18.「『ふぅ~』はお預けですか?」
夜空に紫紺の光が伝う頃。
花摘みに目覚めた鱗は眠れる森の中をさまよい歩いていた。
現状、快く花を摘めてはいるものの毎度場所を選んで土を掘り返すのは…やはり不便だ。
『マ~ちゃん なにしてるの?』
昨日、花摘みの最中にアキに尋ねられて気がついたことがある。
彼女は一度も花を摘むという行為をしてはいない。
炎より生まれた愛しき娘は小さき花も大きい花も摘まない本当の偶像なのかもしれない。
「せんせい?」
拠点へ戻る道中、倒れた巨木の上で座禅を組む半裸の男を発見する。
体に詰まった無駄のない筋肉。わずかに表皮に浮かぶ血脈。頬から首—鎖骨—胸筋—腹筋へと滴る汗は葉から枝へ幹へと伝う雨粒を想起させる。
「……ふぅ」
瞑想。目を閉じ、脱力し、呼吸に準ずる精神統一の御業。
整然と自らに没する彼の瞑想は留まる水面のように平らで、静かで、偶然目に入らなければ気づくこともできなかっただろう。
「おはよう。ワカツキ」
薄明と共に男の声が森を伝う。
うつらな森を揺らす彼の声は場の静けさも相まって鱗の耳の奥にまで響いてくる。
「おはようございます先生。すみません邪魔をしてしまって‥」
「いいよ。君に見つかるということは俺もまだまだという事だからね」
大木の上から鱗を見下ろすベルマー。「離れて」と掌を押すように鱗を促すと、ヒョイッと大木から飛び降りた。
「それにしてもこの木、大きいですね。何という木なんですか」
「これはネルバの木だよ。木脈が太く、丈夫な木で歳月に応じて際限なく伸びていく。太い幹の部分は建築資材に、枝葉や端材は家具として重宝されている。ネルバ木はどの地域にでも生えている木だけれど、ここら一帯は特に盛んに生えていることから〈ネルバ大森林〉と呼ばれているんだ」
「建築、ですか?」
気になった言葉を繰り返すようにして尋ねると、ベルマーは図太い木の幹を撫でながら嬉しそうに教えてくれた。
‥昔から大きな町や都ではネルバの巨木を丸ごと一本使った長屋が主流で、住居希望者が費用を出し合って資材を購入し、大工職人に頼んで部屋を作ってもらうのだとか。
「——この大森林の先にあるアスカテーラでは最近戸建て式が流行っているらしくてね。なんとネルバの木を輪切りにして家を建てるんだよ。」
昨日森で会ったという大工職人との話をベルマーは本当に楽しそう語る。
「…地元のガルドーでも活かせるかも。」
話の端々でそう漏らしてはいるが、彼にとっては「知ること」が純粋に楽しいのだろう。目の前の青年が見せる少年のように眩しい表情がそれを物語っていた。
「この木。バオバブみたいですね」「バ、バブバブ…?」
白い木皮。太くて真っすぐな幹。茸の傘みたく生え広がった枝葉。
見た印象をそのまま言葉にすると、きょとんとした顔でベルマーは赤ちゃん言葉を唱えていた。
「ふふふ」「あはは」
数秒。互いの顔を見合ってから二人は静かに笑い合う。
陽が鼻先を出し、黄金の光が大地に朝の到来を告げる頃。
「マ~ちゃ———ん?」と遠くでアキの呼び声が聞こえ、鱗たちは早々と拠点へと戻っていった。
・
「ふぅん! ひどいよ マ~ちゃん!」
「ごめんね、アキ。先生と話してたら遅くなっちゃって」「え!?」
「ふぅん! ひどいよ ベルちゃん!」
「ごめんよぉ、アキちゃん」「じょ、冗談ですから‥」
プンスカ、プンスカと頬を膨らませる乙女アキをなだめ、落ち込んでいたベルマーを励ましながら拠点に戻る。それから昨日残ったクザの干し肉を朝食に鱗は今後の方針についてベルマーに尋ねた。
「・・・こほん。昨日の夜にも言ったように文字以外に剣術と魔術を君達には教えておこうと思う。本格的な修行をつけるのは俺も初めてだけど、最終的に君達を並の冒険者と同程度の力量に育てていくつもりだ」
気を取り直したベルマーは真面目な顔で鱗とアキを交互に見つめる。
「冒険者」という言葉に鱗は首を傾げ、それに釣られてアキも首を傾ける。
「冒険者というのは簡単に言うと力量と知識で生計を立てている人たちのこと。彼らは大きな町や都に置かれている「冒険者集会所」に属していて、各地で依頼を受けて生計を立てている」
「先生は冒険者でもあるのですか?」
率直に感じたことを口にする。
「いや俺は冒険者じゃない。前にも言ったけど俺はガルドーという村を管理する騎士。時おり冒険者では対応できない依頼を手伝ったりもするから冒険者の事情には詳しいんだ」
冒険者が対応できない依頼…。
頭に浮かんだ【龍殺し】の異名が鱗の疑問に答える。
「冒険者の利点は主に自由性だね。各地を転々としながら依頼を受けられるし、実績を重ねて集会所の信頼が得られれば兼業することもできる。欠点でいえば収入が不安定なところだね。冒険者は身体が資本の仕事だから体調を崩したり、怪我を負えば収入が得られなくなる。」
「‥言い方は雑ですけど、常識と力さえあれば誰でも始められる職業ということですね?」
「そう。ここまでの付き合いだから君たちの面倒はそれなりには見るけれど、ずっと‥って訳にもいかない。だから君たちが自生できるように俺は地盤を築く」
「はい。私達もそれで構いません」
冒険者になるかは別として、この世界で生き抜ける程度の力量はつけなければならないだろう。安全を求めて町への定住も考えたがベルマーのように色んなものを自分の目で見て、この世界のことを知っていきたいという考えもある。
だから、ひとまずの目標は生きるための強さと知識を身に付けること。
最低でもアキと二人だけで旅ができるぐらいにはなりたいところだ。
『 真実を述べよう。若槻鱗よ。もう一度だけ、私は貴様に生きてほしいのだ。 』
龍に、ベルマーに、アキに、地龍‥序盤から色々あって考えることも出来なかったけれど「若槻鱗は、どう生きたいのか」を真剣に考えていかなければならないだろう。
「よし。じゃあ早速始めよう」
最後の干し肉を飲み込むとベルマーは落ちていた長枝で地面に何かを描き始めた。
ザリ、ザリ…と枝が地面を削る少し懐かしい音が小気味良く流れる。
「ちょっと読みづらいけど、これが文字だよ」
一通り書き終えたベルマーが腰を上げると地面には文字の表が書き記されていた。
上から下に縦並びで書かれた五文字の列が8つと三文字の列が2つ。
文字の形は統一性がなく落書きのようなものから絵のようなものまでズラリと並んでいるため分かりづらいが、全部で46文字描かれている。
「変わった形ですね。これは何と読むのですか」
一番右上の文字を差すとベルマーは一字ずつ枝で差しながら全ての文字を読み上げてくれた。「あいうえお…」と言い出したところで地面の文字が五十音——や行(い・え段)とわ行(い・う・え段)を除いたもの——であることが分かる。
「基本的な文字はこれで全部。これらを食事前に書き起こして自然と書けるようにしていけばいいし、読むほうは俺の本を見て覚えて貰おうかな。」
これなら文字の読解ついでに知識面の勉強も出来るからね、とベルマーは楽しそうに話を続けた。
「大まかだけど一日の流れとしては朝と昼と夕方の食事前が文字と雑学。朝から昼まで剣術。昼から夕方まで魔術。…という流れにしていこうか」
「剣術の次に魔術なのですか?」
昼食を挟むとはいえ、体育後の授業というのは身体が疲れて集中できないものだ。
「うん。やってみたら分かるかもしれないけれど魔術の修行の方が疲れるんだよ。アキちゃんにマナを送った時も疲れがドッと来ただろう?」
「ああ。確かにそうですね」
鱗からアキへのマナ供給——通称『ふぅ~』。
あれをやる度に身体が虚脱感に見舞われて鱗は動けなくなってしまう。
…そういえば、あの「緑の実」を食べると幾分か体調が戻っていたが、あれは一体どういった原理なのだろう。この世界のものを食べるとマナが回復するのか。それともあの緑の実が特別なのか。マナについては未知数な部分が多い。
「追々話すけれど魔術の行使は意識や意志といった精神面での動きが如実にあらわれる。剣術は自身の体力を測りながら鍛錬できるけど、魔術は自身の体調やマナの総量を完璧に把握していないといけない。勢い余ってマナを消費し過ぎれば失神や虚弱…最悪の場合は死に至ることもあるからね」
剣術は身体。魔術は生命力。
MPが尽きればHP勝負の肉弾戦、なんてことは出来ない。
「もしかして、魔術を学べばアキに適量のマナを送れるようになるのでしょうか?」
あの虚脱感が少しでも薄まるならば、と期待の籠った目でベルマーを見つめる。
「そうとも言えるし別の手段がないこともない。でも、こっちに関してはアキちゃんの努力次第ってところだね」
「というと?」
鱗の問いには答えずベルマーは少しだけ腰を下げて乙女アキを見上げた。
「なぁに?ベルちゃん」
呑気な声で尋ねるアキに笑いかけながらベルマーは一つ提案を挙げた。
「アキちゃんも魔術を覚えてみない?」
「マジュチュ?」
きょとんとするアキ。鱗も突然のことで一手遅れてベルマーに尋ねる。
「アキに魔術‥?」
「そう。地龍との戦いに焚き火——アキちゃんの火がどういった原理で出ているのかは俺にも分からない。ただアキちゃんが魔術を覚えればワカツキの負担が確実に減るんだよ」
「いいかい」とベルマーはリュックから赤の教本を取り出し、鱗が最初に見た魔法のページを開いて熱弁する。
「魔術とは、天地の大神のマナを借り受けて行使するもの。詳細は省くけど、いま重要なのは魔術の発現ではなくマナの借り受け。つまりアキちゃんが自分でマナを借り受けられるようになれば——」
「——私がマナを供給する必要がなくなる、ということですね」
「そのとおり!」
本をパタリと閉じてニヤリと笑うベルマー。
鱗の頬も釣られるように僅かに吊り上がる。
「・・・マ~ちゃんもマジュチュおぼえる?」
鱗の服をつまみながら不安な面持ちで尋ねるアキ。アキの指先から伝った熱に身をよじるのを堪えながら鱗はアキの手を優しく握って答える。
「もちろん。一緒に頑張ろうねアキ」
「うん! いっしょ…いひひ♪」
白い歯を見せながら嬉しそうに笑う乙女アキ。
指先から伝った熱。嫉妬と呼ぶにはこそばゆい微熱が払われたことに鱗は安堵しつつも心のどこかでその微熱を喜んでいる自分がいることに気づく。




