22.「共通」
ぶんぶんぶん はちがとぶ~♪
童謡を口ずさみながらベルマーが書き残した文字表を模写する鱗。ある程度書き覚えたところで、ついに自分の名前を書いてみることにした。
「ワカツキ ウロコ」見慣れぬ自分の名を見下ろしていると、初めて英語で自分の名を書いた当時の気持ちを思い出す。まるで自分が違う世界の住民になった気になってワクワクしてしまうような‥そんな懐かしい気持ちに。
続けて「アキ」と書き、それから「ベルマー ガルディアン」…ときたところで、鱗はあることに気づく。
濁音と小文字。それと伸ばし棒が分からないのだ。
尋ねようにも現在ベルマーはアキと共に森へ食料調達中。「昼食の時にでも聞こう」と気を取り直し、「ソウケン ムカウ」と念のため地面に書置きを残して鱗は拠点から草原の方へと出向く。
誰もいない大草原。
地龍が吹き飛ばした森の大木が槍の如く突き刺さってはいるものの至って平穏。
欠伸でもあげるように飄々と流れる風は心地よく、仰向けになって大きく深呼吸する。柔らかな陽の光が眠気を誘い、そのまま目蓋を閉じてしまいそうになるのをグッと堪えて鱗は貰ったリュックから慎重に赤の教本を取り出す。
昼食を食べたら、いよいよ魔術の授業。出来る生徒というのは予習ぐらいするものだ…などと意気込んだ鱗は赤い教本を開いて数秒後に撃沈。教本に描かれたベルマーの文字は達筆すぎて全く読むことができなかった。
「花でも摘みますかぁ」
ベルマーとの剣術修行は広大な草原ではなく狭まった森の中で行われた。修行内容といえば構えや重心、力の入れ方といった基本的なことが殆どで実際に剣を振るったのは十回ほどであった。
『 剣を振るのは誰でもできるけど、正しく剣を振るうのは俺でも難しいことだからね 』
鱗の浮ついた心情を見透かしたような言葉を最後に剣術修行は終了。食料調達で拠点を離れる際には「まだ型が安定していないから」と一人で剣を振るのは控えるようベルマーに注意されてしまった。
文字の方もある程度は空で書けるようになったため今は手持ち無沙汰気味‥ただ、やることが全くないというわけでもない。
黒ショーツをずり上げ、窪みに湿った葉と土をかぶせて再び草原へ。
乾いた地面を探してブーツを脱ぐと、足から順に全身の筋肉を隈なくほぐしていく。…正直に言うと、明日の筋肉痛が怖いのだ。
「マ———ちゃ———!!」
遠くから聞こえる賑やかな声。
トテトテと小さな歩幅で懸命に草原まで駆けて来る少女。
陽の下で反射するキューティクルの光輪。弾けんばかりの眩しい笑顔。
愛娘アキが食料調達から戻って来たようだ。
「おかえ‥‥んっ!」
猛ダッシュで迫るアキを受け止めようと身構えるも踏ん張りが利かず、そのまま地面に押し倒されてしまった。
「ただいま マ~ちゃん」「おかえり アキ」
ヒョイとアキを抱えながら周囲を見回し、ゆっくりとこちらに向かってくるベルマーに手を振る。
「先生おかえりなさい」
「うん、ただいま。これ、アキちゃんが小さくなっちゃったから」
持っていたレザーベルトを受け取り、腰に巻き付けると彼は随分と浮かない顔をしていた。
「先生、そんな顔しないでください。魔術については分かりませんけど、まだ始まったばかりなのですから」
元々アキの魔術修行は大神のマナを借り受けて使用する魔術の法則を利用して、鱗のマナ供給の負担を減らすことが目的であったが、いまの彼の反応を見るに鱗の『ふぅ~』を相当危ういものとして見ているらしい。
「やっぱり地の大神のマナだけじゃあダメなのか…」
剣術修行に入る前に聞いた話。鱗が息も絶え絶えに森の中を駆けていた頃、魔術の修行として土の実づくりに勤しんでいたベルマーとアキ。やがて、それが一段落して次に天の大神のマナを使った魔術を行使しようとしたところで問題が起きた。
「———どうして。アキは天の大神からマナが得られないのでしょう?」
草原から拠点に戻り、昼食の準備をしながら鱗は尋ねる。
組んだ薪にアキが火種を落とし、ベルマーは石で組んだ炉に魔術で生み出した土鍋を乗せる。水筒に汲んできた水を土鍋に注ぎ入れ、炉にアキが火を点けたところでベルマーは空を見上げて一言「…信頼かな」と答えた。
「ワカツキ。〝世界の成り立ち〟について覚えているかい?」
「ええ。仲違いしかけた天地の大神が子どもであるエルフの始祖のおかげでよりを戻した、っていうお話ですよね」
突然の問いに簡略ながらも答える鱗に「その通り」とベルマー先生は嬉しそうに頷く。
「前にも話したけれどエルフの始祖というのは天の大神・地の大神の子であり、そして人族の母でもある。ここで重要なのは人族というのは両大神からすれば「孫」のような存在であること。つまりは———」
「——信頼がある?」被せるように言うとベルマーは「うんうん!」と大きく首を上下させた。
「血縁関係、なんて言い方は人族に寄った言い方だけれど俺たちには遠からず両大神との繋がりがある。だけどアキちゃんの起源は君の起こした火が命を宿したものだから俺や君とは大神との関係性が違うんだ。」
「じゃあ、逆にどうして地の大神からはマナが…?」
「アキちゃんの出生だろうね。薪を組み、火から生まれた彼女は元となった木——つまり地の大神とは縁が出来ているわけだから」
世界の成り立ちにおいて、天の大神は空となり地の大神は大地という形をとった。
大地に芽吹き、そこに生きとし生ける生物は全て地の大神に起因する。
大地に根付いた木を燃やして生まれた「アキ」という存在も総じて見れば地の大神から生まれたもの、という事になるのだろう。
アキは〈地の大神のマナだけでは存在を維持できない〉。アキの法則が見えてくるまでは鱗が魔術の鍛錬をして身体に負担がかからない量のマナ供給をアキにしていくしかない。
「信頼か…」
ならば若槻鱗はどうなるのだろう。
若槻鱗はこの世界で生まれた者ではない。
魔術とは無縁の世界を生きてきた放浪者であって天地の大神とは何の繋がりもない。
若槻鱗は魔術が使えないのではないか…そんな疑問が不安となって胸の内を強張らせる。
「みてみてマ~ちゃん! グルグルタマゴできたよ!」
熱々の卵を抱えたアキが顔を覗かせる。ベルマーと話している間に一人で卵を炙って、中身をかき混ぜてくれていたようだ。
「きっとげんきになるよ!」そんな一言を添えて嬉しそうに卵焼きを差し出すアキ。
「うん。でも今度はアキから、ね」
ベルマーに木製スプーンを貰って卵焼きを一匙「あ~ん」とアキの口に放り込むと「…おいしい」と恥ずかしそうに感想を口にする。
「げんきになる」から「おいしい」。
昨日初めて卵焼きを食べた時とは違うアキの感想。もう一人で卵焼きを作れるようになったアキの成長を、些細な変化をみて鱗も決心する。
信頼とは築くもの。それはどの世界でも変わらない。
ベルマーとの出会いも偶然ではあったけれど、今ではこうして師弟の関係を結んでいる。神様との信頼をどう築くのかなんて分からないけれど生きてさえいれば大抵何かしら何とかなるもの。とりあえず出来ることから、である。
「卵焼きウマ…」
気を取り直して鱗は卵焼きを口に含む。黄身の甘みと白身の旨味。そして適度な塩気を堪能していると、鱗の鼻は嗅いだ覚えのない匂いを察知する。
「ワカツキ。スープもあるよ」
知らないうちに湯を沸かした土鍋に溶いた卵を流し込むベルマー。さらに小瓶から香草のような細い葉と小粒程度の花を注ぎ入れ、仕上げに小さな白い塊を食用ナイフで削って粉末を振りかけると、卵と香草が入り交じった香り高い匂いが更なる食欲を掻き立てる。
「しかも、イゾルテ入りだよ」「…いただきます」
二ヒヒ、と年老いた魔女みたいに鍋をかき混ぜながら悪そうに笑うベルマー。
それに釣られて鱗も笑い、二人が笑う様を交互に見比べてアキも「フヒヒ?」と分からないながらも笑いだす。
「ところで。イゾルテって何ですか?」「貨幣だよ」「かへ?」




