8/9「アスカテーラ出都」
「おはよう。婆ちゃん」
無事にヴァルマン家での依頼を終えた翌日。
大都アスカテーラの大通りにてベルマー=ガルディアンはある人物を尋ねる。
長屋に挟まれた大通りは未だ人の気配がなく、静寂な朝の空気がベルマーの声を妙に反響させる。
「おや。こんな朝早くに良い顔の男が来るとは。そろそろ迎えが近いのかねぇ」
巨大なリュックを漁っていた老婆は手を止め、ゆっくりと振り返ってベルマーの顔を見るとニヤリと潰れた笑みを浮かべた。
「次の麦刈りで70歳でしょう?まだまだ若いよ」
「あら、そうかい?」
「エルフ族からしたら子どもみたいなものさ」
「じゃあ、あんたはまだ子種だね」
そんな会話を交わしながらも老婆は着々と準備を進めていく。
「地の大神よ。老いたる私に今日の生きがいを——『地の隆起』」
両手を握り合わせ、祈りを言葉に。
老婆が呪文を唱えると大地から地の大神の微々たるマナが老婆の身体に流れ込む。身体を一巡したマナの流動が再び大地に還ると老婆の足元から大きな土の塊が三つ隆起する。
そのうちの一つは老婆の腰ぐらいの高さの台に広がり、残りの二つは台の左右から縦に伸びて小高い双璧が立つ。
「ほ~う、れっ!」軽快な掛け声と共に老婆が壁に向かって大きめの白布を放れば、適度に陽と風を通す屋根代わりの垂れ幕に。
「えっさ、ほいさ」続いて土の台に赤く染色された布を掛け、大きなリュックから取り出した皮袋や小瓶などを陳列すれば店頭準備が完了となる。
「待たせたね。子種の騎士様や」
「朝から急かすようで悪いね」
「なあに年寄りは動かないとパルファス草並みに早死にするからね。案外急かされるぐらいが丁度良いのさ」
そして大きく息を吸い込んで老婆は声を張り上げた。
「さぁ。アスカテーラで一番早い店——〝老婆の棺〟開店だよ!」
天高らかに告げる老婆の声と共に人々は目を覚ます。
近くの長屋から大きな欠伸と共に男が現れ、半開きの扉越しに家の中にいる妻らしき人物と会話を交わす。
〈——今日の夕飯は?〉
〈ミュートの卵焼きだよ〉
〈どうせ畜産だろ。今日は肉が良いな。できれば野生のさ〉
〈そうね…じゃあ貴方のへそくりでも使って買ってこようかしら?〉
〈…へそくりの事、なんで知ってんだ〉
〈あら? 冗談のつもりで言ったのに。貴方が出かけてる間に今日は家の大掃除でもしようかしら〉
〈勘弁してくれぃ〉
さらに、その二つ隣の部屋からは我が子を起こさんとする女の声が上がった。
〈——ほらアンタたち。忘れないうちに今日も天の大神様にお祈りをし!〉
〈やだ!今日は地の大神様からにする!〉
〈そんなことしたら天の大神様が拗ねちまうだろう。陽が短くなっても良いのかい?〉
〈でも、そうしたら今度は地の大神様が拗ねちゃうよ…〉
〈そうさねぇ…じゃあ、アンタ達が片方ずつ天地の大神様に祈れば差し引き無しだろう?〉
〈〈 じゃあ、お母さんはどっちからお祈りするの? 〉〉
〈決まってんだろう。母ちゃんは…大好きな父ちゃんにでもお祈りするさね〉
声は連なり、伝播し、やがて大きくなったそれは都全体を揺り動かす。
賑わい、喧噪、泣き笑い。人あり家あり都あり。
商い、手仕事、飲食、大工、鍛冶、農耕、畜産、防衛、討伐、運営。
人々の生業が入り乱れた大都アスカテーラは老婆の一声で朝を迎えた‥。
「——それじゃあ〈クザ〉の干し肉と薬花とハーブを。干し肉は前の倍くらい欲しいかな」
「なんだい。どこかに寄り道かい?」
「まあ、そんなところかな」
「…女だね?」
うっ、と小さくベルマーの呻きが零れる。
老人の勘は剣だ。彼らの勘は経験によって錬磨されている。
「間違ってはないけど、そういうのじゃない」
「ふ〜ん。とりあえず薬花とハーブは別で用意しとくよ。貰い物だけどリュックも付けといてあげようかね」
「ありがとう。婆ちゃん」
干し肉が入った皮袋と薬草の花弁と香草のハーブが入った小瓶を老婆が準備し始めると「あ、俺の分は‥」とベルマーはリュックから丸みを帯びた空瓶を二つ取り出して老婆に差し出す。
「助かるよ。最近は瓶の素材が高騰してるからね」
ベルマーから受け取った瓶を台に置き、薬花とハーブが入った皮袋をそれぞれに注ぎ入れる。
「そういえば婆ちゃん。〈コワッパ〉って持ってる?」
「あるよ。替えっこするかい?」
「うん。頼むよ」
「は~い」と老婆は大きなリュックから年季の入った木箱を取り出す。蓋を開くと中には鉄製の台や棒、鎖の付いた受け皿といった天秤の部品が入っており、それらを慎重に箱から取り出して台の上で組み立てていく。
「今はどっちが高いんだっけ?」
「コワッパだね。そろそろ地の大神様が潮吹く頃だからさ」
「…婆ちゃん。それ、他の騎士様の前で言っちゃダメだからね」
そうしてベルマーは昨日の報酬で受け取った拳大のイゾルテを一つ、リュックから取り出す。
「あらま! こりゃあ立派だね。どこかで拾ったのかい?」
「御当主様に仕事を依頼されてね。その報酬だよ」
「へえ!あの白銀の大騎士様がねえ。…いくつ貰ったんだい?」
ベルマーが三本指を立てると老婆は「ほほう!」と高揚した声を上げた。
「大騎士様に何を頼まれたんだい?」
「…息子さんの家庭教師」
アハハハハ、と老婆の汚い笑い声が大通りに響き渡る。
「私も売り込みに行こうかしら」
「うーん。婆ちゃんの場合は門前払いされちゃうかもね」
そこで老婆が懐から小さな麻袋を取り出すと天秤の片方に袋の中身を少しずつ傾けていく。
カランカランッ、と音を立てながら受け皿に溜まる黒い粒は「コワッパの実」。
「地の大神の嫉妬」と称される魔法の調味料、イゾルテに並ぶ貨幣の一つだ。
「私が出せるのはここまでだね」
受け皿に溜まったのは老婆の掌に収まる程度のコワッパの実。
長年やっている商人だけあって、どの実も粒の大きさが均一で質が高い。…ただ目測で見積もってもベルマーが持つ拳大のイゾルテ一つの価値には並ばない。
「俺。イゾルテ割るの苦手なんだよね」
「別に丸ごと一個くれても私は良いんだけどねぇ」
ニヤニヤと意地悪そうに笑う老婆を他所にベルマーは自分のリュックから鉄槌と先端が平たく伸びた鉄杭を取り出す。
「台、借りるよ」
「‥‥間違って指を打つんじゃないよ」
「そこまで下手じゃないよ」と笑いながらもベルマーは一つ深呼吸。
鉄槌を使って拳大のイゾルテに杭を打ち込んでいく。コチコチッと慎重に杭を打ち込み、杭がイゾルテの実を半周ほど回ったところで実は半分に割れた。
「はい。出来たよ婆ちゃん」
老婆が出したコワッパは目測で拳大のイゾルテの半分ほどの価値。
もし足りないとしても残りは削って微調整すれば足りるだろう。
「ふむ…」
拳大のイゾルテ半分と掌に収まる量のコワッパ。その両方が天秤にかけられる。
天秤が測るのはあくまで重さだけ。当然、天秤はイゾルテの方に大きく傾く。
平時の相場で比べればコワッパの方がやや高め。
さらに現在は「潮咲き」―—イゾルテの実が偶発的に生る時期。
供給の増したイゾルテの価値変動を考慮すると、イゾルテの価値は平時よりもやや下がり目といったところ。今回の場合、「コワッパ1」の重さに対して「イゾルテ10」くらいが妥当な取引となる。
「まあ…いいところじゃないかね」
天秤の傾きを目だけで測り、老婆は満足げに鼻息を吹くと指を一舐め。それからベルマーが割ったイゾルテを湿った指でなぞり、再び指を舐める。
「うーん。いい塩気だね」
「こっちはいい香りだ」
それを合図にベルマーは受け皿に載ったコワッパを真新しい麻袋に納めて匂いを一嗅ぎ。かくして両者の同意によりイゾルテとコワッパの両替は終了となる。
「じゃあ、このまま会計で頼むよ」
「いいや。お代は良いよ」
そう言ってベルマーがリュックを探り始めると老婆は手を上げてこれを制止する。
「え、何言ってるの婆ちゃん」
「いいかい。子種の騎士様や」
驚いた様子のベルマーに老婆は台を指差しながら一言。
「次からは、ちゃんと自分の敷き布を使って割ることだね」
「えっ・・・あ」
呆気にとられたベルマーは台に散らばったイゾルテの欠片を見下ろし、恥ずかしそうに顔を埋める。商品棚に並んだものはイゾルテ一粒に至るまで商人のもの。イゾルテを割る作業に夢中だったベルマーに落ち度がある。
「それにしてもアンタ…本当にイゾルテ割るのが苦手なんだねぇ」
ケタケタと笑いながら台に散らばったイゾルテの欠片を拾い集める老婆。それを見たベルマーは少しだけ頬を膨らませるのであった。
「おっと、私としたことが騎士様に失礼なことを。オマケで敷き布も付けておきますよ~」
「・・・よろしくお願いします」
・
〝老婆の棺〟から大通りを下って辿り着いたのはアスカテーラに四つある出入り口の一つ——ネルバ大森林へと繋がる門。その門に併設された詰所を通る際、ベルマーは立派な口髭を生やした門兵に話しかけられる。
「よう!ベルマー=ガルディアン」
「リングさん。今日もご苦労様です」
アスカテーラの門兵を務めるリング=リンドン。
アスカテーラにある全四門の門兵を務めるリンドン家の家系でベルマーが初めて大都を訪れた頃から門兵を務めている。
「まあ、ちょっと待て。いま面倒な来客が来ているんだ」
早口調でベルマーにそう言い残すとリングは詰所の奥へと走り去ってしまう。
「本当は挨拶だけのつもりだった」とは言い出せずにベルマーは静かに頷いて詰所の前で待つことにした。
しばらくして詰所の中から漆黒の外套を被った人物が現れ、ベルマーの横を通り過ぎる。風のように颯爽とした歩み。顔までは見えなかったが銀の糸のようなものが外套の影から見えた気がした…。
「‥‥凄い人だ」
直感を言葉にすると詰所からリングが小走りで戻ってきた。
「待たせたな~」
疲れた表情。心なしか立派な口髭が弱々しく萎れており語気にも力強さがない。
「もしかして新参者ですか?」
門兵が疲れるのは決まって新規の入都志望者の対応となる。
長年門兵を務めている彼がここまで消耗するのだから余程の相手だったのだろう、とベルマーはそれとなく探りを入れてみることにした。
「いや古参も大古参。エルフ様だよ」
「それは…大変ですね」
「大変なんてもんじゃねぇよ。俺が「入都する手続きがある」って言ったら奴さん何を思ったのか急に全裸になり始めてよ。「なんで脱ぐんだ?」って俺が言ったら「危険がないことを証明するのだろう?」ってよ」
「聡いですね、って言ったら怒ります?」
「間違えちゃいないが‥いやぁ————とんでもないものを見ちまったぜ」
「ハハァ」
その時の光景を恍惚とした顔で思い返すリング。
ベルマーは乾いた笑い声をあげてから話題を移す。
「‥それで結局エルフ様はどうなったのです?」
「おう。一難あったが基本やる事は一緒さ。血を採って名前とマナを登録。あとは手数料を貰って入都手続き完了、ってところだな」
「ちゃんと街中で脱いじゃダメ、って言いました?」
冗談交じりで聞いたつもりが「いけね。忘れてたぜ」と顔を真っ青してリングはベルマーを残して走り去ってしまう。
「門兵が詰所を離れていいのか…」
ベルマーが呆然としていると門の外側に併設された詰所からリングに似た口髭の男が歩み寄り、ベルマーを手招きする。
「兄がすみません」「いえいえ。ご苦労様です」
軽く会釈をしてから詰所を通り過ぎる直前、ベルマーは思い出したようにリングの弟に質問する。
「すみません。見慣れない格好をした女の子がここを通りませんでしたか?」
・
「———お前ら見たか?」
先ほどと全く同じ質問をベルマーは男達に投げかけるが返答は同じであった。
親方と思しき大男が周りの職人たちに呼びかけてくれるが誰も首を縦に振る者はいない。
場所はアスカテーラを出てから少し進んだネルバ大森林の入り口付近。
早朝の作業を終えて大森林からアスカテーラへ戻っていく大工職人たちにベルマーは昨日出会った女性について尋ねていた。
「そうですか…ありがとうございます」「すまねぇな」
少し気を落とすベルマーを前に親方は気まずそうに坊主頭を擦る。
「ん?」
すると思い出したように今度はジロジロとベルマーの顔と衣服を見回し、最後にベルマーの瞳をじっと見つめる。
「な、なんです?」
「お前さん——ひょっとして‶龍殺し„か?」
思わぬ問いに「うっ」と再び呻き声を漏らすベルマー。その様子を見た親方は「やっぱりな!」と自慢げな顔になって大きな鼻息を吹く。
「あんたの探していた女の子じゃねえけどよ。昨日、森の方で女に会ったんだ——」
そこで親方は事の経緯を説明し始める。
・・———昨日。
陽が顔を出す少し前にアスカテーラを出た親方達がネルバ大森林にある作業場でネルバの木を伐採していた時のこと。不意に作業場に現れた謎の女性(親方曰くかなりの美人らしい)が親方達にある事を尋ねたという。
『作業中にすみません。こちらでベルマー=ガルディアンを見かけませんでしたか?』
『ん、誰だって?』
『ベルマー=ガルディアンです。‶龍殺し〟と言えば分かりますでしょうか?』
『龍殺し…ああ~確かガルドー出身の騎士だったな。実際に見たことは無いが「空色の瞳を持った騎士様」のことだろ?』
『そうです。その人物で間違いありません。…ところで、なぜ彼の目のことを?」
『実はウチの嫁さんがガルドー村出身でな。少し前にガキを身籠って実家に戻ったんだが、その時に本人を見たらしい。なんでも? そいつが大そうツラの良い男らしくてよ。この間なんか「空色の瞳が美しい龍殺し様がね~」なんて手紙を送ってきやがって‥‥まったく気心が知れねぇ嫁さんだぜ』
『なるほど。でも、それだけ奥様が元気だという事をまずは喜びましょう。命を身に宿すというのは危険がつきものですからね。元気な男の子が生まれることをお祈りしております』
『おう! ありがとな! 美人の姉ちゃん』
『ありがとうございます。それで話を戻しますがベルマー=ガルディアンを見かけませんでしたか?』
『う~む。いや、見てねぇな』
『そうですか。ちなみ職人の皆様方、まだこちらで作業されますか?』
『そうだな。今日はもう三輪ほど切ったら撤収だな』
『ご苦労様です。そのぅ作業の合間になってしまい大変恐縮なのですが、もし彼を見かけることがあったら一つ言伝を頼んでも宜しいでしょうか。あ、勿論お礼はお支払い致します』
『そのくらい別に構わんよ。それに龍殺しが来なかったら姉ちゃんが損しちまうしな』
『まあ、さすが親方殿。懐が深いですね』
『おう! 仕事で鍛えているからな!』
『・・・こほん。それでは彼がここを訪れた際、こうお伝えください。
【冒険者集会所・所長より貴殿に直々の依頼がある】———と。』




