春の桜【3】
兄の透一郎との顔の一致率が九割と言われる梛でも、男性の祐真と並んでいれば普通に女性に見える。ミモレ丈のフレアのスカートもよく似合っていた。
「一応『婚約者』とのデートには気を遣うんだよ、私でも」
そう言った梛が無駄に男前だった。姿だけ見れば年相応のかわいらしい少女なのに。まあ、そういうところが梛らしいともいえるのだが。
祐真と梛の婚約を整えたのは梛の兄、透一郎だ。ことは四年前にさかのぼる。水無瀬一家が別荘に遊びに行った際、その別荘で襲撃にあった。当時の水無瀬家の家長、つまり梛や透一郎の父に恨みのあったものの犯行であったと言われているが、犯人はいまだに不明である、とされている。
その襲撃で、梛は両親と二番目の兄を失い、長兄の透一郎は身体機能の一部を失うことになった。
梛の二番目の兄、彰次は、祐真の同級生で幼馴染だった。明るく気のいい男で、みんなに好かれていた。梛のもともとの性格は、この二番目の兄のものに近かったように思う。
祐真が現場に駆け付けたとき、事態はすでに終息を見せていた。水無瀬夫妻の遺体を確認したし、親友だった彰次の遺体も確認した。透一郎は、すでに病院に運ばれた後だったが、梛と晴季は残っていた。晴季は無傷で眠っていたが、梛は背中を斬られていた。彼女は何も言わないが、晴季をかばったのだろう。
梛は、泣いていなかった。その黒曜の瞳は、何も写していなかった。どれほどの絶望、どれほどの苦しみだっただろう。友人を失った祐真がこれほど苦しいのだ。家族の半分を失った、このたった十三歳の少女は、心を握りつぶされるようにつらかっただろう。それでも、祐真は想像することしかできない。
幸い、と言ってはおかしいが、透一郎は半年ほどで回復したし、彼らの母方の祖父が気をまわして世話をしてくれていた。祐真の祖父もかかわったらしいが、詳しいことは聞いていない。水無瀬側の祖父は、当時すでに故人だった。
一応の身の安全は確保できていた。未成年の梛と晴季は、絶対に大人の庇護が必要だった。しかし、二年前、梛が十五歳の時に彼女らの母方の祖父が亡くなった。祐真が、透一郎に梛との婚約を持ち掛けられたのはこの時だ。祐真は二十歳だった。
「斎宮の祖父が亡くなってしまった。これまで梛や晴季を守ってくれていたものがなくなる。特に、梛は十五の娘だ。醜い大人の足の引っ張り合いに関わらせたくない」
水無瀬は名家だ。それも、没落して最盛期ほどの勢いを失った。ひいき目なしに見ても梛は美しい少女だった。よくないことを考えるものがいないとも限らない。
というより、透一郎は己がいなくなった時の梛や晴季に対する補償が欲しかったのだと思う。往時に比べ明らかに体力に不安のある透一郎は、いつまで生きられるかわからなかった。自分がいなくなった時、梛と晴季はどうするのだろう。梛が晴季を放り出すはずがないから、二人で生きていくことになる。それは、ちょっと、難しい。
祐真には透一郎の不安が理解できたから、婚約にうなずいた。梛のことは妹のようにかわいく思っていたし、ちょうど彼女と別れたところだった。あなたにはついていけない、とふられたのだが、何のことかわからなかった。
その点、梛は彰次と同じで祐真を理解してくれていると思う。彼は自分がのんきな性格をしているのをわかっている。それを待っていてくれるのが梛だ。年下の少女に何を求めているのだ、という話だが。
「梛が一人で生きられるようになったら、破棄してくれてもかまわない」
透一郎にはそう言われていたが、果たして、自分にその気はあるのだろうか、と思う。婚約破棄することはないのではないだろうか。破棄するほど、嫌だと思うことがない。梛から言われれば考えるけど。
透一郎も、不思議な男だ。彼は完全にシスコンに分類されると思う。梛を目に入れても痛くないほどかわいがっている。しかし、祐真は、透一郎が妹を鍛えて仇を討たせようとしているのを知っている。梛も納得しているようなので何も言わないが、矛盾しているなぁと思うのだ。
「祐真さん、どうかした? さすがにぼんやりしすぎだと思うよ」
ふと意識を引き戻され、祐真は小首をかしげた梛を見た。ティーカップを片手に、祐真の顔を覗き込んでいる。二人の間のテーブルにはティースタンド。そうだ。本格アフターヌーンティーを出す店に来ていたのだった。
「……すまない。考え事をしていた」
「まあいいけどね。ほかの女性だったら、『私とのデートが楽しくないの?』ってなるところだよ」
「……」
「お、その顔は言われたことがあるね?」
名探偵梛、正解だ。言われたことがある。なるほど、そういうことか、と納得もした祐真だった。
「ま、今後の課題と言ったところだね。祐真さんにも非はあるけど、祐真さんを理解していなかった相手の女性にも非はある。痛み分けと言ったところかな」
上品にティーカップを傾け、スコーンをほおばる。祐真もつられるようにサンドイッチに手を伸ばしながら言った。
「お前はすごいな……」
「うん。何に対していっているのかわからないけど、ありがとう」
たまに、梛のほうが年上なんじゃないかと思うことがある。
「あ、そういえば、お願いがあるんだ」
「なんだ?」
やはりおっとりして聞き返したが、珍しい梛からのお願いごとに、祐真はちょっと浮かれた。
「今度、私と晴季と遊園地に行ってくれない?」
さすがに私と晴季だけじゃ、補導されるんだよね、と梛。首を傾げかけた祐真だが、ああ、と納得した。
「わかった。かまわない」
彼女らの兄透一郎は足が不自由だ。この前行ってきたという水族館などとは違い、遊園地はかなり歩き回る。透一郎にはきついだろう。だから、代わりの大人が欲しいのだ。
「ありがとう、祐真さん。よろしくね」
「ああ」
「祐真さんは優しいよね」
首をかしげると、梛は笑った。
「私みたいな小娘の戯言に付き合ってくれる」
身をわきまえているというにしては、ちょっと自己評価が低い。祐真は紅茶のお代わりをポットから注ぎながら言った。
「俺はお前のことを小娘だと思っていないし、戯言だとも思っていない。よく見て、よく考えていると思うし、たまに俺より大人なんじゃないかと思うこともある」
祐真のおっとりした、しかしきっぱりとした言葉に、梛は二度ほど瞬き、目を細めた。
「うん、うん。私は、こういう時、やっぱり祐真さんは年上のお兄ちゃんだなぁって思うよ」
そんな風に思われていたのか、と祐真は少し驚く。発言の裏を返せば、普段は年上に見えないと言われている気もしたが。
「……そうか」
うなずいた祐真に、梛は小首をかしげて笑った。もともと、理知的にも見える整った顔だ。穏やかな笑みが似合うが、かつての花が咲いたような笑みを見たい、と思ってしまうのは、欲張りなのだろうか。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
梛のお兄様がまだあらぶっていたころに整った婚約。