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SFってなんなんだろう?

SFってなんなんだろう? 番外編 —— SFとは、ファンタジーとは ——

作者: 宮沢弘

「SFとはなんなのか?」、「ファンタジーとはなんなのか?」という問いに答えるのは難しいように思えます。ここでは、これまでとは視点を変えて考えてみたいと思います。既にこういう論はあるかもしれませんが、その際はご指摘ください。こういう説明も夏ごろに思いついていたのですが、ちょっと問題があるために掲載をしていませんでした。その問題については後述します。


さて、「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」という言葉があります。検索するとゴーギャンの作品のタイトルとして引っかかってきます。ただ、オリジナルとされているものはずっと古く、古代ローマ時代だったような気がします。まぁ、これは思い込みかもしれませんが。


ともかく、この言葉が広義のファンタジーを考える上での便利な指標を提供してくれます。「SFってなんなんだろう」 (副題のないもの) に、次のようなことを書いていました:


- SFは逃避文学だとしても、それは虚構の中への逃避でもなく、

 不可能の中への逃避でもなく、「まさにおこるかもしれない」

 世界への逃避であり、現実の中への逃避である


おこるかもしれない世界、現実の中とはどういうことなのでしょうか? ここで、先の言葉を見てみましょう。「我々は何者か」 これを問う文学などこそがSFです。「おこるかもしれない世界」において「世界」という言葉が含まれていますが、世界だけを描いたのではSFとは言えません。その世界において我々はどうするのか、どうなるのか、どうあるのかが重要です。


では、狭義のファンタジーではどうでしょうか? それも上の言葉に含まれています。それは、「どこ」です。つまり世界を描く文学などこそがファンタジーです。では、その「世界」とはなにを指すでしょうか? それは簡単で、「その作品が描く世界」です。たとえば、マルチバースを世界として描いているならマルチバースがその作品の世界であり、村での出来事に限定されていれば村が世界となります。重要なのは、問うている対象、描いている主たる対象が、「我々」ではなく「世界」であるという点です。


3つめとして風刺文学があります。風刺文学は、「我々」と「どこ」を同時に扱う文学などです。それはつまり、「社会」を扱うということになります。風刺文学においてディストピアものは避けて通れない必修科目ですが、そうなるのは当然と言えます。社会を風刺することが、ずっと続いていますし、これからも続くでしょう。


さて、最初に「問題がある」と書きましたが、その問題についてです。今回、これまでとは異なる「SFとはなにか」などの解説を試みました。しかし、実際に求められているのは、「SFとは」ではなく、「SFっぽさとは」という問題であるという点です。そして、「っぽさ」については、今回はうまく考えがまとまりませんでした。


というわけで、久しぶりの番外編でした。


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