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バアルの投げるようなフォームと同時だった。
瞬間、僕は庇う様にイディアさんを押し倒したのだ。
「危な――――――――い!?」
「―――――――ふえぇっ!?」
……イディアさんを庇って死ねるなら、それでいいと思っての行動だった。
「……卑怯な! 従者を犠牲に身動きを封じるなんて!」
「いや、その……何もしてないが……」
覆い被さるように押し倒したは良いけど、何の衝撃も無い。
ふと、振り返ってみると、黒い球体がフヨフヨと……。
「えっ………遅っそ……」
非常にゆーーーーっくり、此方に向かって滑空してくるのが見えた。
「離して! 早くしないとここ等一帯が……!」
蚊でも止まるんじゃないかと思う程、その球体の速度は非常に遅い。
それも、風船でも投げたかのようにふわっとしている。
「詠唱が間に合わない……! 神よ……ここまでです……」
もはや希望は潰えたと言わんばかりに、イディアさんは奥歯を噛み締める表情をしている。
そんなに危ない技だったのだろか……?
「もう遅い。かなり力を抑えてるとは言え、その球体が弾ければここ等一帯は百年草木も生えぬ程腐敗して行く、もう逃げられんだろうよ。後君はあまり動かない様にっ!」
その技の見た目と遅さに反し、そんな恐ろしい技だったと知った僕は背筋を凍らせた。
これ、僕がイディアさんを庇おうと押し倒したのは余計な事だったのでは……?
「さぁ、今弾けるぞ……全てを腐り尽くし疫病を招く災厄がっ!」
…………僕の人生、いつもこうだ。
勝手に色々な事をやって、勝手に空回って、最悪な事ばかりで……。
「――おい見ろ! ザイガスさんが女を殺ろうとしてらっしゃる!」
「――何よあの女! あんなブスより私の方がいいのに!」
「――宙に浮いてるぞ! あれはザイガスさんの魔界より召喚した地獄紳士か!」
「――召喚した魔物の前で女を絞め殺すなんて、何て猟奇的なんだ!」
これだけの騒ぎだったんだ。
流石に人も集まってきた様子で、やけに大声で叫ぶ連中の声が耳に入った。
あの球体が弾ければ、何も知らないあの人達も……。
もし僕が漫画やアニメの主人公だったら、ここで謎の力が目覚めて覚醒。
もしくは、ヴァネッサかメルダが助けに来るなんて展開が……。
……当然、そんな事にはならなかった。
雑踏を見渡すが、心配した様子の人々と興奮した様子のザイガス信者達だけ。
やっぱり悪魔は何処まで言っても悪魔だった。
「……あの、さっきから言おうと思ってましたけど、何処触ってるんですか?」
僕が全てを諦めて項垂れていると、辞世の句まで読み終えたイディアさんが、とても怪訝な抑揚で僕に尋ねてきた。
「へ?」
さっきから色々な出来事に頭の処理も追いつかず、全く気付かなかった。
どうやら僕はイディアさんを庇う為に押し倒してから……。
「オパッオパパッツ――――――――――――――!?」
ずっと僕の右手の先はイディアさんの胸を揉んでいたらしい。
あ、もう死んでもいいや。
「――――――――ッパァ――――――――イィッ!?」
その日、僕は発狂した。
恥ずかしさとか、喜びとか、自責とか、罪悪とか。
初めての感触と感動に、僕は狂乱した。
「何! 私の魔弾が消滅したっ!? それにこの力はっ! うわああああああ!?」
慌てふためくバアルは、重力に沿って落下して行くのが見える。
けれど、僕はそれ所じゃなかった。
僕初めて女の人の……それも好きな人のおっぱいを触ってしまったのだからっ!
「フフォオオオオオオオォォォォォッォォォオオ!?」
そう、僕は発狂せざるをえなかった。
「――グ、グアアァアア……! なんて気迫……だ……」
「――すげえ……これが《ダークネス・ノイズ》……?」
「――いや、違う……あれは《ダークネス・パイスラッシュ》じゃ……な……」
僕の絶叫が響いた直後、何故か人が倒れていく。
あの球体は消えたはずなのに……?
そう思っていると、倒れ切った雑踏の中に立つ、二人の少女が目に入った。
今までそこで見ていたのかあの悪魔共は……。
「いいえ、違いますぅ。あれは《ダークネス・ラッキースケベイ》ですぅ」
「ふん。やはり我が見込んだ男よ」
「あーあー、みんな倒れちゃいましたねぇ。ま、大丈夫でしょうけどぉ」
「抜け殻とは言え、あの鎧も我の身体だからな。感情が増幅したのだろうよ。我らは身構えておったから事なきを得たがな」
「光の加護を受けてるあそこの祓魔師は大丈夫みたいですねぇ」
「さてクソ天使の従者と関わってもいい事無いので、あのド変態を回収するか」
◇
バタバタと人が倒れ行く音が連鎖する中、ふと表情を変えたイディアさんは独白する。
「……酷い、皆倒れてる」
僕は自分の心臓を掴まれたような気になり、急いでイディアさんから離れる。
「……あいつらは弱き者だった。それだけである」
そして今後に及んで自分の素性がバレない様に、そんな言葉を吐き捨てた。
「どうしてこんな事するの? 見た所操られてないみたいだけど、これは全てあなたが仕組んだことなの? それとも悪魔に利用……いや、協力しているとでも言うの?」
僕が退いた直ぐ、フラフラとイディアさんが立ち上がり、様々な質問を投げてくる。
全て包み隠さず誰のせいにもしないのなら、全部その通りだ。
もはや、僕には返答も弁解の余地も無かった。
「人が怪我したり痛い思いしたり……そんな人達を見て何も思わないの? 私はね、一人でも多くの痛いが治るようにいっつも頑張ってる。貴方がやってる事は最低だよ!」
……最低だよ……最低か……僕は最低だ、そう、ザイガスの僕は最低で良い。
折角守ってあげようと庇ったのに……この女っ……!
「このメス豚め……その減らず口を塞いで――――」
刹那。イディアさんの頭上、倒壊しかけていた屋根が耐え切れずに崩れ始める――。
「――――危ないっ!」
「あっ!?」
今度こそ僕はイディアさんの両肩を掴み、庇う様に押し倒す。
――――衝撃。騒音。土埃。
皮肉にもこの鎧のおかげで痛みは無く、なるべく粉塵や飛礫から守るように、自身のマントでイディアさんを覆う様にして、崩落する瓦礫から彼女を背で庇った。
兜のバイザーから驚いた様子のイディアさんの表情が見えたかと思えば、おそるおそる、その綺麗な蒼眼をゆっくりと開閉させている。
そんな眼を見ていると……。
「……僕だって、こんな事やりたくない」
そのまま、消えそうな程か弱い声で僕は独白した。
イディアさんの美しい瞳の前では、ますます自分の事が惨めに思えたからだ。
「…………ハル」
そんなイディアさんが何かを言い掛けた時だった。
背に覆い被さる瓦礫や屋根の破片一気にを払い除けながら立ち上がり、僕は何処とも分らず駆け出した。
……逃げ出した、という言葉の方が正しかったのかもしれない。




