31.「チノソコカラ」
蹴られた小石がカン、カラリ。
見落とした突起に躓いて、ガリガリと革靴が地面を削る。
タンッタンッ。ザッ、ザッ。ガシャリガシャリ。
高揚と緊張と淡々とした足音が洞窟内に反響する。
このガラティア洞窟は山道から山の内部に入り、山の中腹から地下深くまで道が続く。複雑な道はなく、大きな一本道から枝のように小さな道が分岐しているため迷うことはない。
入り口は、既に見えない。
洞窟内は道端に小さな白い石がひっそりと咲くだけで辺りは岩だらけ。天然の大階段や朽ちて崩れた瓦礫の山。それから針地獄のように連なる岩丘があるくらいだ。
「先生。どうして洞窟の中なのに明るいのですか?」
「この山の鉱物の影響らしい。入り口から中層辺りまでは陽光を。中層以降は地下から、それぞれ光を反射したり吸収した光を放出して洞窟内を照らしている。でも、光の強弱はあるから足元に気をつけて」
剣に触れたとき。甲冑を身に付けているとき。ベルマーの口調は引き締まる。
同じ台詞であっても言葉の中に普段の柔らかさはない。彼から剣術を習い始めた頃には、それが「怖い」ものだと感じていたが、ベルマー曰く「これは習性のようなもの」だという。
甲冑を纏い、剣を抜く。
闘争における精神と肉体の限界超過。それらを重ね、繰り返す度に身体には限界超過の記憶が刷り込まれていく。
自らの装備に触れた瞬間に精神と肉体は騎士として完成する。
言うなれば、超集中の儀式化。剣に、甲冑に、その身が触れた瞬間から精神と肉体は戦闘に最適な形となり、細胞の一片に至るまで彼は騎士という存在になる。
‥‥初めての剣術修行の際、ベルマーの「怖さ」を目の当たりにした鱗は木陰に隠れて泣いた。温厚な彼を失望させていることの悔しさ。期待に応えられない自身の不甲斐なさ。湿った灰色の感情を一線の涙で全て吐き出し、次からどうすべきかを考え、想像し、平常を取り戻す。
そうして落ち着いた頃に戻ってくるとアキとベルマーが今みたく雑談をしていたのである。
『ベルちゃん!なんでおこってるの』『何も。怒ってないよ』
『マ~ちゃんがなにかワルイことしたの?』
『悪いこと…いや、ワカツキはちゃんと頑張っている。体力はないけど筋は悪くないし、鍛錬次第でワカツキは絶対に強くなる。』
『じゃあ、なんでトゲトゲしてるの?』『トゲトゲ?』
『うん。ベルちゃん…ちょっとこわい』
後々になって分かったことだが彼自身アキに言われるまで気づかなかったのだと言う。本人からすれば怒っているわけでも不機嫌なわけでもなく、ひたすら真剣なだけ。ただ同じ口調で話しているつもりでも、他人からは淡々として、冷たく、怖いものに感じられてしまう。
『弟子を取るのは初めてだったから…』
だから、ベルマーから「怖さ」が抜けたのはアキのおかげといえる。
「ベルちゃん、あれなあに?」道端の白い水晶を指差しアキが尋ねる。
石の花——スラガ鉱石。ベルマーの青い教本で知ってはいたが実物はかなり凸凹。新品の鉛筆を緩く束ねたような形状をしており透明度が高い。
「スラガ鉱石、っていう小瓶の材料になる石だね」
「どうやってつくるの?」
「スラガ鉱石は熱で溶ける性質を持っていて、火の魔術で鉱石をドロドロに溶かし、小瓶を作る。詳しいところは俺も知らない。あれは『鍛冶師』という特別な技術を持った人達にしか作れないんだ。」
「ふ~ん。カジシってすごいんだねぇ!」
洞窟内に少女の声がこだまする。
あっという間に洞窟の中層から下層あたりまで到着したらしく地面が少し湿っぽくなってきた。ぽたりと首筋に垂れた水滴に驚いて上を見上げると、高い天井から鼻水みたいに垂れた鍾乳洞がこちらを見下ろしていた。それから目を凝らして周囲を見れば大小の鍾乳洞が生えており、草木と同じく天を目指している。
鍾乳洞は時の産物。
ひと時だけの氷柱とは違い、過去があり未来がある。
天井と地面の鍾乳洞は、その狭間にある途方もない時間を懸命に食い合うことで再び一つに戻ろうとしているのかもしれない。
「止まって。二人とも」
声の方へと振り返ると、腰元の剣に手を掛けた騎士の姿があった。地龍戦のときの緊迫した状況というよりも警戒に近く、騎士は意識を尖らせる。
「ここに足跡がある」
ベルマーが指差し、その場にしゃがみ込んだので鱗も同じように足跡を観察する。
残ったのは片足分の足跡。踵を中心に足先で数度地面を掻いたような形をしている。
「ここに来たのは十日と少し前ぐらいか‥‥足跡の深さからして軽い装備、布か皮か‥‥重心から腰に短剣‥‥足の運びがぎごちないから此処に来たのは初めてか———」
ぬかるんだ地面に残った足跡を観察しながらベルマーは独り言を漏らす。
ベルマーの観察眼は当時の状況を正確に捉えるほど冴えたものだ。
修行中、森を駆けまわって的当てをしていた鱗の状況を足跡や痕跡を見ただけで判断し、「ここは足の運びが~」「ここ…なんで一回外したの」などと的確な助言をくれる。
「先生。この足跡に付いた粉って…」
足跡に残った白い粉を指差すと、ベルマーは黙って頷く。
先程見かけたスラガ鉱石。その粉末とも呼べるものが足跡に散っていた。
「この足跡は依頼に来ていた冒険者のもので間違いないだろう」
「〝異常〟の原因なのでしょうか」
冒険者集会所・所長からの依頼書に書かれたガラティア洞窟の「異常」の意味。
「死者が出たか、目撃者の証言が曖昧なため」とベルマーは言っていたが前者の線が濃くなり始めた。
「血の匂いはしないし、ここで何かあったわけじゃない。とにかく彼の痕跡を追っていくとしよう」
残された「彼」の痕跡を追って鱗たちはガラティア洞窟の探索を再開する。
大きな道から外れた小さな道を出入りし「彼」の行動をなぞるように中層を歩き回ること暫く。「二人とも、昼餉にしようか」と突然ベルマーが提案する。
陽の光が届かないため洞窟内では時間経過が分かりづらい。
だからこそ腹時計という生物独自の機構だけが唯一時を知るすべともいえる。
「マ~ちゃん ごはん!」
「マ~ちゃんはご飯じゃないですよ~」
言い返すと怒ったアキが唸りながら鱗の胸をポコポコ叩き始める。
こらこら胸を叩くんじゃあない。これ以上育たなくなったらどうしてくれる。
「いただきます」
昼食は今朝方摘んだパルファス草の花——薬花と昨晩ベルマーが見つけたダンゴロ芋を使った薬花白湯と蒸しダンゴロ芋だけ。朝食に肉を食べたせいで質素な昼食になってしまったが今回は一味違う。
魔法の調味料イゾルテ。
これを軽く振りかけることでホクホクとろとろなダンゴロ芋の甘みに塩気が合わさり「甘じょっぱい」という味覚の需要供給を満たした永久機関となる。
「うまま」
結果、拳大のダンゴロ芋を三個も平らげてしまうとベルマーに少し睨まれてしまった。
手早く片づけを済ませて鱗たちは再び「彼」の痕跡を追って洞窟の奥へと突き進む。
最初に見つけた足跡に残るスラガ鉱石の粉末。
おそらく「彼」はスラガ鉱石採掘の依頼を受けていたのだろう、とベルマーが推測していたところで鱗はあるものを発見する。
「これは…スラガ鉱石の破片ですか?」
「うん。破片を見るにリュックを突き破って零れたものだろう。見て、先端に皮の繊維が残ってる。…たぶん採取したものをリュックにそのまま入れたんだ。鉱石採取の依頼では袋を二重三重にするのが定石だからワカツキも覚えておくように」
「は、はい。…それにしてもリュックが一杯になるまでスラガ鉱石を取るなんて…」
「出来高制の依頼でも受けたのかもしれない。本来は公平を期すためにそういった依頼は出してはいけないのだけど…もしかしたら「最近小瓶の価格が上昇している」ってお婆ちゃんが言っていたから——」
「先生のお婆ちゃんですか?」
「いや、アスカテーラの商人だよ。〝老婆の棺〟ってお店の」
また自分の世界に入り始めたベルマーに尋ねると首を振って否定する。
「マ~ちゃん! マ~ちゃん! きてみて! きてみて!」
「え、なになになになに」
いつの間にか先行していたアキが興奮した様子で鱗の下へと駆け寄り、手を引っ張り始める。抗うのも面倒なのでアキに身をゆだねて引っ張られると、鱗の耳がある一音を捉えた。
ポチャン
ガラティア洞窟最奥。
恐ろしげな入り口から薄暗い本道を進み、湿りが増した中層を下って見えた最終地点。最奥から下層・中層を照らす光源とは何か。若槻鱗が秘かに気にしていた疑問は、その景色によって紐解かれる。
儚く薄藍に澄み渡る大水。壁一面に突出した巨大なスラガ鉱石。
悠然と煌めく静寂が支配する地下世界を揺らすのは天井から伸び降りた鍾乳洞が零す気まぐれな一滴のみ。涙にも満たない極小の雫が一度落ちれば地下世界は大きく表情を変える。
「きれい…」
惜しみない賛辞が口から零れた。
初めてこの世界に訪れたときの感動が再び鱗の胸を満たしていく。「この世界は美しい」と恥じることなく叫びたくなるほどに、この地底湖の美しさは鱗を魅了した。
衝撃を越えた貫き。あらゆる言葉すら不要に至る大自然の圧倒。
この場においては声を出すことすら不敬と否されるほどの神聖さに鱗は呼吸すら忘れていた。
「まー ちゃん」
引き攣るような女の声に振り返ると乙女の姿になったアキの姿があった。
マナの消費を抑えるため普段から少女の姿を維持し続けているアキ。その制御が崩れるのは決まってアキの精神状態に異常が現れた時だけ…。
「ワカツキ———剣を抜いて」
騎士は既に音もなく剣を抜き払い、見えない敵と相対していた。
「どっちの剣を?」などと尋ねている暇はない。即座にリュックを降ろして使い慣れたベルマーの剣を抜刀する。緊張のせいか剣が重い。
「地の大神よ。我らを奮う熱き美酒を——『地の大神の潮騒』」
地の大神から即座にマナを借り受け、ベルマーは最大階級『地の大神』の水魔術を発現させる。
敵は不明。姿形も分からないものに対して騎士ベルマー=ガルディアンの細胞は最大の手段を迷わずに選びとる。
【アァアアァ———————】
否。選ばされたというのが正しいのか。
壊れるように鳴きながら湖面から現れたソレは地龍に似た姿をしていた。
…いや、むしろ地龍の方がマシだったのかもしれない。
「なんだ。あれは?」
ベルマーが確かに零した言葉。この世界に住み、数多の土地を旅し、幾千と戦い続けた‶龍殺し〟ですら、その名を知らない。
3mほどの体に、大小疎らな四足。
尾羽に似た長い尾を持ち、爛れた鱗に覆われたモノ。
口先が若干伸びた顔には鋭い牙を携えた一対の大牙が並び、
禍々しい赤黒い眼でこちらを一瞥する生命体。
その背には確かに翼が生えていた。
背から肉を突き破るように生えた翼は脈が血走り、両翼の開帳と共に謎の粘膜が糸を引き、滴り落ちる。
今にも破けそうなその血濡れた翼。その痛々しい翼を見た瞬間、若槻鱗の五臓六腑は嗚咽を唱えた。
ここにいたくない。ここにいてはいけない。
全身の毛が逆立って皮膚が引っ張られる感覚。過敏になった感覚は軋んだ外気よりも内にある脈動を、血管を伝う心臓の鼓動を鮮明に捉える。ドクドクと発された心音が点滅する信号機と重なって視界が徐々に赤くなっていく。
つよく、つよく目を瞑って、夢から醒めるように目を見開くと暗転した視界に一音、言葉が響いた。
【 コ ロ シ テ ヤ ル 】




