春の桜【2】
祐真が所属する政府直轄・怪奇対応機密局特殊機動隊、通称『陽炎』はいわゆる妖怪の討伐部隊である。いや、正確には祐真が妖怪を物理的に討伐する部隊に所属しているだけで、他にも怪異を魔法的に狩る部隊なんかもある。特別機動隊『陽炎』と、支援祭祀隊『朧』の二つに、大まかに分けることができる。
この時代、妖怪狩りや怪奇現象の調査などをできる人間はそれほど多くない。超能力者なんかは結構いたりするが、それらとはまた違った能力なのだ。たぶん、所属人数は国の面積、人口に比べて少ない。各地に支部を設け、何人かでシフトを組んで警戒している。学生の祐真や、高校生の梛が所属している時点で、人手不足は推して知るべし、である。
そんなわけで、祐真はビルの上を走っていた。こんな都会の高層ビルの上を走るなんて、どういう運動神経をしているんだ、と思うかもしれないが、祐真のほかにも二人ついてきている。ついてきているが。
「追いつけねーっ!」
同行者の一人が叫んだ。三人で今日のシフトが組まれていたのである。二人とも祐真より年上だ。
「おい、瀬名! 先行っていいんだぞ!」
もう一人からも言われるが、祐真は視線を斜め上に固定したまま。
「全速力です」
と、祐真の婚約者曰く『おっとり』と答えた。今、人面怪鳥を追っているのだが、全く追いつけない。この鬼ごっこもそろそろ三十分になる。
「このままじゃ、ずーっと鬼ごっこだぜ! どうすんだよ!」
どうする、と言われても。祐真が返答に困ったとき、インカムからオペレーターの声が聞こえてきた。
『梛さんと連絡取れました! 一分半後に合流予定!』
「よっしゃ、梛ちゃん来た!」
これで鬼ごっこが終わる! と嬉しそうに叫ぶ。祐真もちょっとほっとしていた。ほっとしていたが。
「! 梛が通る! 散開!」
妙な言い方になったが、二人には通じたらしい。祐真も含めて左右にとんだ。その開いた空間を、一度ビルの屋上を踏みしめて閃光が通る。難なく人面怪鳥に追いつき、刀を一閃させてその翼を切り裂く。落ちてきた怪鳥を、祐真が真っ二つに切り裂き、他の二人の魔法が首を落とした。
「最初から魔法で攻撃すればよかったのでは?」
少し高い別のビルから、駆け抜けた閃光がそう尋ねた。梛だ。予定よりもかなり早く到着した彼女は、部隊でも一・二を争う俊足だ。もちろん、魔力を上乗せしてのことだが、こういう任務には向いている。
「走りながら魔法を狙い撃つの、難しいのよ? わかってる?」
祐真の本日の相棒の一人が答え、梛は刀で肩を叩きながら「そういうものか」とうなずく。彼女は刀を鞘に納めると、身軽な動作でこちらのビルに移ってきた。そのまま家を飛び出してきたのだろうな、とわかる格好だった。かろうじて陽炎の制服であるコートを羽織っているだけだ。和装を見慣れているので、なんとなく違和感がある。
「悪いなぁ、梛ちゃん。当番じゃないのに」
「ああ、いや。どちらにしろ拘束だったんだ。待機はしていたから」
梛はさわやかに言ってのけた。たまに、この娘は自分より男前だな、と思う祐真である。拘束、とは俗称であるが、当番に欠員が出た場合、代わりに投入される役割のことを言う。つまり、祐真たち三人の中から誰か脱落者が出た場合、梛が補充としてやってくる、ということだ。なので、もともといつでも出られる覚悟はしていたのだという。
「まあ、こういう風に呼び出されるとは思ってなかったけど」
すみませーん、とオペレーターの声が聞こえる。オペレーターは、戦闘を行う際の管制官である。とっさの判断で梛を呼んでくれたわけだ。
「ありがとう。助かった」
「どういたしまして。相変わらず、ちょっとずれてるね」
礼を言った祐真に、梛はそう言って苦笑した。祐真が首をかしげる。と。
『南西から何か近づいてきます!』
その言葉が終わるかどうか、という瞬間、祐真は刀を鞘から引き抜いた。祐真から見て南西側に立っていた梛が身を沈める。その頭上を通って、祐真は突きを放った。ギャア、と悲鳴が上がる。
「狒々か!」
叫んだ相棒たちが魔法を放つ前に、梛が刀を振りぬく。その一閃は腕を落とし。大きく踏み込んだ梛は狒々の首を貫く。祐真は両手で刀を持ち直し、左下から斜めに狒々を切り上げた。倒れる狒々に釣られて、梛がたたらを踏む。
「っとと」
深々と刺さった刀がうまく抜けなかったのだろう。狒々に引っ張られる梛の腰に腕を回して支えると、狒々から刀を引き抜いた。
「ああ、ありがとう」
「……いや」
手を放し、刀を返してやる。礼を言って受け取った梛は、一度刀を振ると、鞘に納めた。
「くそー、見せつけるなよ」
「こっちは彼女いないんだぜ……」
死んだ顔をする今日の相棒たちに、祐真は「そういうんじゃない」と言い返したが、たぶん、二人とも聞いていない。梛は困ったように笑っていた。そんな笑い方をする娘ではなかったのに。
じっと梛を見ていると、「何?」と彼女は首を傾げた。普段の生活レベルではおっとりのんびりしている祐真の言葉を待ってくれるのは、昔から変わらない。
「……本格アフターヌーンティーを出す店が駅前にできたらしいが、行かないか?」
「何それ行きたい」
即座に返答が返ってきた。色よい返事で祐真は少し微笑んだ。
「お前ら……殺伐とした現場でデートの打ち合わせすんなよ……」
あきれたような突っ込みが入った。
消えなかった狒々を回収してもらい、当番開け二日後。祐真は水無瀬邸にいた。日本家屋風の一軒家をリノベーションした、なかなか大きな家だ。祐真は透一郎の部屋で、彼の義手の調整をしていた。
ねじを締め、他にゆがみがないか確認する。異常なしを確認してから、祐真は口を開いた。
「どうだろう。動作確認をしてくれ」
言われた通り、透一郎が義手の指を動かし、動作確認を行う。見たところ異常はないが。
「うん。問題ないよ。ありがとう、祐真」
「いや」
おっとりと首を左右に振る。科学技術や魔法を駆使して、今は思うように動く義手があるが、それでも生身と比べて動きづらいこともあるだろう。しかも、透一郎が失ったのは利き手である。少しでも使いやすいようにしたかった。
道具を片付けながら、祐真は透一郎を見る。祐真は、彼の全盛期を知っている。肉体を損なう前の、反則的な剣の腕を。その力をもってしても、左目と右腕を失い、足を悪くするほどの相手。いったいどんな奴なのだろう。
「うん? どうかした?」
「……梛と似ているな、と思っただけだ」
はぐらかすようにことさらゆっくりと答える。はぐらかしたことはばれただろうが、透一郎はあえて追及したりはしなかった。
「うん、そうだね。よく言われる」
実際、梛と透一郎はよく似ている。何というか、性別を感じさせない整った顔立ちの二人だ。梛は、『九割透一郎の顔』だと言われたことがある、と言っていたか。残り一割は性別の差なのだそうだ。
顔立ちは昔から似ていると思っていた。だが、最近ではふるまいや口調まで似てきていて、言動だけでは区別がつかないほどだ。いや、体格も声音も違うからつくけど。
もちろん、付き合いの長い祐真などは、細かな違いが判る。しかし、そういうことではないのだ。彼女は、そんな娘ではなかった。喜怒哀楽のはっきりした少女だった。今ほど思慮深くはなかったし、考えるより先に手が出るような娘だった。
変わった、のだと思う。彼女の身に起こったことを考えると、それがいい変化だとは思えない祐真だ。梛は、兄透一郎の言動や思考をトレースしている。彼が失ったものを補うかのように。彼女の人生だ。祐真にとやかく言う資格はない。それでも、寂しい、と思うこともある。
「……祐真。考えてからでいいから、何か話して」
透一郎に声をかけられ、祐真ははっとした。ずいぶん黙り込んでいたらしい。道具の片づけは終わっている。
「……ごめん」
「いや、別にかまわないけどね。でも、これから梛とデートでしょう? これは同じ男としての忠告だけど、女性と出歩くときは、ちゃんと気を配るんだよ」
「や、祐真さんにそこまで求めてないから大丈夫だよ」
平然と言ってのけた婚約者に、流石の祐真もへこむ。というか。
「いつの間に? ノックしてって言ってるよね」
「したよ。返事がないから」
ドアの近くにたたずんでいた梛は、やはりしれっとしたもので、その調子に祐真は思わず笑った。
「……だからって、勝手に入ってきていい理由にはならないぞ」
祐真の突っ込みに、透一郎は「そういうことじゃないんだよなぁ」と困ったように言った。じゃあどういうことなんだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
答え:話を聞かれて気まずいから。
万年人手不足の組織。