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「おはよう」
それは、朝の日課であるお洒落な一時を終え、メルダとリビングに居る時だった。
「……おはようございます」
「あ、ヴァネッサ様ぁ! 今日も麗しゅうございますぅ!」
……最近、というのも此処二日程だけど、ヴァネッサの様子がとてもおかしい。
妙に白々しいと言うか……何と言うか……。
ひょっとして魔王本来の力を取り戻しつつあるのだろうかと、いつも通り不機嫌そうなヴァネッサが食卓に座るまでの終始を僕は唖然と眺めていた。
「地獄の亡者が活気立っておる。早急に贄を用意し、鎮静の祝福を」
「今日はベーコンエッグですよぉ~」
当たり前の様にメルダが朝食をヴァネッサの前へ置くと、無言で食事を始めている。
魔族言葉か何かなんだろう、とても不気味だから止めて頂きたい。
「何用か、堕天し我が眷属よ」
「…………いや、何にも無いです」
僕がそう答えると、ヴァネッサは表情一つ崩さずに朝食を再び頬張る。
堕天もしてないし眷属になった覚えも無いけれど、何処か凄味を感じさせるヴァネッサの睥睨に尻込みしながらも、僕はメルダに小声で尋ねる事にした。
「あの……どうしちゃったんですか?」
「何がですぅ?」
本当に何のことか分からないと言った様子でメルダは僕に尋ね返す。
確かに、本来のヴァネッサを知っているメルダからすれば、これが当たり前なのかもしれないと僕は落胆した。
「再び相まみえる時は満ちた。惰眠と怠惰の安らぎと、一時の夢幻を」
「はーい。おやすみなさいですよぉう」
僕が落胆していると、食事を終えたヴァネッサはまた意味深な事を呟きながら寝室に戻って行く。恐らく二度寝だろうけど、普通に言えないのかこの娘は。
「あの、ヴァネッサさんはいつもああなんですか?」
「ええ、結構成長なされましたからねぇ~恐らくそう言う時期なのですぅ」
「そう言う、時期ですか……?」
「ですぅ」
あれから僕は変わらず危険視討伐クエストに行かされていて、僕の嫌々ながらの討伐のおかげか、最近のヴァネッサは見た目的に14歳くらいにまで成長していた。
きっと、彼女が魔王としての自身を取り戻しつつ有るのかもしれない。
証拠に最近は妙によそよそしいと言うか、近寄り難い雰囲気というか……。
「女の子はあれくらいの歳になると第二次成長期に入って、それはもう火薬の様に取扱注意の一番多感なお年頃なんですよぅ。成長している証拠ですぅ」
「……は?」
ヴァネッサがここ最近おかしい理由は、それはとてもシンプルな理由だった。
そりゃ僕にもそんな時期が無かったと言えば嘘になるけども。
「盗んだ馬で走り出したり、意味も無く窓を叩き割りたくなるお年頃なんですぅ」
それでいいのか魔王様……悪魔とは言え、随分と人間臭さの方が増してきた気もする。
「ああ、はい……理由は分かりました」
詰まる所、ヴァネッサ様は厨二病を患ってしまったらしい。
それも、とっても面倒くさいタイプの。
「そもそも気になったんですけど、一体どういう仕組みで成長してるんですか?」
僕が忌々しくも暗黒騎士ザイガスとして活動を始めて、駆け出しの街とは言え、危険視されるモンスターを恐らく数十体以上は狩ってきた。
今まであまり気にしなかったけど、どういう原理でヴァネッサは成長しているのだろうと、ふと疑問に思ってのメルダへの質問だった。
「なんでそんな事私が教えなきゃならないんですぅ?」
「そこをお願いしますよ、聡明で可憐なメルダさん……!」
「しょ、しょうがないですぅ~くふふ」
この悪魔共と約一ヶ月、一つ屋根の生活を送ってようやく扱い方も分かってきた。
メルダは悪魔的性質とやらで、敬意をもって下手に出れば色々な事を教えてくれる。
ある意味一番ちょろいのかもしれない。
「本来生命とは、加齢によってその記憶を魂に刻んでいくんですぅ。ハルオさんみたいな脳味噌小石野郎にも分かりやすく説明すると、10歳のモンスターを倒したら10歳分の魂を吸収すると言った所ですねぇ」
さらっと悪口を混ぜて説明するメルダの話は、とても途方の無い物だった。
というより、アレだけモンスターを狩って未だ14歳くらいの容姿であるヴァネッサは一体いくつなんだとも、同時に気がかりになった。
「私がヴァネッサ様を最期に見たときは5000歳程でしたからねぇ、容姿が止まる2500歳程度を全盛期と仮定すれば、ざっと計算すると100歳分の魂を吸収して、やっと一歳加齢するって仕組みですぅ。後残り1000歳分、せめてほぼ成長しきるまで400歳分、せいぜい頑張るがいいですぅ」
人間の歳に桁二つ足したような成長具合に増々気が遠くなる。
それより今まで1400歳分のモンスターを狩ってきた事にも驚いたけど、一向に僕のレベルは1のままである。けど、前向きに考えれば後400歳程度、つまり18歳。
もうとっくに折り返しは迎えていて、後数十体狩り殺してヴァネッサを成長させ、悪魔共を追い出せると考えたら、ある意味希望の様な物も見い出せてきた。
ならさっさと成長させて、とっとと追い出してやろうとも思ったが……。
「それともう一つお聞きしたい事が……」
……今の僕は、それどころじゃなかった。
「何度聞いても無駄ですよぅ。黒い血煮込みなる料理は聞いた事ないですぅ」
「ですよね……」
あの日、口から出まかせで発言した黒い血煮込み……通称カレーの情報を二週間経った今でも、僕は何一つ手掛かりを掴めずにいた。
ヴァネッサが厨二病を患う前も一度尋ねてみたが、「知るか」と一蹴される始末。
悪魔に亀の甲より年の劫と言う言葉は通用しなかった。
そもそも悪魔に期待した僕が馬鹿だったのかもしれない。
「にしても、一体何企んでるですぅ?」
「いや……ただの思い付きで、どんな味してるのかなーって……」
イディアさんとロイド、そしてそのお店にいた客達の前で黒い血煮込みを振る舞うと豪語してから二週間が経つ、つまり後一週間しか猶予がない。
カレーの手掛かりが掴めてないとしても、黒い血煮込みの試食会がこの悪魔共にバレる事だけは何が何でも阻止しなきゃならないと強く思う。
「まぁ、ザイガスであるハルオさんならまだしも、私もそこまでプライヴェートに干渉する事はしないのでぇ。ヴァネッサ様は知りませんけど~」
意外とその辺の常識はわきまえているメルダは、流石転生32週目と言った所だろう。
問題はヴァネッサが介入した場合、僕がザイガスで有る事も、間接的にザイガス信者達が勝手に暴走して怪我人が増えているという事実も、イディアさんが知る事になるかもしれないという事。
……そうなったら本当におしまいだ。
「少なくとも、ヴァネッサ様が成長するまで逃げ出そうとか、暗黒騎士を止めたいなんて思わない事ですぅ。文字通り地獄の底まで追い詰めてみせますからねぇ。くふふぅ」
心なしかメルダの邪悪な笑みが向けられる。
それはまるで、僕を見透かしたような眼差しだった。
◇
僕の夢は、お洒落な異世界スローライフを送りながら白魔術師としてそこそこ活動し、チヤホヤされながら色々な人の病気や怪我を癒やして、幸せに暮らす事である。
何もわざわざ異世界に降り立って、狂信的で頭の可笑しいザイガス信者達の前で過激なパフォーマンスを見せつける為でもないし、魔王を復活させる為でもない。
ましてや、カレーを作る為に異世界に降り立った訳でもない。
「ここの古書店もダメかぁ……」
ダンパ商業地区の一画に位置する古臭いカビの香りが漂う古書店から、僕は肩を落としながら退店していた。
これでダンパにある書物を取り扱う店は、大方回り尽くしてしまった。
さしては僕の異世界でお洒落ながらウキウキとした心躍るスローライフを送る為には、魔王をさっさと復活させるのも、カレーを作るのも重要な事なのだ。
どちらかと言うと、カレーを作り上げる事が今の僕にとって最重要な工程だと思う。
その為、僕はそれっぽいレシピ本を探すのに書店を右往左往しているのだが……。
はたして僕は一体何をやってるんだろう……。
いやもう、何処で間違ったと言えば最初っからになる。
そもそも何故、女神様は現魔王軍とドンパチやってる前線基地なる場所に僕を降り立たせたのかと言う疑問に落ち着くが、そこはもう、考えても無駄なのででやめる事にした。
だって、そこに居なければイディアさんと出会う事も無かったのだから。
「あれ、ハルオ君じゃん。どうしたの? 思いつめた顔して?」
書店を出て直ぐだった。
今日も相変わらず麗しいイディアさんは奇遇と言った表情を浮かべ、僕に歩み寄る。
今の僕にとってせめてもの心の支えである彼女は、今日も優しく微笑んでいた。
狭い街とは言えこんな所でばったり会うのは運命すら感じてしまう。
「ああ、一週間後の黒い血煮込みの事について色々と考えてました」
「準備が掛かるって言ってたけど、進展はどう?」
「ぼちぼちって所ですかね……食材調達が難しいと言うかぁ……」
「あっ、そうだ《ララティ》なら大都会だし、色々な食材があるかもよ?」
王都ララティ……この国の王が座す一番の大都市と話には聞いた事がある。
確かにイディアさんの言う通り、ダンパに固執しすぎていたのかもしれない。
「そう……ですね、ちょっと行ってみる事にします!」
「本当は私も一緒に行ってあげたいけど仕事が立て込んでて、ごめんね」
「いやいや、お気持ちだけでも十分嬉しいし、頑張れますっ!」
この国一の都会なら、ダンパとは比にならない程の書物屋があるだろう。
それこそ色々な事が落ち着いたら、何時かイディアさんと都会デートを決め込みたい。
ならば、絶対に彼女の期待を裏切らないよう尽力せねば。
「そういえばハルオ君さ、ザイガスって言う暗黒騎士の事知ってる……?」
僕が意気込んでいると、イディアさんがそんな事を訪ねてきたので心音が跳ね上がる。
「いや……ぁっ、知りませんねぇ……。何ですかその危なそうな人……?」
「なんかね、怪我する人の殆どが嬉しそうに話すの、ザイガスさんは~とか、ザイガスさんなら~とか、ひょっとして怪我人が増えてる事と理由があるんじゃないかって、私とハルオ君みたいに前線基地から来たらしいけど……」
「ごめんなさい、ちょっと僕には分からないですねぇ……ハハハハッ……」
僕のせいでがっつり生態系を狂わせた結果、危険視されるモンスターが森の奥から降りてきて一部の冒険者達が混沌化してるなんて言えない。
なんなら昨日も狼の群れをヴァネッサに言われるままひき肉にしたなんて言えない。
そしてザイガス信者達の間で無謀な挑戦が行われてるなんて絶対に言えないっ!
「そうだよねぇ……ごめんね、ありがと」
一瞬難しそうな表情を浮かべると、イディアさんは直ぐにいつも通りの朗らかな表情を浮かべて、僕へとはにかんだ。
「こちらこそ、すいません……その、お力になれず」
それと同時に、僕の心音も安堵を感じながら静かに元へ戻って行く。
けれども、何とも言い難い後味の悪さが根深く残る。
ひょっとすると……イディアさんは、もう何か知っているのでは?
そう思うと、焦燥感が込み上げて僕の額を脂汗がしっとりと濡らしていく。
「じゃあ仕事も有るし、行くねっ」
「はい、頑張ってくださいね、応援してます……!」
颯爽と踵を返すイディアさんの青い髪が揺れると、とてもいい香りがした。
そして数歩先を駆けて行くと、唐突に振り返り、
「ハルオくーん来週楽しみにしてるからねー!」
と、嬉しそうに声を大にしていた。
多分、その様子から見るにバレてないと思いたい……。




