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「改めて、我はヴァネッサ=サタニック=エルドラゴン・ハオスである」


 食欲をそそる様な香りを漂わせながら風呂から上がったヴァネッサは、浴布を小さな体に巻き付けて、こりゃまた偉そうに居間で声を高らかにしていた。

 先程の落ち込みは解消したのだろう、勝手に余っていた牛乳を口元で傾けている。


「気軽にヴァネッサ=サタニック=エルドラゴン・ハオス様と呼ぶがいい」


 口の上に白い泡を付け、ヴァネッサは不敵な笑みを僕へ向けてくる。

 何だかちっこい存在に反した立派な名前だと、僕は嘆息しながら視線を逸らした。


「は、はぁ……。ではバネッタ? トニック? エスカルゴ・バロス様……? 先ずは服を着て頂けないでしょうか……」

「違う! ヴァネッサ=サタニック=エルドラゴン・ハオス様だ! 二度と間違うでないぞ! 貴様なんぞ本来の力が有れば我が手のひらの上でコロコロだと言うのに……」


 淡い期待を寄せながら生贄を与え続けた僕も僕だが、ロリコンの趣味は無いし、尚且つこんな高飛車で高圧的な女性は何とも遠慮したい。

 僕は前線基地のイディアさんみたいな、純情でホワホワっとした女性が好みだ。


「しかし……何故こちらを見ない? 貴様童貞か? それともこんな幼子の身体に……」

「ど、童貞じゃありませんからっ! そんな趣味は僕には有りませんからっ!」

「なに、照れずとも良い。今は小さな身体であるが、力を取り戻して行けば冥界一の美貌と言われた肉体にも戻るであろう」


 ……ちゃんと生贄を与えていたら、ベッピンのお姉さんが出てきたのだろうか。

 でも、もし魔王と言うのが本当なら、結果オーライだったのかもしれない。


「その……力を取り戻すとかどうとかって……取り戻してどうするんですか?」

「それは決まっておろう。あの憎き《転生者》である、偽りの魔王の首を取りに行く」

「……そ、その後は……?」


 僕は恐る恐る尋ねてみる。もし《今の魔王》を《過去の魔王》が倒したら、世界はもっと酷い事になるんじゃないかとの懸念が有ったからだ。


「その後か、奴をくびり殺した暁には……」


 この世界は魔王軍と人間軍の戦争が長くに渡って続き、膠着状態にあるという。

 その事は、前線基地に一年程いた僕には痛い程分かりきっていた。

 あそこでは毎日誰かが死んだ。あそこでは……毎日誰かが泣いていた。

 そして毎日、イディアさんが大変な思いをしながら、平和な世の中を望んでいた。


「くっ……くびり殺した暁には……?」


 僕は固唾を飲む。もし、このまま彼女が力を付け続けてしまったらと思うと、異世界の命運という抽象的な言葉が僕の肩に重苦しく圧し掛かってくる。


 …………ひょっとして僕は、大変な事をしでかしたのかもしれない。


「普通に冥界に帰るぞ」

「……は?」


 拍子抜けして背けていた目を向けると、ヴァネッサは浴布を開けさせていたので急いで踵を返して直立し、再び尋ねてみる。


「あの、冥界に……? 帰るんですか……?」

「うむ。普通に現世の魔族全員連れて帰るぞ」


 人が勝手にどぎまぎしているのを裏腹に、ヴァネッサはキッパリと言い放った。


「いや……なんで?」


 やっぱり何か腑に落ちないのでもう一回尋ねてみた。


「何でも何も……元々、我々魔族は冥界に住まう者達であるし、こうして現世に現れてしまったのも、かの転生者が原因であろう。故に、王としてはこの責任をしっかり取らねばならぬ。恐らくだが、奴を葬れば魔族は皆強制的に魔界へ送還されると我は踏んでおるぞ」


 その言葉を聞いて、僕は感心していた。

 そりゃ見た目はちんちくりんだけども、やっぱりこの人は本物の魔王だったんだ。


「そうですか……大変だろうけどがんばっ――――」

「その為にはハルオの協力が必要不可欠になってくる」

「――――っっっん!? な、なんで僕なんですかぁー……」


「最初に説明したであろう。貴様のせいで今の我は恐らく、人はおろか、小動物さえ殺せぬ程に非力だ。よって、剣として我を振るい、ハルオが発する負の感情や欲をエネルギーとして運用し、より多くの血と魂を我に捧げるのだ。名誉な事であろう?」


 別に僕には世界を救いたい訳じゃないので、流れに任せてお断り申し上げようと思っていたのだが…………ダメだったらしい。


「それに貴様の大罪的感情は類を見ない。特に嫉妬、色欲、傲慢、憤怒……まぁすべてを制する我程ではないが、普通の人間にしておくには勿体ないくらいだ」


 何だか褒められてるのか、それとも貶されてるのか分からなくなってきた。

 僕は自分でもすごく温厚な方だと思っているのに……。


「ま、要するに人間的に言うならば器が小さいって事だな」

「器が小さいって…………」


 イラっとしたが、何だかヴァネッサの見た目が見た目なので変な気持ちになりつつ僕は肩を落とした。

 それこそ正月や盆等、僕の家を訪れた親戚の子供達には散々言われたものだし、特に幼女からの暴言攻撃には抗体があるのだろう。


「それで、どうだ。何ならさっきの話……冥府魔導を目指してみるか? きっとハルオならいい線行くと思うぞ? 魔王様からのお墨付きであるぞ?」


 そういえばそんな事を言っていたような……。


「そもそも冥府魔導ってなんですか? 僕そんな物騒そうなの嫌ですよ……?」

「冥府魔導とは、お前たちで言う死神のような……」

「お断りしますっ! 僕は白魔術師として皆の傷を癒しながら笑顔にするのが夢なんです! それじゃもう殺しちゃってるじゃないですか!?」


 僕は即答した。やっぱりろくでもない職業じゃないか!?


「白魔術師て……本気で言っているのか? あんな鎧までこさえておいてか?」


 ふと、思い出した様に僕は部屋の隅に置かれた甲冑に目を向けた。

 そういえば、鍛冶屋のオヤジは剣も鎧も一つの巨石から出来てると言ってたっけ。


「あれは……えーと、色々深い事情があるんですよ」

「ふむ? 白魔術を目指す身でありながら狂戦士の如き鎧を何故……?」


 ……どうしよう。

 片思いしていた女性の為に何も知らず大金叩いて買ったなんて言えない……。


 それでもって貴女はついでに付いて来たそのオマケですよなんて絶対言えないっ!


「そんな事より、あれの原料も貴女の一部だって話ですけど?」


 話を逸らそうと、僕が思い出した事を告げると、


「…………は? あ、あれが……我……? え……?」


 酷く取り乱した様子で、背を向けていた僕を追い抜き、ヴァネッサがフラフラと部屋の隅に置かれた甲冑の方へ歩いて行く。


 僕は再びヴァネッサの裸から目を逸らそうと思ったのだが、いつの間に用意したのか、見おぼえの有る白い布の中央に頭を通して、テルテル坊主のような恰好をしていた。


「あ……それ昨日買ったカーテン……」


 僕の独白を基に止める様子もなく、ワンピースの様にも見える裾と同じくらいに全身をユラユラさせながら、ヴァネッサは置かれた甲冑の前に立つと、


「わ、我のボディ? これが……?」


 ヴァネッサは虚ろに手の甲でコンコンッと、自身の背丈と同じくらいの場所に有った腰当辺りを小突いている。


「あ……あの……。いや、多分違う……かも?」


 僕は何か不味い事を言ったらしい。よほどショッキングだったようで、先程からボソボソと呟きながら何度もコンコン甲冑を小突いて鳴らしていた。


「き……貴様等…………よくも……よくも我を…………」


 どことなくヴァネッサの独白は怒気を含み、腰辺りまである長い髪を重力に反して逆立たせ、肩を小刻みに震わせている。

 どうやら僕の一言は、完全に失言だったらしい。


「……この我を……! こんな姿にしたのは何処のどいつだ!」


 キッと目を鋭く、ヴァネッサは振り返って僕を睨みつける。

 こんなちんちくりんでも魔王は魔王、僕は恐怖でちびりそうにもなった。

 このまま本当の事を僕が言えば、前線基地の人達が危ないかもしれない……!」


「中々イカすではないか……!」


 ……………は?


「えっ……と……怒らないんですか?」

「ん? なんで我が?」


 真っ赤などんぐり眼をぱちくりと、ヴァネッサは小首を傾げる。

 先程の物々しい雰囲気は何処に行ったんだろう……。


「いや、だって……滅茶苦茶怒ってそうでしたし、身体の一部だったんじゃ……」

「なに、生命維持は頭部に完全集中しておったから、これはもう使い物にもならぬ。いわば排泄物のような物ともいえるな。抜け殻と言う表現が正しいか?」

「お、女の子が汚い言葉使うんじゃありません! 抜け殻! そうですね!?」

「う、うむ。そうだな。何をそんなに……」

「抜け殻! これは貴女の抜け殻! いいですね! 言葉って大事!」


 それじゃあまるで、僕が一年半を費やした結果、大金叩いて他人のう〇こを買ったようなものじゃないかと絶対に認めたくなかった。


「しかし、我の排……じゃなくて、抜け殻をよもやこのように、よほどの名匠と見た」


 本当に関心している様子で、ヴァネッサは甲冑を舐めるように隅々を見渡していた。

 やはり前線基地の匠が織り成した一品は魔王様から見ても素晴らしいらしい。


「ドワーフって言う魔族が造ったみたいです、はい」

「成程、ドワーフ族か。我の頭部を平たく叩き伸ばしたのは解せぬが、納得したぞ」

「まぁ、捨てる予定なんですけどね。僕白魔術師ですし」


 だってこのままじゃ他の冒険者を家に招けないし、着て行けば着て行ったで変な噂が立つし、正直良い事が何一つ無いから粗大ごみと化してるのが事実だ。


「……我が偶像を捨てるだと……? それはつまり我に対する冒涜という事だな?」


 燃やされそうな程に紅い眼が鋭く僕を睨みつける。

 あなたさっき、この鎧の事排泄物とか仰ってませんでしたっけ!?


「許さぬ。我の目が紅い内は、貴様を白魔術師なんぞ軟な者ではなく、暗黒騎士として叩き直してやる! そして行く行くは我に従士する冥府魔導としてのポストを進ぜよう」


 それってつまり死ぬって事じゃなかろうか。


「い、いやですよ! 僕は白魔術師として和気藹々と生活したいだけなんです! そんな怖そうなの絶対いやですから! 暗黒騎士とか絶対モテないしお洒落じゃないし!」

「貴様には暗黒騎士や冥府魔導としての才能が有る! 魔王が言うのだ、間違いない。そうと決まれば、早速ハルオには強くなって貰わねば。お前が弱ければ我の復活も遠退くからな。ビシバシいくから覚悟せよ……!」



 どうやら僕は、とんでもない者に憑りつかれてしまったらしい。



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