12
街から外れた東側の平原。
遠方に見えるだだっ広い丘に囲まれたこの場所は、数々の生物の営みが垣間見える。
駆け出し冒険者ガイドブックによると、ダンパ東平原は比較的穏やかなモンスターが多く、草食動物などが多く群生しているとの事。
話によると《ブラック・タイガー》はそんな草食動物を好んで食べる肉食種。
本来ならば森の奥深くに生息するというのだが、ここ数日の間に人里も近い東平原での目撃が相次いでおり、生態系保護や安全確保の為に討伐命令が出たそうだ。
しかしまぁ……ついつい断れる雰囲気でもないから来てしまったのだけど……。
「あ、見てください。ホーン・ラビットですよ。可愛いですね!」
「ほう。鍋にでもしたら上手そうだな」
そんな平原の一画に位置する大きな水場付近の木陰で、凶悪な二人は小さな角の生えたウサギを指さして、のほほんとピクニックをしている。
正直、僕は狂暴なブラック・タイガーを待つよりも気が気じゃなかった。
「もう、ヴァネッサさんったら食いしん坊ですね」
「早く大きくならねばならんからな」
今は力なき存在と言っても、自由自在に形を変えて大剣にも成れるヴァネッサ。
と、何より……超絶裏表の激しいメルダ。
「ハルオさーん! まだまだ出現する気配がないので、こっちでお茶しませんかぁ?」
当然、あの鎧の中身が僕だと知らない彼女は、胃もたれしそうな作った声で猫を被り、何食わぬ顔で背を向ける僕に声を掛けてくる。
…………一体何が目的なんだ。
「あっ……はい……。お邪魔します……」
僕は目も合わせずに何度も会釈しながら二人の元へ歩み寄る事にした。
とても愛らしい微笑みを浮かべ、お茶を注いだカップをメルダは両手で僕に渡す。
「はい。ハーブティーですよぅ。自家製なんですぅ」
「あっ……。ども……すみません……」
女性二人と討伐対象を待ちながら、平原に住まう小動物達を眺めつつお茶を啜る。
それもメルダが作った自家製のハーブティー。
これこそ僕が想像する異世界お洒落スローライフと言う感じなのだが、下手を打てば僕の正体がバレる起因となりゆる起爆剤ヴァネッサと、超絶性悪女のメルダ。
前門の虎後門の狼とは正にこの事……。
「……どうですか?」
「あ、はい。美味しいデス。トテモ」
まるでジャガイモを掘った直ぐ、それも土が付着したままお湯に浸したような味がするお茶を飲みながら、僕はガチガチと笑顔を張り付けて返答した。
「ふむ。いい香りだ。故郷を思い出す」
「本当ですかぁ? くふふっ。他の冒険者さん達にも好評なんですよっ!」
ヴァネッサに褒められたメルダはとても嬉しそうだった。
一体こいつらはどういう味覚をしているんだと思いつつ、緊張であまり味を感じない内に土味のお茶を一気に流し込む。
「そ、それにしても他の冒険者は居ないんですね。報酬金が少ないとか……?」
味の余韻にも浸りたくない僕は、世間話ついでにメルダへ訪ねた。
すると、この間の印象とは随分違った様子で、優しくメルダは答える。
「ブラック・タイガーはその名の通り狂暴な肉食モンスターですぅ。何も駆け出しの内から危ない思いをして報酬金を手に入れるより、この間見たいなでき高制クエストの方が稼ぐには効率がいいですからねぇ」
「えっ……それって大丈夫なんですか?」
「私なら大丈夫ですぅ! 転職したと言ってもレベル18くらいありますからっ! それに本来なら、周到にアイテムを用意した上で危険視されるモンスター討伐に臨みますから、他の冒険者さん達はまだ準備段階って所なんだと思いますよぅ?」
僕がヴァネッサによる怪奇現象に苛まれていたり、お洒落冒険者ライフの為に賃貸を契約している内に、メルダはあっという間に僕のレベルを追い抜いたらしい。
まぁ追いつくも何もレベル1なんですけど。
「……よ、よく勝手に張り出されたとはいえ僕のパーティーに来ましたね……?」
少しでもメルダの意図を読み取るべく、僕は当たり障りが無いように尋ねた。
色々と意図こそ読めないが、あれだけ人の事を散々言っておいて、今さらどういうつもりだろうかと。
「何でって……あれから一週間近くハルオさんの姿を見なくなったので、お元気にしてるかなって思ってたんですぅ? 今日たまたまお見掛けしたけど直ぐ酒場から居なくなっちゃったので、追いかけてみたんです。丁度ブラック・タイガーも狩りたい所だったので!」
メルダの言葉に心なしか嬉しくなってしまうが、けどこれは仮の姿だと、僕は今一度気を張りなおす。そんな都合のいい事があってたまるか……!
「あ、ああ……。あの時はすみません。勝手に帰っちゃって……」
「んーんー。良いんですぅ。むしろその方が良かったかもしれません」
メルダは首を静かに振ると、しみじみしたような表情で空を眺めていた。
「――あっ! こやつ! 待て! ピョンピョンしよってからに!」
因みに茶を飲み終えたヴァネッサはウサギを追いかけて走り回っている。
ある意味タイミングが良かったのかもしれないと僕は安堵した。
「あの後色々合ったんですよぉ? 私達ね、暗黒騎士さんに遭ったんですぅ。そこで実力の差をハッキリ見せつけられちゃって……ポクルンさんはジャック君を失ったし、グルードさんは慢心していたって、しばらく山籠もりをするそうですぅ」
妙な罪悪感を抱えつつ、僕は彼女の見てくれだけは良い横顔を気まずく見つめていた。
「そんなに凄かったんですか?」
「凄いなんてものじゃありませんでした。あの《ダークネス・ノイズ》の威力は……」
やっぱり全体的に僕のせいだったと、表情に出さない様に奥歯を強く噛み締める。
あながち冒険者達が話す噂話とやらも馬鹿にできないらしい。尾ひれこそ付くけど。
「疑った私も悪かったんですぅ。本当は対した事なんじゃないか。なんて思っちゃって、それでこの結果で……でも夢は諦めたくなくて、未だにこうして暗黒騎士さんを探してるんです。だから、今はこうして白魔術師になっちゃいました。ひょっとしたら暗黒騎士さんは有能な白魔術師を探してるんじゃないかって……」
困ったように、それも照れ隠しの様に笑うメルダはとても可愛らしい。
ひょっとするとあの時見た彼女は嘘だったんじゃないかと思う程に。
「夢……ですか?」
「はい。私ね、早く強くなって、有名冒険者になりたいんですぅ。だから誰よりも早く真っ先にブラック・タイガーを討伐したいと思ってて、それこそ私はダンパから遠く離れた農村の出で、貧しい両親に早く楽をさせてあげたくて……」
なんて……何ていい子なんだろう。
そんな彼女の夢を、僕はちっぽけな復讐心を理由に諦めさせようとしていたんだ。
あんな事があったと言うのに、僕はもう、彼女の事を許していた。
「メルダさんは……暗黒騎士にもう一度会いたいですか?」
「ええ。それはもう。ここの所毎日クエストに出かけて探してますぅ」
もし、暗黒騎士の中身が僕だと知ったらメルダは幻滅するだろうか。
「じ、実は…………」
そもそも信じて貰えないかもしれないし、中身の伴ってない僕が同行した所でもっと幻滅させる事になるだけだ。
「……僕、暗黒騎士さんとお知り合いなんです」
「…………え?」
でも、夢に向かってひた向きに頑張る彼女を、暗黒騎士の姿だけでも見せて激励くらいは出来るかもしれない。
「だから、クエストが終わったら暗黒騎士さんに掛け合ってみますね! 約束です!」
……そう、思っての発言だった。
けど。
「なにを言っとるか。暗黒騎士はお主だろうが」
「――――んんんっ!?」
折角いい雰囲気の所、事切れた角ウサギを口に咥えたヴァネッサが、いつの間にか僕達の前に気配もなく佇んで不思議そうに首を傾げていた。
「えっ? どういう……ことですかぁ……?」
メルダは怪訝に眉を潜め、僕を見つめながら首を傾げている。
……とても不味い状況だ。
「あっそうなんです! 僕あんこすごく好きなんですよ!?」
我ながら無理が有る良い訳だと思いつつ、僕は身振り手振り必死に誤魔化す。
「あんこ? あんこってなんですか?」
「あんこって言うのは僕の国にある黒くて甘い粒々なお菓子の事です! 多分勘違いしちゃったのかな。ヴァネッサちゃ~ん? 今はお菓子の話してないからねぇ~?」
「なんか貴様に馴れ馴れしくちゃん付けで名を呼ばれるとムカつくな?」
「へぇ。それは凄くおいしそうですねぇ!」
よかった、何とか誤魔化せた。早く何とかしてこの話題から逸らさないと……!
「そんな事より早く血を絞れ。どうもこの姿じゃ噛み切れぬのだ」
ヴァネッサが角ウサギを僕の前に乱雑に投げると……。
「――――フンッ!」
「――――――え」
…………事も有ろうか大剣に変身しよったよこの娘。
「ほら、ハルオ。我を手に取れ」
空中で瞬く間に大剣へと姿を変えたヴァネッサは、そのまま落下して深々と地に刺さる。
そんな一連の流れを見ていたメルダは酷く動揺した様子で、目を白黒とさせていた。
「そ、その剣は…………?」
終わった。色々と終わった。さようなら、僕の異世界お洒落スローライフ。
これから僕は賃貸を解約して何処か遠くへ向かおう。
「やはり! 貴女はヴァネッサ=サタニック=エルドラゴン・ハオス様では!?」
と、僕が放心している時だった。
……今、メルダがヴァネッサのフルネームを一言一句違わずに言ったような。
「ん? 何だ小娘。この我を知っておるのか?」
「私です。メルダ=アスモディエス=スコルピオでございますぅ!」
「――――何……? メルダ……? アウモディエスだと!?」
取り乱したような声音でヴァネッサが叫ぶと、瞬時に元の幼女姿へと戻っていた。
ついでに隠していた角を生やして。
「ああ、その雄々しく猛り狂う様な黒角……! 魔王様!」
「あっ……あっ……アスモディエスウウウゥゥゥ!」
ヴァネッサは感極まった様子でメルダの方へ駆け寄ると、一気に彼女の懐へと飛び込んでいった。
「本当に……本当に、あのアスモディエスなのか……?」
「はい……! 魔王様。随分、随分と、お久しゅうございますぅ!」
呆然と立ち尽くす僕を蚊帳の外に、二人は熱い抱擁を交わしている。
何だか知らないけど、元部下か何かだったんだろうか。
「先程のご無礼、どうかお許しくださいませ……」
「良い。こうして無事ならばそれでよい……。しかし何故そのような姿に?」
「それは此方のセリフでございます。その……なんと麗しくも可愛らしい……!」
メルダは赤面し、頬をやすりの如くヴァネッサ頭部に擦り付けていた。
若干擦り付け過ぎて煙が立ってるような気がしなくもない。




