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――――三週間程前の話。
それはメルダがこの家に転がり込んできた翌日、夕食を終えた自宅での出来事。
テーブルに向かい合ったメルダとヴァネッサは、何かの熱弁を始めていたのだ。
「成程、我々悪魔は人々の魂や負の感情で力や快楽を得るが、そこは盲点であったぞ」
「はいですぅ。これからは『信仰』と『知名度』の時代ですぅ! 神族と同じように人々の信仰心をエネルギー源にすれば、あの憎き神族共や勇者をメタクソにできるはずですぅっ! それにヴァネッサ様のお力も取り戻すことが出来て一挙両得ですぅ!」
何だかこの悪魔達、良からぬことを企んでいると僕は会話に入らず無視する事にした。
のだけど……。
「私達悪魔が表立って活動すれば神族共は無駄に鼻が良いですからねぇ。すーぐ嗅ぎ付けて勝手な正義感をごり押ししてきますから、そこはハルオさんをうまく使いますぅ」
「それは良い考えだ。見事であるぞメルダ。よしよししてやろう」
「くふっ。くふふふふぅ!」
とてつもない悪寒が、あえて背を向けていた僕の背筋を全力疾走して行った。
「と、いう訳だハルオ。頼んだぞ」
「嫌ですからね」
……どういう訳だと、僕は条件反射で即答した。
どうせよからぬ事に決まってる。
「んー、そろそろですぅ?」
僕が決意を硬くしていると、突然メルダが突拍子もない事を言いだした。
そろそろって何の話だろ……う…………か?
「あれ……なんだろう……。滅茶苦茶眠い……?」
急に頭がぼんやりしてきた。まだまだ寝る時間には早すぎる気が…………。
「モンスター捕獲用眠り薬ですぅ。行きつけの道具店で仕入れて見ましたぁ」
「明日が楽しみだな。ふはははは!」
――――チキショウ盛りやがったな!?
てな事も言えないまま、僕は落ちる様にして意識を失った。
◇
「ハルオ。起きろ、そろそろ出番だぞ」
「…………、う…………んん…………」
次に僕が目を覚ますと、妙な圧迫感と身体を包み込むような閉鎖的感覚。
その感覚のせいか、何より目を開けて直ぐに飛び込んで来た視界の悪さのせいか、意識は直ぐにはっきりとした。
「…………は?」
そう、この視界に縦線が入る閉鎖的な感じは兜のバイザーだ。
いつの間にか甲冑を着せられた僕は、何処とも分らぬ場所で目を覚ましたのだ。
「ハルオよ、早く構えろ。来るぞ」
ご丁寧に手に握らされてた大剣ヴァネッサが、困惑する僕に説明も無しに注げると、
――――ズンッ。――――ズンッ。
と、妙に規則的な地響きが伝い、寝そべった僕の身体を揺らし始める。
「――――きゃあああああ! 助けてえええええ!」
「――――くそっ! こんな所に出現するなんて聞いてないぞ!」
「――――早く逃げろ! 今の俺達じゃ無理だっ!」
バキバキと木製の何かをへし折るような騒音と共に男女の悲鳴が響いて来る。
その只ならぬ様子に驚き、僕は急いで体勢を立て直した。
「えっ? えっ? なっななな、なんですかぁ!?」
新手の寝起きドッキリにしては質が悪すぎる思いつつ、僕はへっぴり腰に大剣を構えつつ周囲を見渡し……そこで初めて僕は、自身が森の中で目を覚ました事を知る。
「――――こっちですぅ! 早く!」
そんな男女の叫喚に混じって、酷く聞き覚えのある特徴的な声口調が聞こえてきた。
そして……ガサガサと草花を掻き分ける音が段々近づいてくると……。
「「「――――あっ!? 貴方はっ!?――――」」」
四人の冒険者達が草木を掻き分けて僕の目の前に飛び込んで来た。
双斧を担いだ男と、槍を手にした女性と、中でも比較的軽装備の男。
それと遅れて……いたずらに微笑む白魔術師が瞬時に表情を変え、口を開く。
「暗黒騎士様ぁ!? よかったぁ……これで助かったですぅ!」
……なんか妙に芝居臭くないだろうかこの悪魔女。
「あっ……暗黒騎士さん! まさかこんな所に!」
「暗黒騎士様!? ど、どうか私達をお助け下さい!」
「し、死ぬかと思った……」
そして、そんなメルダの仰々しい掛け声を筆頭に他の冒険者達も口を切り始めた。
全く状況が読めないが、切迫した様子で冒険者達は息を荒くしている。
そんな恐慌した冒険者達の後ろで、メルダは此方に向かってグッドラックと親指を立てているのが見え、僕はとーーーーっても嫌な予感がしていた。
『ではハルオ。行こうか』
そして何故か珍しく、直接脳内に響く様なヴァネッサの声。
まだ若干寝ぼけ頭の僕でも直ぐに理解できた。
全部こいつらの計画か…………!
「――――グウウウウォォォオオオオオンンン――――」
考える間もなく、体長3メートルは優に超えるモンスターがバキバキと木々を踏みつけなぎ倒し、僕達の前に現れて咆哮を奮わせる。
手には大木のような棍棒を握り、醜悪で肉塊のような見た目……。
「ヒィっ! 暗黒騎士様! どうかお助けをっ!?」
「お、俺達で出来る事は何でもサポートいたしますっ!」
「トロールの特別討伐の報酬金だって全て差し上げますので、どうか……!」
え、無理なんですけど。というかさっきから手の震えが止まらない。
『ハルオよ、奴はトロールだ。動きが鈍い唐変木で、おまけに馬鹿と来た。見た目の割に弱っちいから大丈夫だ。一回殴るだけでよいぞ?』
「グウウウォォォォォオオオオオオォォン!!」
僕達を見つけて興奮したのか、トロールはだらしなく空いた口から唾液の飛沫をまき散らしながら、手に持った棍棒で辺りの木々を殴り倒していく。
え? これの何処か弱っちいって?
「無理無理無理!? 絶対無理ぃいぃ!?」
「「「えっ?」」」
『アッ馬鹿! こやつ今後に及んで……!』
僕は今すぐ逃げようと、トロールに背を向けて全力で走り出したっ。
「――えっ、暗黒騎士様……?」
「――まさか逃げ……?」
「……ち、違いますぅ! あれは距離を取ってるんですぅ!」
そんな事言ったって無理なもんは無理だと、僕は足取りを止めず……。
『全く、手の焼ける奴だ……!』
大剣を持ったままシャカリキに成って走っている時だった。
『のびーるぞ! 我!』
「――――はっ!?」
剣柄が突然、勢いよく地面に向かって伸びた―――――!?
「ああああああああああああああああああああ!?」
――――その衝撃で僕は仰け反りながら宙を浮き――――。
――――高速回転しながら真後ろに飛んでいく――――!?
「とっとっとっとっととめてええええええ!?」
『ふはははははは! そのまま飛んでいけっ!』
「グウウウォオォォォオオオオオオォアオアアアアアアン!?」
恐らく、僕はそのままトロールにぶち当たったんだろう。
甲冑の中はいつの間にか、緑色の体液まみれになっていた。
「――で、出た! あれは暗黒騎士様の《ダークネス・デスロール》ですぅ!」
「――これが前線基地の実力……」
そのまま高速回転を続ける僕は、トロールを肉片になるまで細切れにしたらしい。
………回転が止んだ後、僕はトロールの肉塊の元に落下していた。
「暗黒騎士様……! この度は助けていただきありがとうございました!」
「同じ戦士職として、俺もいつか貴方のような男になりますっ!」
「《ダークネス・デスロール》……しかとこの目に焼き付けました!」
そんなトロールの臓腑と体液に塗れた僕の元へ駆け寄った冒険者達が、目を爛々と輝かせながら歓喜の声を上げていた。
「い、いや……ちが……」
「流石暗黒騎士様ですぅ! あの凶悪モンスターであるトロールを一瞬で!」
有無を言わさぬ様子のメルダが眼力アイコンタクト。
……僕は取り合えず黙る事にした。
「暗黒騎士様……今頃貴方が居なければ僕達はやられてました」
「ここ最近、森の小型モンスターが減ったせいで凶悪なモンスターと良く鉢合わせる事も多くて……でもクエストを受けないと俺達は食べていけないし……」
「森の様子がおかしいんです……! 暗黒騎士様は何かご存じありませんか?」
何か訳ありの様子で戦士の男と軽装の男は首を垂れ、槍を背に携えた女冒険者は下がり眉で僕に訊ねてきた。確かにここ最近、簡単なクエストが減っているような……。
「しょうがないですぅ。あの日……そう、それは二週間程前のことですぅ……」
そんな冒険者の問いに何故かメルダが割って入ってきた。
この時点で嫌な予感がする……。
「……あの日の夜、暗黒騎士様は森の中で《大亡霊モヤッシ》と死闘を繰り広げられていたのを、私実は見ておりましたぁ。そこでかの化物を永遠に葬る為に《ダークネス・ノイズ》なる魔結界を生じさせ、それに耐えきれないモンスターや小型動物達は、それ以降森に近寄らなくなってしまい生態系のバランスが崩れたのですよぅ……。その尻ぬぐいの為、暗黒騎士様は森の中で独り、危険モンスターを根絶やしにすべく、孤軍奮闘を続けられているのを私は知っていますですぅ。ですよね? 暗黒騎士様!?」
いや、全く身に覚えがないし、収拾つかない話になってないだろうか?
「な、なんてお方だ……! 自分の責任は自分でしっかり拭うなんて!」
「これぞ男の中の男! どうりで最近目撃例を見ないと思っていたら、お一人で延々と森の中で戦ってらっしゃったなんて!」
「私達も負けてられません! 暗黒騎士様の意志をしっかりとお繋げいたします!」
やっぱもう収拾つかなくなってる。
それにメルダが不敵な笑みを浮かべてグッドラック……。
……じゃないっ! こいつら僕に暗黒騎士の道を着々と歩ませるつもりだ!?
『おいハルオ。なんか一言だけ喋るのだ。いんぱくとが大事であるぞ』
ふとヴァネッサが自己アピールをしろと仰った。
喋るも何も僕はこんな事したくてやった訳じゃ……。
「暗黒騎士様!」「暗黒騎士様ぁ!」「暗黒騎士様!」
……断れる雰囲気じゃない。
何より勘違いしていると言っても、目を輝かせた冒険者達を目前に僕は……。
何故かテンションが上がっていた。
そうだ。まぐれと言ってもあのトロールを実際に屠ったのは僕なんだと、変な高騰感が歓声に相乗して熱く血潮を奔流させてくる。
「ふんっ……俺はただ血肉を欲するだけだ! さらばっ!」
できるだけ自身で想像する暗黒騎士に成りきって言ってみたが、急に恥ずかしさの方が勝って僕は森の中を駆け抜けて行った。
後ろで歓声が湧き立ち、感謝の事が僕の背中を追いかけて来る。
『いい傲慢具合だ。流石だな』
傲慢は腑に落ちないけど、でも、正義のヒーローみたいで悪くないな、とも思えた。




