9.「ネーミングセンスは直感です!」
「ねえ、マ~ちゃん。『ふぅ~』ってして!」
若槻鱗は少女に言い寄られていた。
自らを「若槻鱗の子ども」と称する謎の少女。赤髪と呼ぶにはまだ淡く、霞んだ赤髪を持つ少女。こちらを見つめる潤んだ瞳は陽の光を閉じ込めたように綺麗で、純真な少女の心を正直に映し出す。
「ふぅ~、って‥言われても」
正直に言って訳が分からない。
出自も関係性も分からない相手(しかも少女)に突然「息を吹きかけて」と言われて二つ返事で実行できるほどの判断力は持ち合わせてはいない。
「マ~ちゃん…はやくぅ…」
縋りつく声。懐がやや軽くなると同時に弱々しい少女の声が響く。
再び少女を見つめれば、その身体は更に縮んだ幼女の姿となっていた。赤みがかった髪も更に薄れ、顔から徐々に生気が失われていく。
「ええい、ままよ!」
誰かに息を吹きかける。そんな恥ずかしさを放って鱗は力強く息を吹いた。
「うぅ~」
吹きかけた息は少女の前髪を揺らすだけ。少女の活力が戻る気配はない。
「ちがうぅ‥」
消え入る声。もはや首を振る力もないのか懐に身を埋める。
それから幼女は全く動かなくなった。
眠りについたかと思えば、髪からは完全に赤みが抜け落ちており毛先から薄黄の光を散らしながら髪が少しずつ短くなり始めていた。
「ああぁ、まずい」
今にも消えてしまいそうな幼女を抱き上げ、鱗はなりふり構わず幼女の全身に息を吹きかけていく。
場所が悪いのかもしれない。
息の吹き方も良くなかったのかもしれない。
ハアァと暖かい息。フウゥと冷たい息。
それらを交互に、強弱をつけて小さくなった足先から順番に吹きかけていく。
消えているのは、まだ髪の毛だけ。逆に、このまま放置すれば少女の正体が掴めるかもしれない。
囁く非情。巡る思考。そして最後の光景と得られると思しき成果を天秤にかけて理性が拒む。
消えゆく幼女の末路を想像するなど、もう心がつらい。
―——がんばれ、がんばれ、がんばれ!
つま先から手指の先、首元から頭のてっぺん。そして最後から二番目、耳の穴に息を吹き込んだ直後のこと。
突如、自身の体から一気に力が抜けて出ていくような感覚に襲われた。
「ウッ」
お冷に見せかけた日本酒をあおったような突発的な胸やけ。
月に一度の貧血時にくるような眩暈。
つい先程まで膨張・収縮を繰り返していた肺の動きが麻痺して自発的に呼吸しなければ空気を取り込めなくなる。
「はぁ、はぁ」
底なしの虚脱に沈む。
筋肉から神経に至る体の全てが異常に犯される。
あつい。熱い熱い熱い。
神経が過剰に反応する。体が内から燃やされるような地獄に見舞われる。
燃やすものなど何処にも無いというのに、この身は何かを燃やし続けている。
もしくは既に空焚き状態なのか。いずれにせよ器は爆ぜて割れてしまうだろう。
「だ、め、だ…」幼女を抱いたまま身体が前面に落ちる。
残った力を振り絞って出来たことは身体を捻ってうつ伏せを回避しただけ。
「ぐ、ぐ」少女の頭を守って横向きに倒れる。
体は限界を迎え、地面がフッと消えたような錯覚に襲われる。平衡感覚の異常に視界は逆さニ、マガリ、歪ミ…えずく。
―——・何か…食べ物を…。
追い込まれた鱗はドレスのポケットに手を伸ばす。
昨日採った凸凹の緑皮で覆われた謎の実。
火起こしに夢中で食べ損ねた実をポケットから何とか取り出すが。
「切らないと…」
面倒なことに謎の実は切らなければならない。「いっそ皮ごと丸かじりに‥」と憔悴し切った本能が無計画な提案を挙げるが僅かな理性が首を横に振る。
わざわざ時間をかけて、この謎の実が食せるものか否かを確かめたのだ。
ここで下手を打って「UROKO IS DEAD」になどなりたくない。
「ぁ…っ」
実を掴んだ指にも力が入らなくなり、ポトリと地面に零れ落ちる。
次第に意識が切れかけた電球みたく点滅する。ブツ、カチン。ブツ…カチッ。明暗の度合いが徐々に暗へと傾き始め、パチンと破裂するように鱗の意識は光を絶やしてしまう。
・・・・。
・・・・おもい。
・・・・・・くすぐったい。
・・・・・・・・・・・・息苦しい。
・・・・・・・・・・・・・・・・口になにか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あまっ。
味覚が、途絶えた意識に光を灯す。口の中にある柔らかい何かを口蓋と舌で崩し、滲み出た唾液でゆっくり溶かしながら少しずつ飲み込む。
「あんまい」
確かな甘味に言葉が戻る。
羊羹とクリームを足したような粘りと濃厚さを含んだ食感。喉を通ってもなお五臓六腑を満たしていく甘みが燃えゆく空の器を満たしていき、徐々に湧き上がる充足感が失われた力を蘇らせていく。
「 マ~ちゃん マ~ちゃん 」
傍らで聞き覚えのある声。
鱗を「ママ」もとい「マ~ちゃん」と甘い声で呼ぶ人物など一人しかいない。
数分前まで消えかけていた謎の少女。
その安否が気になった鱗は急いで起き上がって声の方へと視線を送ると、
「どちら様?」
‥そこに少女の姿はなく代わりに少女の姉のような乙女の姿があった。
黄・赤・黒と毛先からつむじにかけてグラデーションがかかった黒みを帯びた長い赤髪。顔つきは消えた少女のような幼さを残しながらも、体は大人のものへとなりつつある発育途上。肉体年齢でいえば中学生程度で身長だけでいえば鱗とほぼ同じくらいの大きさだ。
「あたし ママのこどもだよ?」
その言葉に鱗は絶句した。ついに処女受胎で二人目まで孕んでしまったのかと腹を抑えてしまうほどに鱗は混乱していた。
「えへへ」
笑いながら乙女は鱗の手を持ち上げて自分の頭にのせると自分を撫でるようにスリスリと鱗の手を揺らす。それから「マ~ちゃん、げんきになった!」と嬉しそうな笑みを浮かべると乙女は先程の少女と同じように鱗の手を右頬に当てて頬ずりし始めるのであった。
「…え」
同じ話口調。同じ行動。マ~ちゃん。
鱗は一つ目の真実に気づく。
「さっきの子が成長したってこと?」
愕然とする鱗を他所に謎の乙女——もとい全裸の乙女は鱗の手に頬ずりを続けていた。
・
忙しない風に吹かれて森は躍動する。
擦れた枝葉の一音が重なり、連続し、さざめきへと変わる。森に住まう命たちは示し合わせたように目を覚ますと、その多くが水源たる小川へと真っ先に向かうことだろう。
連なる山々から流るる小川は枯葉やそれに付着した種子を運び、ときおり森の生存競争を見届けながらも静かに去っていく。
栄枯流転する大地。天高く浮かぶ陽の眼差しがそれらを悠然と見つめると地は多彩な命で自らを飾り付けて天に良い恰好をする。
それを健気と笑い、可笑しいと嘲笑しながらも吐かれた天の息は新たな風となって世界を巡り、地を彩る生命らに温もりと冷たさを与えることだろう…。
「あははは!」
「…はぁ…はぁ。止まって」
キャッキャッと楽しそうに笑う乙女に向け、息も絶え絶えに鱗は尋ねる。
遡ること数分前。全裸の少女は許せても全裸の乙女は不味いという鱗の独断から自身の革装備を乙女に着せようとするも彼女は頑なにそれを拒んだ。
躍起になって無理やり着せようと追いかけ回したが復調したばかりの体では力及ばず今も乙女は全裸のまま。
「マ~ちゃん おいかけっこ おわり?」
未だに信じられないが目の前の乙女は先ほど出会った少女と同一人物らしく、消えかけた少女に鱗が息を吹きかけたら乙女の姿になっていた。
どういった原理なのかは不明。ただ乙女の姿になったことで分かったことが一つある—————容姿が鱗に似ているという点だ。
髪質や体つき(…特に胸!)に大きな違いはあるが、顔をよく見ると鼻や目などの細部に自分と似た雰囲気が感じられる。
「ねえ。あなた、どこから来たの?」
「う~わかんない あたしはドコからきたの? マ~ちゃん?」
「私に聞かれてもなぁ。…じゃあ名前。名前は何て言うの?」
「なまえ? う~ん よくわかんない」「くぅ~ん」
〝 まいごの まいごの こねこちゃん あなたの おうちはどこですか♪ 〟
古き良きメロディが頭の中で流れる。お家も名前も分からない。困って「わんわん」ないてみたところで子猫ちゃんは迷子のまま。今はとにかく情報を集めるしかない。
「じゃあ、あなたはどうして「私の子ども」なの?」
「マ~ちゃんがあたしをよんだから?」
「私が、呼んだ?」
昨夜からの記憶を掘り起こす。
火起こしをして眠りについた夜、正体不明の重圧が鱗を襲った。
身動き一つとれないまま苦しみに蝕まれる地獄の夜。「これが悪夢であれば」と強く望んだ苦痛の時であり、ただ一つの温もりによって救い払われた悪夢の一欠片。
あの時と似た感覚を挙げるとすれば〝淑女内層領域のコラプス〟…言うなればリバースで誰しもが通る酒の失敗。具体的な言葉でいえば「寿命が縮んだ」ようだった…。
「じゃあ、その時に彼女のことを…」
「誰か…」だとか、そんな風に無意識に助けを求めていたのかもしれない。
「どんなふうに呼んだの?」
当時の状況を知るべく鱗は全裸の乙女に尋ねると、その返答は予想だにしていないものであった。
「ふぅ~ふぅ~って。マ~ちゃん、いっ~~ぱい「ふぅ~」してくれたよ?」
「…ふぁ?」
ポカンと口を開けたまま固まる鱗を乙女は不思議そうに見つめる。
思考がまとまらず彼女の言葉を頭で繰り返すうちに鱗はある場所を注視する。
「火だ」
今生の想いを込めて起こした火は跡形もなく消えていた。
薪を燃やし尽くしたわけでもなく、火は灰すら残さず完全に消え去っていた。
完全焼失ならぬ完全消失。深夜の夜風に当てられて火が掻き消されたにしても地面に焦げ跡も残らないのは、どう考えても不自然だ。
「—————【かえる】力…」
そこで鱗は真実の神と最後に交わした言葉を思い出す。
転生直前、残り数秒というギリギリのタイミングで「お前は、どのような力を欲す?」と恐ろしい質問を投げかけてきた性悪な神。
それに対して鱗が答えた言葉が「かえる力」であった。
「かえる力って、なんだろう」
自分で答えておきながらも力の詳細は何も分からない。
方法も、条件も、何を「かえる」力なのかも。そんな力が本当にあるのか。それさえも分からない。だけど彼女の言葉と状況を見れば答えは明白だろう。
「私がこの子を生んだんだ」
火。苦痛。脱力。謎の少女。消える少女。「ふぅ~」。虚脱。「かえる」力…。
今までの情報を整理してみると、まず真実の神から与えられた「かえる」力によって丹精込めて起こした〝火〟が〝少女〟の姿に変わった。
昨晩の苦痛や脱力は云わば代償というべきなのか。
火を少女に変える…言い換えれば火に生命を与えるのだから当然の代価なのかもしれない。
次に『かえる力』というものが『変えたモノに継続的なエネルギー供給を必要とする』場合―——〝火〟である彼女が〝人〟の形を維持するためにエネルギーを要するならば少女が消えそうになった現象にも納得がいく。
そのエネルギー源が血肉か寿命なのかは分からないが鱗の何かを送っている以上、彼女の容姿が自分に似ていることにも納得はできる。
「そうだよ! マ~ちゃん!」
気まぐれに枝葉から覗く陽が子どものように笑う乙女に降り注ぐ。
あられもない姿に目を覆いたくなると同時に自分が忘れてしまったものを彼女がもっているような気がして鱗は目が離せずにいた。
「あなたの名前、私がつけてもいい?」「うん!」
暖かな笑みを浮かべながら乙女は答え、鱗は頭に浮かんだ名前を彼女に与えた。
若槻鱗が作った火。燐という名も浮かんだけれど妙に大人っぽい名前は彼女には似合わない。どうせなら子どもらしさを忘れない彼女に相応しい名がいい。
「それじゃあ————アキ。あなたの名前はアキです」
自分に欠けた何かを持つ少女に鱗は「秋」という名を与えた。
「私が生んだ小さな火」という意味を込めて…。




