19.「次の麦刈りって いつですか?」
「う~‥ん」
朝食後、縮んでしまったアキに『ふぅ~』をする鱗。四度目ともなれば加減も出来るだろうと軽く吐息を吹くと昨日と同じように身体の力が抜けて動けなくなってしまう。
「マ~ちゃん!あ~ん!」「…あまま」
乙女アキに緑の実を食べさせて貰っているとベルマーが慌てた様子で手持ちの水筒を持ってきてくれた。
「ワカツキ。その果実について気づいたことがあるんだ。」
受け取ろうと手を動かす鱗を彼は首を振って制し、栓を外して慎重に鱗の口元へ水筒を傾ける。コクリと注がれた水を飲み込んで深く息を吸うと次第に体調が戻ってきて、再びベルマーの顔を見上げる。かなり心配している様子だった。
「どうやら、その緑の実には豊富なマナが含まれているみたいだ。」
空色の瞳で剥いた緑皮を見つめ、再び鱗の方へと視線を戻す。心なしか、普段よりも瞳の色が濃くなったようにも感じられた。
「どうやって分かったのですか?」
「魔力感知という世界に満ちるマナを視る技でね。これは龍族からエルフ族を通して人間へと伝わったものなのだけど…一旦それは今は置いておいて。」
語りたがりな口を閉ざすように手を当て、再び彼は鱗の問いに答える。
「この果実を試しに視てみたら自然界にあるのが奇妙なほど膨大なマナを含んでいることが分かったんだ。しかも不思議なことに皮を剥くまで果実のマナに気づくことはできない。ワカツキ、この果実は一体どこで?」
「この森の中を歩いていたら…でも、もうあそこは」
昨日の地龍によって、あの辺り一帯の森は荒らし尽くされた。もう一度、あの緑の実が生っていた木を探すのは不可能だろう。
「その実。先生にも分からないのですか」
「ああ。こんな果実、今まで見たことがない。遠くから来た行商人が落とした種から生ったのか。新種の植物なのか。それさえも分からない。だからワカツキ……」
そこで言葉が途切れ、鱗が不思議そうに見つめると「なんでもない」と払うように彼は首を振って、半ば強引に話題を切り替えてしまう。
「さて、起きるのが早かったからまだ時間もある。ワカツキの休憩も兼ねて「剣」について授業でもしようか。」
気を紛らわすように傍にいたアキの頭を撫で「にへへん♪」とアキが喜んだのも束の間。「ワカツキ、ちょっと失礼」と不意を突くように彼は鱗の手を取った。
「うん。やっぱり、ワカツキの手は綺麗だね」
「‥‥アリガトウゴザイマス」
突然の出来事に思考は停止。鱗の手をジッと見つめる青年を傍観しているうちに止まった思考が早送り気味に復調。そして暴発しかけた途端、刺すような空色の瞳が鱗を見つめた。
「剣なんて、握ったことないでしょう?」
思考冷却。平静を取り戻した鱗は嘘偽ることなく肯定を示す。
「はい。一度もありません」
足元を見れば相手の程度が測れるというが、手を見れば相手の生き方が分かる。
目は口ほどにものを言い、手は口以上に物を語る。
お手本とあるように手は全てを物語るもの。
若槻鱗の手はベルマーに何を語ったのだろうか。
「そうか」独り言のように軽く流すベルマー。この世界において、女性が一人で剣を持つという事に想像を巡らせているのかもしれない。
「その剣について、聞いてもいいかな」
「ええ。良ければ持ってみますか?」
「…ぜひ」
試しに提案してみると青年の鼻がピクリと膨らみ、ベルトから外した剣を手渡すとゴクリと唾を飲み込む音が聞こえた。慎重に剣を受け取るとベルマーは魔力感知―—輝く空の瞳でひとしきり剣を眺め、鞘の差し口付近にある黒の宝玉を見た途端に瞳の空が僅かに曇る。目を細め、食い入るように宝玉を見つめ、そして難解そうな顔を浮かべたのち「無理だ」と諦めたように天を仰いだ。
吹き消すような短い吐息。次に期待の籠った長い呼吸。
宝箱を開く少年のような顔つきになって青年が鞘から剣を引き抜いていくと、
「へんっ!?」
刀身が鞘から離れた直後、剣に手を引かれるような形でベルマーは片膝をついていた。
「ワカツキ。これ、一体、どうなってるの?」
初めて剣を抜いた頃の鱗と同じような反応を見せるベルマー。片手に鞘、片手に剣。両手いっぱいでどうしたら良いのか分からないといった状況である。
「大丈夫です。先生、落ち着いて鞘をこちらに」
急いで鱗が鞘を受け取り、両手で剣を握り直すベルマー。彼にとっても鱗の剣は重いらしく構えた彼の両手は小刻みに震えていた。
「これは、君の力量に合ってないね」
「ええ、本当に困ったもので。ですから普段は鞘に納めたまま使っているんです。こんなふうに…」
鞘に収まる限り剣は重くなくなる。
使用者への重み(負担)が無くなるだけで剣の重さは失われてはいない。
そう彼に説明しながら剣を鞘に納め、軽々と素振りしてみせるとベルマーは呆然とした表情で「魔法の剣だ」と少年のような感想を述べた。
「ひとまず、その剣は暫く封印だ。君の力量が追い付くまで俺の予備の剣で修行していくことにしよう。教本同様、これも王都の仕事で使う予定だったのだけどね…」
そう言って彼がリュックから手品の如く取り出したのは奇しくも鱗のものと同じ長さの剣。軽く鞘から引き抜くと刃は両刃で少々年季を帯びているようにも見える。
元は彼の仕事に使われるはずだった教本と剣。
教本に至っては仕事のために今までの資料を整理・清書し、職人に頼んで製本してもらったものだという。…そう聞くとベルマーとの出会いにも運命的なものを感じてしまう。
「最初に会った時も言っていましたけど王都での仕事って、どんな仕事ですか?」
「王都アスカテーラを治めているヴァルマン家当主様、その次代当主に当たる御孫様の家庭教師だよ」
「ヴァルマン家当主…?」
「‶白銀〟って呼ばれる有名な英雄でね。俺の憧れの大騎士様なんだ。」
尊敬する騎士からの仕事。騎士にも位があるとすれば王都アスカテーラを治めるヴァルマン家当主というのはベルマーよりも位の高い騎士なのだろうか。
『あんちゃん、私を助けてくれ』
『‥‥申し訳ないけど、それは厳しいかな』
初めて出会った時、鱗の頼みを一度断ったベルマーの気持ちも今では分かる。
騎士社会については全くの皆無だが、上司からの仕事を断るとなれば彼自身と彼が治めるガルドーという村にも影響が及ぶ可能性もある。
村民全員と見知らぬ女一人。
天秤に乗せればどちらに傾くのかなど一目で分かることだ。
「その、先生。あの後、私のせいで仕事に支障が出たりとかは…」
「うん?そんなことないよ。元々早い時間から出発していたからね。本の内容も覚えていたし、剣だって必要もなかった。騎士家系の子なら幼い頃から自分の剣は持っているものだしね。今回は依頼主が大物だから用心に越して準備をしていただけ。それが巡りめぐって君の助けになったんだから何も問題はないよ」
潜む影すらないほど青年は明るい笑みを浮かべていた。無意識に「立派ですね」と口にすると彼は照れくさそうに「そんなことはないよ」と麦わら帽子の陰に隠れてしまう。
「先生って、何歳ですか?」
身分も名前も異名も知っているけれど、年齢を聞いたことは一度も無かった。
ガルドーを治める若き騎士、龍殺しベルマー=ガルディアン。
一つの村を治める騎士で偉い騎士様にも期待されている逸材。「恐らく年上だろう」という憶測を浮かべながらも時おり感じる少年らしい眩しさがそれを曇らせていた。
「えっと、次の麦刈りで21になるかな。ワカツキは?」
「‥‥私も同じくらいです」




