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――試食会まで、残り六日。


 ……と、意気込んだものの……異世界でカレーライスを作るのは困難を極めた。

何より僕が居た世界とこの異世界は、食材の名が異なってたりもする。

 ただでさえ本来カレーに使用されるスパイス類の名前等ちんぷんかんだというのに、この異世界で名前が若干異なるのなら猶更だった。


 当然、カレールゥなる物も存在しないので、先ずそこから僕達は着手する事にしたのだ。


「カルダモーン? シナメン? コリアダーにクロプス……ダメだ、全く見当がつかない……辛うじてシナメンとナツメッグっていうやつは何となく想像がつくけど……」


 カレーライスと言う料理は日本の生活ではとても馴染み深い料理ではあるが、それこそ一からカレーを作った事の有る人の方が少数だと思う。


 正直、簡単に作れるくらい思っていたけど舐めていた。


「ふむ。異国の香辛料か。いくつか黒い血煮込みと同じ工程があるようだが……ハルオ君を信じよう。明日には届く様手配しておく」

「バアルさん……ありがとうございます!」

「何、最高のカレーを完成させようではないか!」


 もし、僕一人だけなら完成しなかっただろう。

 只の危ない人くらいに思っていたが、バアルの食に対する探究心は凄まじい物だった。


 おまけに料理の手際が大変良く、常に料理用品が一式詰まったトランクを持ち歩ている程のプロ意識に脱帽したりもした。

 彼バアルは、余りにも可哀そうな僕を見かねて神様が寄こした、天国からの御遣いなのかもしれない。




 ――――残り、後四日。


「バターに小麦を加えて、ドロドロになるまで溶かし……あれ、小麦は……」

「はい、バアルさん」

「おぉ、助かるよハルオ君。丁度探していたんだ」

「後は弱火でスパイス類を炒めて、先程のドロっとしたやつと絡めるそうです」

「成程……」


 バアルが鍋を振るい、僕がレシピを読む。

 そして、試作品のカレールウを吟味するまでが、僕の役目である。


「ック……ダメだ! 何かが……何かが違います!」

「ふむ……もう少々ガラムマッサリーの量を調節するか」

「もう少しコクを深める為に小麦の量を調節してもいいかと思いますよ!」

「良いだろう。物は試しだ」


 そんな僕達の間には、カレーを挟んで変な友情さえ芽生えていたかにも思う。

 このまま行けば、四日後の試食会に間に合うだろう。

 僕の異世界お洒落カレーライフも目前……。


 ………かに思われたが、僕達は大きな壁にぶち当たった。




 ――――残り、後二日。


「バアルっちハルオっち、ごめん。お客さんから臭いが凄いってクレームが……」


 試食会まで後二日と言う直前で、僕達はロイドが経営する店の厨房の使用中止を余儀なくされた。それも、未だカレーの完成には至らずに……!


「この香りの素晴らしさが分からぬとは、料理人の風上にも置けぬ奴め!」


 それを聞いたバアルは激怒していた。

 いくら類稀なる料理の腕と知識と用具を持ち合わせていようが、厨房が無いことには話にならないからだ。僕も……そんな彼に釣られて憤怒していたと思う。


 そもそもロイドの野郎が黒い血煮込みを食べたいとか言い出さなければ、こんな事にならなかったと言うに……!


「貴様……カレーへの冒涜は許さ―――――ん!」

「な、なんだお前! やめろっ! やめろおおおおおおおお!」


 その晩、ザイガスに変身した僕はロイドを試作のカレー塗れにしてやった。


 ◇


 カレーの試食会まで、残すところ後一日……。



「――――家が臭いっ! うちの台所で生物兵器を錬金する気か貴様っ!」

「――――ライスッ!?」


 ……色々と悩んだ結果だった。

僕はヴァネッサの飛び蹴りによって厨房の壁に穴を開けていた。


 こうなる事が分かりきっていたからロイドの店の厨房を借りていたのだが、使えないとならば残される厨房は……僕が借りている自宅の台所だったのだ。


「ハルオ君!? 話には聞いていたが、なんて暴力的な少女だ……!」

「貴様も錬金術師か……我が怒によって深淵へ帰す準備は良いか?」

「ック……! 何て憤怒……! いったい何者だっ!」


 当然、そんな悪魔的所業のヴァネッサを見てバアルが狼狽した声を上げていた。

 うちの台所も何も、この家は僕の名義だし、家賃を払っているのも僕だ。

 だから自分の家の台所でカレーを作ろうが、怒られる筋合いはない!


「Noカレー……Noライフっ……!」


 痛む節々を抑え、独白しながら僕は自身の膝を奮い立たせる。

 パラパラと音を立てる見晴らしの良くなった居間から、僕はフラフラと台所へ……。


「ここは僕の家だ……! 絶対…………カレーを作るんだっ!」

「ハルオ君!? 来るんじゃない! この娘は危険だっ!」

「良いだろう……何度でも殺してやる! 」


 ようやくカレーの完成も手前まで来ている。

 この一週間、僕とバアルは誰よりも濃いカレーライフを送ってきた。

 こんな所で、僕の異世界お洒落カレーライフを悪魔に邪魔される訳にはいかない。


「Noカレー! Noライフウウウゥ!」 



――僕が叫ぶと、瞬く間に漆黒の液体が腕輪から一気に溢れ出す。

そして意志を持った生物の様に、瞬く間に僕を全身包み込んでいき―――――。


「――――――――うっさいっ!」

「――――インドッ!?」


僕の後方に回ったヴァネッサが、変身を終えていない僕の頭部を勢いよく叩きつけた。

 ――――ガシャンッ――鎧が床に叩きつけられる金属音と、頭部への衝撃――――。


……と共に、僕はふと冷静になる。


「…………異世界お洒落カレーライフって…………なに?」


ていうか、NoカレーNoライフって訳が分からない。

いったい僕は……何を……?


「もぉ……一体なんの騒ぎですぅ? それにこの匂いは……?」

「メルダ、そこに転がってる馬鹿の治療を」

「はいはい~。今回は随分と酷くやられましたねぇ『ヒール』っと」


 騒ぎの様子を見に訪れたメルダが唱えると、光の球体が僕を優しく包み込んでいく。

 見る見る内に痛みは治まり、頭部からの流血もピタリと止んだ頃。

立ち上がった僕を見かねて、ヴァネッサが僕を小突いた。


「全く、面白そうだからしばらく泳がせておいたが……何たる様だ。我と言う存在が居るにも関わらず易々と心の隙に付け込まれよって」

「え? あの、どういう事なんですか……? って臭っ!? 何ですかこの臭い!?」


 困惑していると、急に鼻を突く様な刺激臭に咽返った僕は周囲を見渡した。

 このスパイスティックな嗅覚を蝕むような香り……確か、僕はカレーを作っていたのだが、記憶の中にあるカレーは此処まで酷い臭いはしなかったと思う。


「ハルオさんは操られてたんですぅ。ヴァネッサ様が居なかったら今頃どうなっていた事やらぁ……本当にアホですかぁ? 脳味噌ついてますぅ?」


 操られていた……? まるで見当のつかない言葉に僕は首を傾げる。

 でも、考えてみればカレーに対して異常な執着を燃やしていたような……。


「フフフフ! ハーッハッハッハッハ! 小娘共、中々聡明じゃないか!」


 その時、バアルが高らかに笑い出した。


 なんとなく、漫画やゲームなんかでも既視感のある笑い声に僕は察する。


「僕を……僕を騙していたんですか!」


 正直何を騙されていたのか分からないけど、取りあえず場の雰囲気に乗る事にした。


「騙してなどは居ない。君はね、試作品を食す内にカレーの魔力に魅了されていたにすぎないのだよ。証拠に、情人ならば咽返る程のスパイスティック空間へ身を置いていても何とも無かっただろうに? つまり、道のりは正解で完成は近いと言う事っ!」


「う……確かにこの臭いは……キツイ……」


 自分でもどうかしていたと思う程のスパイシーな香りに鼻を摘まむ。

 おまけに目まで痛くなってきたと、僕は足元に転がっていた兜を被った。

 いくらかマシでは有るけど臭う物は臭うし、鼻の中から直接カレーの匂いがする。


「言っただろう。私が求めるのは究極的な珍味と絶対的な美味! 君がカレーに魅了されて我を忘れていたのは好都合だったよ。礼を言わせてもらおうハルオ君……」


 僕はただ、カレーと言う料理をあの場に居た人に振る舞って、ひと時のお洒落スローライフを堪能したかっただけなのに、いつの間にかカレーに熱を入れ込んでいた。


 ついでに言うと、イディアさんから一目置かれたかった。 

我を忘れる程のこの魔性こそ、法王庁が黒い血煮込みを禁忌とする所以だったのだろう。


「後は『コレ』を入れれば、究極のカレーライスが完成する……!」


 そう言い、バアルが徐に取り出したのは……味噌の様な物。

 いったいカレーに味噌なんて何を企んでいるのだろうか……?


「……貴様、何をしでかしているのか解っているのか?」

「おえぇ……マジですかぁ。最悪ですぅ……」


 僕が呆気にとられていると、怒りを顕わにしたヴァネッサが歯を食いしばり、反してメルダがドン引きと言った表情を浮かべていた。


 悪魔達を狼狽えさせる程の味噌……あれは……?


「ほんっと何考えてるんですかぁっ!? このス〇トロ野郎!」


 疑問に思っていると、メルダがとんでもない事を叫んだ。

 え? まさかあの味噌……? おまけに素手で……あの人マジか。


「ス〇トロ……? この私の高尚な趣味をス〇トロ呼ばわりだと!?」

「ああ、クソ食ってる奴の他に何と呼称すればいい? このス〇トロ野郎め」


 ヴァネッサが追撃する如くバアルへ罵倒した。

 この悪魔等……頼むからこれ以上喋らないで欲しいと僕が思っていると……。


 ――突如、突風が巻き起こる。


「貴様等、この私をス〇トロ呼ばわりした事、地獄の底で後悔させてやろう……!」

「っく……小癪な!」

「もぉ、折角髪をセットした所なのにぃ……ですぅ……」


 僕は未だ巻き起こっている突風に目を細めていると、貴族の出で立ちをしていたバアルの背から、昆虫の様な巨大で透明な羽が出現していた。


「我が名はバアル=ベルビュー=ゼブル……! 《暴食》を司る大悪魔なりっ!」


 バアルが絶叫すると、不思議と風が止む。

 どうやら……彼は悪魔だったらしいと、僕はワナワナと手を震わせていた。


「友達……友達だと思ったのに……! また悪魔だよ!?」


 もはや、僕は落胆を通り越して憤りを感じて叫ぶ。

 異世界お洒落スローライフをカレーライフに挿げ替えやがって、この悪魔……!


「……そのクソと食に関する異常な執着……やはり貴様か、ベルゼビュー」

「やはりベルゼビューさんでしたね……はぁ……」


 僕が憤りを感じている反面で、我が家の悪魔共は酷く肩を落としていた。


「……えっ」


 恐ろしくも派手めに正体を現せたバアルが硬直する。

 悪魔と言う位だから、知り合いであっても可笑しくはないとは思うけど……。


「こいつはベルゼビュー。暴食を司る地獄の首領で蝿だ。因みに好物は糞尿のド変態」

「全く何処から拾ってきたですぅ……? クーリングオフってできますぅ?」


 淡々と話す二人に、ベルゼビューと呼ばれたバアルは肩を震わせていた。

 その頃には僕の憤りも嘘みたいに消え、返って当惑していた。


「この小娘達の落ち着き様は……? わ、私はベルゼビューだぞ!」

「はいはい。我が眷属にちょっかい出すとは、何処の小悪魔かと思ったが……後は好きにやれ、全く……いいか? クソは入れるなよ」

「あいつはあまり相手にしない方がいいですよぅ。しばらく出かけるですぅ」


 すると、ヴァネッサとメルダは何事も無く台所を後にしていく。

 取り残されたのはザイガスに変身した僕と、自称大悪魔のバアルさん。

 ヤバイ人と言うのは我が家の大悪魔二人からも太鼓判らしいけど、二人の反応を見るに非常にめんどくさそうな感じだった。


「……え? ……えっ?」


 バアルは困惑した様子で僕とこの場を後にする二人の背を、忙しく交互に視線を移していた。派手な登場をしておきながら、急に冷めた態度を取られたバアルを見てると、逆に可哀想そうに思えたので、僕は二人の素性を説明する事にする。


「……あ、えっと……あの黒髪の暴力的な人が、ヴァネッサ=サタニック何とかさんで、隣にいる薄い紫色の髪の人が、メルダ=アスモディエスなんちゃらさんです……。ひょっとしてお友達か何かでした……?」


「……えっ。今、何と……?」

「えーっと……あっちの黒い髪の暴力的な人が……」


 酷く動揺するバアルに同情し、僕がもう一度優しく説明しようとした。


――――――時だった。



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