29.「働きたくないでござるぅ!」
翌日。陽も未だ起たぬ暁のとき。鱗たちは名もなき山道を上っていた。
息を吸うたびに山の澄んだ冷たい空気が鼻腔と喉を通り、いつもより数段早く眠気が散らされる。振り返れば地龍に荒らされた森の傷跡が一望でき、改めてその恐怖が身に刻まれる。やがて徐々に陽が起ち始めると森に潜んでいた湿気が蒸発し、霧のように空中を漂う様は至極幻想的に思われた。
「…にしても重いなぁ~」
「これも訓練だ」と自身の剣に加え、いつも訓練時に使っているベルマーの予備の剣も携えながら鱗は山を登っていた。鱗の剣は鞘に収まる限り重くなくなる。それなのにいつも以上に疲労を感じるのは慣れない山登りのせいだろうか。
幾分か体力が向上したとはいえ先を行く本職の騎士様と比べると、やはりまだ遠い。
「マ~ちゃん! はやくはやく!」
訂正。アキの底なしの体力はやはり侮れない。
基礎体力でいえば鍛錬した鱗よりもアキの方が高い。子ども独特の無限パワー。早朝にもかかわらずニコニコピカピカの笑顔。きらきら星を得たような無敵状態のアキには体力でも、魔術でも、敵う気がしない。
「ワカツキ。もうすぐだから頑張って」
いま向かっているガラティア洞窟は薬花やハーブを入れる小瓶の原料『スラガ鉱石』が多量に採れる場所で、王都アスカテーラで依頼を受けた初級冒険者が頻繁に立ち入っていたのだという。
「異常、って具体的には何が起こったのでしょう」
「文面だけだから俺の推測だけど「異常」の一言で片づけられる依頼は他の冒険者が亡くなったか、もしくは目撃者の証言が曖昧で信憑性が無いからなのか。内容が分からない以上、下手な人員を送れないから騎士に依頼されることが多いんだよ」
「あれ、でも先生はガルドーの騎士なのですよね。どうして先生に依頼されるんですか。アスカテーラに騎士はいないのですか」
「いや、アスカテーラにも騎士はいるよ。ただこういうのは、あの人がやるような依頼じゃないからね。こうした依頼の多くは実力を測る意味もあって末端の騎士に回されるんだ」
「先生。ずっと気になっていたのですけど騎士と冒険者の違いって何なのです?」
「う~ん。すごく簡単に言うとね。強いか、そうでないか…かな」
「単に強さの格付けという事ですか」
「いや、きちんと役割はあるんだよ。騎士は自らの足で人を集め、村・町・都を管理する。管理と言っても様々だけれど、俺の場合は民が暮らしやすいようにアスカテーラや他の地域から技術・文化・知識を取り入れたりしている。
あとは自分で見聞き・体験したことを村人に伝えていく、とかかな。
基本は動植物や生活の知恵だとか人の生活に偏った知識が大半になるのだけどね。ワカツキに見せた青い教本とかがその一部になるかな。あの本、実は俺が旅に出始めた頃に書いた日誌でね。この近辺の動植物とかが中心になっているんだけど。特にこの『インプダケ』という発汗・興奮・滋養効果のある茸なんかは巡り病にかかった時に使われるもので———」
‥気がつくと、ベルマー先生の雑学授業が始まっていた。
剣術・魔術・文字と様々なことを彼から学んでいるが、この雑学授業に入るとベルマーの熱量は一段階上がる。彼の好奇心が村民に繋がるというならば、たしかに騎士という職は彼の天職とも呼べるかもしれない。
「先生。よく真面目って言われません?」
「そりゃあ、勿論だよ。俺は皆の命を預かっているんだからね」
「命、ですか」
民草を慮って行動し、尽くしてくれる騎士ベルマー=ガルディアンが治める村。
時々ベルマーから話を聞いただけだが、きっと良い村に違いないと鱗は確信する。
いつかの彼が言った通りに若槻鱗が冒険者になれたのならば挨拶と御礼も兼ねて彼の村を訪れてみるのも良いかもしれない。
「ねぇねぇベルちゃん。「キシ」って どうやったらなれるの?」
そこで不意に珍しくアキが会話に入り込む。
いつも興味深そうに会話を聞いているだけでアキが会話に混ざることは滅多にない。
「はいっちゃいけないのかも」と変に委縮して身を引くこともあれば、機会を窺うように鱗の背に隠れることもあり、難しい話の時には頭に宇宙を浮かべる…という基本的には聞く姿勢。
だけど今日のアキは少し違っていた。
出かけ先に向かう道中で妙な方向に興奮する子どものようなものか。
今まで見聞きした会話の流れから実践を試みているのか。
成長と呼ぶには曖昧だけれど勢いに任せて一歩踏み込んだような気配は確かにある。
「騎士というのはね。他のエラ~い騎士さんに認めてもらってなれるんだよ」
「みとめてもらう?」
「いっぱい色んなことを知っていたり、誰かのことを思って動けたり、強かったり…とかね。その人が「騎士」って名乗っても良い人だな~って思われることだよ」
「じゃあ、マ~ちゃんも「キシ」になれる?」
「マ~ちゃんは‥‥もうちょっと強くならないと難しいかな。アハハハハ…」
笑い声をあげながら困り顔で誤魔化すベルマー。
…いつだったか「騎士家系」という言葉を彼から聞いた事があった。騎士とは家系で継ぐ世襲制。この世界で「騎士」という名誉を賜るには世代による長い実績が必要なのだろう。子を為すかは別として、若槻鱗が騎士になるルートはないという事だ。
やがて程なくして鱗たちはガラティア洞窟に到着した。異常が発生したというガラティア洞窟。入り口から恐ろしい気配がムンムンと漂っているものだと身構えていたが、実際は山に大きめの穴が出来ただけの殺風景なものだった。
「おっきいおくち!」
「ただの穴、ですね…」
「何を期待していたんだい。ワカツキ」
はしゃぐアキ。肩を落とす鱗。「さあ、ご飯にするよ」とベルマー母さんが二人を急かして朝食の準備に取り掛かる。
本日の朝食。
献立は「茹でダンゴロ」「薬花白湯」「炙り冷肉」の三品。
ベルマーの土魔術で鍋と食器を作り、水魔術で水を生成。
アキの火で水を煮立たせ、あらかじめ洗っていた芋を茹でていく。
これで「茹でダンゴロ」はあらかた終了。「薬花白湯」は湯に薬花を散らして少し蒸らすだけで済むので、残りは「炙り冷肉」のみ。
鱗はリュックからダンゴロ芋の大きな一枚葉にくるんだ肉塊を取り出す。肉はガラティア洞窟の調査が決まってから急いで調理したもので余った肉塊を串に刺して炙っただけ。流石に皮袋に詰めるわけにもいかないため洗って乾かしたダンゴロ芋の一枚葉で代用することにした。
「うん。いい匂い♪」
ダンゴロ芋の葉を開くと肉と混じったハーブの香りが食欲をそそる。
肉——ミュート肉は、素の味がしっかりしているため香りづけにベルマーから貰ったハーブを振りかけてみたが正解だったようだ。
そのまま広げた一枚葉の上でベルマーから借りたナイフで肉塊を薄くカットしていくと、肉の断面から旨味を含んだ油が流れ出る。昨晩、夜風に当て続けたとはいえ、やはり冷やし具合が足りなかったのだろう。
焼いて、寝かして、冷やすローストビーフの製法を試してみたけれど今回はローストチキン。牛と鳥では肉の水分量も異なるため仕方がない。本当は焼いた時に出た油でソースも作りたかったのだけれど、そんな大そうなものは野宿では作れない。
「いただきます」
三人合わせて合掌し、食事に手を付ける。
鱗は薬花白湯を、アキは茹でダンゴロを、ベルマーは炙り冷肉をそれぞれ一口。
「あふっ、あふ」と口から蒸気を吐くアキ。
「うまい」と染み入るように感想を述べるベルマー。
湯に溶けた薬花の香りを堪能しつつ白湯を飲み込み、白んだ息を吐き出す鱗。
嗜好品と言えば紅茶派の若槻鱗だが、この薬花の味も悪くない。
口当たりは優しく、後味は泡のように簡単に流れる。別名〝星流れ草〟に相応しいほのかな甘みと後引かぬ清涼さ。香りは繊細ながらも一嗅ぎすれば一時心が安らぎ、飲めば身体もポカポカと温まってくる。
…生前、山頂で珈琲を一杯飲むために山を登るという山男の映像を見たことがあるが「なるほど、これは確かに良いものだ」と、かつて否定的であった自身を煽るように薬花白湯を飲み、小さく笑う。
零れた吐息が風に攫われると見えない三差路に当たったように空へ、森へ、まだ見ぬ大地へと流れていき、世界を巡る風に解けていく。
「マ~ちゃん おいしい?」
放心していると、さっきまでダンゴロ芋に「はふはふ」していたアキが鱗を覗き込んでいた。湯を沸かして薬花を散らすだけ、といっても自分が用意した物の味が分からないと、やはり不安なのだろう。
「うん。暖かくて、お花の良い香りがして、美味しいよ」
アキは水に触れられない。
真実の神から授かった「かえる力」によって鱗の起こした火から生まれたアキ。
果汁など少量の水分を含む食べ物なら問題はないが、飲料を口に含むことはおろか川の水にも触れることもできない。
『…当面の問題は水場とか雨になるだろうね』
魔術訓練の際に発覚したアキの性質について、ベルマーは静かに鱗に告げた。
火の化身であるアキという存在は、やはり水とは相容れない。実際に試してみたわけではないけれどアキ自身が本能的に水という「危険」を避けているのだという。
…アキが「あつい」を体験したとき。地龍の猛烈な息吹をベルマーの水壁で防いでいた最中、水壁越しに見えた地龍の焔に魅せられたアキが水壁を避けて焔に触れてしまったのは、こうしたアキの性質も関連していたのだろう。
水族館のガラスケースを見れば子供は真っすぐ走ってガラスに手を伸ばすものだ。
「お芋、美味しかった?」
「うん! ・・・2コもたべちゃった。えへへ♪」
「良いんだよ。いっぱい食べな」
照れくさそうに緩んだ頬を曲げた指でグリグリすると、アキは風船みたく頬を膨らませる。
抵抗しているのか。この愛いやつめ。
悪戯心で膨らんだ両頬を指で押すと「ぷちゅ~」と潰れ、唇を尖がらせる。
「・・・・マ~ちゃん。『ふぅ』して?」
朝と夕方に一回ずつ行うアキへのマナ供給。通称『ふぅ~』。
初めは調整が難しく一度のマナ供給で疲弊してしまうほどであったが、ベルマーの魔術訓練によって体に負担をかけない程度のマナが供給できるようになった。
「ふぅ~」
耳元で囁くように息を吹き込むとアキが少しだけ身震いする。別にやましいことをしているつもりはないけれど、力加減が難しいのだから仕方がない。でも稀に乙女姿でマナ供給を行うと「ひゅう」なんて変な声を上げることもあるので何だか悪いことをしている気分になる…。
「ごちそうさまでした」
それから朝食を早々にさらえて後片付けを済ませる。片付けと言っても土魔術の食器を土塊に戻して食物の皮などを埋めるだけ。魔術は便利だ。
「準備はいいかい。ワカツキ」
予備の剣を渡しながら甲冑姿のベルマーが最後の確認をする。
「異常」が発生したガラティア洞窟。力量と経験と知識があるベルマーでさえ未知へ飛び込むのには、それなりの覚悟がいる。
剣を携え、革装備を点検し、身体を動かして疲労や伸ばし足りない部分がないかを確認する。十日余りずっとやってきた確認動作。言われずとも身体が無意識に行ってくれる。
「はい。問題ないです先生。アキも大丈夫そう?」
「うん! げんきいっぱい!」
ポンポンとお腹を叩いて、グッと脇締め。気合十分といった様子だ。
「それじゃあ行こう」
ベルマーが先陣を切って洞窟に入る。
次いで鱗も入り口に立つと途端に怪しげな風が顔に吹きかかる。妙に暖かい優しい風。だけど、その優しさが鱗には恐ろしく感じられる。目に見えない何かが自分を見ているような気がして、不意に後ろを振り返ると口をすぼめたアキの姿があった。
「あ、マ~ちゃん。…はやくいこう!」
目が合うと取り繕うようにアキは洞窟へと駆け込みベルマーの跡を追う。
その小さな後ろ姿を呆然と眺める鱗であったが、やがて洞窟内に流れ込む外気に吸い込まれる形で一歩、二歩と足を踏み入れていった。




