10.「がんばれ私の娘!」
前略。
お父様、お母さま。
突然のご報告になってしまいますが私に娘ができました。
不思議なことに、この娘は私が起こした火から生まれたといいます。
とても親切な方であらせられる真実の神さまが授けてくださった「かえる」力により私が生み出してしまったのだと考えております。この力については未だ不明な点が多く、親切な神様に教えを請いたいところではありますが今はこの娘との生活を基軸に第二の生を謳歌していく所存であります。
破瓜の痛みも身籠ることの重さも知らない軟弱な私ですが、この娘が生まれてきてくれたことに感謝を込め、「秋」と名付けた我が娘を大事に育てていくつもりです。
さて。ところで話は変わるのですが。
現在、私はとても粘着質な方と相対しております。人見知りが激しい方なのでしょうか。一言も発しないまま静かに私たちの様子をうかがっております。
「おはようございます」「どちら様ですか」「良い天気ですね」「どこから来たのですか」なんて私も幾度か声をかけてはみたのですが、どうにも反応がありません。
知らずに何か失礼なことをしてしまったのでしょうか。
ああ。もしかすれば私の第一声が宜しくなかったのかもしれません。
振り返ってみても、やはりそうなのでしょう。分かり切ったことを恥じらいもなく大きな声で申し上げてしまったのですから、お相手の方が気分を害されても文句はありません。
例えれば、大いなる山々に対して「山だ!」というようなもの。
殿方に対して「男だ!」といっているようなもの。
私は目の前の方に向かって、こう言ってしまったのです。
「スライムだ!!!!」
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謎の全裸少女にアキという名を与え、食料調達のために拠点を後にしてからすぐのこと。
「ねえ、アキ。やっぱりコレ着てくれない?」
やはり全裸の乙女が隣にいるのが落ち着かず鱗の革装備を再び着せようとしたところ「やぁだ!」とアキが拒否。
それから何かを予期して離れるように小走りし始めたアキを見て鱗が少し距離を詰める。離れて、近づく。離れ、近づく。数度繰り返せば再び追いかけっこ開始である。
「まて~!」「あはは!」
元々の体力差からか鱗はまた追いつくことができず、仕方なく『ふぅ~』と息を吹きかけることを条件に出すとアキは快く引き受けてくれた。
「わかった! やくそくだよ!」
かくして素肌に革の胸当てとレザードレスを装備した怪しげな乙女が誕生したのである。
「マ~ちゃんのヒラヒラ か~し~て!」
ところが腰元に巻いたレザードレスの感触が気に入らなかったらしく、おもむろに鱗のスカートを引っ張り始めた。
「まって…ちょっと、引っ張らないで!」
無理やりスカートを剥ぎ取ろうとするアキ。唯一の衣服を破られては困ると制止した鱗の手がアキに触れると妙な暖かさが鱗の手を包む。
じんわりと手の芯から伝わる温もりと陽に当たったような優しい暖かさ。そこに手の柔らかさも相まって気が緩んでしまう。
「流石は火の化身…」
そう褒めようとしたところで、ある事を思い出した鱗はアキに呼びかける。
「ねえ、アキ。あなたが生まれたときって…———」
言いかけたところで鱗はすぐに口を閉じ、いそいそと自分のスカートを脱ぐと屈んでアキに履かせ始める。
「ん、なあに?」「なんでもない」
慣れた手つきでアキのレザードレスを外し、それから急いでスカートを履かせる。
「なあに?なあに?」と頭上からアキの声が落ちてきても鱗は「なんでもないよ」と繰り返すだけ。
『あの晩、あの暖かさをくれたのは貴方だったの?』なんて。
…そんなこっぱずかしい台詞がいえるはずがない。
「・・・ねえ。マ~ちゃん」スカートのホックを閉じたところで上擦ったアキの声。
「なあに?」アキを真似て尋ねる鱗は「なんでもな~い♪」と甘い声が返ってくることを期待していたが、いつまで経っても彼女の言葉が返ってこない。
「どうしたの?」
不思議に思って顔を上げるとアキの視線は鱗の後方へと向いていた。
初めてお化け屋敷に入った子どもみたいなワクワクとモヤモヤを抱えた表情。
鱗は咲きかけた蕾を想起する。ほどかれる花弁。螺旋を描いて花開く花の一輪。今まさに咲き誇らんとする蕾をつまんで止めてしまったら、こんな表情をみせるのだろうか。
そんな妄想に浸ったところで彼女の柔らかな頬が強張り始める。
すぐさま立ち上がって鱗はアキの視線を追って後方へと振り返ると…。
「 スライムだ!!!! 」
スライム。地を滑る流動体にして粘着質な身質をした謎の生命体。
どこぞの世界では初めての外敵として語られることも多いが流動する体は物理攻撃無効の時点で既に並の生物よりも優位に立っている。そこへ鋭敏さが加われば外敵の鼻や口などの空気路を塞ぐだけで死に至らしめる暗殺者となり、耐久性を極めれば無敵の浮沈艦と化す。
「———というわけで絶対に近づいちゃダメだからね」
「うん スライム こわい わかった」
知りえる範囲でスライムの恐ろしさをアキに伝える。所々、言葉の意味が伝わらない部分もあったが身振り手振りでどうにかアキにスライムの危険性を教え込む。
…この世界に【魔法】というものがある以上、分からないものには基本的にかかわらない方が良いだろう。
「でも、マ~ちゃん あのこ ずっとみてるよ」
「みて‥‥見てるね」
緑色の流動体が木陰からヌルッと体を覗かせている。
何かの機会を窺っているようにも見えるけれど、なにぶん目も鼻も口もないから全く分からない。視線・表情・思考・感情…「読めない」というのが生物にとって最も恐ろしい脅威なのだと改めて実感する。
仮に妖怪のっぺらぼうであれば人型に収まっている分、動きや仕草から読み取れる情報はいくつもある。逆にオウム系の鳥や魚といった目が付きながらも全く感情が読めないものは(むしろ付いているからこそ、というべきか)最も苦手とするところ。
…要は、何をしでかすか分からないモノが一番怖いのだ。
「逃げるよ」アキの手を取って鱗は後退する。
ゆっくり、刺激しないよう、視線を外さないように注意深く。
「読めない」うえに見えなければ一層恐ろしい。それゆえの後退。
あの未知を背に負いながら駆ける逃走は、きっと生きた心地がしない。
「わかった! じゃ、いっくよぉ…よーい——」
「え、ちが、そういうのじゃ‥」
「ど~ん!!」と大きな掛け声が聞こえた頃には時すでに遅く。
アキと鱗は全力疾走で森の中を駆けていた。
「あはははっ!」
アキの笑い声が握った手を伝って鱗の身体に響く。
縮こまっていた胸の奥が徐々に開いて大きく脈を打ち、全身を巡る高揚が怖さを掻き消していく。咄嗟のスタートダッシュでも鱗の足は予想以上に軽快な動きを見せ、振り返ってみれば頭一個分の大きさだったスライムが豆粒ほどに小さくなっていた。
「思っていたのと違う…」
言葉とは裏腹に気持ちが軽くなる。ただ逃げているだけなのに、走っているだけなのに。誰かと駆ける解放感と頼もしさに鱗の胸は不思議と弾んだ。
「———ぜぇ…はぁ…」
やがて糸が切れたように鱗がずっこけたところで二人の逃避行は終わった。
内からあふれる解放感も幻のように消えてしまい、全力ダッシュに疲労困憊の鱗は地面に仰向けになっていた。
「たのしかったね! マ~ちゃん!」
一方、鱗とは対照的にアキの方は変わらず元気な様子。
爛々とした笑みを浮かべるばかりか汗の一つもかいていない。
「アキは…元気だね」
「うん! マ~ちゃんに「ふぅ~」してもらったからね」
手を伸ばし、それを言葉もなくアキが握って鱗を引き上げる。
「じゃあ、今度はアキが私にしてよ」
「それは…いやぁだ」
「なんでよ」と言おうとしたけれど少しだけアキの顔が赤らんだのを見て、やめた。
「・・・お腹、空いたね」
「あのみどりぃみ まだあるよ」
思い出したようにアキが鱗の腰部分を指差す。それから「あっ」と小さな声を出してから差した指を腰元の黒ドレスへと持っていく。
「…あたしがはいてた」
えへへ、と恥ずかしそうに笑うアキに笑みをこぼす鱗。それからアキがドレスのポケットから凸凹な表皮をした緑の実を取り出して鱗に差し出す。
「 マ~ちゃん、このくろぃのはなあに?」
取り出した実から剥がれ落ちた種を見て、アキが尋ねる。
「これは緑の実の種だよ。あ、食べちゃダメだからね」
「はーい」
地面に落ちた種を拾い上げようと鱗が屈むとカサカサと葉がこすれ合う音が聞こえた。「風が強まったのかも」と呑気に思いながら鱗が種に触れた瞬間、背中から何かに押し飛ばされていた。
―———何をされた…?
硬直。全身に神経を張り巡らせて体の異常を探る。次に衝撃を受けた腰辺りにゆっくり手を当てると何かにぶつかったような痛みがあるだけで出血はない。
状況を把握したところで鱗は立ち上がり、背後にいるものと対峙する。
「スライム…」
緑の流動体、スライム。
人の頭とほぼ同じくらいの大きさで鱗の顔なぞ容易に覆ってしまえるだろう。
先程現れた個体と同じならばスライムは走って逃げた鱗たちを追跡してきたことになる。手段は分からない。…ただ素早さがなければ逃げられないというのは、どの世界においても同じようだ。
ジリジリと鱗はアキの下へと近づいていく。
彼女を守らなくてはいけない。親心にも似た責任感がちっぽけな勇気を抱かせる。
「ぐえぇっ!」
‥それが敵対行為と判断されたのか。スライムは鱗の無防備な腹部に体当たりしてきた。見事なブローが決まって咳き込む鱗。
水もある程度の密度と体積があれば凶器と化すがスライムの体当たりは中々に痛い。
威力でいえば水が目一杯入った2Lの容器で叩かれたような鈍い痛み。
ソースは自分自身。自宅で2L天然水が入ったペットボトルを足の甲に落とした時は「ひぎゃあ」なんて叫び声をあげたものだ。
柔らかなスライムボディで多少軽減されてはいるが受け続けるのは正直しんどい。
身をかがめ、交差した腕を盾にしながら攻撃の機会をうかがう。
鱗の知識にあるスライムは物理無効。素人が振った剣ではスライムのヌルヌルボディに絡めとられて逆に武器を失いかねない。斬撃も不可だ。
「触れたら溶かす…なんて能力はないよね?」
最初の攻撃を受けた腰。そして慣れない防御姿勢のまま攻撃を受け続ける両腕。そのどちらも服が溶けたような匂いや痕はない。触れれば溶けるといった特殊な性質がないならば、まだやりようはある。
ドムッ…ドムッ…
スライムの猛攻は止まらない。
溜め、跳躍、着弾、着地。溜め‥‥と絶えまなくスライムの連撃は続く。
だけど言い換えればワンパターンの繰り返しだ。こう何度も当てられれば素人でも攻撃のリズムや癖が掴めてくる。反撃の隙間は動きの中で最も無防備な瞬間が生まれる跳躍と着弾の隙間…。
「いまっ!」
スライムの跳躍に合わせ、倒れるように地面に伏せる。
やはり跳躍後の弾道調整はできないようで鼻先を僅かにかすめてスライムは鱗の後方へと跳んでいった。
「剣を!」距離を取り、腰元の留め具を外して鞘付きの剣を手に取る。
柄を捻じるように握り、左半身を引いて顎を引く。
剣は鞘に収まる限り重くなくなる。ただ当然ながら何物をも断つことはできない。
・・ズムッ。
着地後、スライムの意識がこちらに向く。顔がないから分かりづらいがコチラに向ける敵意のようなものが感覚で伝わってくる。
「プレイボールだ」
少し長い溜めがあった。距離にして10m弱。悪くない距離。
ぎゅっと縮まる流動体。剣を握りながら唾を飲み込む鱗。
風に揺られた枝葉から木の葉が揺れ落ち、古い枝が小突くように木から転がり落ちていく。ポチャンと遠く離れた小川で飛沫が上がり、小川沿いに生えた名もなき草花に虹色を落としていく。
‥そのいずれが合図になったのかは分からない。
力を溜めたスライムが一気に跳躍すると同時に鱗は剣を振りかぶった。
鍔寄りに握った小ぶりの一振り。必殺よりも必中に重きをおいた当てるだけのスイングは見事に宙を飛ぶ流動体にクリーンヒットし、ベチョンと小さな音を立てて木の幹にぶち当たる。
「よし。逃げるよ、アキ!」
右手を伸ばし急いでアキの手を握る。
ヒット&アウェイ。有効打がない以上ここは引き分けに徹するしかない。
未知のスライムと言っても生き物であれば意志がある。
なぜ執拗に鱗たちを狙うのかは分からないが一先ず相手の戦意が無くなるまでこれを続けていけば諦めてくれるだろう…。
「‥い‥っつつ!」
刺すような痛みを感じて反射的に右手を引っ込める。
鋭くも残り続ける痛み。手の皮が剥けたのかと両手を見るが皮が破れた様子はない。
見えない痛みが染みる。よく見れば指先が赤く腫れ始めている。
この腫れ具合は火傷か。赤い指からその先にいるであろう乙女を見つめる。
「——マ~ちゃんを」
両手に炎を握りしめたアキの姿があった。
髪は赤みを増し、太陽のような黄金の瞳には血のような赤の亀裂が一閃。
本来の彼女が持っていた柔らかな暖かさは数多を焼き焦がす炎熱へと変わり、木の幹に打ちつけられたスライムを一瞥する。
「マ~ちゃんを・・・いじめるなぁぁ!!!!」
声を張り上げるとアキは両手に握った炎をスライムへと投げつけ始める。
右、左、右、左、右、左…と交互に炎を放り、空いた手から即座に炎を発生させる。
ただそのうちの一割程度しかスライムには被弾せず、八割が地面や空、そして残りの一割が罪なき草花や木々を黒く焼き焦がしていく。
「えいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえい—————!」
怒りのまま炎を投げ続ける乙女。
その荒々しい姿に初めは驚愕していた鱗であったが両手をグルグル回しながら全く当たらない炎を放り続けるアキが次第に愛らしく思えてきた。
「アキ。もう大丈夫だから」
抱き寄せ、耳元で優しく囁く。
炎を投げ続けた乙女は、少女に戻ってしまった彼女はそこでようやく動きを止めた。
それから思い出したように辺りを見回すと鱗に抱きついて泣きじゃくった。
「 がんばったね / がんばったよ 」
鱗は、アキは。二人は同時に言葉を掛け合った。
この世界に来て初めての敵。初めての戦い。
それが自分だけでなく少女も同じだったことに鱗は気づき、それを噛みしめるように少女を抱きしめる。
焼き焦げた地面。灰となった草木。
そして、蒸発したであろうスライムの残骸。
辺りに燃え残った火が収まるまで。涙が乾くまで二人は森の中で身を寄せ合った。




