3/4「龍 ト少女」
■■■■少女がいた。
白シャツに黒ドレス。革製の胸当てとブーツ。そして一本の剣を携えた茶髪の少女。
「服に着られている」と物知らぬ余人であればほくそ笑む姿だろう。
ところが留意して見ると純白のシャツや黒ドレスは格式高い家の者が着るような上質な布地が使われ、装備の革細工は端々に至るまで丁寧な処理が施されている。流石に目視では防御性まで測れないが騎士が纏う装備よりも高価なものに間違いない。
そして目を引くのは少女が持つ剣。
白磁の鞘から溢れ出すほどの綿密なマナが編み込まれており、神々しさすら感じられる…。
「不思議な少女だ」———と。
素直にそう言えたのならばどれだけ気が楽だったか。
細やかな言葉すら息を潜めるほど少女は■■■■あった。
■
ガルドーより千クロットほど離れた名もなき林道。
そこに大きなリュックを背負った青年が一人、無心になって歩みを進めていた。
皮靴で雑草を踏みしめるたびに腰元の剣とリュックに掛けた盾が音を立て、残夜の静けさに溶けていく。やがて陽が徐々に現れ出すと悪戯な木漏れ日が青年の顔に光を落とす。咄嗟に顔を伏せて、日陰のある脇道に逸れると青年は背負っていたリュックを降ろし、その場に腰を落ち着ける。それから大きく息を吸って一言。
「天の大神。地の大神。両大神の祝福に包まれ生ける我らの今日を見守りください」
深呼吸。瞑想。祈りの言葉を唱えると首にかけていた麦わら帽子を被り、青年は再び林道へと歩き出す。
青年の名はベルマー=ガルディアン。
龍黒の姉——龍白を討ったとされ〝龍殺し〟の銘を与えられた騎士。田舎の村ガルドーを治めるガルディアン家の嫡子たる彼の元に大都アスカテーラからの依頼が届いたのは数日前のことだった。
「ベルマー様。大都より文を預かっております」
ガルディアン家に仕える家令ファラーナから知らせを受けたのは村の農作業を終えた帰り。土塗れだったベルマーは彼女が持った立派な封書を見た途端、その場で開封を命じ、文の中身を読み上げさせた。
封書に入っていた文は二つ。
一つは依頼を仲介したであろう〈冒険者集会所〉の証明文。そして本命にあたる二つ目の文には依頼主よりベルマーに大都への召喚を要望する旨が書かれていた。
『‶風来に等しき文をしたためさせて頂く——』
依頼主はヴァルマン家当主。
‶白銀〟と名高い偉大なる騎士にして大都アスカテーラの礎を築いた智慧者。数多くの逸話を残している英雄の一人でもあり、その逸話の一部は少年らの夢枕にも語られるほど…。
そのような恐れ多き人物が田舎騎士ベルマーを指名して頼む仕事。
それは次代ヴァルマン家当主であらせられる御孫様の家庭教師であった。
『——我が愚息の忘れ形見。孫ジゼルに教養を施し願いたい〟 』
「騎士」とは、認められ、継承され続けることで名乗れる勤め。
その勤めを果たす以上それを推し量る者が必要となる。
〝龍殺し〟ベルマーも騎士としての格を量られる時が来たということだ。
「報酬は…拳大のイゾルテが三つ」
この場における報酬とは責任の重大さを意味するもの。
〈拳大のイゾルテ三つ〉といえば麦刈りの季節を一周できるほどの食料を買い、さらに装備一式を整えてもお釣りが出るほど。仮に報酬の大半を地元ガルドーの事業拡大に当てたとしてもベルマーの手元に多少の余裕は残る。
装備、剣、家具、贈り物と使い道は幾らでもあるがイゾルテの一番の使い方と言えば‥やはり食事だ。
この近辺で採れる食材と言えばパルファス草やダンゴロ芋などが挙げられるが一番有名なのは黒鳥ミュート。ネルバ大森林を中心とした地域に生息する大きな黒鳥で人懐っこく育成しやすいことから家畜として飼われることが多く、大都では既に大規模なミュート畜産業が行われている。
主に食用の卵と肉が市場に出回るわけだが、どういうわけか畜産ミュートの卵や肉は味が落ちてしまう傾向にある。実際に食べ比べてみると味の差は歴然で野生ミュートの味を知っている者からすれば畜産物は余計に物足りなく感じてしまう。
そこで出番となるのがイゾルテである。たとえ畜産物のミュート肉であろうとも削ったイゾルテをまぶせば忽ち高級肉へと昇華する。香りづけのハーブやイゾルテに並ぶ〈コワッパ〉も悪くはないがイゾルテとミュートの食べ合わせを知ってしまうと他の味付けが選べなくなる…。
まさに万能にして魔法の調味料イゾルテの実。
「地の大神の涙」とも称される貨幣の一つである。
ようやく林を抜けるとネルバ大森林手前の草原に辿り着く。
清涼とした空。風に揺れる緑の波。波間から見え隠れする花々。
林道を抜けた解放感からベルマーは大きく伸びをして、深く息を吸い込む。
青々とした草の匂い。ほろ甘い花の香り。
見上げた空には巨大な雲群が並び、風の向くまま青空を浮かび泳ぐ。
ところが雲群の一つが叩いたように掻き消えたのを見た直後、ベルマーは反射的に身を伏せていた。
「—————黒!」
幼い頃からの習慣と累積によって組み込まれた防衛手段。
たった一つの脅威に対して人類に刻まれた行動。今まさに天を突き破って現れた生ける伝説————最強の龍種、龍黒への絶対的な降伏であった。
「報いを…」
慣れようのない緊張に刺されるような恐怖が加わり、一筋の汗が頬を伝う。
【見たら死ぬぞ、見られたら死ぬぞ】
それが龍黒の持つ魔眼。一目にして命を奪う恐るべき眼。
断罪には最も相応しくない慈悲深き眼だ。
「‥‥え」
不意に。何かに引かれるようにベルマーは顔を上げた。
陽射し避けに被っていた麦わら帽子のツバが空を覆い隠し、草原とぼやけた森と一人の少女を映し出す。
「■■■■…」
・・・少女に向けてナニカを言った後、走り出したベルマーは少女に覆いかぶさっていた。何も知らない子どもを扱うみたいに無理やり目を手で覆い隠して魔眼の脅威から少女を保護する。
「大丈夫。落ち着いて。ゆっくり息をして」
切羽詰まっているせいか端的な言葉しか出てこない。
とにかく口ごもる少女を落ち着かせながら上空にいる龍黒の気配を探る。
「…目を閉じて。ゆっくりと立ち上がるんだ」
知らず剣の柄を握りながら四つん這いになって立ち上がる少女を見守っていると、上空にいる龍黒から一言。
『天の大神よ—————』
祈りの声。唱えられた魔術の一節をベルマーは確かに聞いた。やがてそれを証明するように天の大神のマナが上空の龍黒へと集まっていく。
「龍黒が魔術を唱えた」‥その事実と罪の意識が‶龍殺し〟の背中に不可視の巨斧を想像させる。振り下ろせば容易く身を裂く重い刃。そこにはまだ殺意は込められてはいない。
「もう大丈夫。でも、空を見上げないように」
少女が振り返る直前、騎士は精神と呼吸を平常に戻す。
「 突然ごめん。でも、あれがいるのに君が空を見上げていたから…」
やや訝しげにこちらを見つめる少女。
突然押し倒されたこともあり、かなり警戒している様子だ。
「いきなりで驚いたよね。俺はベルマー。ベルマー=ガルディアン。田舎の騎士ガルディアン家の————いや‶龍殺し〟って言ったほうが早いかな」
龍黒の姉、龍白を討った騎士ベルマー=ガルディアン。
上空にいる龍黒に向けて告白するかのように青年は与えられた二つ名を名乗る。
「どうして空を見上げてはいけないのですか?」
ベルマーの衣服や剣に視線を泳がせながらも丁寧な言葉遣いで彼女は妙なことを尋ねてきた。
「『空に黒が現れたら跪け』…聞いたことぐらいあるだろう?」
田舎の子どもでも知っている龍黒の脅威を示す言葉。
ところが彼女は首を振って否と答えた。
龍黒の脅威を知らないとなれば、かなり辺境の地から遥々訪れたのだろうか。
《神域》などの人里離れたところに住んでいたにしては彼女の格好に説明がつかない。…記憶を無くしている、のであれば話は別なのだが。
「空にいるのは龍族最強と謳われる龍。名は「龍黒」。龍帝の次女にして最強の魔眼を宿した龍。あのエルフ族ですら手が付けられないと言われている生ける伝説で————」
言葉を重ねてはみるものの泥濘に杭を打つような反応で彼女には全く響いていない。挙句の果てには目を離した隙に再び空を見上げる始末だ。
「だからダメなんだって!」
あまりの無謀さに思わず両手で頬を挟んで一喝してしまう。
「えと、何がダメなんです?」
繋がる視線。掌から伝わる頬の柔らかさ。指を撫でる柔らかな茶髪。
近くで見ると幼さというより儚さを感じてしまう。
「…龍黒の魔眼は見たものを殺すと言われているんだ」
「つまり…眼を見たら死ぬってこと?」
ようやく彼女が理解を示し出したところでベルマーは大きく頷く。
こうしていると村の子どもを叱っているような気分になる。ダメな事というものはダメな理由を伝えてからでないと理解されない。「ああ、これは大都での仕事で役に立つかもしれないな」と少しだけベルマーの気が緩んだところで彼女からの懇願があった。
「あんちゃん、私を‶助けてくれ〟」
奇しくも同じ言葉を皮切りに朧げな記憶が浮上する。
氷窟を染めた赤の泥血。
あの白き君との一夜は夢のうつらか。
はたまた青少年がうつらに描いた幻か…。
「申し訳ないけど、それは厳しいかな。これから大都で仕事なんだ」
我ながら情けない声。俯き気味にベルマーは彼女の懇願を断った。
ずっと触れていた両頬から手を放し、その場を後にする。
「‥‥私、何にも知らないんです」
ぽつりと零れた彼女の言葉。
刹那、雷に打たれたようにベルマーは顔を上げ、再び彼女の目を見た。
揺れる眼光。今にも崩れてしまいそうな黒い瞳。
涙は流していなかったけれど今にも何かが零れそうな危うさがある。
焦燥と不安に頬は揺れ、唇は小さく開いていた。
「君は…一体」
一閃。初めて少女を見た時に口にしたあの言葉が蘇る。
『■■■■———恐ろしい …』
二対の龍に抱く罪悪と恐れ。そして自らの心の弱さ。
それらが狂言となって、あの言葉になったのだとベルマーは悟る。
こんなにも弱々しい女の子の一体どこが恐ろしいというのか。
零れ落ちそうな彼女の姿を見て、ベルマーは強く確信した。
「そうだ。これをあげるよ」
リュックから赤と青の教本を取り出して彼女に差し出す。
赤の教本は魔法や魔術に関連した本。
青の教本は今までベルマーが見た動植物や鉱石などをまとめた本。この近辺の動植物についても書き留めてあるので何かの役には立つだろう…。
「それじゃあ!」
このまま残りたいところだが時間がないのも事実。
昼餉時までにはアスカテーラに到着して準備を整えなければならない。
「…せっかくならご馳走に与りたいしね」
晴れたような解放感と後ろ髪引かれるような不安を抱えながらもベルマーは草原を突き進む。やがて大森林を目前に控えたところで堪えきれなくなったベルマーは大声で叫んだ。
「仕事が終わったら!! 絶対に来るから!!」
そして青年は大森林へと一歩、大きく踏み出した。




