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プロローグ とある龍黒の話


空を統べる者がいた。

()の者が天を翔ければ吹き荒れる風は息を潜め、我が物顔で浮かぶ灰雲の衆は(おのの)きながら道を開く。山一つ飲んでもなお喰い足らぬ天災の獣―—逆蜷局(さかとぐろ)を巻いた大竜巻さえも彼の者の前では我が子を迎えるような優しさを見せ、別れ際には濃い雲の糸を(まと)わせて惜しむように送り出す。

暴風、嵐、落雷、(ひょう)…地を脅かす天災の(ことごと)く。

いずれも彼の者の前では媚びへつらうもの(・・・・・・・・)へと成り下がる。

それは主従でも権能でもなく、ただ純粋な力が為す(ことわり)

強者の常である。


 雲の糸を断ち切り、ようやく灰の園から抜け出すと光が差し込む。

目下の薄雲に影が落ち、地に映された影は地に住まう者の畏怖を呼び起こす。

見るもの全てを圧倒する巨大な体躯(たいく)。背から広がる猛々しい翼。

その身を覆う鱗は照りのある漆黒を放ちながらも芯には星空を閉じ込めたような煌めきと美しさを秘める。この鱗が生え変わる頃になれば翼がはためくたびに翼膜の鱗が剥がれ落ちて地に輝きを落としながら空を翔けるのだが…実際にその光景を見た者は限りなく少ない。


 やがて鼻から蒸気が噴出される。

翼を動かす胸筋の熱を全て吐き出し、新たに空気を取り込んで冷却する。

呼吸に伴って僅かに開いた口から覗くのは綻び一つない太く堅牢な牙。

顎に僅かな力を加えるだけで数十に束ねたネルバの巨木を容易に噛み潰し、捉えた獲物は骨ごと粉砕して喰い千切る。

しかし、その牙よりも恐ろしいのが尾骶(びてい)から無気力に伸びた尻尾。

鞭の如く(しな)る尾は最速かつ正確に獲物の命を絶つ瞬殺の刃と化し、屈強な四足と連動すれば尾を振るうだけで大半の敵は(ほふ)れてしまう。


 ()の種族は天上天下、最古にして最強種たる龍族。

 名は龍黒(りゅうこく)

 百幾年を経たところで数えるのを止めた生ける伝説。

 龍族史において指折りとも呼べる最恐の龍である。


               〇


・———‥上昇。上昇。上昇。

幾層もの雲を貫き、辿り着いた場所は誰もいない天上の世界。

目下に白雲。前方を埋め尽くすは透き通った青。そして、ただ悠然と世を照らす陽。

「空は良いな」

孤独な世界を見渡(みわた)し、安堵する。

色豊かな美しき地上の風景が嫌いなわけではない。

彩りのある花園は荒んだ心を華やかに、黄金の麦畑は実りある時の巡りを告げる。

氷雪に染まった白き世界は乾いた心に美しき静寂を落とし、褐色に(さら)われた砂地は果てしない世界を茫漠(ぼうばく)と映してくれる。

…だけど。この天上の世界の方が(この)ましい。

龍黒にとって、この誰もいない空だけが心安らぐ唯一の場所。

孤独となれる(・・・・・・)世界だけが黒き龍に解放をもたらしてくれる。

「…腹が空いた」

しかしながら、この世界では腹は満たされない。

近くに適した狩場はあっただろうか。他の龍の狩場でも他種族の管理地でもなく、それでいて誰も寄り付かない場所…。

思いを巡らせながら龍黒は雲海へと飛び込む。

迫り来る白雲が視界を白く、時おり灰色へと(にご)らせて、

「—————ア。」

雲の中へ飛び込んだ直後のことだった。弛緩(しかん)からの緊張。気が締まり切る前の僅かな隙を狙ったように現れた何者かと雲の中ですれ違う。

『あら…』

平行する両者。片方の異常な落下速度によって出会いの時は一瞬で過ぎ去る。

‥文字通り、瞬く間(・・・)もなく。

何者かの視線は確実に龍黒をとらえ、龍黒もまた突然現れた者に向けて本能的に(・・・・)視線を向けてしまっていた。

「しまった―—」

分厚い雲を隔てて、確かに視線が重なる。相手の顔までは分からない。大まかな姿形は人間に似ているが、彼らがこの天上に足を運ぶことは(ほとん)ど無い。

「———まさか…エルフ族か?」

長耳で美しき容姿をもつ大神の嬰児(えいじ)、エルフ族。

〈未知を求めるならば エルフを尋ねよ〉という格言があるほど、その叡智(えいち)は同じ長命種である龍族よりも優れており古来より他種族との交流も(さか)んに行っていると聞く。

彼女ら(・・・)を突き動かすのは(ひとえ)に異常な好奇心であり、未知なるものを求めて世界各地に点在していることから〝未知の旅人〟とも呼ばれる。

行先は人族が密集する都市部や村々から、龍族が住まう山頂や洞窟と気まぐれに。

さらには人里離れた遺跡、砂漠、神域(しんいき)、そして空にまで。

『・・・ああ、ついてないですね』

それだけ言い残すと彼女は雲海の底へと落ちていく。

無造作に川へと放られた石ころのように彼女は動かない。

これが儚げに散った花弁であれば雲の上でも浮いてくれたかもしれないのに。

「——あやめて(・・・・)、しまった」

罪悪が、悔恨が、龍黒の動きを止めた。

渦巻く感情と記憶の数々が見えない腕となって自らの首を締め上げる。このまま絞め殺して(もら)えることを期待していると、僅かに残った自責が翼を振るわせる。

「行かなくては…!」

自責の念が龍黒の意識を牽引し、その巨体を雲海の底へと沈める。

「このまま―—」灰色の雲の中、小さく漏れた動揺は静かに雲へと飲み込まれていく。上るときは一瞬であったはずの雲海が、今では延々と続く地獄のように感じて龍の呼吸は乱れ始めていた。


「————このまま えいえんに とじこめられるの ?」


無意識に零れた言葉は、まるで幼子が上げたものだった。

過去の記憶から再生された言葉は今にも自壊しかねないほどの危うさと弱々しさを併せ持ったもの。最強と(うた)われる黒龍から放たれた言葉とは到底思えないものであった…。

「みつけた」

深い雲海を突き抜けると龍黒は彼女を発見(はっけん)

次に自身の考えを改めることとなる。

エルフと思われた彼女は、なんと人間の女性(・・・・・)であったのだ。

(なび)薄紫(うすむらさき)の長髪から覗く端麗な目鼻立ちと耳。

その身に(まと)う衣服は女性のスラリとした長身を引き立たせ、鉱石を織り交ぜた蒼の上衣と白の下衣は風に吹かれて宝石の如く煌めく。…自らの魔力で編むエルフの服では決して出せない魅力だ。

「すまない。人間よ」

言葉の静けさとは裏腹に龍黒は流星にも劣らぬ速さで女性を追う。

その鼻先が女性をとらえ、「このまま木から落ちた果実のように潰れさせるくらいならば…」と龍黒が口を開くと。


・————突如現れた大きな歪み(・・・・・・・・・・)が龍黒を制止させた。


「なんだ!?」

体に流れる龍族の本能が叫ぶ。

天災をものともしない覇龍を制したのは世界の激震。

高魔力存在の来訪にも似た世界に満ちるマナの歪みは、龍黒に自ら存在する世界への疑念を抱かせるほどの〝異常〟を生じさせる。

「静まった…?」

ところが気味が悪いことに歪みは即座に修正された。

まるで誰かが龍黒の感知に気づいたかのように歪みが、マナの流れが、大気の乱れが、その(ことごと)くが正常化される。

いつしか龍黒が抱いた世界への疑念も偽りの如く消え去り、代わり先程までの自責が龍黒の理性(・・)を再燃する。

「いけない!」

龍黒は止まっても女は地上へと落ちていく。

落下地点は都市部から離れた大森林——ネルバ木で有名なネルバ大森林を抜けた草原。「これがもし大森林を越えた先の大都アスカテーラであったならば‥」と怖い想像に肝を冷やしながら小さな幸いに喜ぶのも束の間、運が悪いことに落下地点に二人の人間が感知された。

「ぐぬぬぬ‥」

このまま地上へと下れば面倒なことになる。

そう判断した龍黒は重い息を鼻から吹き出して言葉を唱えた。


「天の大神よ。至極美しき彼女に安寧を——」


あの面倒な天の大神(・・・・)からマナを借りる羽目になってしまったが「これは(あがな)いだ」と自身に言い聞かせて、落ちていく女性の身体に向けて魔術を発現させる。


「―—『天の大神の(スカーリー:)御加護(プロテクション)』」


天から伸びたマナが翼に宿り、翼より()でた風が落ちていく女性の身体を優しく包み込む。すると女性の身体がフワリと浮かび、木の葉のように風に揺られながら徐々に大森林の方へと流れて沈んでいった。

「その美しい身体のまま地の大神に捧げられるとよいな」

…正直、あの地の大神(・・・・)に与えるには惜しいほどの美人であったが、死にゆく生命は如何なる種族であれ地の大神に捧げられる運命にある。これは仕方がないことなのだ。

「———いこう」

悲しげに囁くと龍黒はその場を去ることにした。

混乱を生む前に一刻も早くこの場を離れて腹を満たさなくてはならない。

「あれは‥」

しかし、そこで思わぬ人物が再び龍黒の動きを止めることになる。

先ほど感知した二人の人間。地上にいる女と男。

女の方は知らないが男の素性を龍黒は知っていた。


龍黒の姉、龍白(りゅうびゃく)を殺したとされる龍殺し。

「龍を堕とした男」と呼ばれる者だ。


             ・


‥‥別に。男に恨みはない。

そもそも龍族はエルフや人が持つ献身的な情が薄く、姉妹愛や家族愛といった愛情に(うと)い。生存本能として雌雄がまぐわい子を為すことはあっても、その子が親姉妹に対して純粋な愛情を示すことは(ほとん)どなく、結果として疎くなる。

 その一番の要因とも呼べるのが「タメシ」と呼ばれる儀式。

生まれて間もない龍族の子は父親より渾身の息吹(ブレス)を受ける「タメシ」を経験する。弱い龍は母親の寵愛を受けることなく絶命し、タメシを乗り越えた龍だけが天より生きることを(ゆる)される。

 「タメシ」とは太古の昔に大罪を犯したとされる龍の祖先の贖罪。

天の大神より受けた呪いであり「タメシ」を行わなければ、その家族の翼は天に剥奪され地に落とされる。‥さらに龍の没落はそれだけに留まらない。

天に翼を奪われ、地に堕ちた龍は地の大神の祝福(・・)によって地龍(ちりゅう)へと去勢されてしまう。

これは【天より落ちるものを余すことなく受け止める】という地の大神の性癖によるもので、この祝福を受けると龍は種の存続という生物としての繁栄——いわゆる生殖機能を剥奪され、その命が尽きるまで地の大神の眷属(けんぞく)となる。


 故に。天の大神の許しを得るため龍族は「タメシ」を徹底する。

 仮に父親が息吹を緩めようものならば、家族もろとも翼を奪われてしまうから…。

 『お赦しを、お赦しを。我が子の生をお赦しください。天の大神よ』

死にかけの私を放置しながら、私の誕生を天に願う家族を、なぜ愛せようか。

回復の魔術を謝りの言葉と共にかける母を。姉を。そして父を…どうして———。


「・・・え」

一つの驚愕(きょうがく)が龍黒の意識を現在に引き戻す。

先程の異常とは違う…ただの視線。ここ数百年もの間、誰にも凝視されることの無かった龍黒を見つめる者がいたのだ。

「—————。」

龍殺しではない。その近くにいた女だ。

初めて龍を見た森の子らのような間の抜けた顔を浮かべながら女は龍黒を見上げている。

容姿は先程の美人を見た後では見劣りするが平凡よりも多少は上といったところ。

服装はカフスの付いたシャツにスカート。

装備は胸当てに革ベルト…と簡易的なものでありながら、その中でも龍黒の目を引いたのは女が腰に差している剣——否、それが収まった(さや)だ。

綿密なマナで編み込まれた魔法(・・)によって構築されており、この目(・・・)でも判断が付かないほど複雑な構造をしている。


————でも、問題はそれではない。


閉じた目蓋を爪で掻く。

龍族史において指折りの強さを誇る龍黒。〈空に黒が現れたら(ひざまず)け〉とまで言い伝えられる龍黒を最恐(さいきょう)たらしめるもの。

それが龍族の有する魔眼(まがん)

幻惑・錯乱・再生・腐朽ふきゅう・燃焼・凍結…と、その(まなこ)に捉えた万物に作用する魔眼は血縁による複合的なものもあるため種類は計り知れない。

通例であれば龍族の魔眼は父母の片方か、もしくは両方を掛け合わせた魔眼を開眼するが稀に父母のものとは別格の強力な魔眼が現れることもある。

それが祖先の血が子孫の体に強くあらわれた|先祖返りと呼ばれるものだ。

強力である代わりに制御が難しく、最悪の場合は自身を滅ぼす先祖の魔眼。

その原因は分かっておらず一部の龍族間では「先祖の怨み」や「タメシに対抗するために龍族の体が進化しているのではないか?」などと囁かれているという。

繋がれた血によって現代に再臨した先祖の力は現代の龍には御しきれない。ましてや、それが龍の起源ともなれば種そのものを滅ぼしてしまうだろう。


 最恐の龍、龍黒。

(ゆる)しを得て生まれたはずなのに幼くして一生の業を背負った龍。

その黒き龍の魔眼は龍族史においても類を見ない先祖返りを越えた一対。

太古、天と地の大神が離別する以前から存在したとされる龍の祖〝第三の神〟が保持していたとされる魔眼———起源(ゼロ)に分類されるそれは開眼と同時に龍黒の父を死に至らしめた。


  それは呆気なく、命の糸でも切られたように静かに。

  母は叫び、姉は狼狽(うろた)え、龍黒は絶句した。

  龍族が平伏する龍帝。その次女、龍黒の魔眼。

  「見たものを殺す」という【神殺し】の一対。

  業を運ぶ双つの凶星。


〈空に黒が見えたら跪け〉〈陽が隠れたら大地に接吻なさい〉

魔眼の脅威は言伝に時代を超えた。今では人種の幼子の夢枕で囁かれるほどだ。

それなのに地上にいた女は恐れも抱かず悠然と龍黒を見上げている。

神殺しは自制が効かない。

むしろ成長と共に高まった魔力のせいで魔眼は抑制を外れ、常に開眼している。

魔眼の条件はあるにせよ、その目で世界を渡れば世にある命の大半が死に絶えてしまう。

だから龍は目を閉じた。

常に瞬膜を降ろし、目蓋を塞いで暗闇に沈むことを決めた。

塞いだ視界に映るのは世界に満ちる大神の(マナ)()た魔力感知の景色のみ―—。

「何だ?」

魔力感知越しに女と視界が合った瞬間、妙な不快感が龍黒を襲う。

見えない何かが体に入り込んで奥へ奥へと伸びていく感覚。それが体の隅々まで渡ったところで感極まって身を振るわせると不快は一気に消え去っていった。

「以前も、どこかで…」

魂に触れられたような感覚。そこに身の覚えを感じて過去を思い返すと、すぐに一つの記憶に思い当たる。


‥‥何年も前。一人の男に魔法をかけられた時のことだ。

大きな外套に身を包んでいたため顔までは分からない。

寝込みの直前に突然現れた男は不思議な力を行使した。

能力看破(リードステータス)

そう唱えると体の隅々にまで見えない力が広がって…その奇妙な感覚に驚いて尾を振り払うも男の姿は既になく、幻のように消えてしまった。


「あの女、何者なんだ…?」

龍黒の魔眼を知っていれば「見る」という行いすら蛮行に当たる。

『見たら死ぬぞ』『見られた死ぬぞ』

それが龍黒の脅威を示す言葉。親殺しを犯した罪龍の負うべきもの。

本当の自分を見てくれるものなど誰もいないし、死ぬまで訪れない。

「世間知らずの女もいたものだな…」

フンッと鼻息を飛ばして龍黒はその場を後にした。無気力に垂れているだけの黒き尻尾は空を裂きながらも少しだけ小躍りしているかにみえた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] この作品は創世と神明と関係があるようで、私は彼にとても興味があります!! これは私の作品と少し似ています。 [気になる点] 「真実の神」の実力がどれだけ強いのか知りたい! [一言]…
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