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あの後、農作業を少しだけ手伝い、その後、畑に隣接していた家の敷地を跨がせてもらった。
「畑まで手伝ってもろうて、今冷えた茶を出すからのぅ」
「ああ、いえいえ! お構いなく!」
なんとなく、お婆さん家独特の香りが漂ってきて、田舎は何処も似たような匂いがするんだと感心しながらも、僕は恐縮しながら中へと入る。
途端……玄関入って正面の階段を、慌ただしく駆け降りる音が聞こえてきた。
多分、物珍しさにお孫さんとやらが顔を見に来たのかな、と少し緊張する。
「あ、始めまし……」
僕が友好的に口を開いた時だった。
階段を降り切ったお孫さんは、何故か目と肩を吊り上げている……?
「ババァ! おいの《ダークネス・ハンドタオル》勝手に使うなち言うたろうが!」
お孫……さん? ……………えっ? ポクルンさん? えっ?
少し様相こそ変わっているが、その姿は間違いなく、僕が初めて一緒にクエストへ出かけた、従魔術師のポクルンだった。
「はいはい、じゃあ大事に名前書いて取っときんさい」
「なんば上せよっとか! 殺害すっぞきさん! 地獄見せちゃろうかっ!」
「まだお迎えには早かさねぇ」
荒々しい言葉を吐き出し、ポクルンは老婆からザイガス手ぬぐいを半ば奪うように剥ぎ取ると、そのまま僕に目もくれず二階へとドタドタ上がって行く。
恐らく、僕の顔なんて忘れてしまった様子なのは幸いとも言えるけど……。
……えっ。最初お会いした時の気の良さそうな感じとは掛け離れすぎている。
ひょっとして別人のそっくりさん……?
「ごめんねぇ。ポー君はいつもは優しかとこれ、年頃かいねぇ……」
「ポー君……? あ……はい、お構いなく……」
まさかダンパから遠く離れた長閑な村で、ザイガス信……ではなくポクルンに再び会うなんて思わなかった。どうしよう、滅茶苦茶泊りたくなくなってきた。
「最近の若い子で流行よるらしいねぇ。その、ザリガニっちゅうの」
「いや、全く流行ってないと思います。はい、後ザイガスですよ、お婆さん」
ザリガニではなくザイガスなのだが、この際どうでもいい。
彼がおかしくなった原因は僕だし、何より頭の可笑しいザイガス信者と一晩屋根の下なんて気が気じゃない。優しい時を知っているからこそ、尚更彼の変わりようが怖かった。
「そうだ、客間があるけん、そこでゆっくりしていかんねハルオさんや」
どうにかこうにかこの家を後にする理由を探すも、老婆の厚意を無下にもできない。
「ありがとうございます……」
一晩だけ、一晩だけでいいから我慢しよう。
「――キエエアアアアアアアァァ! 我に生贄をぉおおおお!」
……二階からポクルンの奇声が聞こえる。
絶対明日には朝一番にこの村を出よう。
◇
「ポー君。晩御飯じゃよ」
「うるせえクソババア! 生贄は部屋の前に置いとけ!」
そんな怒声を交えたやり取りが聞こえた後、老婆はヨロヨロと階段を下り。
そして、僕と、山から帰宅した爺さんと、学び舎から帰宅した妹さんのいる居間へ。
「ポクルン何て?」
「殺すぞ! っち言いよるわ」
「ポクルン兄ちゃん最近変だよね」
「まぁ、ああいう年頃さい。ほっとかんね」
食卓を囲むこの家の住人は、困った様子でそんな会話を繰り広げていた。
……全面的に僕が悪いのでかなり気まずくなる。
あんな優しそうだった好青年をあそこまで……僕は最低だ。
「ほら、今日山で採れた山菜たい。兄ちゃんも食べんね」
「ああ、凄くおいしいです……」
妙な緊張感であまり味がしない山菜を食べていると、妹のペクルンが声を掛けて来た。
「ねぇねぇ! ハルオさんって冒険者やったんやろ? 何の職やったん?」
「まぁー……白魔術師……かな?」
「へぇ! 怪我人ば治したりアンデッドば祓う職やろ!? 凄かね!」
「いやいや、全然そんな事ないって」
しかし……食卓を囲み、和気藹々と話すなんていつぶりだろうか。
メルダとヴァネッサと食卓を囲む事は有っても、殺伐としていたし……。
この家の二階にザイガス信者と化したポクルンが居なければ、この暖かな田舎料理の味も、もっと変わって美味しい物になってただろう。
多分味が薄いのはそのせいだと思う。多分。
なんとなく、そんな家庭料理を前にメルダの顔が思い浮び、必死に払拭する。
「兄ちゃんも前は冒険者やったけど、先月くらいに急に帰って来たんよ」
ペクルンが味噌汁をすすりながら独白するように言う。
「へ、へぇ……どうして?」
心当たり大有なのだが、念の為聞き返してみた。
「何かね。ザイガスっちゅう暗黒騎士ば見てから、召喚獣も居なくなって自信失くしたっち言いよった」
「あいつは従魔術師として未熟やったって事たい。ダンパから帰ってきちから、畑も加勢せんで、家の中ずーっと引き籠ってから、せがれに面目なかばい」
「ちょっと、言い過ぎじゃなかね? あん子はあん子で色々悩みよるんじゃ」
そんな家庭の愚痴が食卓に交差する中、僕は罪悪感で塗れていた。
ごめんなさい。全部僕のせいなんです、ごめんなさい……。
そもそも無自覚とは言え《ダークネス・ノイズ》とかいう謎のスキルのせいで森の生態系が狂って危険視モンスターが麓まで降りてくるようになったし、認めたくないけどその結果ポクルンも仲良くしていたジャック君を失ったんだ。
「全く、せがれのパクルンと嫁子は前線基地で頑張りよっとに面目なか。あいつが冒険者になって活躍しよるっち聞いた時は嬉しかったばってん、何ねあのていたらくは!」
「これこれ爺さん。折角の客人が居るとに湿っぽかとは止めましょうや」
「ああ……そがんやった。すまんじゃったね、ハルヒサ君」
「ハルオです。お構いなく……」
……どうしよう、罪悪感半端ない。
何か、このまま何事も無く翌朝出るのも憚られるレベルで。
「あ、そうだハルオさん! 白魔術の魔法ば見てみたか! ちょっち見せてよ!」
この気まずい雰囲気を振り払おうと、気を利かせたペクルンが僕に尋ねた。
突飛な提案に喉が詰まるが、僕は水で流し込みつつ応える。
「えっ!? いやほら、怪我人とかいないしそう簡単に見せれるもんじゃないし……」
「あたしも将来冒険者になって、白魔術ばしてみたかと! 見せてよぉ!」
「ハルヒコ君。兄があんなんやけん、良かったら見してくれんね?」
……ハルオです。
「これ爺さん、冒険者さんは見世物じゃなかさ」
とか言いながら、婆さんもがっつり僕に生暖かい眼差しを向けていた。
此処は……いくら白魔術師のレベルが1だと言っても『ヒール』をお見せするべきかも知れないと、僕はゆっくりと頷き、重く感じる腰を上げた。
肝心な白魔法が砂しか出ないとも言える雰囲気じゃ無い……。
「一宿一飯の恩義ですからね……」
大丈夫……大丈夫と、自分に言い聞かせる。
白魔術師になって二ヵ月近く経とうとしているけど、練習は毎晩欠かさずやってる。
その努力が実を結んでか、辛うじて魔力切れで倒れないレベルまでには進歩した。
光の粒を出して直ぐに消せばいい、見せるだけで良いんだ。
腰に携えたワンドを握って深呼吸し――――集中……!
「『ヒール』!」
強めに呪文を唱えると、ワンドの先端に取り付けられた宝石から…………。
「……え、めっちゃ砂やん? 何か変な臭いする」
「砂やなぁ。丸薬の香りじゃ」
「砂じゃのう? 粉にも見えるばい? 漢方ね?」
光の粒の様な、砂が溢れだした。
「………………」
恥ずかしさの余り、一瞬だけ出して直ぐに止める。
練習の成果もあって自在に止めれる様にはなったのだが、僕の目の前にあるのは淡く室内の明かりに照らされた砂が、小盛と言った具合の茶碗が一つ。
「何か大したこつ無いねぇ」
「えー……思ってたのと違……」
勝手に見たいとか言っておきながら、冷めた様な三人の態度に僕はムカついた。
これでも精一杯やってるし白魔術のしの字すら知らぬ奴等が好き勝手言いやがって。
こいつ等もあれか、ポンコツ兄貴のポクルンと一緒で僕を馬鹿にするのか……。
そもそも何で僕がこんなに気を遣わなきゃならないんだ!
「……ええい! そこへ横になるがいいこの老いぼれめが!」
「な、なんばするとね!?」
僕は食卓から爺さんを引きずり下ろし、居間のソファへとうつ伏せに押し倒しすと、上半身の衣服をはぎ取った!
「これから俺が本物の白魔術を見せてやろう……!」
「は、ハルオさん!? 蝋燭ば持って何を……?」
「爺さん!……それが白魔術ね?」
僕は先程の『ヒール』で出現させた砂を爺さんの腰や肩へ一つまみ、そして小さく盛り付けた粉の先端に蝋燭の火を灯していく。
文字通り、僕はこの愚痴の多い老いぼれにお灸を添えてやる事にしたのだ。
「あ、熱うっ!? あちちちちちち……」
「フハハハハハ! 煉獄の炎の味はどうだ!」
「あ……ばってん気持ちよか……」
「貴様等の馬鹿兄貴にも、この俺がキツイ灸を添えてやるっ!」
そう吐き捨て、頭に血が上った僕は二階を目指すべく居間を後にした。




