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出茂野ゲートウェイ駅

 1階のエントランスホールには避難した利用客と、武装した警察官たちが(たむろ)していた。美春たちが降りると、エスカレーターの下を機動隊員が盾を構えて塞ぐ。そこへ警備員が駆け寄って来た。

「探しましたよ」

「どうしました?」

 駆け寄って来た警備員は総括に用事があったようだ。

「改札が通れないんです」

「駅構内の電源は全て切りました。自動改札は開いているはずですが」

 総括と警備員は行ってしまう。小雪が美春に近づいて来た。

「真野さん、でしたか?」

「はい、真野(まの)美春です」

 名乗っていなかったことを思い出して、美春は頭を下げた。

「助けて頂き、ありがとうございます」

「御礼は、安全な場所まで行ってからでいいわ」

 小雪は物静かに話す。しかし、この巫女装束のような衣装はどこで購入したのかが美春は気になったが、それ以上に気になるのが履物である。外観はバックベルト付きの木目調ミュールにしか見えないが、彼女が歩くとカラコロと音が鳴るのはゲタとしか思えない。

「どうかした?」

「そのミュールが気になりまして」

 ジッと足元を見ていた美春の様子は、流石に怪しまれる。小雪は微笑むと、膝を曲げて底を見せた。

「静岡の職人さんが作ったゲタだよ。ずっと履いていても楽だから」

「ゲタですか」

 お洒落なゲタもあったものだ。

「それ、持って来たのね」

 小雪に指摘されて美春は手元に握られていた帽子に気付いた。無我夢中で逃げて来たので、シワクチャになっている。

「この帽子、多鶴美の……?」

 小雪は黙って頷いた。UVカットのメッシュ帽は、つば先にワイヤーが入っていて、自在に形が変えられる。美春はシワを伸ばしてから、そっと胸元に抱き寄せる。

「多鶴美ぃ、守ってあげられなくて、ゴメンね」

 膝を折って美春は俯いた。帽子に滴が落ちる。小雪はそっとハンカチを差し出した。しかし美春は首を横に振って受け取らない。嗚咽を漏らす彼女を(いたわ)るように、小雪はその背中を撫でた。

「落ち着いた?」

 美春は小さく頷く。

「聞きたいのだけど、あの黒い服の女性とは知り合い?」

 後茂利のことを聞かれていると美春は思い至り、再び頷いた。

「4階のギャラリーで管理人をしている、後茂利さんです」

「4階のゴモリ……」

 小雪は手帳にメモを取り始めた。

「多鶴美さんのこと、聞いても大丈夫?」

「はい」

 彼女の心遣いに感謝しつつ、美春は知る限りの出来事を話した。

「昼に受け取った、その栄養剤が怪しい」

「そう言えば、後茂利さんも『薬を飲んでないのか』と言ってたような……?」

 彼女の見下ろして来る冷たい視線、蛇が蛙を睨むような視線を思い出して身を震わせる。

「その薬、回収して鑑識に回す必要があるわね」

 小雪はそう告げると立ち上がった。

「どこにあるの?」

「私のロッカーの中にありますけど、取りに行くなら一緒に行きます」

 美春も立ち上がる。しかし小雪は迷惑そうな顔をした。

「場所さえ教えてくれたら、私一人で行くけど」

「ロッカールームは広くて、慣れない人が行くと探すのに手間取ります。一緒に行けば、早く回収できますよ」

 それにスマホと財布、私服も回収したいしと美春は心の中で付け足した。

「他にも私物を回収したいのでしょう。いいわ、同行を許可します」

 まるで心中を見透かされたような感覚に美春は陥る。

「それでは、更衣室に案内しますね」

 エントランスホールから北側の奥に更衣室はある。関係者以外立ち入り禁止の表示がある扉には、電子錠も付随していた。美春は電子錠を解除する。

「これだけセキュリティ対策があると、一緒に来てくれて助かったわ」

 セキュリティの解除は駅員に一任するのが早い。二人は美春の案内で目的の更衣室に辿り着く。

「こちらです」

 美春は自分のロッカーに案内した。鍵を開ける。目的の小瓶を小雪に渡して、私服をトートバッグに詰め込んだ。シワになるが気にしていられない。靴も勤務用の革靴から、動き易いよう普段履のスニーカーに履き替えた。そうしているとトートバッグの中から振動が伝わって来る。

「誰?」

 スマホを取り出して確認すると、数件の着信と三通のメール受信が表示されていた。まずは受信したメールから確認する。

「叔父さん、ここのホテルにいるの?」

 メールの差出人は美春の叔父、千村(ちむら)正雄だった。彼は息子の(つくも)と共に出茂野(でもの)駅ビルのホテルに滞在中という内容のメールが届いている。

「どうしよう……」

 美春は困り顔になった。個人的な問題に関わるつもりがなかった小雪も、思わず相談に乗る。

「どうしたの?」

「叔父さんが顔合わせするのに、4階のギャラリーを待ち合わせ場所に指定しているの」

「1階の改札口前は?」

「改札口は四カ所あるので、行き違いになり易いんです」

 広い駅構内も待ち合わせ場所としては考え物である。

「宿泊部屋の階層は?」

「それが無難ですね。上まで昇ったら連絡するようにしておきます」

 美春は素早くメールを打って送信した。直後にスマホが振動を始める。

「え?」

 着信元の名前を見て、美春は震えた。

「今度は何?」

 答えない美春に、小雪は無礼と思いつつも手元を覗き込む。

「丹羽、多鶴美……。出てはダメよ!」

「ひゃっ……!」

 ピッ。

 美春は驚いて通話を押してしまった。スマホのスピーカーから多鶴美の声が流れる。

「先輩ぃ、そこにいたんですね~」

 更衣室の電灯が急に点滅を始めた。

 ジジジ、パンッ。

「きゃあ!」

 電灯が破裂してガラスの破片が二人に降り注ぐ。小雪は着物の袖を広げて破片を防いだ。

「早く、接続を切って」

 スマホの通話状態を切断するように指示するが、美春は恐慌状態で身体が硬直している。

「先輩、見ぃつけた」

 スマホの画面に多鶴美の顔が映し出された。

「お友達と遊んで下さい」

 無邪気に笑う多鶴美とは裏腹に、スマホの画面から次々と禍々しい存在が飛び出して来る。

「おおおおおお……」

 呻き声を挙げてそれらは天井を飛び回った。小雪は美春のスマホに手を伸ばして、通話接続を切る。

「それでも、十体近く……」

 飛び出して来た死霊を放置すれば、一般人が美春と同じように恐慌状態になって、事態の収拾が付かなくなる可能性が高い。小雪は懐から紙片を取り出した。

「悪しき者より我らを守り給え、急々如律令」

 呪文を唱えて美春の背中に貼り付ける。天井付近をグルグル回っていた死霊が、彼女たちに向けて急降下して来た。

「おおおおおお……」

 見えない壁に遮られ、死霊は再び天井付近を飛び回る。

「仕方ないわね」

 小雪はふうと大きく息を吐き出すと、ピンと背筋を伸ばした。履いているゲタで二度、カンカンと床を踏み鳴らす。

「天清浄(せいじょう)地清浄内外(ないがい)清浄六根(ろっこん)清浄と祓い(たも)う」

 再びゲタで床を踏み鳴らして、クルリと右を向く。

「天清浄とは天の七曜九曜二十八宿を清め」

 ゲタを踏み鳴らしながら右へ向きを変える。最初の向きから反転した状態だ。

「地清浄とは地の神三十六神を清め」

 再びゲタを踏み鳴らして右回りに身体の向きを変える。

「内外清浄とは家内三宝大荒神(だいこうじん)を清め」

 もう一度ゲタを鳴らして向きを変えると、クルリと一周して当初の方向に向き直る次第だ。

「六根清浄とは其の身其の体の穢れを祓い給え清め給う事の(よし)を、八百万(やおよろづ)の神(たち)諸共に小男鹿(さおじか)(やつ)御耳(おんみみ)を振り立て聞こし召せと申す」

 カン、カン、カン、カンカンカンカンカンカンカンカン、カン、カン。

 力強くゲタを踏み鳴らす小雪のお祓いで死霊たちは二階部分へ逃げて行った。その頃には美春も正気に戻っている。

「真野さん、辛いだろうけど、多鶴美さんからの着信は拒否設定にしておいて」

「はい」

 しおらしく従い美春はスマホを操作して、多鶴美からの着信を拒否設定にした。その様子を見ながら、小雪は違和感を拭えないでいた。何かがおかしいのだが、その何かが分からない。

「改札口に戻らず、ホテルの階層に向かいましょう」

「勝手な行動をして大丈夫でしょうか?」

 避難時に重要なのは節度ある団体行動だ。

「ここへ来ている時点で勝手な行動だから、気にするだけ無駄よ」

「うっ……」

 そう言われては反論もできない。

「さあ、行きましょう」

 小雪に促されて美春は立ち上がる。自分のロッカーの三つ隣、そのロッカーの扉に触れた。

「多鶴美、ゴメンね」

 再び美春の目尻から熱い滴が流れる。小雪は黙って見守っていた。

「すみません。急ぎましょう」

 美春は目尻を拭いて、頬を叩く。二人は更衣室から出ると改札口とは逆方向の北側のエレベーターを目指して移動する。駅員用の通用口を抜けて、エントランスホールを横切った。

「あのエレベーターを使いましょう」

 丁度、1階にエレベーターの籠があったので、それに乗り込んだ。出茂野ゲートウェイ駅ビルのエレベーターは全て外側に大きな窓が設置された展望エレベーターになっており、美春たちは出茂野市内の様子を見ながら目的階層まで移動する。

「異常事態は駅ビルの中だけみたいですね」

「そうね」

 美春は努めて明るい声を出した。小雪は市内の様子を観察している。気まずいような雰囲気を打破しようと、美春は勇気を振り絞った。

「小雪さん、と呼んでいいですか?」

「じゃあ私は、美春と呼ぶわね」

 街の夜景から視線を美春の方へ移して、小雪は微笑んだ。美春も微笑み返す。

 目的階に到着した。エレベーターの扉が開くと真紅の絨毯を敷き詰めた廊下と、夜の街を一望するガラス張りの壁が視界に飛び込んで来る。ホテル階層は階下の騒ぎと隔絶された静寂が支配していた。

 美春はスマホを取り出して、叔父の千村正雄へ9階に到着した旨をメールする。小雪は待っている間、出茂野市内の夜景を眺めていた。

 ややあって返信があり、叔父たちが北側ブロックに宿泊していると判明したが、あまりにも広くて詳細な位置が不明だ。

「美春、この図面で部屋番号が分かるわよ」

「小雪さん、ありがとうございます」

 エレベーターの対面にはホテルの受付カウンターがあったのだが、係員が不在だったのだ。その受付カウンターの脇に部屋の配置図が掲げられていた。

 案内板をスマホのカメラで撮影して、その画像を頼りに部屋を探す。叔父も部屋の扉の前で待っていたので、程なくして美春は再会できた。

「叔父さん、お久しぶりです」

「美春ちゃん、元気そうで何よりだよ。制服姿ということは勤務中かい?」

「詳しい話は部屋の中でもいいですか?」

 美春の提案に叔父は頷いた。

「そうだね。そちらのお友達も一緒に入りなさい」

「失礼します」

 巫女装束のコスプレ少女のような小雪を友達と言われると、美春は気恥ずかしいような気持ちになる。叔父の宿泊している部屋は広々とした洋間で、寝室は更に奥にあるようだった。部屋の中央にテーブルがあって、ソファが二脚置かれている。そのソファには男性が腰掛けていた。

「白君、久しぶり!」

「お、お久しぶりです、美春姉さん」

 千村白、正雄の息子で高校一年生だ。彼は物静かで普通の男子高校生らしからぬ雰囲気があった。前髪を伸ばして目元を隠すようなマッシュルームカット、服装もジーパンにポロシャツという今時の若者から逸脱している姿だ。

「こちら、柊小雪さん」

「柊小雪と申します。夜分に押し掛けてしまい、申し訳ありません」

 簡単に紹介した美春とは対照的に、小雪は鄭重にお辞儀する。

「美春の叔父で、千村と言います。こちらは愚息の白です」

「白君、よろしくね」

 小雪が微笑み掛けると白は赤面して俯いた。

「美春、状況の説明は私がするから、貴女は着替えて来なさい」

「そうね。叔父さん、シャワーも借りるね」

「ああ、ゆっくりしなさい」

 叔父は鷹揚に頷く。美春は風呂場に向かった。彼女が脱衣所に入ったのを確認して、千村は小雪に声を掛ける。

「お茶でいいですか?」

「お構いなく」

 彼は部屋に備えられていた湯呑みに冷蔵庫で冷やされていた麦茶を注いだ。駅ビルのホテルは下の二階層がビジネスホテルなのに対して、9階は(くつろ)いで宿泊できるよう、旅館のような広々とした部屋になっている。

「それで、下では何が起きているのか教えて下さい」

 小雪の前に湯呑みを置いて、千村は尋ね掛けた。

「一体、何のことでしょうか?」

 彼女は敢えて何も知らない素振りをした。

「誤魔化さないで下さい。あの()の肩と背中が汚れていました。通常の勤務ではあのような汚れは付きません。付くとすれば線路の上に寝転がるぐらいでしょうね」

「鋭い観察眼ですね」

 小雪は微笑む。

「テレビを()けても宜しいですか?」

「いいですけど……?」

 千村は当惑した。大事な話を始めようとした矢先にテレビを点けるのは出鼻を挫かれた感じになる。だが彼の様子を気にせず小雪はテレビの電源を入れた。

「……緊急速報です」

 夜のニュースの時間、全国ニュースの冒頭を終えたぐらいで緊急速報が入ったようだ。千村もテレビ画面を注視する。

「テロップでもお伝えしましたが、出茂野市に緊急事態宣言が発表されました。間もなく市長による会見が開かれる予定です」

 千村は自らが滞在している都市に緊急事態宣言が発表されたことに驚く。

「出茂野市長、阿久津(あくつ)(かい)氏の記者会見の様子です」

「本日、午後九時に出茂野市全域に緊急事態宣言を発表しました。原因は、出茂野ゲートウェイ駅にてテロ事件が発生し、また市内各所にても同時多発のテロ事件が発生したからであります」

 若い市長の発表は続く。

「現在、警察機関等と協力して事件の沈静化に取り組んでおります。市民の皆さんは安全が確保されるまで、その場所から動かないで下さい。街路を通行している方はテロリストとして対応致しますので、ご自宅や勤務先から外出しないようご留意下さい」

「テロ事件?」

 千村は驚きの連続だった。出茂野ゲートウェイ駅でテロ事件が発生したと言われてもピンと来ない。

「本当ですか?」

「あれはテロ事件と言えません」

 小雪が難しい表情を浮かべている。

「千村さん、笑わずに聞いて頂けますか?」

「はい、大事な話でしょう。伺います」

 彼はテレビの音量を小さくした。

「白、何か変わったことがあれば、すぐに知らせなさい」

 千村の指示に息子は無言で頷く。小雪は麦茶を一口含んだ。

「まずは私の身分を明かしましょう」

 小雪は懐から焦茶色の革製カードケースを取り出す。細い組紐で衣服と繋げられていた。彼女がそのカードケースを開くと下部に桜の代紋、上部に制服姿の写真が添付されている。

「警視庁公安部第二機動捜査隊巡査長、柊小雪と申します」

「警察官でしたか」

 千村が身分証明書を確認してから、小雪はそれを懐へ戻した。

「駅構内で、不可解な事件が起きたのは事実です。ですが、テロ事件と言えるか、判断は難しいでしょう」

「具体的に、何が起きているのですか?」

 千村の問い掛けに小雪はジッと考え込む。

「……死体が自らの意思で動き、翼の生えた男が宙を舞っていました。更に、銃弾を易々と避けます」

「興味深い事象ですね」

 千村に驚いた風はない。

「それで美春は、何者に襲われましたか?」

「動く死体に狙われていました」

 小雪の答えに彼は含み笑いを浮かべている。

「そこを助けて下さったのですね、ありがとうございます」

「いえ、私は特に何も。ただ美春さんは何かに守られているようでした」

 更衣室の一件でも、彼女の護符は普段より強力な効果を発現していた。

「私たちの小隊は別件を捜査中に、たまたま駅構内に居合わせただけで、むしろ所轄の機動隊が出動していたのが気になりました」

「テロ事件の発生前から機動隊が出動していたのですか?」

「ええ、通常は事件発生から本部長命令で出動するはずですが、まるで事件発生を予見していたような対応でした」

「知事から要請があったのでしょうか?」

 日本の国内法では警察官や自衛隊に出動要請ができる権限は、都道府県知事にのみ認められている。

「よく分かりません。私たちは目の前の事件を解決に導く証拠の採取が任務ですので」

 小雪の答えに千村は仕方ないといった風情だ。白がテレビの音量を上げた。

「新しい情報が入って来ました」

 ニュースキャスターの言葉に、二人はテレビ画面を注視する。出茂野ゲートウェイ駅が映し出されていた。

「警察庁は先ほど、今般の事件に関連して、出茂野市長、出茂野ゲートウェイ駅長、それに建築士の三名について逮捕状を請求した、と発表がありました」

「どういうことだ?」

 市長や駅長に逮捕状とは、事件が狂言だとでも言うのだろうか。千村も小雪も事情が理解できないでいた。

「出茂野ゲートウェイ駅で取材に当たっている、園場さん」

 キャスターの呼び掛けに、画面は駅前広場に切り替わる。広場には多数の警察車両が集結し、大型の盾を装備した機動隊員たちが整列している状況が映し出される。

「こちら、事件現場の出茂野ゲートウェイ駅です。御覧頂いているように、駅構内に人質と共に立て籠もっている駅長と建築士を逮捕する為に、これだけの警察官が動員されました」

 物々しい雰囲気だ。市長の記者会見から幾許(いくばく)も経過していない。駅ビルの入り口は全てシャッターが降りて、出入りができないようにされていた。恐らくはホテルの宿泊客も全て人質に含まれているのだろう。画面が切り替わり、上空からの出茂野ゲートウェイ駅が映る。駅ビルの屋上はヘリポートになっており、そこに一人の男性がいるように見えた。

「あれは、誰だ?」

「いけない、テレビを消して」

 小雪が言い終わる前に、千村は電源ボタンを押していた。

「美春ちゃんにも状況を説明しないと」

 シャワーを浴びに行って、未だに戻って来ないが時間的には普通の長さだ。小雪は袖口から御札と塩を取り出した。

「気休め程度ですが、宜しいでしょうか?」

「備えは必要です。お願いします」

 小雪は部屋の四隅の壁に御札を貼り付け、その下の床上に塩を小さく盛り付けた。彼女がそうしている間に千村はテーブルとソファを動かして、部屋の中央に立つ場所を確保する。

「助かります」

 小雪は一礼して、空けられた部屋の中央に立った。

「極めて汚きも(たまり)無ければ(きたなき)とはあらじ。内外(うちと)の玉垣清浄(きよくきよし)と申す」

 ゲタで床を踏み鳴らし、朗々と呪文を唱える。その彼女に応えるように塩から出た光が直線状に御札を貫き天井に至る。それから塩同士、御札同士に光が走り、天井と床面、壁全体が淡く光を纏った。

「お見事」

「どうにか間に合ったと思います」

「どうしたの?」

 そこへ美春が戻って来た。黒のワイドパンツと白のブラウス、洗い髪はドライヤーで乾かして来たのか、括らずに背中の中程まで垂らしたままにしている。

「美春ちゃん、白の隣に座って」

「はい」

 従弟の隣に座ると、彼は緊張気味になる。

「そろそろ始まるかな」

 千村の呟きに合わせたかのように部屋が揺れる。

「きゃあ!」

 美春は隣の従弟に抱き着いた。揺れはすぐに収まったが、部屋の空気が変わったように美春は感じた。

「……これは、相当に危険な状況ですね」

「はい、正直言って、生きた心地がしません」

 小雪と叔父の会話を聞いて美春は従弟に更に密着した。

「ど、どういうことですか?」

「美春ちゃん、これから起こることに驚かないようにね」

 叔父の優しい声に、美春は頷く。

「来ます」

 小雪は両手に大量の紙片を持っていた。天井や壁が一斉に光る。その外側で絶叫が響いた。

「ぎゃおおおおお……!」

 幾つもの顔が彼女たちに襲い掛かろうとしているが、その(ことごと)くが光の壁に阻まれている。しかしその光の壁も徐々に弱まっているように見えた。

「光の加護よ、この者たちを守り給え、急々如律令」

 小雪が呪文を唱えて、美春と白に御札を貼り付ける。

「声を出さないようにしていて下さい」

 美春は涙目で何度も頷いた。その口元を両手で塞いでいる。白は彼女を守るようにしていた。

「千村にケンカを売ったことを後悔させて進ぜよう」

 正雄は部屋の片隅に立て掛けてあった細長い棒状の物を手に取った。巻いてあった紐をシュルシュルと解き、中身を取り出す。それは刀だった。

「千村家のご先祖様、我らに加護を与え給え」

 白刃を抜き放つ。刹那、部屋を守っていた光の壁が破られ、多くの顔が正雄と小雪に向かって襲い掛かった。

「悪しき者ども、地に還れ、急々如律令!」

 小雪が手にしていた紙片の束を空中にばらまくと、その札に触れた顔は苦悶の表情を浮かべて消え去る。

 一方の正雄は刀を正眼に構え、猪のような勢いで迫り来る一際大きな顔と相対していた。

「滅!」

 気合と共に刀を突き出すと、その顔の眉間を貫く。美春は目撃した。叔父の持つ刀から炎が噴き出し、その顔を焼き尽くす様を。

「何者ですか?」

 小雪が怪訝な表情をする。一般人と思っていた彼が亡霊を相手に立ち回りを演じるとは予想外だったのだ。

「千村掃部允(かものじょう)と名乗った方が良かったですかな?」

「貴方が掃部允?」

 驚く小雪の横で刃を振るう正雄は、迫る顔を次々と斬り捨てる。小雪が驚いたのは千村掃部允という名にある。その名は退魔師として一定の評価のある人物を指すからだ。

「やれやれ、ようやく終わったようですね」

 正雄は汗だくで、小雪は持っていた紙片をほとんど使い果たしていた。二人とも疲労の色が濃い。美春はソファの上で震えるだけだったが、従弟の白は終わったと見るや機敏に動き始める。

 冷蔵庫から麦茶を取り出して、全員の湯呑みに注いだ。それから自らの背負い袋を開けて、お菓子を取り出す。

「一息入れて下さい」

「助かる」

 正雄は麦茶を一口含むと、チョコレート菓子を頬張った。続けて小雪もチョコレート菓子を口に入れる。

「甘いものは良いですね」

 小雪の微笑みに白は赤面して俯く。美春も麦茶に口を付けた。

「ここでこれだけのことが起きたとすれば、下では更に酷いことが起きていそうですね」

 正雄の言葉に小雪は頷く。美春の瞳に不安の色が滲んだ。

「叔父さん、平気なんですか?」

「平気ではなくても、男には戦わなくてはならない時がある」

 その瞳に決意の光を宿す叔父に、美春はドキリとする。

「いいな、白」

 白はコクンと頷いた。震えていた美春の手を握る。

「さて、どうやって脱出しましょうか?」

 小雪の言葉に、一同は眉根を寄せて考え込むのであった。

声の想定(ボイスイメージ)


・真野美春  種崎敦美さん

・丹羽多鶴美 小原好美さん

・柊小雪   大森日雅さん

・千村正雄  大塚明夫さん

・千村白   村瀬歩さん

・阿久津魁  小西克幸さん

・ニュース  立木文彦さん



・名前の表記誤りを修正しました。(千村武雄→正雄)

・声の想定を追加しました。

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