06
「うぅ……なんで僕がこんな目に……」
当然僕は鳥人間でもないので直ぐに落下し、何処とも分らぬ深い森の中ですすり泣きながら、大剣についた泥を擦り落としていた。
――――キイィイイ。――――キイイィイイイ。――――キイイィィィィィイイイ。
剣に付着した泥を、籠手を着用したままの指先でこそぎ落とそうとすると、とても不快な音がする。この音は耐性無かったらきついと思う。
「しかし……あれだけの衝撃でへこみ一つないなんて……」
――――キイイィイイイ。――――キイイイィイイ。
「それに鎧を着ているせいか全然痛みも無いし、流石前線基地の防具と言えるかもしれないなぁ……同じ鉄で擦っても傷一つ付かないし」
多分、数十メートルは真っ逆さまに落下したと思う。
というよりかは、あれだけの衝撃を受けて全く痛みがないのもとても不思議だった。
「にしても……この泥落ちないな……。くそっ……くそっ……!」
――――キイイイイィ――――イイィイイイイ――――――――。
段々ムカつきながら剣身を擦ると黒板に爪を立てている時の様な音が響き渡って行く。
そもそもなんで僕がこんな目に合わなくちゃいけないんだ……!
「あいてっ……指切った……」
籠手を着けていない方の爪先でそっと刀身をカリカリしていると、力んでしまったのかチクっとした痛みの後に人差し指から鮮血が滲み出てくる。
「……はぁ。本当、僕は何しにこの世界に来たんだろう」
ふとした痛みで我に返ると、なんかもう、色々ダメで悲しくなってきた。
なにより何処かも分からない森の中で独りぼっちの状況がとても怖くなった。
恐怖に怒りに悲しさに寂しさ……さっきから頭の中はぐちゃぐちゃだ。
――――キイイィ。――――キイイィイィイ。―――――キィイイイ。
……グスッ。――――キィィ。……グスッ。
そんな鼻を啜る悲し気な音と鉄を擦る不快な音を響かせていると、だんだん暗く成り行く森中が何だか騒がしくなってくる。
先程からキーキーガーガーと野鳥や獣の鳴き声や、ザワザワと木の葉を揺らす音が遠くから返って来るばかりで、増々心細くなってきた。
「大丈夫……大丈夫……」
独り言とちょちょ切れる涙。そして、響いて行く金属音。
あれだけの高さから落下して無傷だったんだ。
この辺のモンスターにだって僕の鎧には傷一つ追わせる事なんてできないだろうと、何度も頭の中で言い聞かせる。
――途端。
「ガアアアアアアアアァァァアアア!」
「ヒイイィイ! ごめんなさいごめんなさい!」
突如響き渡ってきた比較的近めの咆哮に心臓が跳ね上がり、僕は急いで走り出した。
◇
「…………ま、街だ。帰って来たんだ……!」
一晩中森の中を駆け巡った後、僕はようやくダンパの街に返って来た。
川に沿って降りて行けば何とかなると、元の世界に居た頃農家だった爺さんの言葉を思い出し、ずーっと一晩中怯えながら川沿いを歩いた。
思えば真夜中の森だと言うのにモンスターの一匹遭遇しなかったのは、威圧的な鎧のおかげか、はたまた運が良かったのかもしれない。
「一旦宿に戻って鎧脱いだ後お風呂入ろう……」
黎明の静まり返ったダンパを宿目指して足を進めるが、不思議と疲れも無く足取りも妙に軽い。
ひょっとして前線基地の苛酷なバイト経験が功を奏したのか、まだまだ僕は元気だ。疲れた事と言えば心くらいで、身体はピンピンしてる。
当然宿屋の店主もまだ眠っているようで、僕は物音を立てずにそっと自室を目指した。
鍵はあらかじめ長期滞在として貰っているので、静まり返った街中と店内は鎧を着た状態の僕にとってはむしろ好都合だった。
「……ふぅ……ん? 草が絡みついてたんだ」
自室で剣を立て掛け、鎧を一式脱いで嘆息していると、落下した時の衝撃で色々な植物が絡みついたのだろう、僕は鎧に絡みついたツタや葉などを払い落とす。
「ははは……あれだけ活動して、報酬はこの金色の草って所かな……」
その中でも一際目立つ、見たことも無い根の付いた金色の草を見つけ、自嘲気味に笑ってしまう。
冒険者人生初のクエストで散々な目に遭った。
だからこの金色の草は、慢心と虚偽に満ちた自分への戒めだと思う事にしよう。
「よし、この鎧と剣は捨てよう。多分僕はこれが有ると甘えてしまうかもしれない」
そうだ。白魔術師として歩んでいくには、こんな大きな剣も鎧も必要ない物だ。
山奥か川底にでもこの鎧と剣を沈めれば、他の冒険者に見つかる事も無いだろうし、そもそもそんな所で見つかれば、勝手に死んだ事にしてくれるだろう。
それか、何処かの誰かが拾ってくれても万々歳だ。
「どれだけ馬鹿にされても、ひたむきに頑張ればいつかきっと報われる……よね」
僕には血みどろな戦闘で怖い思いをするより、僕だけの魔法で人を癒してあげた方がよっぽど似合うと思う。その為に白魔術師になったのだから。
あんな裏表の有るメルダ見たいな怖い女性より、優しい男の方がきっと清く美しく純情な心を持ったイディアさんみたいな女性にモテるに違いない……!
「さ、お風呂に入ってゆっくりしようか――――」
と、僕が自室を後にしようと踵を返した時だった。
「――――な?」
急に何かが圧し掛かったように身体が重くなり、脚部がヒシヒシと痛み出すと、僕は耐え切れずにその場に伏してしまった。
「なっ……なんで!?」
別に気が抜けた訳じゃない。
何故か今までの疲労と言う疲労が決壊したダムの様に全身に押し寄せてくる。
「い、いてててて……。めっちゃ痛い……全身が痛い……」
ジワジワと体の節々が痛み出す……。
筋肉痛にしては少々早すぎるし、それも動けなくなるレベルなんて。
…………様々な疑問を浮かべるが、解決する間もなく僕は意識を失った。
――――――――――――――――――――。
『――――ハルオよ、起きろ』
「はいっ!?」
誰かに呼ばれたような気がして急いで状態を起こす。
床で寝ていたせいか身体の節々が痛むけど、意識を失う前程じゃなくて、僕は難なく身体を起こして立ち上がることが出来た。
周囲を見渡すが誰も見当たらない。確かに誰かから呼ばれた気がするのだけど……。
「…………? って、いつの間に倒れて来たんだろう」
いつの間にか壁に立てかけていたはずの大剣が、僕の腹の上に倒れていた。
一歩間違えれば死んでいたかもしれないと、ぞっとしながら僕はそっと立て掛け直す。
暗くなった外からは、人工的な街明かりが薄っすらと窓から差し込んでいる。
……どうやら一日中寝ていたようだ。
「んんんんんー…………はぁ……」
夢だったと思い、固まった体を伸ばす。
全身がべとべとするしお腹もすいた。
「……お風呂入ってご飯食べよう」
おぼつかない頭と足取りで自室を後に、この街の大衆浴場を目指す事にした。
扉を閉める際にガタンという音がしたし、多分締めた時の衝撃で剣が倒れたみたいだ。
後で立て掛けなおさないと。
◇
「ふぁぁー……生き返るぅ」
大きな浴槽に浸かって靄のかかる天井を仰ぐ。
前線基地での浴場はすごく簡易的なものだったし、周りも怖い人ばっかだったけど、此処はお年寄りや、穏やかな顔をした人が多い。
「やっぱり日本人は風呂だよねぇ~……」
こうなれば気を張る必要も無いし、ゆっくり浸かることが出来るってもので、僕は気の抜けた風船のように背もたれへ寄り掛かった。
「――なぁ、聞いたか。グルードのパーティーが森で暗黒騎士に遭遇したらしいぜ」
ふと、広い浴場内で反響してそんな声が聞こえてきた。
ギクリと肩を強張らせ、僕は口元まで浴槽に浸かって言葉に耳を傾ける。
「――なんだと? じゃあ、あいつらは……?」
「――それが、パーティーには入れて貰えなかったんだと」
……待て待て。冒険者達は鎧の中身が僕だと知らないし、此処で身を小さくする必要も無いと思うけど……あれだけ無様な醜態を晒してしまったのだ。
それなりの心の準備がいると思った……。
「――実力不足だと門前払いされたって話よ」
「――あいつらはそれなりに高難度クエストをこなしてるパーティーだぜ?」
「――それがよ、聞いて驚くな」
……大口を叩いて逃げ出してしまったんだ、きっと扱き下ろされるに違いない。
そう思うと、折角のお風呂でリラックスした気分も憂鬱になる。
「――昨日から森のモンスターが有る区間を境に居なくなっちまったんだとさ」
……あれ? 何だか僕が思ってる内容と違う話をしてらっしゃる?
てっきり、ほら吹き大魔神とか、はったりだったとか噂されると思ってたけど……。
すると、その二人の噂話に乗じてか、浴場内がざわざわと湧き立ち始めた。
「――確かに……この時期だとそろそろリトル・クロウ討伐のクエストが旬だが。今日は全く張り出されてる様子を見なかったな……暗黒騎士と何か関係が有んのか?」
「――グルード達が実力を見たいとせがんだ結果らしい。おかげで鳥類や小動物達が逃げ出して、或いは大量に死んじまったんだ。おっかねえ話だよな」
「――ああ、その話なら聞いたな。暗黒騎士の範囲攻撃スキルの話だろ? そのおかげでポクルンとこの従魔がくたばったとか」
「――じゃあやたらと森が静かだったのは暗黒騎士がやったって訳か……」
…………え? 何それ知らない。
「――流石は前線基地の人間だよな……。あいつらの話じゃ、直接見た訳じゃ無いが耳が避けそうで頭が割れそうだったとか言ってたぜ。こう、キィイイって音がな……」
「――うわぁ……こえぇー……。近くに居たら確実にくたばってたな」
「――そんな事より、魔王軍すらも恐れるモンスターの活動のせいで、アンデッド属がやけに活気立ってるって話じゃねえか?」
「――俺も聞いた、白魔術師を同行させるとアンデッド避けになるとかどうとか」
それは確かに言ったけど、なんか知らない間にどんどん話が蔓延している!?
というか、その音って僕が剣についた泥を擦り落としてる時の音じゃ……。
「――従魔を失ったポクルンも気の毒だな」
「――ああ、あんだけ大事にしてたのに、暗黒騎士の警告を無視したそうだ、今は冒険者を止めてこの街から居なくなったんだと」
……ポクルンとジャックごめんなさい。
「――メルダの奴が白魔術師に転職したって話は知ってるか?」
「――おい、メルダつったら駆け出しの街でもそれなりの実力者だぜ……?」
「――やはり白魔術師が重要なワードになってくるのか」
あ……諦めてないんだあの娘……。
確かに気が強い感じだったし、悔しかったんだろうなと、僕はブクブクと口まで浸かった浴槽で気まずく息を吐いた。
「――グルードの奴はしばらく遠くの街で山籠もりするんだと」
「――ほう……俺達も負けてらんねえな……!」
「――白魔術師かぁ……やってみようかな」
最低だ……いくら無意識とはいえ最低な事をしてしまった……。
釈然としないし、何より罪悪感のせいで血の気が引いて行く。
やっぱり復讐とかそう言うの向いてないと思う。
「――しっかし。しばらくリトル・クロウ狩りは無しだなぁこりゃぁ……。この時期限定のいい小銭稼ぎやレベリングに最適だったんだけどよ」
「――仕方ねぇさ。暗黒騎士の《ダークネス・ノイズ》の威力が知れただけでも目指すべき目標点ってのが見えたもんだろう? 俺達もいつかは……!」
なんか勝手に《ダークネス・ノイズ》とか命名されてる……!?
「――封印された魔獣が目を覚ますらしい。だから弱い奴はこの街を離れろだって」
「――お、おれ……最近冒険者としての実力不足に頭を悩ませてたんだ……」
言ってない。そんな事言ってない……!
こんなんじゃ、増々あの鎧を早急に捨てに行かなきゃ……。
いても立ってもいられず、僕は勢いよく浴槽から立ち上がる。
……と、焦燥感とか色々のせいで、昇っていた血が一気に下がり……。
「――おいおい、こいつ全裸でぶっ倒れてるぜ! のぼせやがったな」
「――情けねえ身体だなぁ……飯食ってんのかコイツ? ハハハハ!」
「――おーい、誰かこのゴボウ運ぶぞ。全く、って、軽いなこいつ……」
「――この風呂ってそんなに温度高くなかったよな?」
さっきまで話題の渦中にしていた暗黒騎士の中身だと知らず、他の冒険者達は床に伸びる僕を嘲笑していた。
うん。あの鎧を捨てるのはもう少し先にしよう。
これにて一章完結です。
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