欠点を抱えて存在している」
ここからが本題という様子で真剣な面持ちになると男は再び鱗の瞳を見つめる。
「というと?」「薄いのだよ。「二」の世界は…」
世界が薄い、ってなんだ。ちょっと格好いいじゃないか。
「思い描かれただけの「二」の世界は「一」の世界と比べれば密度や情報といったものが明らかに欠如しているのだ。」
それから男は「そうだな。このポテチを例に挙げれば‥」と、どこからともなく新たなポテチ袋と白い粉末が入った小瓶を取り出し、袋の中に小瓶の粉末を振りまいた。
「私の「こいじお」は味が濃く、元の「うすしお」は薄い。つまり「塩分」という旨味の情報量が圧倒的に足りないわけで——」
「…おい。まず「うすしお」に謝れ」「ぐぬぬ」
目の前の暴挙を見過ごすことはできず鱗は叱りつけると男は残念そうにポテチを懐にしまって思案する。
「———では。こう例えるとしよう。「一」の世界を百色で彩ったキャンバスとしたら「二」の世界は三色程度を薄く塗っただけのキャンバスなわけだ」
「それなら‥何となく」
色の薄い絵も味はある。
だけど注意深く見なければ、その深みは分からない。
「密度の薄い世界を繋ぎ止めるほど世界境界の鎖は強固なものではない。本来無いはずの「二」の世界は存在そのものが曖昧だからな。世界が薄まれば鎖は即座に千切れてしまう。だから私は時おり「一」の世界から「二」の世界に濃い色を送り込むことで繋がりを保っているのだ。」
「送るといっても具体的には空気とか土とか海水だがな」と男は付け足した。
濃い色。つまり情報量が多いものほど効果があるってことらしい。…人間とか。
「人間を送ったことは?」
「一人だけ、送ったことがある。無事に天寿を全うしたぞ」
「ふ~ん」鱗の興味は瞬く間に削がれていった。
「そういえば、何のために「二」の世界を存続させているの?」
やや安定しない自分の言葉遣いに疑問を抱き始めながらも鱗は尋ねた。
「うむ。あるぞ。世界境界の鎖が強固になれば世界境界そのものを広げることができるからな。」
「…それって、つまり?」
「私も広い部屋に住みたいのだ」
「身勝手な神様ですね」たっぷりの皮肉を込めて鱗は言った。
「自分勝手で何が悪い。私は真実の神だ」男は胸を張るように玉座でふんぞり返る。
暗さに目が慣れたおかげか。鱗の視界が少しだけ明るんだ気がした。
暗黒に浮かぶ水晶のシャンデリアは相も変わらず薄青く階下を照らし続けている‥。
「さて。そういうわけで若槻鱗よ。これからお前を「二」の世界へと送る。感づいているとは思うが拒否権はない。すまんが、もう一度だけ生きてくれ…」
しんみりとした空気が流れたのも束の間。
男は突然口元を抑え始めると震えながら一言。
「それに、生涯最期の景色が便所なぞ——ぶふぅっ‥‥納得がいかんだろう」
「・・・ア?」
若槻鱗は決意した。
必ず、この邪知暴虐な男にドロップキックを喰らわせると。
「むこうに行ったら私は何をすればいい?」
そう尋ねると男は「すでに私の真実は貴様に述べた」と幾度も見上げたであろうシャンデリアへと視線を移す。
「もう一度だけ生きてほしい、ね。私、神様に会うのは初めてなんですけど、もしかして何処かで会ってます?」
「【全ての理を白日に灯し真実を明らかにする】…これが私の力だ」
何かに集中している様子なのか目も合わせず男は的外れな返答をする。
「答えになってない気が‥」
「うむ。神様は全て見ているぞ、ということだ」
柘榴石の瞳は鱗の全てを見透かしたように笑っていた。
「若槻鱗よ。生前の如く他に歌舞けとまでは言わん。むしろ、その心に真なれと私は望む」
「——なに、を——」
唐突な男の言葉に混乱する鱗であったが、これを放置して男は天に手を伸ばす。
すると、シャンデリアから薄青い光の粉が静かに降り注ぐ。床に溜まった粉は円となり、やがて文様を記した陣が形成され、最後に陣から光の円柱が立つと一層強い光を放ち始めた。
「ああ。大事なことを忘れていた」
陣から放たれる青い光は大きな音を立てながら脈打つように点滅する。
『 お前は、どのような力を欲す? 』
残り数秒。カウントダウンは既に始まっているというのに、とんでもない質問をぶち込んできた男に鱗は怒り心頭する。
「絶対、今じゃ、ないだろ!」
「一応は真実の神として貴様に依頼するのだからな 早々に貴様が死んでは私も心が痛む だから貴様に力をやろうというのだ ありがたく思え ハハハハハ」
「ハイハイ~そうですか」
五割増しされた男の早口に呆れながらも鱗は内心かなり焦っていた。
一般人は「力」なんて求めない。せいぜい「あの秘密道具が欲しい」とか「瞬間移動したい」だとか。求めたとしてもその程度だ。それに求めるとしても、その多くが寝坊・遅刻等で駅へと駆けているときに願う「現実への逃げ」であって常に望んでいるような厨二病ではない。
「…そんなに迷うのならば不老不死とか、どうだ?」
「そこまで生きたくないかな」鱗は男の提案を適当に返す。
もう本当に時間がない。身体の危険信号が騒々しく鳴っている。
ケータイのアラームを消しては惰眠を貪り、挙句の果てに失敗を犯しそうになった鱗だからこそ体感で分かる。「もういいんじゃない?」と恐ろしい開き直りを始めようとする自分を押しのけて、鱗はとにかく口を開いた。
「 【かえる】力 」
何を言ってるのだ、と自問するよりも先に青白い光に身体が包み込まれる。
シャンデリアと床の陣を繋ぐ光の円柱が一層強い光を放ち…。
「・・・星だ」鱗は見た。
宇宙の果て。世界の片隅。二つの世界を結ぶ世界境界。
埃みたいに小さな光の粒々が此方を見つめていた。
左右・前後・上下‥どちらが元いた世界なのかは分からない。
ただ若槻鱗の右手側にある世界の方がより強い光を放っているようにも見えた。
「了承した。では、これよりお前は世界境界を跨いで次なる世界へと転生する。今そこにある真実を見失うな。心を強く持てよ、若槻鱗」
真実の神の言葉。
そして大きな一拍を合図に鱗の身体は光の円柱と共に消え去った。
・
世界境界を照らした光の一柱が無くなったことで玉座の間には再び暗闇に満ち始める。一人から二人。そして二人から一人に戻った虚空の玉座にて王は——真実の神は再びポテチを片手にcalを蓄える。
「かえる力、か…」
その一言を最後に暫くの間、暗闇には咀嚼の音が続いた。
油と芋のジャンクな香りが漂う中、ほのかに甘い蜜の匂いが見え隠れする。
「かえたいのか。かわりたかったのか。あるいは————‥‥ともあれ、ハニーバターなるものも悪くはないな。甘さが疲れに効く…」