32.「巡る命」
〝 騎士よ。おまえは運命を信じるか 宿命を信じるか 〟
彼女の問いが不思議と思い出される。
白き鱗に覆われた美しき龍。龍黒という妹の影に隠れた姉、龍白。その龍白が乱心したとされ、大都アスカテーラを治める騎士ヴァルマン家の当主が討伐に向かったものの敗北。その際、前当主‶白銀〟は大都を離れていたため急遽付近の町を治める騎士達に招集がかけられ、ベルマーも龍白の討伐へと向かった。
戦いは苛烈を極めた。数多の騎士達が敗走した。
伝説に名高き龍族に人族は敵わない。そう誰もが思い知らされた後、ただ一人龍白と向き合った騎士ベルマーは龍の問いに答えた。
『俺は信じない。龍よ。白く美しき鱗を持つ龍白よ。この世にあるのは——…』
なぜ、あの答えが出たのか。思い出すたびに疑問に思う。
戦いの末に精魂尽き果て、己の死を覚悟したことで吐露した言葉。願うように唱えた言葉を、あの白き龍はどう受け止めたのか。それを知る術はもうない…。
「…地の大神よ。我らを奮う熱き美酒を——『地の大神の潮騒』」
血濡れた翼。爛れたような鱗。太さが異なる四足。尾羽に似た膜を纏った尻尾。歪に渦巻く二本の大角。龍の鼻先を半分ほど引っ込めたような顔つきで口先から角張った前歯と鋭い牙が剥き出しとなっている。
翼、鱗、角、尾…いずれも龍族に見られる体の特徴だが、その有り様は異様で邪悪。
「なんだ、あれは」
何より異彩を放っているのは、あの翼だ。
今しがた背を突き破ったように突き出た翼。粘ついた液を垂らしながら脈打つ両翼からは龍族にある誇りも雄々しさも感じられない。
龍に似た体つきの生き物——さながら〝龍モドキ〟としか謎の生物を名称づけることができない。
【 コ ロ シ テ ヤ ル 】
殺意と共に龍モドキは跳躍。大きく開いた口から牙が露わになると同時に水冷纏う騎士の剣が死角の顎下から振り上げられる。
「天下を渡る激流と化せ——『天下に等しき水面なし』」
水魔術を宿した剣に肉体強化の魔術を併せた一閃が未だ宙を躍る龍モドキを切り裂く。
「え」
ところが剣先が顎に触れる直前、龍モドキは前足を乱暴に地面に打ちつけて身を返すと鏡写しのように剣筋を逃れて宙を返る。顎下、前足、腹…そして音もなく地面をなぞった尾羽が反撃となってベルマーに迫る。
「くっ!」
僅かに身を反らして次の攻撃の構えをとるが龍モドキの反撃に合わせて二人の声が地底湖に響く。
「天よ。僅かな御声を——『天のお飛沫』」
「そぉ~~ぅれ!」
慣れない詠唱。勇みある声。アキの手から密度を含んだ火球が一発放たれ、少し遅れてワカツキの風魔術が発現する。
『——使えるなら、上手く使えばいいだけです。先生』
大神を知らなかった少女ワカツキウロコ。
魔術の筋は剣術よりも冴えたるもので呑み込みが早い。このまま一心に鍛え続ければベルマーをも超える風魔術の使い手となりえると…そんな期待もよそに致命的な問題が発覚する。
‶ワカツキウロコは風魔術しか使えず、さらには借り受けられるマナに制限がある〟
天の大神からマナを受けて発現させる「風」の魔術。
前者のみなら、いざ知らず。重大な枷となっているのは後者の制限。どういった理屈か全くの皆無だが、ワカツキは大神から借り受けられるマナに制限が掛けられている。
それも地の大神からは全くマナが得られず、天の大神からは限られたマナだけ。
魔術とは大神からマナを借り受けて発現するもの。
その主たる大神からのマナに不規則な制限が生じるというのは魔術を扱う者にとって致命的な欠陥であった。
ただ、それでも彼女が独り立ちできるようにとベルマーが十日余りの魔術訓練に尽力した結果、分かったことは彼女が扱える魔術の階級と回数について。
「天の大神」「天上」「大空」「天」——天の大神よりマナを借り受けて扱う魔術は、いずれかの階級に分けられる。
ワカツキの場合、「天の大神」「天上」の魔術は行使すらできず。一日に発現できるのは一度きりの「大空」の魔術と「天」の魔術を数度だけ。
ただし初級にあたる「天」の魔術は日常生活に使用する程度のもので戦闘で使用するには威力が心許ない…。
【——————ッ!?】
宙返りからの着地間際、地面から土水を含んだ風が勢いよく吹き上がり、龍モドキの両目に直撃する。課せられた制約。限られた手札から彼女が出した選択は嫌がらせの搦め手。彼女の魔術とは相手を打倒する一手ではなく、活路を見出すための術。その一点にのみ重きを置いて彼女は魔術を極めた。
…現状、剣術も魔術も未だ発展途上の彼女が取れる自身の力量を愚直にわきまえた選択ともいえる。
「「あったれ——————っ!」」
重なる声。不意の目つぶしに眩む龍モドキに赤の炎弾が迫る。
火の化身たる少女が放つ炎は魔術ではなく魔法たる「火」そのもの。
ワカツキから供給されたマナを自身で「火」へと変換するため彼女の炎に詠唱は必要ない。…ただ自らのマナを消費するため連発すれば反動で体が幼くなってしまう。
「炎…」
騎士の脳裏に荒ぶる地龍の姿が浮かぶ。
龍が誕生と共に父親の息吹に炙られるタメシの儀。
古き時代に大罪を犯した龍族が天の大神に自らの子の誕生を赦し願う儀式に失敗した龍は、家族もろとも翼を奪われ、地の大神に隷属する。
「火」を見た地龍が我を忘れるのは、地に身を堕とした彼らにとって「火」が覆らぬ過去を蘇らせる口火となるからだ。
【 ヒ … 】
笑うように吐かれた血生臭い息。
もしやこの龍に似た体を持つ生物も地龍に属するものなのかと、反射的に右腕の盾を構える中、放たれた炎弾が着弾と同時に激しく炸裂する。
【 ・・・・ イ 】
灰煙の中。ジジッ‥と血肉を焼く音が妙に大きく聞こえた。
爛れた鱗は地龍のものよりも強度が低いのか。血肉の焼けた生臭い匂いが地底湖に漂い始める。
【 ・・・ ナ イ 】
煙が徐々に流れる。煙の隙間から覗くのは被弾した片翼。水滴と粘液を垂らしていた血濡れた翼は赤黒く乾き、ポロポロと崩れ落ちる。
妙に膨らみ固まった瘡蓋。それが時を待たず無理やり剥がされて表れた生々しさと共に龍モドキは確かに言葉にした。
【 ・・サナイ ・ルサナイ ユルサナイ 】
殺してやる。許さない。終始、呪いの言葉を吐き続ける龍モドキ。
復讐に駆られた生物が次にとる行動は先刻と同じく意志を行動に移すこと。
やりたいからやる。生物に相応しい単純な理…。
【 カ ミ オ ユ ル サ ナ イ 】
バキバキと硬い音が鳴る。
ギチギチと太い筋が何本も切れた音がして。ベリベリと何かが剥がれ落ちる。
怨讐に引き裂かれ、憤怒に焼かれ、悔恨に捻じられて。
そうして蝕まれた心が体を成して龍モドキの体が変化する。
異音交わる狂奏。恐るべき変貌。酷く気色の悪い像を見させられているというのに目が離せない。まるで生命の進化をその目で見ているような神秘さすら感じられて…。
「ワカツ——————」
出遅れた。そう気づいた騎士が取った行動は一つ。
魔術すら唱える暇すらない瞬きの間。
目蓋を閉じることさえ許されない限られた時の中、僅かに残る肉体強化の魔術で騎士が決した行いは「守ること」。志したことを貫く事だけ。
…ドン、と。重い衝撃と共に騎士の身体は不規則に宙を翔けた。




