16.「昼下がりの草原より」
肉の偉大さ。
これを人類は如何ほどに理解しているのだろうか。
この世界で初めて食べる肉の味を噛みしめながら鱗はそんなことを考えていた。
「やるな、クザ肉」
ベルマーが持ってきてくれた「クザ」の干し肉を頬張りながら鱗は頷く。
初めは発酵臭に似た独特の獣臭さに慣れなかったが、赤身の旨味と脂身の甘さが非常に美味で数切れ食べてしまえば肉の匂いにも慣れていった。大小疎らに薄切りされた干し肉は程よい硬さで、無理に噛まずとも口に放れば自ずと溢れる唾液で柔らかくなるため老若男女を問わず好んで食べられるものだという。
「クザという生き物はね…」
鱗たちが美味しそうに食べる姿に気をよくしたのか。ベルマーは食用ナイフを杖のように振りながらクザについて色々なことを教えてくれた。
クザとは、足先以外は分厚い毛で覆われた二本角を持つ四足獣で気温の低い地域に生息する。旅の共として連れられることもある中、昨今では家畜としても飼われ始めており市場には主に肉と皮が出回っている。
またクザには乳を生成する器官があり、その乳は濃い甘みが特徴的だという。
ただ乳の生成量が少なく、さらには保存方法もないため市場に出ることは殆ど無い。
ところが最近ではクザの乳を加工したものが王都アスカテーラで流行っているのだという。
「それと、こんな話もあるんだけど…」
そう言ってベルマーが青の教本を開くと、クザと思しき生物と器に盛られた食べ物の絵が描かれたページを見せられる。
‥なんでも、とある地域では十数頭のクザを連れた遊牧商人がおり『氷』という家系独自の魔法を使った冷たい菓子を売っているだという。
青の教本を開きながら本当に楽しそうに語るベルマーの顔は輝かしい少年のようであった。
「『氷』の魔法ですか…」
ベルマーが開いたページを見つめながら鱗は昼食前の出来事を思い出していた。
地龍に追われた際に失くしたと思われたベルマーの教本。
その本を持ってきてくれたアキを撫で尽くした鱗であったが、落ち着いた頃に事情を尋ねると彼女は本の事など一切知らなかったという。
『マ~ちゃんの よこにいったよ』
よこにいった。横にあった。
アキが来た時点——若槻鱗生涯初めての土下座のときには既に鱗の横に本が置かれていたらしく、その他にも色々と尋ねてみたが説明があやふやで要領を得ず‥かいつまむと、アキが最後に本を見たのは地龍に追いかけられている時で本人も走ることに必死でよく覚えていない、とのことだ。
『あのときのマ~ちゃん あしはやかったね』
地龍に追われていた時の事を思い出したのだろう。
唐突に鱗の周囲をトテトテと走り回るアキ。次第にグルグルと目を回し始め、フラフラと揺れながらも最後は満面の笑みで鱗の懐に倒れ込む。
『もう、いいか♪』
本は無事に見つかった。今は、それでいい。
仰げば尊死。昇天開始三秒前。可愛いに人は抗えない。
「———そういえばベルマー先生」
本の事を思い出したついでに鱗はベルマーにお願いすることにした。
「私に文字を教えてくれませんか。実は…先生から預かった本が読めなくて…」
言葉にした途端、申し訳なさが溢れ出して鱗の声は次第に小さくなる。
善の押し売りや善に酔う偽善でもなく、正真正銘の善意をもってベルマーは鱗に大事な教本を預けてくれた。そのおかげで鱗は「魔法」を知って、火起こしに至ったわけだけれど彼の善意に十分に応えられたわけではない。
善意に応え、時に甘えつつ、お礼で締める。
応えられなければ善意に堪えるだけで留まってしまう。今みたいに。
「そうか」
すると、なぜだか彼は不思議そうな顔をしていた。
残念というよりも「え?」と意外そうに。
「‥てっきり読めるものだと」
そう小さく零すとベルマーは取り払うように首を振る。
「すまなかったワカツキ。俺は君を見た目だけで判断していたらしい」
「見た目?」
言葉の意味が分からず鱗は自身の頬に手を触れ、それから顎を引いて自分の衣服を見下ろす。カフス付きの丈が長い白シャツ。革の胸当て。レザードレス。革のブーツ。右腰に剣。黒ドレスは幼女アキに被せたままで今は外套のような役割を果たしている。
「これから失礼なことを言うかもしれないけど、よく聞いて」
そう切り出すとベルマーは鱗を指差しながら語り始める。
「君の装備や衣服は並みの冒険者ではまず手に入らない。だから…初めは位の高い騎士家系の者だと思ったんだ。」
ベルマーから見た若槻鱗の第一印象。
未知に対して人は目に見える印象から判断するもの。
「でも騎士家系の教養のある人物が龍黒を知らないというのは、まずあり得ない。龍黒の脅威を知らないなんて…それこそ「神域」に住む人ぐらいだからね」と付け加えてベルマーは一呼吸つく。
正体不明。「騎士家系」という位が高い者が纏う衣服と装備を所有しながら常識を知らない謎の人物…そんな鱗の事をベルマーが助けてくれた理由が全く見えてこない。
「じゃあ、どうして私を助けてくれたのですか」
思い切って鱗が尋ねてみたところ不意にベルマーは顔を伏せて「俺の…けじめだから」とボソボソ呟く。意味が分からず聞き直しても答えてはくれずベルマーは麦わら帽子の陰に隠れてしまった。
「———ベルちゃんのおめめ。あおくてきれいだね!マ~ちゃん!」
不意に腰元から浮かび上がったアキの声に驚きながらも「ありがとう」と礼を述べると、そっとアキの頭に手を添えて軽く撫で始める。
「お嬢ちゃんも黄色くて綺麗な「おめめ」だね」
「えへへへ~」青年の誉め言葉に幼女はふやけた笑い声をあげる。
「俺はベルマー。呼び方はその…ベルちゃん、でいいよ。お嬢ちゃんのお名前を教えてくれるかな」
「あたしはね、アキっていうの。マ~ちゃんがつけてくれたんだよ」
「マ~ちゃんって?」
「あたしのママだからマ~ちゃん」
そういって鱗の方を見上げて「ね~?」と同意を求めるアキ。
鱗も思わず「ね~♪」とベルマーの前にもかかわらず甘い声で返してしまう。
「なるほど‥もっと詳しく聞きたいね。マーちゃん?」
不敵な笑みを浮かべて鱗を見上げるベルマー。
「うぅ」と怯みながらも鱗はベルマーと最初に出会ってから再び森で彼と出会うまでの経緯を簡単に話すことにした。
ベルマーが去った後で森に入ったこと。
拠点でベルマーの本を開いてから火を起こしたこと。
そして、次の朝に目覚めるとアキが現れたことまで。
隠し通すには無理があったため「かえる」力のことはベルマーに話すことにした。
話の流れで「真実の神」や「異世界」や「転生」について説明するか悩んだが過度に情報を与えるとベルマーが混乱してしまうと考え、その辺りの説明を省いて「最近この力に目覚めた」という嘘っぽい真実で通すことにした。
これまでの経緯や出身について尋ねられるのが一番怖かったが、ベルマーも適切な距離の詰め方というのを弁えているのか鱗の出生などについては何も聞いてこなかった。
…とはいえ「かえる」力について鱗が分かっているのは「ふぅ~」とアキの耳に息を吹きかけるとアキが成長し、代わりに鱗が疲労・憔悴するということだけ。
どうやって、アキを生み出したのかは鱗本人にも分かってはいない。
「かえる」力への理解が足りない鱗にとって「魔法」という概念を日常的に扱うベルマーの意見は非常に貴重なものとなるだろう。
〈自分の力を理解すること〉
地龍とベルマーの戦いを経て、鱗の中でも何かが変わり始めているような気がした。
・
かえる力。ワカツキが起こした火から生まれたアキ。
森で見かけた際には十代前半の姿であったはずの彼女は今では五歳前後のほどに縮んでいる。これはワカツキがアキに与えた「かえる力」が弱まっているためで、このまま何もしないとアキは消えてしまうらしい。
「火から生命を生み出す…与える…作る。いや「作り変える」?」
手に持ったナイフで宙に円を描きながらベルマーは呟く。
かえる力。まるで絵物語にでも出てくるような力だ。
けれど先ほど話題に出た氷の魔法のように家系独自の魔法は少なからず存在する。
かえる力もありえない話ではない。
彼女の家柄や出身から何か手がかりが得られる可能性もあるけれど、出会って日が浅い人物にそれを尋ねるというのは無作法というもの。ワカツキも聞かれたくないような雰囲気を終始出していたので、いつか話してくれる時を待つことにした。
「‥‥マ~ちゃん」
さっきまで元気そうに笑っていたアキが弱々しくワカツキの黒ドレスを掴む。
物欲しそうに不安そうに焦るようにせがむその姿は尿意をもよおしている子どものようだった。
「ベルマーさん。丁度良い機会なので見ていてください」
そう言ってアキを抱き上げたワカツキが大きく息を吸い込むと、咄嗟にベルマーは両目に自らのマナを集中させて再びワカツキを注視する。
龍からエルフ。そしてエルフから人へと伝来した世界に満ちるマナを視る術——魔力感知。自らのマナを目に集中させたベルマーの視界は、ワカツキを避けるように流れ去る天の大神のマナを映した後、ワカツキの口から出た濃い「色」がアキの耳から身体の中へと入ってくるのを視認する。
「‥‥うう」
その直後、ワカツキは唸りながら項垂れると地面に溶け込むように横たわってしまう。
「ワカツキ! 大丈夫かい!」
「大丈夫じゃない…かもです」
萎んだ花のような声で答えるワカツキ。元々、体力が少ないのか。介抱して持ち上げた体は軽く、無意識に手先の方に目をやると村娘よりも綺麗な手をしていた。皮に厚みはなく、白くて、整っていて…とても剣を握る者の手には見えなかった。
「マ~ちゃん。みどりのみ たべる?」
いつの間にか幼女アキの身体は立ち上る火のように大きくなっており、初めにベルマーが見た姿——十代前半の少女の姿へと変化していた。
言葉遣いはほとんど幼女時代のままだが背丈はワカツキと同じくらいで声質は肉体の成長によって幼い頃の甘さに活きの良さが合わさったものとなっている。
「みどりのみ?」
「うん! ベルちゃんもたべた みどりのみだよ!」
「あの甘い果実か…」無意識に口の中で舌が跳ねる。
「みどりのみをたべたらね、マ~ちゃん げんきになるんだよ!」
そう言って、しゃがみかけてから「あっ!」と思い出したように声を上げると、アキは着ていた黒い外套に手を掛ける。何かをまさぐるように手をモジモジさせ、躍起になってその場でクルクルと大回転。最後は諦めたようにベルマーの方へ手を広げ、抱っこでもせがむように「ベルちゃんとって!」とお願いするのであった。
「あ~…はいはい」
外套が舞い上がる様子を視てしまったことを悔やみながらもベルマーはポケットを探る。片側には拳大ほどの固い何かが詰まっているため手を入れる事すらできず、もう片方のポケットを探ると数個の緑の実と黒い種が入っていた。
「なんだろう。この実は…」緑の実を一つ取り出して観察する。
凸凹の外形と緑の表皮。大きさは丸めた指の輪と同じくらい。採ってから長らくの間ポケットにしまっていたのか実は柔らかく、指先でつまんで少しねじれば簡単に皮が剥けた。
「マ~ちゃんは「くろいの」とってたよ」
「くろいの‥‥この黒い種のことか」
周囲を見回して地面に落としたナイフを拾い上げる。土が付いた刃先は着ていた服のなるべく汚れていない部分で拭い、実を半分に切って種をほじくり出す。
その際、いつもの癖で種に付いた果肉を取ろうと口に含んでしまったため仕方なく種は持ち帰ることにした。
「マ~ちゃん。みどりのみだよ」
朦朧とするワカツキの口に切った果肉を押し込む。
「あまま…」と力ない感想を漏らしながらも舌を転がし、咀嚼すると少しだけ目に力が戻り、そのままもう半分の実を食べると息を吹き返したようにのっそりと起き上がる。
「ワカツキ。寝起きで悪いんだけど君の力について一つ分かったことがある」
「一体…なんでしょうか」
気だるそうに頭を抑えつつも少しだけ目を輝かせながらワカツキはベルマーを見つめる。
「君がアキちゃんに送っている力は間違いなく君自身の「マナ」だよ」
仕組みは分からない。けれど魔力感知で目にした光景に嘘偽りはない。
ワカツキの口からアキの耳に注がれていたのは紛れもなくワカツキ自身のマナ。
その事実にベルマーも驚きを隠せずにいた。
アキという生命を火から生み出す「かえる力」を持ち、その生命を維持するために膨大なマナを与えられる「ワカツキ ウロコ」という少女。
…そんな彼女への懸念は確かにあったけれども、それに勝る興味がベルマーの少年心を震わせていた。




