13.「護る強さ」
「天上より我らを見守る大神よ。我が身を天より落ちゆく雫と化せ——『天上、日照り雨』」
龍が首を反らした直後、滝水の如き速さで騎士は彼女らの前に割って入ると重ねて呪文を唱える。
「大空よ。地に小水の恵みを——『大空より雫の祝福』」
右腕の盾を構えると前方に分厚い水の壁が出現。更に盾を地面に刺し込むと水の壁が三つに切り分けられ三重の壁を築く。
「君たち! 俺の後ろに!」
鼻から血を流しながら騎士は背後の二人に呼びかける。膝立ちで抱き合っていた二人は顔を見合わせると同時に頷き、急いで騎士の背に避難する。
「ベルマーさん‥!」合図として彼女の手が騎士の鎧に触れた直後、地龍の息吹が放たれる。
「□□□□□□□□□————————!!!!」
憤怒慟哭。
放たれたのは黒と薄紅の熱線。これを迎え撃つは三重の水壁。
不信の父と龍を堕とした男。
地龍と騎士ベルマー=ガルディアンの戦いは愛憎渦巻く焔によって幕を開ける。
「…視えた」
瞳に空色一閃。マナを視通す魔力感知を以て騎士は水壁越しに焔の流動を把握。轟く業火に臆すことなく騎士は盾を地面に打ちつけると三重の水壁を三面横並びに展開。さらに中央の壁を折り曲げ左右の壁を接合させ鋭角な陣を形成…その直後、業火の波が一気に押し寄せる。
「うわぁあああ!」騎士の背後で悲鳴が上がる。
水の盾。水の壁。水という軟弱な透明は偽りなく焔の全容を映し出す。
燃ゆる薄紅、禍々しい黒。そこに渦巻く龍の感情すらも鮮明に…。
「大丈夫! この程度なら…!」
世界に満ちた天地両大神のマナを収束・放出する龍族の息吹。
地龍となって衰弱したとはいえ、その脅威は未だ健在。
愛憎と共に吐き出された「マナ」の焔は触れるもの全てを焼き尽くさんと地表を覆い、大地を黒に染め上げていく…。
「————しゅ、ごい」
‥その光景を赤黒髪の幼女は瞳を輝かせながら見つめていた。
水と焔の攻防。水壁の陣によって分断され流れていく焔の濁流。半透明に映る薄紅と黒と焔に幼女は心奪われていた。
「あはは♪」
陽気に駆け出した幼女の足音は誰の耳にも入らない。騎士と母の意識をすり抜けて幼女は焔の濁流を追いかけるように水壁の際へと走っていく。そして、ようやく半透明の膜が途切れたところで幼女は、ゆっくりとその手を伸ばす。
・・・まだ幼女は焔の恐怖を知らない。
●
「うわぁあああ!」
目蓋を閉じても黒紅の幻炎は迫ってくる。
耳を塞いでも龍の叫び声が執拗に鼓膜を揺らす。
声を上げても、あの言葉は頭から消えてくれない。
『 ■■■憎イ■■■ 』
搾りだされた龍の言葉が心に深く突き刺さる。
叫ぶことしか出来なかった怪物が見せた感情の一欠片。
欠片と呼ぶにはあまりにも重い白金のような感情。
「その憎しみは誰に向けたもの?」
そう尋ねるのは野暮な事だと【若槻鱗】は知っている。
「憎イ」のは、他でもない自分自身。
「憎イ」とは、自身を戒める言葉。
それに気づいてしまったから他人事には思えない。
それを知っているから他人事にはできない。
だから、きっとこれは一種の共感なのだと‥そう受け入れることにした。
「大丈夫。この程度なら」
言葉に勇気づけられて若槻鱗は目蓋を開く。
「きれい…」水の壁越しに黒紅の濁流が透けて見えた。
目蓋に貼り付いた炎の悪夢が僅かにぼやけ、薄れていく。
「凄いな」
猛烈な熱波に乗った水飛沫が小雨のように降りかかる中、目の前の騎士を見上げる。
轟々と荒れ狂う炎を真正面に捉える大きな背中。
勇気と力と優しさを持った強き者に、いつしか鱗は羨望の眼差しを向けていた。
「やあぁあぁっ!」
‥アキの声が聞こえたのは、そんな時であった。
声の方を見ると地面にはアキに着せていた胸当てやレザードレスが散乱。足跡のように残された革装備を辿って視線を伸ばすと、黒紅の炎に右手を焼かれる幼女アキの姿があった。
「ああぁ! ああああぁっ~」
水壁が途切れた辺りでアキは苦悶の表情を浮かべていた。
炎に焼かれながら黄金の瞳を潤ませるアキ。その背後で膨らむ炎の濁流。
鱗は猛ダッシュで駆け寄ると片手でアキを抱き寄せ、落ちた革装備を拾い上げながら急いでベルマーの影に避難する。
「何してるのアキ!」あまりの出来事に思わず語調が強まる。
早急に火を消そうと叩いてみても黒紅の炎は全く消える気配がない。
「なんで…龍の炎だから?」
火から生まれたアキにとって龍の炎は毒。小さな火が強い炎に飲み込まれるように、この龍の炎はアキを飲み込もうとしているのかもしれない。
「…これ…「あつい」⁉ いやぁ! あついのいやああああぅ、いやああぁだ!」
腕の中でアキがもがき苦しむ。
延々と右手が焼かれる痛みなど想像するだけでも身震いする。
初めての「あつい」をこんな形で迎えるなんて、あまりにも不憫だ。
「アキ! アキ? 私が何とかするから負けないで! 龍の炎なんかに飲み込まれないで!」
「マーちゃん!マーちゃん!マーあぁあぁぁあ!!!!」
騎士のような勇気も力も鱗にはない。
だけど、アキの「マ~ちゃん」だけは若槻鱗にしかなれないものだ。
「す~…」大きく、大きく息を吸い込む。
真実の神から貰った「かえる」力。
その力によって生まれたアキに鱗の吐息を浴びせるとアキは成長する。
成長が彼女の力を増強させるものか、その確証はない。
ただ炎を使えば幼女化するのならばと、逆の発想に至ったのみ…。
「ふぅ————っ」
ワンワンと泣き仰ぐ娘を抱きながら鱗はアキの耳元に息を吹きかける。
炎の痛みに耐えかね助けを求める幼女の両手。それが無意識に母の背を掴むと右手にこびり付いた龍の炎が母の背をも焼き始める。
「ふ、っ…」
背中を焼く炎に息を詰まらせながらも、痛みを紛らわすように鱗はアキの身体を必死に擦り、息を吹きかける。泣きじゃくるアキをなだめていれば不思議と炎の熱も消えていくような気がして…。
「————————っあ」
一閃、頭に稲妻が奔った途端に身体の自由が利かなくなる。これまでにも「ふぅ~」の反動で脱力感に見舞われることはあったが今度のは一味違う。
「限界」の二文字が頭をよぎると遂には思考すら回らなくなり始める。
「ま、ず、ぃ…」
電池が切れた機械人形みたいにアキを抱えたまま鱗の身体は左右に一振り、二振りと揺れ、そのまま地面へ吸い込まれていく…。
「————ママ!」
鼻先が地面に触れる直前、大人びた声が鱗の身体を支える。
右手を空に向けながら彼女は左腕だけで鱗を抱き上げると、そのまま弾みをつけて左半身に身体を預ける。
「本当にごめんなさい。ママ」
陽のような温かさと顔に感じる異様な膨らみ。
幼女でも乙女でもない淑女の声。
謝りの言葉と共にフワリと降りてきた鮮やかな赤の長髪が首筋を撫でると僅かに身体が痙攣。すると淑女が微笑むような笑い声を上げた。
―———娘は無事なのか。
それを確認しようにも身体に力が入らず、酷い眠気が鱗を襲う。抗いようのない眠り。ただ最後の抵抗として淑女の背を擦ると鱗は完全に意識を失ってしまう…。
「無理しすぎだよ。でも、ありがとう」
赤の淑女は雅に笑うと胸の内で眠る母を優しく見つめる。
「これ、消さないとね」
右手に宿り続ける黒紅の炎を見つめると琥珀の瞳に赤い閃光が一閃。
「うんうん」と力を抜くように首を振ってから「むんっ」と一声。右手に自らの炎を纏わせると黒紅と赤が絡み合うように混ざり合い、やがて赤一色に染まる。
「これで、もう大丈夫」
焼け跡すら残っていない綺麗な右手を数回握り開いた後、淑女は柔らかな面持ちになって母を見つめる。
「だから、これは返すね。———マ~ちゃん」
名残惜しむように両手で母を抱きしめると淑女は、アキは母の耳元に息を吹きかけた。




