24.「魔法って…」
「ちのかみさま つちをくだちゃい——『地の茶』」
髪の赤みが僅かに増したかと思えば、呪文を唱えたアキの手からモリモリと小さな土の塊が浮かび上がる。それを「えーい!!」と目一杯の力を込めて上へと放り投げるとベルマーが呪文を唱えた。
「天よ。我が身に不意の拍手を———『天の偶咳』」
落ちてくる土の塊を払うように腕を振るうと不自然な強風が舞い上がって見事に土塊を粉微塵にしてしまう。
「——‶始まりの魔術〟とされる「土」は地の大神から。
大地を撫でる「風」は天の大神からマナを借り受けて発現する。
「土」は地の大神に、「風」は天の大神に近しい力を行使するものだからね。」
「やったね!ベルちゃん!」
はしゃぐアキの頭を撫でながらベルマーは鱗に魔術の種類について説明する。
「次に俺が得意としている「水」の魔術。
それからアキちゃんの「火」。あと、俺は不得手だけど「雷」。
この三種の魔術は、どちらの大神からマナを受けても発現できるけど「火・雷」に関しては借り受ける大神のマナによって変異と呼ばれる現象が起こる。」
「変異?」
「魔術は大神のマナを扱ったものだからね。それに応じて魔術も大神の影響を受けたモノに変わる。まあ、今は「大神の要素が加わる」程度に覚えてくれたらいいよ。」
以前「魔術は大神のマナを借り受けるもの」と話していたが、この世界の人でも呪文を唱えたらポンッとできる…というわけではないようだ。
「「土」は地の大神。「風」は天の大神。「火・雷」は大神の影響を受ける…ということは、先生の水魔術はどちらの大神からマナを受けても同じなのですね」
「そうでもないよ。ワカツキ、空を見上げて、それから地面を見て。この違いが何かわかるかい?」
「見上げて、見下ろす―—遠いか、近いか?」
「そう。地を歩く人にとって天の大神は遠く、尊い存在。天の大神からマナを借り受ける際には少しだけ時間がかかってしまう。」
「逆に言えば地の大神の方が早く借り受けられる、ということですね」
「その通り。ただ力の関係でいえば天の大神の方が半歩勝るから同じ階級の魔術でも借り受けられるマナが大きいっていう利点がある。だから一概にもどちらが良いとも言えない。実戦の魔術で必要なのは状況判断とマナを深く知ることだよ。」
「土/風」「火・雷」「水」…五つの魔術と天地の大神のマナの借り受け。
初めてベルマーの魔法の本を読んだ時は鼻で笑っていたものだが、いまは違う。魔術一つ唱えるにも様々な要素が絡み合い、そのうえで十分な知識が必須であることが分かる。
「——どうして、天の大神の方が強いんですか?」
何気ない質問を唱えた途端、空気が若干重くなったように感じられた。
無音の一拍を経てから「しまった」と鱗が気づいたときには彼の顔には硬さが抜けた脱力だけがあり、何知らぬ顔で「ごめん。それは俺にも分からないんだ」と柔らかに答えていた。
「…ちなみに魔術に際したマナの借り受けだけど、これは種族によって違った形式をとっている。だから、いま俺が話したことは「人族に限ったこと」だと覚えておいてほしい。」
「‥それじゃあ、エルフ族ならどうなるのでしょうか」
度々話題に挙がるエルフ族について尋ねると、ベルマーは難しい顔を浮かべて「分からない」と答えた。
「ワカツキも魔術を使えば分かってくると思うけど、あくまで体感的なことだからね。ただ前にも話したように天地両大神の御子であるエルフ族は大神の仲を取り持った存在。実の子という愛情以上に感謝の念もあるだろうから祈れば雷鳴よりも速く、川水のように膨大なマナを受けられるだろうね。」
「神様も感謝するのですね。」
「親は子どもに感謝するものだよ。「生まれてきてくれてありがとう」って」
「先生、結婚されてましたっけ?」
やけに現実味のある言葉を話すベルマーに尋ねると「地元に住む夫婦から聞いたんだよ…」と苦い顔を浮かべていた。
ベルマーも説明していたが、人にはそれぞれに得手不得手な魔術があり、五種全ての魔術を実戦レベルで扱える者は人族にはあまりいないのだという。
田舎村ガルドー出身の騎士、龍殺しベルマー=ガルディアン。
彼が主に扱う魔術は水と風。特に水魔術を得意としており移動・攻撃・防御…と汎用性と自由度の高い水魔術は彼に合っているのだという。
一方の風魔術は練度としては水魔術に劣るものの用途としては相手の虚を突くような妙手・搦め手として扱うらしく、いずれは水魔術と同程度まで上達するのが彼の目標らしい。
「——でも、先生。昼食のときに土鍋作ってましたよね?」
昼食での場面を思い出して尋ねると、この世界の人々が最初に使う魔術は「土」。次に「火」といった生活に必須となる魔術なのだという。
「土遊びとか騎士ごっことか…あと女の子だと花集めとか。幼い頃から大地と触れ合っているから感覚的に掴みやすい魔術であるのも土魔術の特徴かな」
「先生が初めて使った魔術も土魔術なんですか?」
「いや。俺は…水の魔術だったよ」
ふと当時の思い出を懐かしむような目をする彼に鱗が期待を込めた視線を送ると払うように手を振って本題へと戻ってしまう。
「魔術というのは言葉を重視する。大神からマナを借り受けるわけだから言葉を綴るのは当然の事。大神の御子であるエルフ族でも魔術を行使する際には言葉を、祈りを、詠唱を重んずる。」
「…詠唱というと、やっぱり魔術の前の言葉には決まった文面があるのですか?」
魔術を使う前に呪文を呟くベルマーを思い出して尋ねると、彼もそれを察したのか「違う違う」と手を振って否定する。
「すみません。てっきり暗記が必要なのかと…」
「いや、俺の伝え方が良くなかったね。魔術に必要な言葉とは心からの祈り。ただ心から思い描いた言葉をそのまま口にすればいい」
「思い、描いた‥」
「なんでもいい」が一番難しい‥なんて話を聞いたことはあるが実際に直面してみるとかなり迷う。方向性が見えない、というのも一つの要因なのだろう。
「…暗記で思い出したのだけど」思い悩む鱗を見て、ベルマーが囁く。
「魔術には階級と呼ばれる四つの段階があって、発現させる魔術の階級に応じてマナを借り受ける大神の呼び名を唱える必要があるんだ。」
「呼び名?」
「そう。人でいうところの愛称に近いのかな。
例えば、俺は君を「ワカツキ」と呼ぶし、アキちゃんは「マ~ちゃん」と呼ぶ。
でも呼び名が変わっても、それらが「ワカツキ ウロコ」という人物を指すのは変わらない。違いがあるとすれば各々の親密度や距離感だろうね。」
言い終えてから思い出したように「…あっ! 別に「ワカツキ」だからって距離を置いているわけじゃないから」と弁解するベルマー。
暗記の件で誤解があったことを気にしているのか必死そうな様子の彼に思わず「じゃあ先生も「マ~ちゃん」でいいですよ」とからかうように提案すると「勘弁してくれ」と青年は困った笑みを浮かべていた。
「天の大神ならば天の大神。天上。大空。天。
地の大神ならば地の大神。天下。大地。地。
こんな風に大神の真名から切り取った呼び名を唱えることで魔術の階級は変わる。呼び名が長ければ高い階級で、短ければ扱いやすい階級と覚えてくれたらいい。ワカツキの場合だと‥‥初めは大空や大地までの魔術が適切だと思う。」
「…届くでしょうか。私の言葉は」
天の大神からマナを借りられなかったアキの例もある。彼女には地の大神との繋がりがあったが異なる世界から来た若槻鱗に大神との繋がりはない。
大神とエルフ。大神と人。
恩や関係性を重んじる神々が見知らぬ者の言葉を聞くのだろうか。
「祈りは届くものだよ、ワカツキ。誰だって生まれるときには産声を上げる。それを聞いた誰かが情を注いで生まれた命を育む。「生まれたい」と叫び願ったあの瞬間が今ここに君や俺を立たせている。声を上げて、願うことが生きるということなんだよ」
現実味のあった先程の言葉とは打って変わり、彼の内面が滲み出た言葉。
願い、望み、信じているからこそ口にできる言葉。
…儚く、脆い、硝子のように眩しくも芯の通った言葉だ。
「分かりました。やってみます」
この世界と自身との関係に一度目を瞑り、意識を集中させる。
初めての魔術。土・風・火・雷・水。どんな魔術を使ってみようか。
やはりベルマーの教本で初めて見た「火」の魔術にしようか…。
轟々と燃える炎を想像すると不意に黒と薄紅が渦巻く。あの地龍の焔だ。
恨み連なる黒と芯で荒ぶる薄紅。ベルマーの背中越しに見た焔の風景を思い出す。
あの後、アキが地龍の焔に触れてしまって本当に大変だった。
地龍の焔に右手を焼かれて泣きじゃくるアキ。
そんな彼女に鱗がしてやれたことは息を吹きかけることだけだった。
『ふぅ~』
当時の不安と無力さを吐き出して、吐き出して。ゆっくりと深呼吸する。
空気が美味い。この世界に初めて来た時のことを思い出す。
空の青さと大地に芽吹く濃淡のある緑。風に乗って香る草花と木々の匂い。
生まれ変わったワカツキウロコを初めて感動させたのは、あの美しき景色。
そして、この胸を満たしたのは世界に満ちる暖かな「風」であった…。
「大空よ。見知らぬ私に小さな奇跡を———『大空の片隅で』」
言葉は唱えた。少し恥ずかしかったけれど心から唱えた魔法の言葉。
此処にいたい。この世界で生きたいと願った言葉。
だけど、何も感じない。
初めて教本を見て「魔法」を発現させようとした時の虚しい無音が鱗を包み込む。
天の大神からマナを借り受けて発現する「風」の魔術。
天は遠く、尊き存在。おそらのマナが降ってくるまで待たないといけない。
『 発現させる魔術を想像して… 』
やがて、ベルマーの言葉を思い出す。大事なことを忘れていた。
自分はこの魔術をどうしたいのか。それを想像していない。
思い出に浸るのは想像じゃない。若槻鱗は「風」をどうしたいのだろう。
「 簡単でいいんだ。ワカツキ 」
頭の中にベルマーの囁きが染み込んでいく。
かんたん、カンタン、簡単。
ひゅるり、と気ままに流れゆく風を想像する。
どこへ行こうとも誰にも阻まれない自由な風。
吹いて吹かれて、漂い舞って、そうして世界に浮かんでいく。
「マ~ちゃん!とんでる!」
アキの声にゆっくりと目を開くと、周囲の景色が表情を変えた。
大草原に刺さった大木の数が増え、草原に隠れていた見知らぬ小花が顔を出す。
大森林の方へ視線を伸ばすと風になびく木の葉が陽光を反射し、時おり黄金と薄緑の光が交差する。
「マ~ちゃん すご~い!!」足元を見れば、二人が揃って鱗を見上げていた。
興奮するアキと心配そうな顔を浮かべるベルマー。高さにして3m前後。その辺りの木に登ったのと大差のない距離。だけど小さな変化は若槻鱗の世界観を大きく変えた。
「魔法って———凄い」




