30
【お世話になりました】
夜も薄っすらと明ける頃。
僕はひっそりと、客間から自身の荷物を取って家屋を後にした。
あんな事をしておいて、この家の方々に合わせる顔が無いからだ。
せめてもの罪滅ぼしとしては、ザイガスと成った僕の一言によって、ポクルンが生活態度を改めてくれれば……と願うばかりである。
早朝の農道は、何となく懐かしい香りがした。
朝露の濡らす草木は青臭く、田舎の朝はとても白かった。
「今度は何処に行こうかな……」
独白すると、これじゃあ冒険者じゃなく放浪者だと自嘲的な気分にもなった。
今度こそザイガスの鎧を捨てよう。そう決意し、僕が途方も行先も無く歩き始めた。
……時だった。
「おぉーハルキ君! 早かね」
「……ハルオです」
薄っすらと霧掛かる中、此方に向けて手を振ってきたのはお爺さんだった。
正直気まずくて顔すら会わせたくなかったので、僕は目を背ける。
そうか……農家の朝は滅茶苦茶早かった。
「そがん朝早う出て、どこ行くとね?」
そうこうしてる内に、お爺さんは僕の前に立っていた。
ここはもう……正々堂々謝るしかないと思った。
「……昨晩はすみませんでした!」
僕は勢いよく頭を下げる。
早朝の、シンとした田舎の畦道に僕の張り上げた声が響いて行く。
僕はもうザイガスとしての弱い自分から逃げないと決めたんだ。
「……なんば言いよっと?」
「へ?」
深々と下げた首を上げると、お爺さんは小首を傾げていた。
ひょっとしてボケが回ってるのかもしれないと、僕はもう一度口を開くが、
「その、昨日……」
「ああ、あれね。おかげで腰と肩の調子が良か事さ、白魔術って凄かね」
一ミリも心当たりのない事で礼を言われ、逆に僕の方が困惑する。
つまり、僕の白魔術は意図しない内に年寄りの腰痛と肩こりを治したって事……?
「……その、多分白魔術じゃないっていうか……別物というか……」
「謙遜せんでもよかよ、大したもんばい」
白魔術……のつもりだった。……何が悲しくてお年寄りの慢性的な腰痛を治したのか。
白魔術師の本でも、『ヒール』に腰痛肩こりを治す能力も無ければ、お灸の様な使用方法なんて当然掲載されていない。
なら、僕が白魔術として行っていた『ヒール』は一体何なのか……?
僕が目指す、パーティーで共に戦う人達を癒しながら素敵な出会いを求めつつ、和気藹々としたお洒落的スローライフの夢は……?
果たして腰痛と肩こりに利く『ヒール』を駆使して、その夢は実現できるのか……?
様々な疑問が脳裏で交…………うん、絶対無理だと思う。
「ハルミ君、どがんしたとね?」
「ハルオです……その……お世話になりました……」
いよいよ、僕の中で心の折れる音がした。
酷く落胆し、そのまま踵を返して歩き出す。
何処か遠くの街か、こことは別の田舎で整体師でも始めるか。
うん、お年寄り相手でも人を幸せにしてる事は変わりない、と思う。
運が良ければお孫さんとか紹介してもらえるかもしれないし?
そうとでも思わなきゃこれ以上やってられるか……!
「爺ちゃーん何しよっとー?」
僕がお爺さんを背にフラフラと歩いていると、聞き覚えのある声に思わず振り返る。
「おう、ポクルン。ハルサダさんがダンパに帰っち言いよるよ」
最早お爺さんが呼ぶ僕の名前の原型すら留めてない事は置いておき、昨日の荒々しい雰囲気とは真逆のポクルンが此方の様子を伺っていた。
恐らく改心した彼は、早朝から畑の手伝いに出てたのだろう。
「そりゃいかん! おーい! ハルサダさーん!」
もうハルサダでいいやと思いつつ、ポクルンは僕の元へ慌ただしく駆け寄って来る。
すっかり毒気の抜けた彼の顔は、田舎の好青年と言った様子だった。
「……どうかしました?」
正直、この時ばかりはそっとして欲しかったと思いつつやけに慌ただしい様子のポクルンを眺めていると、何やら尻ポケットに入れていたのか、彼は一枚の紙を取り出した。
「なんか、昨日からダンパに緊急事態が出とるそうで今帰るとは危ないですよ?」
別にダンパに帰るつもりも無いのだが、僕はポクルンの差し出した新聞の様に規則的な文章の綴られた紙の内容を見て、言葉を飲んだ。
……その文の見出しには、こう綴られていた。
【大陸亀目覚めの兆候。そのままダンパへ進行か】
要約すると、大陸亀とはその名の通り想像を絶する程の巨大な亀だそうで、ダンパ近くの山脈だと思っていた場所はその大陸亀の甲羅部分にだったらしい。
つまり、僕達が討伐で駆け回っていた森の中は巨大な亀さんの背中の上だったのか。
……だとすると、その大きさは計り知れない。
「えっ……なんでそんなのが……?」
「恐らくですけど、暗黒騎士さんの《ダークネス・ノイズ》が起因じゃなかろうかと僕も思ってます! それかこの亀を討伐する為に極秘でダンパへ来たか……ともかく、全面的に避難指示が出てて、今は帰らない方がいいですよ」
僕も……? そんな言葉に頭の突っ掛かりを覚えながらも文章を読み進めていると、街の住民数人から取ったであろう証言が記されていた。
……ザイガスさんが地獄から呼び覚ました。とか、ザイガスさんの真の目的は地均し、とか、ザイガスさんのペットとか……それはもう、見ててうんざりする内容だった。
これを書いた記者は絶対頭悪いと思う。
「大陸亀から生じた地震の影響でダンパの転移クリスタルも崩れて、応援が到着するのも一週間先とかで街は騒然らしいです……。皆大丈夫かな……」
不安気な表情を浮かべるポクルンは、ダンパの方へ首を向けていた。
その空の向こうはすっかりと青く澄んでいて、そんな大陸亀の騒動なんて嘘かのように、此処、ティコの村はとても長閑だった。
僕も心配じゃないと言えば嘘になるけど、あの街には皆が知らないだけで本物の悪魔が三人もいるし、きっと大丈夫だろう。きっと……大丈夫、だと思いたかった。
「……別に、ダンパへ行くわけじゃないので……これで失礼しますね」
僕は再び、ポクルンとは逆の道を歩き出した。
別に僕には関係のない話で……そもそも最初から全く関係のない話だった。
この異世界に降り立ってもう少しで二年の歳月が流れようとしている。
一年半は死ぬ気でバイトして、ようやく装備を買い揃えたかと思えば振りだしに戻る様な選択を強いられて、悪魔に憑りつかれて……。
僕の意志に反してザイガスはドンドン有名になって行くけど、白魔術師の僕が出来る様になった事と言えば、年寄りの腰痛治療でおまけに未だレベル1。
多分、いや、絶対僕は異世界生活向いてなかったんだと心底思う。
この世界には他にも転生者がいると聞くし、その人達はたぶん良い能力を貰って、ガンガンレベルを上げながら、その辺でも名が通ってたりするのかもしれない。
結局、弱くて才能の無い自分を誤魔化す為にザイガスになっていた事も事実だ。
「あっ! ちょ、ちょっと待ってください!」
「…………?」
呼び止められたので何かと思いつつ振り返ると、ポクルンは手のひらサイズの貝殻の様な物を握りながら、それを緊張した面持ちで見つめていた。
遅れて、アナウンスの様な声が微かに聞こえてくる。
街の拡声器等にも使用されているコンタクトシェル、通称貝フォンというらしい。
「大陸亀の新情報が出たみたいです、今音量を上げますので……」
……何だかんだで気になる僕はポクルンの元へ引き返えし、彼の握る貝フォンへと耳を傾ける。すると、酷く混乱した様子の騒音がザザザっと響いて来た。
『――たった今、大陸亀が立ち上がりました。住民の皆様は、速やかに冒険者達の先導の元、避難指示に従ってください。繰り返します、たった今、大陸亀が立ち上がりました。住民の皆様は、速やかに冒険者達の先導の元、避難指示に従ってくださ――――』
アナウンス自体は淡々とした声音ではあるが、時折薄っすらと聞こえる微かな騒音が入り混じっていて、現場は酷く混乱しているという事を想起させる。
「……くそっ! どうか皆無事で……無事で……」
それを聞いたポクルンはか細く喉を鳴らしていた。
僕も不安が込み上げる。でも、僕には関係ないし、何より僕が駆けつけた所で……。
『……住民の皆さんは――――キャアアアアアアアアアァァァァァア!』
「……なっ! そ、そんな!」
「…………ッ!?」
繰り返される案内が突然、悲鳴へと変わる。
僕は、そんな沈痛な悲鳴を聞いて何一つ言葉が出なかった。
……もう、ダンパの街は…………。
『――――あー、マイクテス、マイクテステス……これ聞こえておるのか?』
『バッチリですぅ~。ヴァネッサ様の麗しき声を全国へお届けですぅ』
「は?」
「え? どっ、どういうこと? それにこの声はメルダ……?」
僕が形容しがたい気持ちに押しつぶされようとしている時だった。
うんざりする程聞き覚えのある声音と、独特な抑揚が貝フォンから響いた。
『ちょ、ちょっと何なんですか!? あな……』
『――うるせえ! このメス豚!』
『――俺達でザイガスさんを地獄から呼び戻すんだよ! 邪魔すんな!』
『えっ? えっ? えぇえええええぇぇぇぇぇ!?』
さっきとは違う意味で悲痛な声が、どんどん遠退いて行く。
たぶんアナウンスのお姉さんはどっかに追いやられて行ったんだろう。気の毒に……。
『はいはいザイガスさぁ~ん。これを何処かで聴いてらっしゃるなら直ぐに飛んで来いとの事ですぅ。今とてつもなく街がヤバイ状況なんですぅ。このままだと亀さんの腹でダンパの街が丸々整地されちゃうですよぉ』
「な、なんだって!? と言う事はザイガスさんは不在なんだ……! 昨晩お会いしたばかりなのに……!」
そんな白目を向きたくなるアナウンスの隣でポクルンは震撼していた。
……何やってんのマジで。
「そうだ……終わる訳が無い! 考えてみればあのザイガスさんが大陸亀如きに負ける訳が無い……。今も何処かで戦ってらっしゃるんだ!」
その過信は何処からくるのか聞いてみたくもなったが、僕はただ茫然と佇んだ。
そのザイガスは唖然としながら君の隣にいる訳だが……。
『この状況を変えれるのはザイガスさんだけなんです! 助けてください!』
『ザイガスさん! どうか俺達の街を助けてください!』
『ザイガスさああああん! 早く帰ってきてくださいっ!』
『ザイガス様、私達信じてます! 絶対助けに来てくれるって……』
『貴方は僕達の希望です……! どうか、大陸亀を倒してください!』
次々と、ポクルンの握る貝フォンから信者達の必死な声が響いて来る。
その声から、如何に切迫した状況なのかが伺えた。
…………微かに、僕の中で鼓動が脈打ち始めるのを感じる。
白魔術師として必要とされない僕と、こうして皆から必要とされるザイガス。
僕は、白魔術師として皆を幸せにして上げたかった。
『……皆が貴様を必要としている。皆が、貴様の帰りを待っておる。今はバアルが何とか大陸亀の動きを抑えておるが、長くは持たん』
……じゃあ、ザイガスとしての僕は?
『……だから、早く帰ってこい。待ってるぞ』
――――――――瞬。
「あっ! 何処に――――」
僕は駆け出した。
駆け出すしかなかった。
ゆっくりとは言え、馬車で三日間も掛かった道。
間に合う気はしない、けど……。
それでも構わないと、僕は全力で駆け出した。




