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愚者の王国

愚者の王国 ~世界の果てにたった一人と、猫一匹~

作者: 一路傍


 姫が目を覚ますと――


 あたり一面は瓦礫の山となっていた。

 やけに静かで肌寒かった。鉛色の空から、雪がひらひらと落ちてくる。


 姫はぼんやりと遠くに視線をやって、すぐに愕然とした。

 視界に入ったもの全てが跡形もなく焼き尽くされていたせいだ――


 城も。塔も。長い城壁も。

 あるいは街も。家々も。広場も。大きな跳開橋も。

 さらに丘陵の先に目をやると、畑や村々も。川や木々でさえも。あらゆるものが破壊されて、焦土となっていた。


 姫はかろうじて、よろよろと立ち上がった。助けを呼ぼうとしたのだ。

 だが、「う、あ、ああ……」と、声が嗄れていた。喉が煤塗れで、すでに潰れてしまっていた。


 それでも、姫は瓦礫の山を掻きわけて、行く当てもなく進み始めた。


 誰か一人ぐらい、生きているのではないかと信じたかった――互いに励ます者。瓦礫をよけてくれる者。あるいはこの空腹と痛みを和らいでくれる者。そう。誰でもいい。何でもいい。せめて知己にだけでも会いたかった。


 だが、数秒も経たずに、姫は力なく倒れてしまった。


 視界がしだいにぼやけていく。

 ぜいぜい、と呼吸するのでやっとだ。

 全身には無数の針で刺されたかのような痛みが続いた。

 しかも、雪が降っているというのに、いつの間にか、体は燃え盛るほどに熱くなっていた。


「あ、うあ……」


 もう助けを求めることさえできなかった。


 せめて水がほしいと願った。

 弱々しくも、手を真っ直ぐに前へと伸ばす。


 だが、その手は無力にも地に落ちて、いつしか思考もぐにゃりと鈍って、あらゆる物事の境界線が曖昧になっていった……


 もしかしたら、このまま死んでしまうのだろうか?

 だとしたら、それはとても寂しい死に方だなと、姫はゆっくりと目を閉じた。



   ★ 



 姫は多くの人々にかしずかれてきた。

 幼い頃から賢かったこともあって、皆に敬われた。


 ある日、国王は姫を抱いて、こう言ったことがあった――


「これほど賢いならば、いつかは余に代わって、王になってしまうかもしれぬな」


 それでも、姫に嫉妬する者は誰一人としていなかった。

 姫の側で仕えてきた者たち。友人たち。そして、兄弟や姉妹たちでさえ、いつも姫にはやさしく、たっぷりと甘やかしてくれた。


 もちろん、姫も自分の立場をしっかりと自覚し、その責務をきちんと果たした。常に凛として、誰に対しても丁寧に接して、やさしく振舞うように務めてきた。だからこそ、周囲の人々も姫を深く愛してくれた。


 が。


 あるとき、そんな姫の世界は一変した。

 突然、巨大な飛竜が城の上空に現れたのだ。


 その巨竜は羽ばたきながらしばらく宙に滞在すると、何ら躊躇することなく――

 城も。人々も。何もかも焼き尽くして、気紛れに蹂躙していった。

 そして、炎がかかる瞬間に、


「危ない!」


 と、姫は何者かに庇われて、そのまま意識を失ったのだ。



   ★ ★ 



 頬を撫でるやさしい感触で、姫は再度、目を覚ますことができた。

 次いで、「ニャア」と、可愛らしい声も届いた。


 何気なく、ぼんやりと視線を向けた。

 直後。あまりに可哀そうで、つい目を逸らしてしまった――


 というのも、その子の全身の皮膚が焼け爛れていたのだ。

 姫よりもよほど煤だらけで真っ黒だ。しかも、目からは黒い血を流している。せいぜい這って歩くのがやっとといったふうだ。


 それでも、その子は温かみのある声音でいてくれた。


「ニャア……」


 すると、不思議なことに、姫のぼんやりとした記憶が少しずつ蘇ってきた。

 たしか、この子は「王子」と皆から呼ばれていた。姫にとっては、王城の廊下などでたびたび遊んだ、大切な存在だった――だから、姫は何とか声を上げて応じようとした。


「うう。あ、あうあ……」


 が。


 それは最早、音にすらなっていなかった。

 それでも、姫の思いを受け止めてくれたのだろうか……


「ニャア」


 と、その子は猫の言葉で・・・・・啼いてみせた。


 どうやら、その子供はすでに死ぬことを覚悟しているようだった。

 だからその声音には、姫を思いやる気持ちと共に――


 姫を、たった一匹・・・・・だけ。


 この過酷な世界に残してしまうことへの後悔の色が強く滲んでいた。


「ヒ、メ……ごめ、ん、よ」


 その子供は「姫」と名づけた雌猫をじっと見つめた。

 一言もいわずに。哀しそうに。また、何もかもを諦めたかのように。

 それから、ぼろぼろの指で、姫の頬をさすった。そっと、慈しむように。心を込めて、とてもやさしく――


 その子供こそ、近い将来、この国で王位に就くはずの人だった。

 何より、その子供――王子は姫の主人であり、幼き頃から最も愛情をかけてくれた者だ。


「ぼく、もう、死んじゃ、う、んだ……わかる?」

「う、あ、ああ」


 姫は応じてみせたが、やはり嗄れた声しか出すことができなかった。


「そう、か。わから、ないか……やっぱり」


 王子は目を細めると、再度、「ニャアア」と悲しそうに啼いた。

 姫にはその悲鳴がなぜか、さよなら、と言っているように聞こえた。


 王子はゆっくりと目を閉じた。

 そして、上体を支えていた腕の力を失って、その場で崩れてしまった。


 今度は、姫が王子の頬を撫でる番だった。


 いつもなら瑞々しいはずの王子の肌はひび割れて、姫は何度も、何度も、舌で舐めた。だが、姫の口内も、乾きでざらざらになっていて、潤いを与えることはできなかった。


 そもそも、王子は最早、目を開けることも、ぴくりと動くこともなかった。


 だから、姫はせめて寄り添った。

 王子に愛しさを伝えるために。これまでの愛情に応えるために。何より、大切な思い出を慈しむためにも。


 そのときだ。


 いきなり、姫と王子の真上を大きな影が過ったのだ――

 それはこの国を破滅に導いた巨竜だった。


 姫は震えた。生物としての格がまるで違った。

 本能がその存在を直視してはいけないと告げていた。


 それはさながら天空そのもののようでもあった。

 手を伸ばしても、決して届かない――あるいは神にも等しい存在にみえた。


 だが、姫はその巨竜をじっと睨みつけた。

 充血した目からは紅い雫が幾粒も頬を伝って流れ落ちた。


 姫にとっては決死の覚悟だった。

 だが、黒竜はというと、下々のものには何ら関心を示さずに、しばらく上空で羽ばたきを繰り返すと、どこか遠方へと一気に飛び去っていった。


 姫はその方向によろよろと歩き始めた。

 憎き巨竜を見つけるために。ささやかながらも復讐をするために。


 歯を食いしばり、全身の痛みを堪えながら進んだ。

 勝ち目のない戦いをするために。せめて王子の死に報いるためにも――


 こうして、姫は王子と呼ばれた最愛の人の亡骸を後にして、あらん限りの声を振り絞って、巨竜が過ぎていった、果てなき空へと啼いたのだ。


「う、あ、ああああああ!」


 その瞬間だった。


 力尽きて、姫もまた倒れてしまった。


 王子からはほんのわずかしか離れていなかった。

 そのあまりに小さな亡骸の上に、白い一片が、ひら、ひらと、降り積もっていった。そして、いつしか一人と一匹は地に還っていったのだ。



   ★ ☆ ★ 



 これは世界の果てにたった一人の王子と、姫と呼ばれた愛らしい猫がいた、ささやかな短い物語。もちろん、幼く無垢な者たちは知る由もなかっただろう――この世界の果てのちっぽけな王国の片隅で、全てを滅ぼす《呪い》のきっかけが作られていたこと。そして、巨竜がそれを断ちにやってきたことも。


 後の史書は、この国について特には何も記してはいない……

 ただ、《愚者の王国》の一つ、とあるのみだ。


(了)


お読みいただき、ありがとうございました。

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前三作とは趣きを変えた掌編となっています。ずっと昔に書いたのですが、仕掛けがうまくいかず、当時は納得がいかなかった作品です。ジャンルは異世界(恋愛)かハイファンタジーかで悩みましたが、姫の「想い」の物語だと捉えたので、前者を選んでいます。


いずれにしましても、次話は、本日のお昼頃に短編を投稿予定です。前作同様に、婚約破棄(異世界、恋愛、ハッピーエンド)ではありますが、ちょっとした挑戦をしています。お付き合いいただけましたら幸いです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 最初姫は人間の女の子かと思いきや、まさかの猫だったんですね。 それにしてもその「呪い」というのはもしかしたら王子達に反旗をひるがえそうとする反対勢力が密かに生み出したみたいな感じなんですかね…
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