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ダンパの街に入る正門付近に、転移装置なる巨大なクリスタルは存在する。
此処へ来る際に僕も利用したのだが、その巨大な青白いクリスタルはどういう訳が重力に反して常に浮いており、そしてどういう訳か行先を指定すれば瞬時にその場所に転移することが出来るという。
「いらっしゃい、何処まで?」
「えと、王都ララティまでお願いします。大人一人で」
「よい旅を」
そんな転移クリスタル間所の、やる気の無さそうな管理人に札を貰って門をくぐる。
駆け出し冒険者の街ダンパでは転移クリスタルの利用者はそう多くない。
たまに故郷や古巣を懐かしむ冒険者や、商業に訪れる人物等が度々利用するくらいだ。
証拠に、僕以外の人は見当たらなかった。
「えーと、札に行先を書いて……後はクリスタルに触れて行先を叫ぶ……と」
真昼間だと言うのに幻想的な淡い光を放つクリスタルに触れ、僕は深呼吸する。
「な、なんか一回は利用した事あるけど、緊張してきた」
初めての大都会に胸を膨らませながらも、妙な緊張で心臓が高鳴って行く。
「よし……!」
呼吸を整え、僕は行先を告げようと息を大きく吸い込んだ……時だった。
「もし、そこの青年。少しよろしいですかな?」
唐突に誰かから肩を掴まれ、思いっきりむせ返る。
「オウトラビュアブホフッ!? ボッフ!?」
思いっきり噛んで、思いっきり驚いて、謎の呪文の様な言葉を咽返りと共に吐きながら声を掛けて来た人物を確認すべく僕が振り返ると、そこに立っていたのは端整な顔立ちをした品の良さそうな男性だった。
「失礼、急にお呼び立てして申し訳ない」
「あっいえ、何かご用ですか?」
パっと見、まだ僕と同じくらいの青年が短いブロンドの髪を揺らしながら、かしこまった様子で会釈していた。
ダンパや、ましてや前線基地でも珍しい風貌と身形はまさに王子様……。と呼称するに相応しい出で立ちをしていて、その振る舞いからも育ちの良さが滲み出ていた。
「先程ララティからこの街に転移してきましてね、ここに住まう者へ少し尋ねたい事があるのだけど、お時間よろしいですかな?」
「ええ、何か? 僕が応えれるとは思いませんけど……」
「そんな難しい事ではなく、少し風の噂を聞いたものでね……」
翡翠の様に澄んではいるが、何処か水底の様な雰囲気を醸し出す目を僕に向けると、その貴族見たいな人は曲げていた背筋を真っ直ぐと伸ばした。
「この街で、幼女で出汁にとった野菜スープがあ」
「知りません」
……即答した。そんな覚えのない不名誉な噂がそこまで流出してる事は置いといて、多分関わっちゃいけないタイプの変態だと思った僕は即答せざる負えなかった。
「随分と早い返答をありがとう。その様子だと何か知っていると見たが?」
「いや、だから知りませんって、急いでるので失礼しま――」
「待ちたまえ」
転移クリスタルに触れようと僕が伸ばした手を、その男はガッチリと掴み上げる。
「まぁまぁ、少し話をしようじゃないか」
「話す事なんて無いので離してくださいよ!? イダダダダダッ!?」
「私はバアル。各地の珍味を求めて旅をしている者。此度、幼女で出汁を取った野菜スープがこのダンパに有ると耳にして脚を運んだ次第でね、本当に何も知らないかい?」
手を振り解こうにも、痛い程の膂力で僕の腕をギリギリと掴む男バアルは淡々と聞いてもいない自己紹介を始めていた。
多分、ヤバい人だと思う。
「ほ、本当に知りませんからっ!?」
「そうか、残念だ」
フッと掴まれていた腕が解かれ、僕はバランスを崩しそうになりながらも体制を立て直すと、未だ疼痛の残る腕をプラプラと揺らす。
行き成り尋ねて来て何様だこいつは……!
「やはり眉唾か……? しかし幼女で出汁を取るとは実に興味深い……」
僕の苛つきも裏腹、バアルは何か考えた様子で項垂れながらブツブツと呟いている。
こうなるといよいよ本格的に、僕の中でヤバイ人から危ない人に進化した。
「これは黒い血煮込み以来の興味深さだ。ふむ……また作るしかないのだろうか」
ん? 今なんて? 確かにバアルは黒い血煮込みの名を独白したような……。
「ああ、足止めてしてすまないね。それでは良い旅を」
「すみません、その……黒い血煮込みをご存じなんですか?」
危ない人だろうが、そうも言ってられない僕はバアルへ向けて尋ねる。
「ん? その名を知っているという事は、君も中々通のようだね?」
「まぁ……、実はそのレシピ本を求めてララティへ行く途中だったんです」
「ほう? すると……君が欲しているのはこの本の事かな?」
バアルが徐に懐から取り出したのは、一冊の色あせた本だった。
こうなるとヤバイ人でも、突如闇の中に差した一筋の光明にも見える。
「あのっ……よろしければその本売ってくれませんか!? お金ならいくらでも……」
ワナワナと僕は身振り手振りでバアルへ交渉する。
貯金を崩すのは致し方ないにしても、今の僕にはそれくらいの価値が十分にある。
「フフッ? お金? 金等に興味はないよ。私が求めるのは究極的な珍味と絶対的な美味さ、もし、君が幼女の野菜煮込みなる情報を知ってるなら、話は別だが?」
「うっ…………」
……これはもう、再びヴァネッサを煮込むしかないのだろうか。
いや、今度こそ絶対殺される気がする。
そもそも見てくれで言えばヴァネッサは14歳程、全然幼女じゃない。
ていうか煮込んで無いし、その情報を認めたら負けなきがした。
「この本はね、世界にまたとない一品でね……」
前言を撤回する、僕は負けで良い。
「……ぼ、僕は幼女の野菜煮込みを食した事があります」
「ほう? 続けたまへ」
何の勝負かは置いておいて、もうこの際負けた方が幸せだと思う事にする。
「ただし此方も条件が有ります。バアルさんが持ってる黒い血煮込みのレシピ本を、一度だけで良いので拝見させてください」
「良いだろう。お先にどうぞ?」
すると躊躇う様子もなく僕に本を差し出すバアルは、薄っすらと不気味な笑みを浮かべている。そんな薄ら笑みに警戒しながらも、受け取った僕はページを開いた。
「大変貴重な物だからね、余り粗末に扱わないでくれよ?」
そんなバアルの小言が耳に入る余地も無く、僕は受け取ったレシピ本の中身に視線が釘付けになっていた。
「え……? これ…………」
驚愕する僕を後目に、バアルが本へと顔を覗かせる。
「ああ、この本の半分は見たことも無い文字で書かれていてね。恐らく後々に共通言語が書き足されたのだろうね。見たまえ、紙の色味が前半と後半で違うだろう?」
【~簡単! 異世界カレーの作り方~】
そう、それは正しく僕が元の世界で良く知った文字だった。
漢字とカタカナにひらがな……間違いない、日本語だ。
「どうかしたかね?」
「あ、ああ……」
此処で下手に出てしまえばこの変態紳士によって何をされるか分かったもんじゃないと、僕はあえて共通言語と言う異世界文字で書かれたページをめくった。
前々から不思議ではあったのだが、この世界に降りてきて自然とこの人達の話す言葉や表記される文字が、何処で学んだ訳でもなくスラスラと読み書きができる。
一応、曲がりなりにも僕は転生したとの事だし、そう言う世界なんだろうと思っていけど、僕はこの世界で初めて見る日本語文字に驚きを隠せなかった。
だとすると……これは他の転生者と呼ばれる人が残した物に違いない。
「良い物だろう? これはある日の旅商から買い付けたのだが、他にも様々なレシピが乗っていてね。私はもう大方食べつくしたのだが、どれも素晴らしい物だったよ」
恍惚とした表情と抑揚でバアルはそう言った。
確かに、異世界の文字で書かれたページには【異世界カツ丼】とか【異世界ラーメン】とか【異世界チーズ牛丼】とか、見覚えのある料理の枚挙にいとまがない。
「…………ん?」
そんな折、日本語で書かれたページと異世界文字で書かれたページの齟齬を発見した。
それは丁度、黒い血煮込みと異世界カレーのページだった。
他にも細かに観れば食い違う点が度々あるのだが、カレーの部分だけは特に著しい。
「さぁ、そろそろ幼女の野菜煮込みに関する情報を教えて頂こうか?」
冊子を取り上げようと、バアルが上から手を伸ばす。
他のページに気を取られ過ぎて、重要な内容が入ってきていない。
ならばと、僕は苦肉ながら賭けに出る事にした。
「バアルさん、貴方……本物の黒い血煮込みを食べた事ありませんね?」
ピタリと、バアルが本を引き下げようとしていた手が止まる。
「……今、なんと?」
心なしか、冊子の上部分を掴んでいるバアルの手がプルプルと震えている。
美食家たるもの、紛い物と言われて相当悔しいのだろう。
それを見て確信した僕は、有る事を打ち明ける事にした。
「この本に掛かれている黒い血煮込みはインドカレー! しかし、もう片方に掛かれているのは紛れも無い日本のカレーライスなんです!」
「なっ、なんだって―――――!?」
驚愕した様子で身体を仰け反らせ、バアルはワナワナと慄いていた。
「……して、インドと日本とは?」
当然来ると分かっていた質問だけど、面倒なので受け流すことにする。
「まぁ、外国ですね。ともかく、僕の父は考古学者でして、一部ならこの文字を解読することが可能です、つまり、僕ならこの日本のカレーライスを再現できるでしょう!」
自分で言っておいてなんだけど、悪魔共と暮らしてるせいか、それともザイガスとして日々ハッタリの上を生きてるせいか、嘘が上手くなった気がする。
…………少々解せないけど致し方ない。
「青年、是非協力してはくれないだろうか!」
「ええ、此方こそ。最高のカレーライスを作りましょう」
「改めて私の名はバアル=ベルゼビュー=ゼブルだ。君の名は?」
「僕はハルオです、よろしくバアルさん!」
しめしめと、幼女の野菜煮込みの話題をずらしつつ、おまけに黒い血煮込みの情報を仕入れる事が出来た僕は、一週間後の試食会に向け、密かに心を躍らせていた。




