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出茂野ゲートウェイ駅

「それにしても、流石は千村掃部允(かものじょう)様と言わせて頂きます」

 小雪の正雄に向けられる視線には尊敬の光があった。対する美春は目をパチクリさせている。

「叔父さん、凄い人なんですか?」

「掃部允様のご先祖様は、大百足や鬼退治の他にも、様々な悪鬼羅刹、妖怪変化を成敗されて来られた方々です」

 小雪の説明を聞いてもピンと来ない。

「ご一族は滅亡したことになっていますから、仕方ありませんけど、美春が知らないのは不思議ですね」

「私の一族では男が化け物退治をして、女は関知しない決まりなのです」

 正雄の説明では先祖の女性が大蛇となって近隣に迷惑を掛けて以来、女性を化け物退治から遠ざけるようになったという。

「それに美春は、その手の話が苦手でして」

「なるほど」

 小雪は口元に小さく笑みを浮かべる。

「御神刀の百足切、そちらが本物ですね?」

「ええ、元々は太刀でしたが江戸時代に打刀へ直したらしいです。その時に見本になる刀を打ったので、その見本を神宮へ奉納したそうですが」

 正雄の腰に挿された刀こそ、千村家の先祖が大百足を退治した時に龍神から授けられたと伝えられる神刀である。鞘に納められている状態でも腰反りと分かる。

「全く霊力を感じなかったのは、鞘に秘密がありそうですね」

「この鞘は怨霊封じの鞘ですから」

神刀を怨霊封じの鞘に納めている理由が美春には分からなかった。

「さて、部屋の外の様子が気になるが、迂闊には動けないな」

「外の様子を見ましょう」

 幾分か回復した小雪がテレビの周りに塩を盛り、更に画面上部に御札を貼り付ける。

「小雪さん、それは?」

「美春には説明が必要ね」

 小雪の説明ではテレビや携帯電話など、電波で『接続』すると霊的な存在もまた『接続』状態になるとのことだ。

「更衣室で死霊がスマートフォンから飛び出して来たのも、そういう理由よ」

 説明を聞かされて美春は身体を硬直させる。現在、テレビに盛り塩と御札で対抗策を施しているのは霊的に『接続』しないようにという予防線だ。

「それでは()けます」

 小雪がリモコンを操作して、テレビを点灯させる。

「現在の出茂野ゲートウェイ駅の様子です」

 画面に映る駅ビルは平素と変わりないように見えた。

「先程、機動隊が二手に分かれて、地下街と三階の渡り廊下に向かいました」

 大勢の機動隊が駅ビルを取り囲む包囲網の後ろに、マスコミ各社が陣取っている。今回の事態は駅ビルで人質を取った立て篭もり事件として大々的に報道が行われていた。

「こちらは今回の立て篭もり事件が起きた駅ビルの状況です」

 絵図が示される。駅ビルと隣の商業ビルを横から見た図だ。

「警察関係者の話によりますと、地下街と三階渡り廊下は現在、防火シャッターが閉じていて出入りができない状況です」

 絵図にバツ印が付けられ、地下通路と渡り廊下が使用不能になっている状況が伝えられる。それを見ながら正雄が呟いた。

「地下駐車場から出られるのではないか?」

「確かに」

 小雪が頷く。テレビでは機動隊の陣列の向こうで、駅ビルのシャッターが一枚開く様子が映っていた。

「あっ、今、今まさに駅ビルから人質が解放されるようです!」

 レポーターが興奮気味にまくしたてる。カメラは駅ビルの玄関から出て来る一人の少女を映し出していた。ボブショートの小柄な女性で、真っ赤なワンピースを着ている。美春の胸の鼓動は一つ飛んだ感じがして、それまでより早い速度で打ち始める。

「若い女性のようです。少女でしょうか。機動隊の方に向けて走って来ます」

 実況中継のテレビ画面に、走り寄る少女の姿が映った。顔色は病的に白いが、健康そうな少女に見える。

「……多鶴美」

「ホントだ」

 小雪も言われて気付いたのか、少し驚いている様子だった。

「少女が駆け寄って来ます。機動隊員が保護します」

 無防備に迎え入れた機動隊員に、多鶴美は抱き着いた。

「少女が保護されました!」

 感動的な場面である。しかし、画面には崩れ落ちる機動隊員が映っていた。笑っている多鶴美の口の周りがケチャップを塗ったかのように赤い。その口元を手首で拭い、多鶴美はそれを舐め取ると、近くにいた別の機動隊員に飛び掛かった。

「な、何が起きているのでしょうか?」

「……以上、現場からの中継でした」

 レポーターの驚きの声は途中で切れ、画面は放送局のスタジオに切り替わる。テレビは出茂野ゲートウェイ駅の人質事件として報道を続けているが、駅ビル内部にいる美春たちは重苦しい空気に支配されていた。

 テレビ画面の向こうは、どこか遠くの事件のようにも思えるが、現実には駅ビルの外、彼女たちの目と鼻の先で起きている事件だ。

「吸血鬼、でしたね」

 小雪の言葉に正雄は無言で頷いた。美春は駅のプラットフォームで見た多鶴美の姿が脳裏に蘇る。

「あの様子では、外の機動隊は全滅でしょうね」

「ええ、私の上司と同僚が無事なら良いのですが、駅で別行動をして以降、連絡がありません」

 美春はプラットフォームを疾走していた長髪の女性と、完全防備で拳銃を撃っていた男性を思い出した。どちらかが小雪の上司らしい。

「噂をすれば……」

 小雪が懐から携帯電話を取り出した。スマートフォンではなく、ガラケーだ。二つ折りのそれを開いてメールを確認しているようだ。

「応援要請が届きました。私は小隊に復帰しなければなりません。皆さんには避難をするよう警告します。これは警察官職務執行法第四条に基づく措置です」

 携帯電話を懐に戻し、小雪は立ち上がる。美春は不安な表情で彼女を見た。

「避難の経路が不明ですので、同行しても良いですか?」

 正雄が尋ねると、小雪は頷く。

「それは任意です。小隊に合流すれば生存の可能性も高まると思います」

「では、共に参りましょう」

「叔父さんの荷物は私が持ちます」

 美春が彼の背負い袋を持った。少しでも身軽な方が動き易いだろうと判断しての行為だ。

「では、美春と白は自分の安全を第一に考えて行動すること」

 正雄の指示に二人は頷いた。

「それと柊さん、不動明王の(まじない)は使えますか?」

「ええ、一応は」

「もし、私に何かがあって、この二人に危害が及ぶ時には不動明王の力を借りて下さい。白にはその力を授けてありますので」

「万が一の備えですね、分かりました」

 小雪は小さく頷いて、白を見詰める。どこにでもいる少年にしか見えないが、千村の家の者だ。その身に大きな可能性を秘めていると判断して、小雪は表情を引き締めた。

「さて、それでは部屋から出ましょう」

 正雄がドアノブに手を掛けると、小雪は緊張した面持ちで呪符を手にする。美春と白にも緊張が走った。

 ドアを開き、正雄が廊下に出る。安全を確認して一同を手招きした。三人も廊下に出ると、小雪を先頭に、美春、白と続き最後尾を正雄が受け持つ。

 一行はフロアの中央付近にあるエスカレーターを目指して移動する。9階からは最上階のレストラン街にエスカレーターで移動できるようになっているのは、利便性を考慮しているからだ。

 緊急措置でエスカレーターは止められているので、普通の階段と変わらない。半ばまで登ったところで小雪が足を止めた。

「何者かがいます」

「私が先に行きましょう。白、美春を頼むぞ」

 息子に姪を任せて、正雄がエスカレーターを駆け上がる。やや遅れて小雪が続いた。

 キーン、と金属同士が打ち合わされる甲高い音が響く。正雄が百足切で応戦しているのは、長髪の女性だった。途轍もなく長い刀を振り回す女性は(こき)袴に黒の小袖、足元は黒のパンプスという大学の卒業式から抜け出して来たかのような出で立ちだ。

 白刃が煌めき、刀が打ち合わされる度に、蛍火のような火花が散った。女性の長い刀身が下から振り上げられる。その斬擊を正雄はギリギリで躱して踏み込もうとしたところで小雪が飛び出した。

「そこまで!」

 正雄は低い体勢から突きを、長髪の女性は振り上げた刃を振り下ろす寸前で動きを止める。

「秋月さんも掃部允様も、刃を納めて下さい」

「掃部允だと?」

 秋月と呼ばれた女性は明らかに不機嫌そうだった。美春と白は恐る恐る小雪の後ろについて行く。正雄が納刀しても、彼女は抜き身の刃を肩に担いだ姿勢で彼を牽制している。スラリと伸びた手足は均整が取れ、細身の身体のどこに長い刀を振り回す膂力があるのか問いたくなるほどだ。凛とした表情を放つ顔立ちは鼻筋が通り、強い意思の光を湛えた双眸の上には、美しい孤を描く眉があった。長い黒髪は頭上で束ねられ、その髪留めは龍を模している。

「物干し竿に、中条流……。秋月の姫様ですね?」

「ほぼ正解だが、私の流派は中条流ではなく巌流だ」

 正雄に敵意がないのを確認して、秋月は刀を背中に担いでいる鞘に納めた。

「掃部允、どの代と戦っても強敵だな」

「お誉め頂き、ありがとうございます」

「秋月さん、お知り合いでしたか?」

 小雪が不思議そうに尋ねると、秋月は苦笑いを浮かべた。

「掃部允とは因縁浅からぬ関係でな」

「曾祖父からお噂はかねがね」

 美春は二人の会話内容について行けない。

「ところで、江夏主任は?」

「腹拵えをしているはずさ。一般人の避難も指揮して来たからね」

 最上階のレストラン街には多くの店舗が並んでいる。店内には食事を摂っている人々が見えた。

「下の階層はどのような様子でしたか?」

「化け物が溢れて、一般人を逃がすのは無理な状況さ。特に、あの吸血鬼は私が首を()ねたのに、平気で動き回る強力な存在で、手の付けようがない」

「そう、ですか」

 秋月の説明は歯に衣着せぬ勢いだ。

「多鶴美は、どうしてあんな姿に?」

「この娘は?」

 美春が質問すると、秋月はその美しい眉根を寄せた。

「出茂野ゲートウェイ駅の駅員で、私がここまで避難誘導して来ました」

「駅員?」

 怪訝な表情で秋月は美春を見詰めた。

「そうかい、大変だったね」

 それきり秋月は口を閉ざした。一行は秋月の案内で中華料理店まで行く。店内では、ヘルメットとゴーグルを卓上に置いたまま、一人の男性隊員が食事をしていた。

「柊巡査、小隊に戻りました」

 右手をこめかみに添えて小雪が敬礼すると、男性隊員は食事を中断して向き直る。

「ご苦労、それで報告は?」

 ぶっきらぼうな言い方に、美春は悪印象を抱く。実直そうな外見だが、どうにも胡散臭い。

「はい、今回の事件に関連すると思われる物品を押収して参りました」

 小雪は懐から小瓶を取り出した。試供品と書かれたラベルが貼り付けられているそれは、美春が後茂利から渡されたものだ。

「何だ、これは?」

「駅構内で配られていたもので、これを飲んだ者にあの吸血鬼が含まれます」

「大手柄じゃないか、よくやった柊!」

 男性は喜ぶ。

「と言いたいが、それも無事に脱出できてからだ」

「そんなに厳しい状況ですか?」

「ああ、下の階層は亡者が溢れて、どうにもならん」

 彼の説明も先程の秋月の説明と大差なかった。

「この階層に避難しているのは?」

「百名ほどだな。オフィス階層も亡者の巣窟、ホテル階層も9階以外は酷い状況だったよ」

 言いつつ男性は小雪に尋ね返す。

「そちらの方々は?」

「はい、9階で協力頂いた千村掃部允様と、そのお連れ様です」

「掃部允?」

 男性が正雄を見ると、彼は吹き出す寸前だった。

「千村先輩?」

「気付くのが遅いぞ、功児」

「失礼しました。部下からの報告を受けるのを優先しておりました」

 功児と呼ばれた男性が立ち上がる。

「9階が無事だったのは、先輩の活躍でありますか?」

「そこの柊さんを手伝っただけだ」

「ご謙遜を。柊の実力は先輩の足元にも及びません」

 どうやら二人は顔見知り以上の関係と美春は思った。むしろ、小雪も秋月も話の展開について来ていない。だがそのようなこともお構いなしに功児は自己紹介と部下の紹介を始めた。

「自分は今、警視庁公安部第二機動捜査隊第二小隊の隊長をしております。こちらが秋月竜子(たつこ)姫、そちらが柊小雪嬢であります」

「主任、その紹介は恥ずかしいです」

 嬢と言われた小雪の抗議は無視された。竜子姫と呼ばれた秋月は微笑んでいる。

「これが息子の白で、こちらが姪の美春だ。よろしく頼む」

 正雄も簡単に紹介を済ませた。

「姪御さんでありますか。こちらこそ、よろしくお願い致します」

 功児が折り目正しく一礼する。美春はその態度で第一印象を改善した。

「屋上がヘリポートになっているはずだから、そこから脱出できないか?」

「百名もの人員を救助するには、相応のヘリの数が必要です」

 正雄の提案に、功児は即答する。ヘリへ収容している間に亡者が押し寄せれば大惨事だ。

「自衛隊にも救助活動をして貰わないと無理でしょうが、知事の判断次第です」

「それまで守り切れるか?」

「エレベーターは全て9階に留めてあります。エレベーター近くの部屋を開放して交代で見張りについていますから朝までは耐えられます」

 功児の采配で備えられていると聞いて、美春はホッとする。それと同時に、他の駅員の安否が気になった。

「あの、駅員たちはどちらにいますか?」

 美春の問い掛けに、功児の表情が曇る。

「駅員たちは、申し訳ないが……」

 言い掛けた彼の肩を正雄が押さえた。美春は最悪の事態が起きたと悟る。

「嘘、ですよね?」

「駅ホームからのエスカレーターとエレベーターは抑えていたのだが、3階からの直通エスカレーターの存在を把握していなかった為に、そこからあの吸血鬼に急襲された」

 功児の話に美春の目尻から涙が溢れる。そのまま泣き崩れた。その彼女の背中を優しく小雪が撫でる。

「しかし、その吸血鬼は随分と強力だな」

「はい、3階で守っていた我々も已む無く後退し、1階は惨劇の舞台になってしまいました」

 沈痛な面持ちで功児は語る。

「構内を知悉(ちしつ)しているようで、我々が守る裏を掻かれ続け、次々と犠牲者が出る始末で」

「その件ですが、市長と建築士、駅長に逮捕状が出ています」

 小雪が告げると功児と竜子は驚いた表情を見せる。

「そんな情報、どこから入手した?」

「テレビで流れていたぞ?」

「防戦していた頃か、そうと分かっていれば対応も違っていたのに」

 功児は悔しさの余りテーブルを叩く。

「そうすると、ここも安全とは言い切れませんな」

 彼がヘルメットを手にするのとほぼ同時に、店舗の外が騒がしくなる。

「竜子姫、様子を見て来てくれ」

「畏まりました」

 颯爽と竜子は出て行った。背中の刀が頼もしく見える。

 功児はヘルメットを被り、ゴーグルをヘルメットの上に装着した。続けて右太腿のホルスターから銃を取り出して、弾丸の残りを数えている。

「少し、心許ないな」

 光沢を放つ拳銃を見て、正雄が溜息をつく。

「相変わらず、警察官が持つような拳銃ではないな」

「ハリーほどの威力はありません」

 功児は銃をホルスターに戻すと、次に左腰に提げていた特殊警戒用具、伸縮式の金属警棒を持った。伸ばして素振りをしてから握りの底をテーブルに軽く当てて縮める。それから、隣の椅子に立て掛けられていた盾を手にした。透明な長方形の盾は、しゃがめばスッポリと身を隠すことができそうだ。

「最近は、そういう装備になったのか?」

「先輩が除隊してから、我々の装備も大きく変わりました。ただ我々の相手に通用するか疑問もありますけど」

 正雄は機動隊装備に興味津々だが、ふと脇にいた小雪に目を遣る。

「柊さんは装備しないのかい?」

「嬢ちゃんと姫さんの着物は袖の部分が防刃使用の強化繊維になっておりますので、それが盾代わりです」

 美春は1階の更衣室で、割れた電球の破片から守られたことを思い出した。

「先輩たちはここで休んでいて下さい。厨房にある鍋蓋とか防具になると思います。柊は、ここで拠点防衛だ」

「了解しました」

 功児はそれだけを告げて店舗から出て行った。残された一同は厨房に向かう。

 厨房には料理人が一人残っていた。

「何の用だね?」

「エビチリを一つと、春巻を下さい」

 小雪がいきなり注文したので、美春は驚いて絶句する。何か武器になるような道具を借りると思っていたので意表を衝かれた感覚だ。

「腹拵えも大事ですよ。美春は何時に食事をしましたか?」

 小雪に聞かれて、美春は夕方以来、先程のチョコ菓子を除いて何も口にしていないと思い出した。

「この先、食事ができそうな機会はないと思います。春巻は携行できますから、エビチリから食べましょう」

 彼女の提案に従って、一同は食事をする。食事を終えた頃に功児と竜子が戻って来た。

「そろそろ、屋上へ脱出する頃合かもしれません」

「どういう状況だ?」

 正雄が問い掛けると、功児は説明を始める。

 彼の説明によれば、9階に亡霊が現れ、その一部が最上階に到達していたらしい。現在は亡霊は退治されているが、いつまた亡霊が大挙して襲来するか分からない状況だ。

「しかし、救助ヘリもない状態で屋上に出ても危ないだけではないか?」

「このビルの大きさを考えれば、百名の人員を一カ所に固めておくのは難しくはありません。むしろ、大き過ぎて我々では手の回らない部分もあります」

 正雄が難色を示したが、功児は手勢の少なさを危険視していると伝えた。一般人の安全確保を考慮すれば、暗闇の屋上に出る方が危ない。

「では、屋上への通路を一つ確保して、避難民をその周囲に固めましょう。そうすれば脱出は簡単なはずです」

 功児の提案が安全策と言えるだろう。正雄は自らが今は一般人に過ぎないと思い直して頷いた。

「現職の判断が的確だろう。思う通りにしてくれ」

「はい、ご協力感謝します」

 功児は一礼する。竜子と小雪に一同の警備を命令すると、表で待機していた隊員に指示を与えるのに出て行った。レストラン街に散らばっていた避難民を集めに、隊員たちが慌ただしく動き始める。

「……我は求め、訴えたり」

「叔父さん、何か言いました?」

 不意に男性の声が響いたので、美春は正雄を見た。彼の表情が強張っている。

「大地の底深く眠れる、偉大なるものよ」

「誰だ、このような時に!」

「禍々しい雰囲気ですね」

 怒気を帯びた正雄と、眉を顰める小雪。両者の様子から、何か良からぬ事が進行していると美春は感じたが、為す術はない。朗々と男声は構内放送で流れ続ける。

「これはマズイぞ。柊さん、魔除けの結界を張れますか?」

「呪符も清めの塩も足りません」

「掃部允、何を慌てているのだ?」

 竜子が尋ねると、彼は少し落ち着いた様子を見せる。

「構内放送で流れているのは、悪魔召喚の呪文です」

 一同は驚く。化け物が溢れている駅ビルに、更に悪魔が召喚されたら、どうなってしまうのか。構内放送は甲高い声に変わった。日本語ではないので、何を言っているのか理解できない。

「寒気がして来ました」

 小雪が震えている。美春も背筋から冷たいものを入れられたかのような悪寒が走っていた。心なしか気温も下がったように感じる。

「まさか、これは例の……」

 正雄の表情は焦燥感に彩られていた。

「叔父さん、これは何ですか?」

「噂に聞いただけだが、西洋魔術師の一人がレコードに吹き込んだとされる悪魔召喚の呪文だと思う」

 そのようなものが存在するのかと美春は恐怖を感じた。

 ジジジ、バチッ。

 電灯が点滅し始める。更衣室で電球が弾け飛んだ時の予兆と美春は判断して、反射的に頭を両腕で覆いながらしゃがみ込んだ。その彼女を覆うように白が立ち塞がる。

 パンッ。

 店内全ての電灯が弾け飛び、ガラスの破片が降り注ぐ。と共に真っ暗闇になった。

「美春、白、大丈夫か?」

 正雄が身内の安否を気遣う。しかし返事がない。

「我が前を照らせ、急々如律令」

 小雪の手元がボンヤリと光る。それで美春のいた辺りを照らすと、二人の姿は消えていた。

「先手を打たれたようですね」

「まさか白まで連れて行かれるとは……」

 正雄は呆然としてしまう。しかしすぐに気持ちを切り替えると、薄明かりの中で自らの鞄を探す。

「しかし連中は、我々が術者というのを失念していたようだな」

「何か手掛かりがあるのですか?」

 小雪は漠然とした手段を思い付いていた。

形代(かたしろ)を使った追跡を行えば、ある程度は特定できる」

「すぐに追い掛けましょう」

 正雄が鞄を探し求めるが、なかなか見つからない。

「鞄がない」

「美春さんが持っていたのではありませんか?」

 一同、言葉を失う。そこへ功児が戻って来た。彼の手元に握られているのは懐中電灯だ。

「柊、これを持て」

「はい」

 懐中電灯を小雪に渡した功児は人数が減っていることに気付いた。

「美春さんと白君は?」

「闇に紛れて連れ去られたようです」

 竜子が現状を簡単に説明した。

「姫さんと嬢ちゃんは、連れ去られた民間人の救出を優先してくれ。こちらは無事な民間人を脱出口に集めて避難の準備を進めておく。日付が変わるまでの一時間で任務を達成せよ」

「了解しました」

 功児が小隊長らしく命令すると、二人の女性は敬礼で応えた。

「功児、恩に着るぞ」

「あの時のご恩はまだまだ返し足りません。どうぞご無事で」

 正雄は真剣な表情で礼を述べ、功児も最敬礼で応じる。

「準備完了です」

 小雪は小さな紙人形を作っていた。表に美春の名前が書かれている。

「かの者の居場所に案内せよ、急々如律令」

 彼女の呪文に反応して紙人形が浮かび上がる。勢いよく飛行する紙人形を追い掛けて、正雄、小雪、竜子は店舗から暗闇へと駆け出して行った。

声の想定(ボイスイメージ)


・真野美春  種崎敦美さん

・丹羽多鶴美 小原好美さん

・柊小雪   大森日雅さん

・千村正雄  大塚明夫さん

・千村白   村瀬歩さん

・秋月竜子  佐藤利奈さん

・江夏功児  立木文彦さん

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