10/11「龍を殺すもの」
屈伸、跳躍。運動への支障無し。
軽度の運動を兼ねた準備運動で稼働領域の再確認と金具と帯の締め具合を測る。
次に強度の確認。
足先から鉄靴・すね当て・膝当て。鉄板に革ベルトを通した腰当て。鎖帷子で覆われた腹部と腰当の境目に巻いた剣を差すベルト。革と鋼を組み合わせた胴鎧。皮の肘当てと鉱石の籠手…装備一式をコツコツと小突いて綻びがないかを見る。
「すぅ―———はぁ」
大きく息を吸い、そして吐く。これを繰り返すこと十度。
身体を巡るマナを血液の流れと共に感じながら脈打つ鼓動を平常へと静め、目を閉じて剣の柄に手を掛ける。
鼓動。血流。マナ。呼吸…それら流動の拍子を擦り合わせるように調整。
あらゆる流動が一つとなった時、ようやく騎士は自らの剣を鞘から引き抜く。
剣に銘はない。
高価な素材を使ったものでもなければ歴史を渡って来た業物でもない一振りの剣。
握り部分は荒立てた革で鍔も簡素なもので鞘に収まる間は誰にも見向きされないような凡庸な剣だ。
‥ただ、その刀身だけは異なる。
欠けて、折れて、名のある鍛冶師に打ち直された剣は他とは違う空気を宿す。鍛冶師の魂を以て打ち鍛えられた剣には意志が籠り、その担い手と共に成長を遂げる。
幼少の騎士と共に育った剣は騎士の一生を映す鏡。
継続という果てなき荒道を歩んだ騎士の妻にして、挫け折れながらも立ち上がる相棒。そして打ち直された剣に負けぬようにと担い手は鍛錬し、担い手と共に在らんと剣はそれに応える。
…故に古来よりの先人エルフ族の格言において両者の関係はこのように準えられている。
『剣を孕ませられるのは騎士の献身のみ』
なお意味としては「騎士と剣は年を重ねた夫婦よりも深い愛情で繋がっている」というものらしい。
「いこう」騎士ベルマー=ガルディアンは地龍の元へと向かう。
かつて大空を翔けた龍族の威厳を守るため。地の大神に縛られた魂を解き放つために龍殺しは剣を握る。
「地の大神よ。我に天上へと渡る水柱を——『地の大神の潮騒』」
言葉が唱えられてから数秒後、大地から地の大神のマナが送られ、魔術が発現。抜刀したベルマーの剣は高圧縮された水の刃を纏う。
「ん?」
魔術の発現具合を見たベルマーはピタリと足を止めて自らの剣を見つめる。
刃に纏った水の照り具合と水の密度。魔術の発現にかかった数秒の遅れ。
普段使用している魔術ゆえに気づいた小さなズレにベルマーは足を止める。
「まさか―—御使いか」
前方の地龍と剣を見比べ、即座にベルマーは魔術を解く。
幸いなことに未だ地龍はベルマーに興味を示してはいない。
地の大神の眷属たる地龍。
生まれて間もない我が子に息吹を放つ「タメシ」の儀に失敗し、天に翼を奪われ、地に尊厳を奪われた優しき龍の成れの果て。
長い年月を生ける龍の体は地の大神のマナによって存命させられ自害することは出来ない。そもそも地の大神に取り込まれた時点でそうした思想すら抑制される。
普段は地中深くに埋められ、地の大神の気まぐれで野に放たれる地龍は極稀に別の理由で地上に出没することもある。
それが地の大神の命令によるものだ。眷属である以上、主に逆らえない地龍は地の大神の「御使い」として地上に現れる。
御使いとしての地龍とは、いわば地の大神の意志そのもの。
その行いを害することは地の大神に対する反逆であり信頼を損なうことになる。
…そんな者に神は良い顔をしない。
信頼のない者に大神の愛は与えられない。
「魔術」の奇跡とは天地二つの大神から「マナ」を借り受けて発現するもの。
その大神からの信頼を損なえば湯水のように借り受けられていたマナにも制約や制限が掛けられてしまう。
「仕方ないか」
ただし、それらはあくまで狭義的なものであって広義的には少し異なる。
仮にここでベルマーが地龍を討ったとしても二度と地の大神からマナが借り受けられなくなるわけではない。
大神からの信頼とは、主に互いの「関係性」に起因する。
天地の大神とベルマー。大神と人族の関係は人間の言い方をすれば〈親と孫〉だ。
孫が何かをしでかしたとしても多少の事では天地の大神は怒らない。
失礼ながら親バカでもある天地の大神からすれば人族も愛すべき対象。基本的なマナの借り受けに制限や利息が発生せず、反抗したとしても「ちょっとした意地悪」程度にマナの供給が少なくなるだけである。
「でも地の大神が地龍を送るなんて…」
龍族を嫌う地の大神が地龍を御使いとするなど数少ない事例だ。
エルフ族から人族に伝わった【世界歴伝】においても数度しか語られてはいない。
「天上より踊り降る雨粒を束ね、地の大神に捧げん——『天上より雨束を』」
数秒後、天より下ってきたマナがベルマーの身体を駆け巡る。十分に満たされたマナが左手を伝って剣に収束されると最初に掛けた魔術と同様に水となって剣を覆う。やがて剣を浸す水はベルマーのマナ操作によって大きさが徐々に小さくなり始める。
「いこう」
水の刃を重ねた剣を構えながら再びベルマーは前進する。
地に貶められた龍、地龍。天に翼を、地に生殖器を奪われた事でその力は大きく減衰している。龍族特有の魔眼も閉眼しているため対龍戦必須の「目を見てはいけない」という制約がないことが地龍戦での大きな利点となるだろう。
「■■‥」
無作為に木々を薙ぎ倒していた地龍は動きを止め、初めて騎士に意識を向ける。
否、本命は剣に宿る天の大神のマナか。
龍族に呪いをもたらし、あまつさえその翼を奪って地に叩き堕とした憎き神の御力。
騎士の進行に合わせ、地龍は踏ん張るように地面に四肢を食い込ませると機を窺うように長い尻尾を震わせ始める。
減衰しているとはいえ龍の名を背負った地龍。
妄執とも呼ぶべき呪いを含んだ殺意がベルマーの頬に一筋の雫を伝わせる。
開戦を告げる者はいない。
どちらか一方の一手がそれを告げるものとなる。
陽は静かに天下を照らし、大地は草花を揺らすばかりで呑気なもの。
互いの武器を構えたまま気を張り詰める両者。
一方は命を、もう一方は怨讐を抱いて時を待つ。
バキバキバキ‥‥
積み木倒しになっていた最後のネルバの木が傾倒する。
ギチギチ‥と太い木の繊維が引き千切られ、断末魔の叫びを上げながら頭から落下。
最後は地を打つ巨大な槌となって——、
「■■————!」
今、開戦の刻を告げる。
怨讐によって打ち払われた地龍の尾。
進行方向にある木々を物ともせず、その矛先は的確にベルマーの右半身を狙う。
回避か、防御か。そんなことで躊躇する暇などない。
振り払われた尾を横目にベルマーは一直線に疾走。
そして尾の攻撃に合わせて身体を右方面に向けて跳躍すると、空中で前転しながら向かってくる尾と垂直になるように剣を振るう。切っ先を軸に刃と尾を擦り合わせるようにしてベルマーは尾を切り流し、跳び越え、前転しながら身体に残った攻撃の勢いを殺し切る。
「はぁ——」大仰に言ってもその実は相手の力を利用して剣を切りつけただけ。尻尾の切断には至ってはいない。
着地後、再びベルマーは地龍目がけて走り出す。
対する地龍も尾の流血を気にすることなく一撃目の勢いを殺さず体を回転させながら身を縮めると、大きく跳躍した。
「あ…」ベルマーは足を止め、空を見上げる。
その巨大な体が四本の手足だけで空へと躍り出るなどと誰が予測できただろうか。
陽を覆い隠し、空へと跳び上がる巨大な影。
遠方に浮かぶ雲々によって遠近感が鈍り、土気色の鱗によって照り返された鈍色の輝きがベルマーの瞳に空を翔る龍の姿を焼きつける。
…それは失われた過去。
力を失ってもなお消えぬ威風堂々たる龍の幻に一時、ベルマーは心奪われた。
「■■■■—————」
錆び付いた掠れ声。そのまま飛び去れることを地龍も夢に描いたのだろう。
しゃがみ泣くように身を縮めると地龍は宙で体を前転させ始める。
「天上より…」
言葉が詰まる。祈りの言葉に迷いが生じる。
マナを借り受け、魔術を発現する。
その前提で詠み唱えられる言葉は祈り。
大神への想いを連ねてこそ魔術は真価を発揮する。
天地両大神の御子たるエルフ族でさえも詠唱を破棄することは絶対にない。
「天の大神よ。天上を翔けた勇猛たる伝説に——」
だがしかし。唱える言葉に留意せよ。
祈りの言葉は大神への礼儀。言葉を誤れば大神も顔を曇らせる。
「片時雨の慈悲を——『天上、奇蹟満ち満ちて』」
その数秒。ベルマーは自らの死を予期した。
いま唱えた言葉は天翔ける龍の幻覚を見たままに詠み上げた祈り。
大罪を犯したものを擁護したと思われかねない行いだ。
地の大神に反逆し、天の大神にすらも嫌われてしまえばベルマーが地龍に勝つ術はない。
剣技だけで地龍を凌ぐほどの才を、凡庸な騎士は持ち合わせてはいない。
——————ごめん。
声を発さず、口を動かすだけに留めてベルマーは謝った。
誰に、という相手は浮かばない。
父か。母か。地元ガルドーの住民か。依頼を出したコウウラか。
口約束で再び会うことを決めた謎の女の子か。
はたまた、自らが堕とした白き鱗を持つ美しい彼女なのか…。
「■■…」
束の間の空に別れを告げて地龍は降下する。
放たれるのは回転に落下の勢いが加わった巨大な尾の一撃。全ての怒りを大地に叩きつけるように地龍は巨刃を振り下ろす。
「かはっ…!」
迫りくる影を前に突如、ベルマーは咳き込み始める。
何かに悶えるように自らの肩を抱き、あわや体勢を崩しかけるも急いで呼吸を整えて足腰に力を入れる。
「・・・感謝します。天の大神よ」
身に余るほどのマナに身体を震わせながらも騎士は剣を手に身をかがめる。
唱えた言葉にそぐわない多量のマナを慎重に体内で循環させ、血流に乗せたマナを丁寧に剣先へと集中させていく。
「はぁ‥‥はぁ」
水として発現されたマナは剣先で球を形作り、大小に膨張を繰り返す。
グラグラと揺れる頭に気を奪われそうになりながらも呼吸は決して止めない。
心・技・体を統一し、自らを掌握することで初めてベルマーの真価は発揮される。
その起点たる呼吸が乱れたら最後、心は綻び、技は錆びて、体は地に伏すだろう。
「ここだ」
熱い眼球。破裂しそうな身体。擦り減った意識の中で狙いを定める。
狙いは振り下ろされた尾ではなくガラ空きになった胴体。
そこへ意識を集中させながら騎士は勢いよく剣を突き出す。
剣先に収束されたのは拳大の水の球体。高密度に圧縮された球体を破くように剣が差し込まれた次の瞬間。
一線の流水が雲を二つに裂いた。
一縷の飛沫を散らすこともなく、
ただ真っすぐな流動を描いたそれは天上世界をも超え、空の青へと溶けていった。
天より下って永劫に地に留まるはずの水が再び母の下へと還ったのである。
「■■■■■…」
腑抜けた声を上げながら地龍は大地に沈み、濃い土煙が吹き上がる。
肉眼での目視が難しくなり、咄嗟にベルマーは自身の眼にマナを集中させて魔力感知を発現。土煙に紛れた地龍の姿を視界にとらえる。
「■■■■■■■!」
地龍の命は尽きてはいない。ベルマーの魔術は地龍の胴体を大きく貫いただけで命を奪うには至らなかったのである。
「外した…」
度を越えた力を即座に扱えるほど自分は卓越したものではない。
その現実に打ちのめされながらもベルマーは再び剣を握りなおす。
『あ、あなたは—————』
その直後、聞き覚えのある声が背後から聞こえた。
短めの茶髪、黒い瞳。カフスの付いた白シャツに黒のドレス。腰元に携えられたのは魔法で編み込まれたのであろう異質な剣。
…そして、その隣にはなぜか半裸の少女。
「あれ? 君は…」
それは紛れもなく、あの日に出会った謎の女の子だった。探し続けていた女の子が不思議な少女を連れて再びベルマーの前に現れたのである。




